モルテン・ティルドゥム監督、ベネディクト・カンバーバッチキーラ・ナイトレイマシュー・グードアレン・リーチマーク・ストロングアレックス・ローサーチャールズ・ダンスロリー・キニア出演の『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』。2014年作品。

原作はアンドリュー・ホッジス・著「エニグマ アラン・チューリング伝」。

第87回アカデミー賞脚色賞受賞。





1939年、イギリスはアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツに宣戦布告。数学者アラン・チューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)は、デニストン中佐(チャールズ・ダンス)の指揮でドイツの暗号機“エニグマ(謎)”の解読のためにヒュー・アレグザンダー(マシュー・グード)らとともにチームを結成するが、仲間たちとなかなか打ち解けられず独り暗号を解読する装置を作り続ける。チューリングによって解任されたメンバーの後任選びのためクロスワードパズルのテストが行なわれ、ジョーン・クラーク(キーラ・ナイトレイ)が合格する。

以下、ネタバレを含みます。



実在の数学者アラン・チューリングの伝記映画。




映画評論家の町山智浩さんの解説(ネタバレ注意)を聴いて、ずっと観たいと思っていました。

アカデミー賞は脚色賞のみの受賞だったけど、主演男優賞にノミネートされたカンバーバッチの演技は確かに見ごたえがありました。

主演のカンバーバッチ、そしてMI6メンジーズ役のマーク・ストロングというキャスト、舞台はイギリスで出演者のほとんどはイギリス人俳優、というと、以前観た『裏切りのサーカス』をちょっと思いだす。そういえば『裏切りのサーカス』の監督も、この『イミテーション・ゲーム』の監督と同じく北欧出身だった。

もっとも、『裏切りのサーカス』がボンヤリ観てると何が描かれているのかもわからなくなるぐらいにストイックな作りだったのと比べると、こちらはかなりわかりやすいというか普通のハリウッド映画っぽくて、たとえば音楽の使い方などはいかにもな劇伴が全篇で高らかに鳴り響く。

きっと『裏切りのサーカス』の方が通好みなんだろうけど、僕はこちらの『イミテーション・ゲーム』の方が単純に好きですね。

ただし『裏切り~』もそうだったけど、劇中で時間が結構頻繁に行ったり来たりするのでちょっと戸惑う人もいるかも。

カンバーバッチは「シャーロック」のような変人っぽい天才役が板についてて(ってゆーか、町山さんも言ってたけどこういう役ばっかやってるイメージが^_^;)、彼の特徴的でちょっと面白い顔立ちとも相まってその演技からは常に孤独感がにじみ出ている。

イイ声の持ち主でもあるんだけれど、この映画の中では若干高めの声を出しているように感じたのだが、どうなんだろう。

マーク・ストロングは『裏切り~』同様にリアルな薄毛のヅラを装着していて(本来の彼は『キック・アス』の時みたいに頭頂部の毛が完全に消滅した、エド・ハリススタンリー・トゥッチ型のセクシーハゲ)、それ知ってるとどうしても頭を凝視してしまうw




この人も実にイイ声の持ち主で、今回出番はそう多くはないものの、彼の響くような低音ヴォイスにまたいつものように聞き惚れてしまう。ウホッ。

アラン・チューリングという人物の存在は今回初めて知ったんだけど、劇中でマーク・ストロング演じるメンジーズから「君は二重スパイよりも多くの秘密を持っている」と言われるように、彼は当時のイギリスにおいては隠し通さねば不都合な秘密を抱えていて、この映画は戦時中の軍事機密に関することを描いていながらも一方でもっと身近な問題にもかすかに触れている。

『裏切りのサーカス』でも男同士の友情を超えた“愛”が描かれていたし、孤高の天才数学者の中にあったもっとも人間らしい部分というのがこの愛の形であったという結論にはとても胸を打たれた。

前近代的なバカげた法律によって彼は罪人として裁かれ、ホルモン治療によって性的に矯正されてその2年後に死去。第二次世界大戦が終わってわずか9年だった。

暗号解読によって戦争終結を2年早めたとされる彼の業績は封印され、人々に知られることもなく50年の歳月が過ぎた。

その功績については後年徐々に再評価されていったが、かつて彼に下された同性愛の罪に対して恩赦が出されたのはなんと2013年のこと。

映画の冒頭でチューリングは荒らされた部屋を掃除していて、訪れた刑事たちに青酸カリを吸わないようにと注意を促すが、それはその後の彼自身の死を暗示してもいる(彼の死因は青酸中毒)。

