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エフォートアカデミー塾長日記

静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
塾での出来事やお知らせを、私塾長の鈴木がお知らせいたします。
エフォートアカデミーのホームページは、
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です。よろしくお願いいたします!

本日は土曜日で「休講日」ですが、午前中から次男と「進路」の件について話をしました。

 

総合型入試について、事前にいろいろと学校に提出しなければいけない書類があり、あれこれ調べながら記入することになりました。私が受験生の頃は、受験の手続きは勿論のこと、受験対策についても「勝手にどうぞ!」という感じだったのですが、今はどの高校も「過保護」な対応に終始しているようです。18歳から「成人」であると規定されたにもかかわらず、実際は昔にも増して「お子様対応」になっていることは、何だかおかしな気がします(笑)。

 

そんな中、次男がある大学のパンフレットを持ってきました。その大学とは、まごうことなき私の母校のものでした。「父親の出身大学に進学したい!」というのは、本来であれば親としては少なからず喜ばしいことだと思うのですが、そこは「私の倅」です、ちゃんと「裏」があるのです(笑)。

 

私も知らなかったのですが、どうやら受験生の親がOB・OGである場合の特別な入試制度が設けられたようなのです。いわゆる「縁故入試」という奴です。これを次男が目ざとく発見し、私に提案してきた、というのが真相でした(笑)。

 

世の中「コネ」によって物事が決まってしまうことがいまだに多いのが現実ですが、大学入試にまでこのような制度が「一般化」されてしまうのは、いかがなものかと感じます。こうなると、もはや「大学入試」そのものが形骸化していると言わざるを得ないでしょう。当の大学側としては、「縁故入試だからといって、合格基準が下がるわけではない!」と宣うのかもしれませんが、たとえそうだとしても、そもそも縁故がある受験生にだけ受験機会を増やす行為そのものが「優遇」されていることに他ならず、完全な詭弁であることは明らかなのです。「楽に大学進学したい」受験生と、「とにかく学生を確保したい」大学側の、いわゆる「妥協の産物」だと言わざるを得ません。

 

当然のことながら、次男には縁故入試での進学は念頭に置かないように指示しました。目論見が狂ってしまったであろう次男は、バツが悪そうな表情で、実に「悪い顔」をしておりました(笑)。しっかりと「正規の受験制度」を経て進学してもらいたいと心から願っております。

一方で、このような手法で「学生をかき集める」大学側は、間違っても、

 

「近年は学生の質が下がった!」

 

などと的外れな批判をしないように願います。「質の下がった学生」を必死に集めているのは、他ならぬ大学自身なのですから。

自らの「ケツ」は、自らで拭くべきなのです。責任をもって「質の悪い学生たち」をきちんと教育してほしいと、強く願う私なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

早いもので、今年は次男が大学受験の年となります。一向に「受験モード」に移行しない次男に、親として大いなる不安を抱えながらも(笑)、諸々の受験準備は進めなければならず、先日は「進学先候補」の大学の「オープンキャンパス」に出かけてきました。

 

私と次男だけで行くつもりだったのですが、妻も同行したいとのことで、事前に当該大学に「問い合わせ」をしました。妻は先日来股関節の痛みがあり、長い距離を歩くことができない状態です。大学に駐車場はあるのか、また駐車場から校舎までの距離はどれくらいあるのか、という質問をオープンキャンパス実施日の1週間ほど前にメールにてしていました。もちろん正規の「問い合わせフォーム」から送信したのです。

 

ところが、1週間経過しても何の音沙汰もなく、かなり不安な気持ちでオープンキャンパスに出向くこととなってしまいました。幸いにして実に「小ぢんまり」とした大学で、駐車場および校舎までの距離も問題ないものでした。しかしながら、この時点で当該大学への印象は「あまりよくない」ものとなりました。

 

次男が模擬授業を受講している間、校舎内を見て回っていたのですが、ボランティアと思しき学生たちが親切に案内をしてくれました。一方で、ちょっと驚くようなこともあったのです。

 

4階の教室を見るためエレベーターを降りた時、目の前に「誰?」というびっくりするような女子学生?がいました(笑)。

髪の毛は金髪、ボロボロのジーンズを履き、廊下に設置してあるソファーに深く腰掛け、足を組みながらひたすらスマホを弄っていました。保護者が通り過ぎても「偉そうな」態度を直すこともなく、

