君にその「資格」はあるのか?。 | エフォートアカデミー塾長日記

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静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
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高校受験・大学受験が近づくと、自ずと「志望校」についてそれぞれが考え始める時期が訪れます。

「ミスマッチ」という言葉がありますが、自らの「実力」と、「志望校」の難易度があまりにもかけ離れている場合は、指導する側としては少々難儀をするものです(笑)。

 

「学力」と言いましたが、ちょっと言葉が正確ではないかもしれません。それこそ「努力の量」と言った方が正しいのかもしれません。悲しいかな、人はそれぞれに持って生まれた「能力」があり、それぞれが同じだけの努力をしたとしても、同様の結果がもたらされるとは限らないのです。それでも「目標」に向かってひたむきに努力する子が「夢」を語っていけない理由はないのです。そして、本当に時々だけど、神様はちょっとした「奇跡」を与えて下さることもあるのです。

 

「夢」を語るには、相応の「努力」が必要なのだと、私は考えているのです。

 

最も問題なのは、さしたる努力もせずに、「夢だけは壮大」な親子です(笑)。

 

「〇〇さんは、あまり勉強している様子が見えないけど、あの程度の勉強で成績がいいのなら、私の方がずっと勉強しているんだから、きっと私も志望校に合格できる!」

 

このようなことを真面目に力説する親子が毎年必ずいらっしゃいます。

「ギフテッド」などという天才的な才能を持つお子さんが話題になることがありますが、これはあくまでレアケースであり、ほとんどの子は「普通の子」なのです。学校での様子が「その子のすべて」だと考えているとするならば、実に「おめでたい話」であり、勉強で成果が挙がっている子の大多数は人知れず努力を重ねているという事実をしっかり認識すべきでしょう。少なくとも私の拙い経験則に照らせば、学習において成果を挙げた子たちは、押しなべて「努力家」であったことは断言できます。

 

「夢」を語ることは大いに結構ですが、その前に自分自身に「夢」を語る資格があるのかどうか、じっくり考えて頂きたいと切に願います。それが本当に「夢」なのか、それとも行動が伴わないただの「ホラ吹き」であるのか、周囲の方たちは実に冷静に、そして冷酷に「判断」されると思います。持って生まれた能力を嘆く必要は全くありませんが、あまりにも「無知」であることは、「罪」であり、「恥」でさえあるのではないでしょうか?

 

「あいつ、最近頑張ってるな!」

 

周囲の人たちからこんな風に評価され始めてから、ようやく本当の意味で「夢」を語ることができるのだと、私は考えているのです。

 

頑張りましょう!