この映画では自殺とされているが他に事故説や他殺説もあり、その死の真相もどこか謎めいている。

まさしく「栄光なき天才たち」のような人生。


エニグマの暗号を人力で解こうとすると、10人の人間が24時間働き続けて2000万年かかる。

そのためチューリングはそれを機械に代わりにやらせようとする。しかしマシンの制作はなかなかはかどらず、ようやく完成してもいっこうに暗号は解読される気配がない。

そのためチームから排除されそうになる。




チューリングは自作のマシンに「クリストファー」と名付けて、まるで亡き友人クリストファーの生まれ変わりのように扱う。

ラスト近くでは、彼を救おうとするジョーンに向かって「私からクリストファーを奪わないでくれ。独りはイヤだ」と、機械を半ば擬人化していた。

この主人公にとってもっとも大切な存在だった「クリストファー」は、ちょっと『市民ケーン』の「バラのつぼみ」のようでもある。

劇中でも言及がある「人間」と「人工知能」を判別する「チューリング・テスト」は、どこか『ブレードランナー』の「フォークト=カンプフ検査」を思わせる。

チューリングの突然の死によってそのSF的なテーマはそれ以上追求されないが、他者との共同作業が苦手だったりセクシュアル・マイノリティで常に自分のことを「普通じゃない」と感じている彼の姿には、どこか人間になれないロボットのような悲しみを覚える。

チューリング自身が書いた論文「イミテーション・ゲーム」という、この映画のタイトルにもなった言葉が意味深だ。

孤独な人間が現実に感じる違和と、エニグマの暗号解読という見方によっては娯楽的要素も多分に含む題材(エニグマを扱った作品はこれまでにも結構ある)がどうもしっくり噛み合っていない気がするのだが、少年時代の友人クリストファー・モルコムとの「人の会話」についての問答で、人間は本音ではなく遠回しにさまざまな意味を込めて話す、というようなくだりがある。

これも他者とのコミュニケーションについて語っているわけで、その時にクリストファーが言った「鍵」という言葉はやがてエニグマの暗号解読に繋がっていく。

ジョーンとの交流を通して、チューリングは仲間への気遣いや友情というものを学んでいく。

 


一度は仲間たちから総スカンを食らったチューリングだったが、いつまで経っても暗号が解読されないことに業を煮やしたデニストン中佐によって「クリストファー」が停められてしまいクビの危機に陥った時には、仲間たちの協力によって事なきを得る。

実はこの映画は「戦争」について描いているのではなくて、「人間」というものについて語っているのではないか。

少なくとも、イーストウッドの『アメリカン・スナイパー』のようないわゆる「反戦映画」ではない。

というのも、ここでは戦争の是非、殺し合いの恐ろしさや悲しみについては驚くほどさらりと流されているからだ。

たとえば、暗号を解読したことをドイツ側に悟られないようにするために、あえて味方の船を見殺しにするという“選択”について。

最初こそ仲間の兄が乗っている船を助けるか否かでひと悶着あるが、それもすぐに収まってこのことの倫理的な問題については以後突き詰めて描かれない。

そしてエニグマの暗号を解いたチューリングたちは、どの情報は無視してどれを重要視すべきかの選択もすることになるのだが、つまり彼らは大勢の命を救うために犠牲にしてもやむをえない、と判断されるケースを選別していたのだ。

人の命を秤にかけていたんである。

映画の中で、多数を救うために少数を犠牲にする、そのこと自体への疑問は深く追及されることがない。チューリングがそのことで思い悩む場面もない。

最後に、彼の“偉業”によって1400万人もの命が救われた、と字幕が入る。

それでも、そのことをもって美談として単純に賞賛する気になれないのは、その救われた1400万の命の裏に確実に見捨てられたいくつもの命があるからだ。

だからこれは確かに長年隠されてきた一人の数学者の功績に目を向けた映画ではあるのだが、それだけではなく何かもっと違うことを描いたものだと感じた。

この映画にはさまざまな「情報の選別」が描かれている。メンジーズはチューリングによって流してよい情報だけを選別してソ連のスパイに流していた。

チューリングがソ連のスパイだと疑われるという展開があるけれど、僕はWikipediaの情報(スパイ疑惑については書かれていない)以上に詳しい彼の経歴を知らないし原作本も読んでいないので、それらが本当にあったことなのかどうかはわかりません。