 

「チーッス!」

 

と挨拶とも思えないような「挨拶もどき」を繰り出し(笑)、たまたま通りかかった学長先生に対しても全く変わらぬ横柄な態度を貫いた彼女は、確かに「ボランティア」のネームプレートを首から下げておりました(笑)。

 

「もしも次男があんな女連れてきたら、絶対に家に入れない!」

 

と、妻は大層おかんむりでした(笑)。「お里が知れる」などと言いますが、問い合わせに対する杜撰な対応(杜撰というか、無反応なのですが)や「学生の質」を見れば、

 

「できればこの大学への進学は避けてもらいたいな~」

 

と考えるのが「親の本音」なのです。次男自身も同じような印象を持ったようでした。

 

ちなみにこの大学、学生数は1000人足らずの実に小規模な大学です。小規模であれば、小規模なりの素晴らしさがあって然るべきだと思うのですが、残念ながらこの大学には何ひとつ「よかったところ」が無かったように感じました。一方で、実際に来てみなければわからなかった「ダメな点」でもあり、それはそれである種の「成果」はあったように感じました。

 

今回のように「実にダメだった」例もありますが、逆に「思っていたよりもずっとよかった!」というケースもあると思います。「百聞は一見に如かず」と言いますが、時間と労力を割いて、「実際に見てみる」という行為は、思いのほか重要であるという「当たり前の事実」を改めて思い知った出来事でした。

 

それにしてもあの大学、こんないい加減な対応をしていると、そのうち「なくなっちゃう」かもしれませんよ!(笑)。

 

頑張りましょう!

早いもので、今年は次男が大学受験の年となります。一向に「受験モード」に移行しない次男に、親として大いなる不安を抱えながらも(笑)、諸々の受験準備は進めなければならず、先日は「進学先候補」の大学の「オープンキャンパス」に出かけてきました。

 

私と次男だけで行くつもりだったのですが、妻も同行したいとのことで、事前に当該大学に「問い合わせ」をしました。妻は先日来股関節の痛みがあり、長い距離を歩くことができない状態です。大学に駐車場はあるのか、また駐車場から校舎までの距離はどれくらいあるのか、という質問をオープンキャンパス実施日の1週間ほど前にメールにてしていました。もちろん正規の「問い合わせフォーム」から送信したのです。

 

ところが、1週間経過しても何の音沙汰もなく、かなり不安な気持ちでオープンキャンパスに出向くこととなってしまいました。幸いにして実に「小ぢんまり」とした大学で、駐車場および校舎までの距離も問題ないものでした。しかしながら、この時点で当該大学への印象は「あまりよくない」ものとなりました。

 

次男が模擬授業を受講している間、校舎内を見て回っていたのですが、ボランティアと思しき学生たちが親切に案内をしてくれました。一方で、ちょっと驚くようなこともあったのです。

 

4階の教室を見るためエレベーターを降りた時、目の前に「誰?」というびっくりするような女子学生?がいました(笑)。

髪の毛は金髪、ボロボロのジーンズを履き、廊下に設置してあるソファーに深く腰掛け、足を組みながらひたすらスマホを弄っていました。保護者が通り過ぎても「偉そうな」態度を直すこともなく、

 

「チーッス!」

 

と挨拶とも思えないような「挨拶もどき」を繰り出し(笑)、たまたま通りかかった学長先生に対しても全く変わらぬ横柄な態度を貫いた彼女は、確かに「ボランティア」のネームプレートを首から下げておりました(笑)。

 

「もしも次男があんな女連れてきたら、絶対に家に入れない!」

 

と、妻は大層おかんむりでした(笑)。「お里が知れる」などと言いますが、問い合わせに対する杜撰な対応(杜撰というか、無反応なのですが)や「学生の質」を見れば、

 

「できればこの大学への進学は避けてもらいたいな~」

 

と考えるのが「親の本音」なのです。次男自身も同じような印象を持ったようでした。

 

