ジョナサン・レヴィン監督、ジョセフ・ゴードン=レヴィット、セス・ローゲン出演の『50/50 フィフティ・フィフティ』。PG12。
Pearl Jam - Yellow Ledbetter
ラジオ番組の仕事をしているアダム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は、身体の不調を感じて病院に行くとガンを宣告される。恋人のレイチェル(ブライス・ダラス・ハワード)や親友のカイル(セス・ローゲン)、そしてアルツハイマーの父とその介護をしている母(アンジェリカ・ヒューストン)にそのことを告げたアダムはなんとか病気に向き合っていこうとするが…。
以下、ネタバレあり。
映画がはじまって10分するかしないかぐらいで、主人公はガンと判明する。
生存率は50パーセント。
本人にとってはピアノの「ガァァーーンン!!!」という音がきこえてきそうな衝撃。
しかし親友のカイルは「カジノならバカ勝ちだ」「パトリック・スウェイジだってガンだったけど復帰したぜ」とまったく説得力のないなぐさめの言葉(スウェイジはガンで他界している)を放つ。
あっけにとられ、やがてなんとか現実をみつめようと覚悟を決めて頭まで丸めるアダムだったが、レイチェルはストレスに耐えかねてほかの男性と浮気。
偶然その浮気現場に居合わせたカイルの暴露でふたりは別れることに。
レイチェル役のブライス・ダラス・ハワードはイーストウッド監督の『ヒア アフター』でもこちらの予想に反して途中退場してたけど、今回も最後までけなげに彼氏の介護をするかと思わせて(アダムの両親の前で宣言もする)、まさかの浮気発覚。
「わたしだってつらかった」という居直りみたいな言い訳にはあきれるけど、でも彼女を責めるのも酷な気はする。
自分がそういう立場に置かれたら、ぜったいに彼女のようにならないと断言できるだろうか。
物語のように美しいばかりではない、現実の人の本音の部分がきちんと描かれている。
演じるブライス・ダラス・ハワードはなんだか損な役まわりばかりあてがわれているようにも思えるが、でもそれは彼女の女優としての存在感と演技力から逆算しての配役だろう。
実際、僕にはその後主人公とイイ感じになっていくセラピスト役のアナ・ケンドリックよりもブライスの方が断然ヒロインにはふさわしいように感じられた。
だからこその意外な展開ということだろう。
なにしろアナ・ケンドリックが演じるケイティはまだ24歳で、医者でさえない研修生。セラピーを担当する患者はアダムでたったの3人目。
しかもそのセラピーというのが、学校で教わったことをそのまま機械的にやってるような心がこもっていない代物。
ガン患者であるアダムにむかって「あなたとのセラピーを論文に書いて提出したいんだけど、いい?」なんて無神経なことをいう。
アダムでなくても「ふざけんなこの女」とイラついてくる。
アナ・ケンドリックは『スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団』で主人公の無駄に可愛すぎる妹を演じていた。
僕は観てないけど、「トワイライト」サーガにもレギュラー出演しているらしい。
でもなんていうのかな。
たとえば「スクリーム」シリーズの主演女優さんあたりみたいに、売れっ子なのかもしれないけどイマイチ魅力を感じづらいタイプの(遠回しに大変失礼なこといってますが)女優さんだなぁ、と。
そんなケイティはけっして完璧ではない女性だが(車のなかがゴミだらけの“片付けられない女”)、アダムを救う「天使」でもなければただのバカ女でもないことがじょじょにわかってくる。
これはじつに巧みなキャスティングだと思った。
この映画は「極端」とか「二項対立」とか、そういう単純な区分けをいっさいしない。
ケイティは、元カレのことが忘れられずフェイスブックを毎日チェックして彼にあたらしいカノジョができたのかどうかチェックしているようなイタい一面がある一方で、患者であるアダムを気遣う優しさも持ち合わせている。
アダムがそうであるように、ケイティもまた絵に描いたような「善人」でもなければ「悪人」でもない。
成長の途上にある生身の人間なのだ。
人にはさまざまな面があって、けっして単純に白だ黒だと決めつけることはできない。
あまりこういうことを書くと、この映画で極力避けられていた「誰かを悪者に仕立てて主人公は甘やかされる」という単純な物の見方を僕自身がしてるようで本当にイヤなんだけど、でも特に最近メジャー系の日本映画でしばしば作られてる「お涙頂戴難病モノ」には、この国の人間としてハリウッドに対して恥ずかしさを感じずにはいられないんである。
なぜこういう映画を作れないのか、と。
この映画は、エモーショナルな音楽をガンガンかけてなにかといえば病人やその家族、友人たちが絶叫してるようなそういう作品とはまったく違う。
ムリヤリ観客から涙を搾り取ろうとするような扇情的な音楽は流れない。
主人公がブチギレて叫ぶのは一度きり。
それまで耐えて、あきらめようとして、さんざん溜め込んできたからこその絶叫。
僕はここで泣きそうになった。
ではこれはシリアス一辺倒で重苦しい、観ててツラくなる映画かといったら、これまたまったく違う。
この映画にくらべたら、そのへんに転がってる「お涙頂戴難病映画」の方がよっぽど深刻ぶってる。
そのくせ「人の死」や「命の尊さ」を商売に利用してる。
たしかに人の死を悲劇的に描くことによって観客が大泣きして、結果的にカタルシスを得る「難病スプロイテーション映画」というのは昔からあるし、それは邦画にかぎらずハリウッド映画だって同様だ(“泣かせ”が巧いか下手か、というのもあるが。ハッキリいわせてもらうけど、最近のほとんどの邦画は泣かせるのがとてもヘタだ。文句があるとすればその点に尽きる)。
その存在を完全には否定はできない。
否定はしないけど、この『50/50 フィフティ・フィフティ』には、そういう「泣かせてやろう」というあざとさはない。
といっても、あえて「死」を笑い飛ばすブラックコメディというわけでもない。
「人間」をとても真摯に描いている。
いったいどんな映画なんだよ!と思うだろうけど、こういう映画だって可能なんだという事実。
僕はそこに感動した。
そしてこれは主人公が家族や友人など、大切な人たちとの関係を見つめなおす映画でもある。
母親は主人公に対して口うるさく世話を焼く。
主人公はウザがってついに病院で母親に軽くキレてしまう。
そういうことってある。
ありがたいと思ってるし、お母さんのことはとても愛している。
でも近しい存在だからこそ、つい甘えてキツい言葉を投げかけてしまう。
それでもいずれわかるのだ。
いざというとき、本当に弱っているとき、そんなふうにして必死に心配してくれる人がどんなにありがたいかを。
友人のカイルにしてもそうだ。
いつもアダムにくっついてて、こっちは死ぬかもしれないってのに喋ることといえば「フェラ」だの「セックス」だの、女とヤることばかり考えてる。
それでも親友か?
しかしそんなツレが、じつはどれだけ彼のことを思っていたか。
こういうのを「最高の友だち」というんだよな。
カイルがアダムにいう一言、
「お前のこの傷、『トータル・リコール』の“クアトー”みたいだな」
笑わせてくれる「難病映画」でした。
クワトーさん(お腹の人)
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