ただし、劇中で聖書の一節からチューリングにスパイであることを見抜かれるジョン・ケアンクロス(アレン・リーチ)は、実際にケンブリッジ・ファイヴと呼ばれるKGBのスパイの1人だったということですが。

で、このケンブリッジ・ファイヴの事件をモデルにしたのが先ほどの『裏切りのサーカス』なわけで。繋がってるなー。

ちなみに、チューリングがMI6のためにソ連に流す情報を選別していたことについてもWikipediaでは一切触れられていないけれど(もちろんWikipediaに書かれていることがすべてだとは思いませんが)、仮に映画を面白くするために盛り込まれたものなのだとしたら、やはり映画の作り手は意図的に「選択」というものについて描いていたことになる。

その後、同性愛の罪に問われたチューリングはホルモン治療を受けるか刑務所に入るかの“選択”を迫られる。ここでも「選択」。

彼はかつて2人の仲間を不要だとしてチームから解任しているし、戦争では目的のために少数の犠牲者(チューリングたちの選別によって最終的にどれだけの人々が犠牲になったのかはさだかではないが、“少数”といえるような人数ではないだろう)を出すことを是とする。

それはやがて性的なマイノリティとして社会から抹殺された彼自身を連想させもするのだが、映画の中でいろんな要素がいっぺんに描かれるので少々わかりづらい。

映画の中では最初はまるで機械のように仲間(まだ仲間という意識すらないのだが)を切り捨てていた彼が、ジョーンとの出会いによって徐々に人間らしさに目覚め始め、葛藤も覚えるようになる。

しかし皮肉にも、もっとも人間らしい営みである性的な行為がもとで逮捕され、その社会的地位も栄誉も剥奪される。

映画の中ではチューリングが同性愛者であることはジョーンもケアンクロスも本人が告白するよりも前に知っていたが、史実ではMI6のメンジーズもまたそのことは承知の上で彼を暗号解読のメンバーに入れていたのだそうな。

用済みになったら捨てる気でいたのである。


1951年に、チューリングは捕らえられた彼に味方しようとする刑事(ロリー・キニア)に自分が何者なのか質問するが、刑事は答えられない。

「普通じゃない」ことに悩み続けたチューリングと「人間」と「機械」の違いとは何か?という問い。

観ている時にはちょっと焦点がボヤけているように思えたこの映画のテーマが、鑑賞後あれこれと頭の中で整理してみると次第に明瞭になってきた。

ジョーンの同僚のヘレン(タペンス・ミドルトン)が傍受した顔も見たことがないドイツ兵の無線通信の内容で相手に関心を寄せるところなどは、ヴァーチャルで恋愛も成り立つ現代のネット社会にそのまま置き換えられそうだ。

彼女の一言でチューリングたちがひらめいた暗号解読の際に「キーワードで検索する」という行為も、今ではお馴染みのもの。

アラン・チューリングが残したものは、現在に繋がっている。

映画の最後に、チューリングが生み出したものについて「人々は現在それを“コンピューター”と呼ぶ」と字幕が出ると、じんわりと涙が。

これはアラン・チューリングという実在の数学者にして暗号解読者の数奇な人生を描くとともに、「人間とは何か」という普遍的な問いについての寓話でもある。




チューリングはデニストン中佐には「嘘は言わない」と言っていたが、この映画の中で2度ほど「嘘」をついている。

それはジョーンをブレッチリー・パークから遠ざけるために、彼女に「愛していない」と言うところ。

そして少年時代に学長からクリストファーの死について伝えられた時に、平静を装い「彼をよく知りませんから」と答えたこと。

機械は嘘をつかない。人間だからこそ時に嘘をつく。そしてその嘘は必ずしも相手を憎んでのことではなく、愛しているからこそ、大切に想うからこそつくこともある。

その微妙な感情に揺れる心を持っていたアラン・チューリングは、まぎれもなく「人間」だった。



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