ちなみにこの大学、学生数は1000人足らずの実に小規模な大学です。小規模であれば、小規模なりの素晴らしさがあって然るべきだと思うのですが、残念ながらこの大学には何ひとつ「よかったところ」が無かったように感じました。一方で、実際に来てみなければわからなかった「ダメな点」でもあり、それはそれである種の「成果」はあったように感じました。

 

今回のように「実にダメだった」例もありますが、逆に「思っていたよりもずっとよかった!」というケースもあると思います。「百聞は一見に如かず」と言いますが、時間と労力を割いて、「実際に見てみる」という行為は、思いのほか重要であるという「当たり前の事実」を改めて思い知った出来事でした。

 

それにしてもあの大学、こんないい加減な対応をしていると、そのうち「なくなっちゃう」かもしれませんよ!(笑)。

 

頑張りましょう!

少し前に「東大生のノート」なる書籍が話題になったことがあったと思います。少し検索すると、以下のような書籍がいくつも出てきます。

 

 

 

 

さすがは天下の東大生、実に合理的なノートの取り方を実践されています。ただただ感心するほかありません。

ただし、私としては、特に学力下位層の生徒については、必ずしも「ノートを取る」ことに賛成する訳ではないのです。

 

「考えること」や「暗記すること」等々の、学習の基本たる「地道な努力」を極端に嫌う生徒が、「勉強らしきもの」を始めようとする時、かなりの高確率で独自の「ノート」を作ろうとし始めます。それは「勉強」などというものとは大きく異なり、ただ単に「作業」であったり、「デザイン」であったりすることがほとんどなのです。とにかく「考えること」や「暗記すること」が嫌で嫌でたまらないのですから、単純な「作業」に逃げているだけなのです。

「既に知っていること」も「知らなかったこと」も全く整理せずに、ただ単に「奇麗なノートを作っていく作業」に、学習における大きな成果など期待できるはずがないと、私は考えているのです。

 

「ノート作り」が「手段」ではなく、「目的化」している時点で、すでに「学習」ではないのです。有り体に言えば、ノートなど取らずとも、きちんと理解し、記憶できるのであればそれでよいのです。あくまで「ノート」は「手段」であり、「目的」ではないということを決して忘れてはなりません。

 

毎年この手の「学習もどき」を実践して、時間と労力を浪費する子が必ず発生します。そんな無駄なことに精を出すよりも、授業時に先生の話をひと言たりとも聞き逃すまい!と全神経を集中させて取り組んでみてください。その方が訳の分からない「ノート作り」よりも格段に学習効果が高いということを断言します。

「手段」と「目的」を取り違えることは、取り返しのつかない事態に陥る危険性が極めて高いという事実を、しっかりと認識すべきでしょう。時間と労力を浪費するばかりの現状から一早く脱却することこそが、受験を成功に導く重要な要素と成り得るのです。

 

頑張りましょう!

昨日、静岡県東部は大変な大雨でした。ここ最近では、ここまでの大雨はなかったように思います。大きな被害に見舞われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

 

幹線道路においても川の真ん中を車が走っているような状態で、少なからず危険を感じました。静岡県東部においても「下水道化」が進み、近年では多くの地域で下水道が整備されているのですが、それまで使用していた側溝(いわゆる「ドブ」)はそのままであり、排水機能が十分でなくなった側溝から水が溢れている状態でした。今後も異常気象が続いていくと思われる中で、緊急事態に対して脆弱なインフラをいかに整備していくのかという問題は、まさに「喫緊の課題」だと言えるでしょう。

 

昨日の大雨の影響ではないと思うのですが、我が家でもあちこちに「ガタ」がきているようです。今朝、妻から、

 

「台所のシンクの下から水漏れがしてる!」

 

との報告がありました。完全に詰まっている訳ではないのですが、一気に水を流すと、シンクの下がビチャビチャです(笑)。

当初は配管ホースに問題があるのではと考え、近くのホームセンターに出向いて800円ほどのホースを購入、早速取り付けてみたのですが、水漏れは止まらず・・・どうやら排水管自体の詰まりが原因のようです。この場合、素人が修理するのは非常に厄介であり、特に2階の排水管については、酷い場合はプロにお願いする他ありません。

思案した結果、とりあえず「ダメモト」で再度ホームセンターに向かい、3メートル伸びる配管洗浄用のブラシと業務用のパイプ詰まり洗浄剤を購入し、修理してみることにしました。

 

まずはブラシにて配管内を掃除しますが、これが非常に辛い作業でした。とにかく汚い、そして臭い(笑)。こんなものがパイプ内にあれば、そりゃ詰まるに決まってます(笑)。4回ほど丁寧に作業をし、試しに水を流してみると・・・

気持ちよいほど軽快に水が流れていきました(笑)。当面はこれで大丈夫そうです。念のため、業務用のパイプ詰まり洗浄剤を流し込み、半日ほど置いておくことにしました。私が授業から帰ってくるまで、キッチンは使用禁止となります(笑)。

妻の字は相変わらず個性的だな~と感心しつつ(笑)、30年も経てば「ガタ」が来て当然だと、私自身の健康状態と比べつつ、しみじみ感じた次第です(笑)。

家も体も、少しずつ「手直し」しながら、できる限り「もたせる」ように努めよう、と決意を新たにした私なのでした(笑)。

 

頑張りましょう!

「親」といえども、他人様に自慢できるような立派な人生を歩んできた訳では決してなく、かく言う私自身も我が子に誇れるような人生を送れている訳ではありません(笑)。親として、いや一人の人間として、

 

「これだけは我が子に真似してほしくないな~」

 

と思うことが、誰にでもひとつやふたつはあるのではないかと思うのです(それは単に私の願望なのかもしれませんが)。

 

「不完全な親」だからこそ、我が子にどう接するべきなのか・・・

私は我が子にとって「反面教師」を貫くことも、「不完全な親」が我が子に取るべき行動のひとつではないかと思うのです。

本当の意味での「信頼関係」は、「馴れ合い」の中では決して生まれないものだと思います。親の「ダメなところ」を子がそのまま受け継いでしまうのか、それとも、

 

「親のようにはならないぞ!」

 

と子供なりにひとつの「学び」と捉えてくれるのかは、「不完全な親」の覚悟次第だと、私は思うのです。我が子に嫌われることを極端に恐れる親を散見しますが、軋轢を恐れてばかりいては真の親子関係など構築できるはずもありませんし、「今さえよければ」という刹那的な思考は後々大きな禍根を残すことになるでしょう。

 

言うまでもなく、親が我が子の面倒をいつまでも見ていられる訳ではないのです。愛する我が子も、いずれは社会に揉まれる時期が必ずやって来ます。理不尽溢れる現実社会に我が子が「放り出された」時に、

 

「ママとパパはこんなんじゃなかった!」

 

などと半べそをかきながら「出戻ってくる」我が子を、親としてどのように迎えるべきなのでしょうか?私なら、とても安心してあの世に旅立つことなどできようがありません(笑)。

 

親として、我が子と「友達のような関係」を構築したいという気持ちは理解できなくもないのですが、それは我が子が立派に成人した後でも決して遅くはないのではないでしょうか?中途半端に我が子に「迎合」することは、子供の成長にとって「害悪」以外の何物でもないと、私は考えているのです。親は子にとって決して「完全な存在」ではなく、何かと「口煩い存在」であることを恐れてはいけません。受験時に自分自身のために「頑張れる子」と「頑張れない子」の「境目」は、きっとこの辺りにあるのではないかと思うのです。

 

親自身が我が子にとってある面では「反面教師」であることを自覚し、それを貫くことはとても重要であり、子供の成長にとって大切な要素だと思います。成長過程の子供にあたっては、「カッコ悪い親」の「覚悟」も、また大切なことなのだと、私は強く感じているところです。

 

頑張りましょう!

本日、こんなニュースを目にしました。

 

沖縄県でコロナが急拡大の兆候を見せているようですが、当地においても学校でのコロナ拡大の兆候が見られています。

 

沼津・三島地区の高校では、ちょうど今頃が体育祭や学園祭の季節なのですが、特に学園祭は「コロナ明け」ということもあり、久しぶりに「一般開放」する高校がほとんどです。一般開放ということは、多くの人が「押しかけてくる」ということを意味します。

 

先日実施された静岡県東部の進学校では、文化祭が終了した後に学年を問わずコロナが蔓延してしまい、ついには「学校閉鎖」に至ってしまったとのことです。私の次男の高校でも先週文化祭が開催されましたが、次男の隣のクラスで6人の感染者が出て、こちらは「学級閉鎖」となってしまいました。

 

数年前とは異なり、お年寄りや病気の方以外の人たちにとっては、もはやコロナに感染してもさほど大事にはならないというのが共通の認識であり、ある意味では「正しい認識」なのかもしれませんが、だからといって「放置でよい」というものではないと思います。インフルエンザなどの季節性の疾患とは異なり、一年中感染が拡大する可能性があるのがコロナの特徴であり、大きな流行が過ぎ去った後でも、一定の注意や配慮が必要なことは言うまでもありません。

先ほど高校において学園祭が開催される時期であると申しましたが、同様に中学では修学旅行や自然教室が実施される時期でもあります。修学旅行や自然教室から帰った塾生たちが体調を崩して塾をお休みするケースが散見されており、当塾の足元においても感染症の影響を肌で感じざるを得ない状況となっております。

 

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」などと言いますが、過去の教訓を忘れないことが、「大惨事」を未然に防ぐことに繋がります。コロナの「残り火」に再び燃料を投下するようなことが無いように、各々がきちんとした対策を講ずるべきでしょう。とりわけ受験生にとっては、夏休み以降の半年間をいかに有意義に過ごすのかが合否の分かれ目となります。ほんの少しの「油断」さえ「命取り」に成り得ることを、しっかりと自覚しておきましょう。

 

頑張りましょう!

毎週の「ゴミ処理」は私の大切な「任務」で(笑)、うっかり収集日を忘れることがないように、私のスマホにはこんなアプリを入れています。

 

居住地域を登録しておけば、「燃えるゴミの日」や「埋め立てゴミの日」などの収集日を知らせてくれたり、細かなごみの分類などを教えてくれる便利なアプリです。このアプリに助けられたのは、一度や二度じゃありません(笑)。

 

そして本日、こんなニュースを目にしました。

 

 

 

沼津市の清掃工場は私が通った中学の学区内にあります。

前述のアプリで、

 

「今週土曜日の一般ごみ搬入は中止します。」

 

という突然のお知らせがあったので、どうしたのだろうかと思っていたのですが、どうやら爆発事故があったようです。

 

「ゴミ処理の仕事」といえば、決して「衛生的な仕事」だとは言えないでしょう。必然的に「汚いもの」に接する機会も多いでしょうし、今回のように少なからず危険なケースに遭遇することもあるでしょう。

それでも、世の中から「ゴミ」がなくなることなど、有り得ないのです。敬遠されがちであるけれど、絶対必要な仕事に従事されている皆さんに、私は最大限の敬意を表したいと思います。彼らの献身のおかげで、私たちの「普通の生活」が成り立っているという事実を、再度認識すべきでしょう。

 

高校生や大学生の諸君は、就職活動を目前に控え、「職業観」について深く考える機会があるかもしれません。社会的に「価値が高い」と認識されている職業に就くことはとても素晴らしいことだと思いますが、「誰かに必要とされている仕事」に就くことだって、同じくらい素晴らしいことだと、私は考えているのです。

 

汚れや危険をもろともせず、日々市民のために汗を流すごみ処理に携わる職員の皆様に感謝を!そして、「職業」とは何か、何に価値を見出すのかということを、サービスを受けている私たち自身がしっかりと考えてみる必要があると痛感した次第です。

 

お怪我をされた清掃員の方の快復を心よりお祈り申し上げます。

 

頑張りましょう!

高校3年生になる次男が「奨学金」についての書類を持参してきました。大学進学のための「学力」さえ怪しい現状で、進学後の資金だけは確保しようとしているのは、やや滑稽な感じがします(笑)。

 

このブログでも再三書かせて頂きましたが、我が家においては長男も次男も「給付型奨学金」を受給させて頂いております。これは決して裕福ではない我が家にとっては大変ありがたいことなのです。

 

次男は民間の給付型奨学金を受給していますが、長男は日本学生支援機構の奨学金を受給しています。日本学生支援機構の給付型奨学金については、毎月の定額給付のみならず、授業料においても相当額の減免をして頂けることもあり、「苦学生」にとっては大変有用な制度です。

幸いにして我が家においては高校側の指導もあって、特に難しいこともなく手続きを終えているのですが(最終的には学校のコンピューター室などで申請(入力)手続きまでフォローしていただけます)、他の高校ではどのような対応をされているのか、少し心配でもあります。

 

次男がいきなり渡されたのは、「申請のしおり」をはじめとする数冊の冊子であり、ちょっと目を通すと、これがなかなか難解なのです。「わかりやすさ」とは対極の、言わば「実に使い勝手の悪い参考書」のようなのです(笑)。

これらを熟読して、果たして制度全体の仕組みが理解できるかどうか、特に初めてお子さんを大学進学させる親御さんにとっては、難解極まる内容のような気がしてなりません。

 

コロナ禍の際、困っている事業者をいち早く救うべく、給付することを「優先」し、審査もそこそこにとにかく「貸し出す」姿勢を「お上」が打ち出したことがありました。これによって大いに救われた事業者の方は、決して少なくなかったでしょう。一方で、コロナ禍後には「不正受給」で摘発された輩も数多く見受けられましたが、この結果はある意味で「想定済み」だったと思います。この一件については賛否両論があるとは思いますが、「効用」と「副作用」は表裏一体であり、「今何を優先すべきか」ということを念頭に置けば、煩雑な申請手続きは後回しにして、とにかく簡略な申請制度として、「検証」は後からしっかりと行うという形でもよいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

 

せっかくの素晴らしい制度が、手続き上の問題で利用できないというのは、学生や保護者にとって大きな損失となります。煩雑な手続きを必要とせず、誰にでも手軽に利用できる制度として改善させることを願って止まない私なのでした。

 

頑張りましょう!

高校受験・大学受験が近づくと、自ずと「志望校」についてそれぞれが考え始める時期が訪れます。

「ミスマッチ」という言葉がありますが、自らの「実力」と、「志望校」の難易度があまりにもかけ離れている場合は、指導する側としては少々難儀をするものです(笑)。

 

「学力」と言いましたが、ちょっと言葉が正確ではないかもしれません。それこそ「努力の量」と言った方が正しいのかもしれません。悲しいかな、人はそれぞれに持って生まれた「能力」があり、それぞれが同じだけの努力をしたとしても、同様の結果がもたらされるとは限らないのです。それでも「目標」に向かってひたむきに努力する子が「夢」を語っていけない理由はないのです。そして、本当に時々だけど、神様はちょっとした「奇跡」を与えて下さることもあるのです。

 

「夢」を語るには、相応の「努力」が必要なのだと、私は考えているのです。

 

最も問題なのは、さしたる努力もせずに、「夢だけは壮大」な親子です(笑)。

 

「〇〇さんは、あまり勉強している様子が見えないけど、あの程度の勉強で成績がいいのなら、私の方がずっと勉強しているんだから、きっと私も志望校に合格できる!」

 

このようなことを真面目に力説する親子が毎年必ずいらっしゃいます。

「ギフテッド」などという天才的な才能を持つお子さんが話題になることがありますが、これはあくまでレアケースであり、ほとんどの子は「普通の子」なのです。学校での様子が「その子のすべて」だと考えているとするならば、実に「おめでたい話」であり、勉強で成果が挙がっている子の大多数は人知れず努力を重ねているという事実をしっかり認識すべきでしょう。少なくとも私の拙い経験則に照らせば、学習において成果を挙げた子たちは、押しなべて「努力家」であったことは断言できます。

 

「夢」を語ることは大いに結構ですが、その前に自分自身に「夢」を語る資格があるのかどうか、じっくり考えて頂きたいと切に願います。それが本当に「夢」なのか、それとも行動が伴わないただの「ホラ吹き」であるのか、周囲の方たちは実に冷静に、そして冷酷に「判断」されると思います。持って生まれた能力を嘆く必要は全くありませんが、あまりにも「無知」であることは、「罪」であり、「恥」でさえあるのではないでしょうか?

 

「あいつ、最近頑張ってるな!」

 

周囲の人たちからこんな風に評価され始めてから、ようやく本当の意味で「夢」を語ることができるのだと、私は考えているのです。

 

頑張りましょう!