「ノート」の是非。 | エフォートアカデミー塾長日記

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少し前に「東大生のノート」なる書籍が話題になったことがあったと思います。少し検索すると、以下のような書籍がいくつも出てきます。

 

 

 

 

さすがは天下の東大生、実に合理的なノートの取り方を実践されています。ただただ感心するほかありません。

ただし、私としては、特に学力下位層の生徒については、必ずしも「ノートを取る」ことに賛成する訳ではないのです。

 

「考えること」や「暗記すること」等々の、学習の基本たる「地道な努力」を極端に嫌う生徒が、「勉強らしきもの」を始めようとする時、かなりの高確率で独自の「ノート」を作ろうとし始めます。それは「勉強」などというものとは大きく異なり、ただ単に「作業」であったり、「デザイン」であったりすることがほとんどなのです。とにかく「考えること」や「暗記すること」が嫌で嫌でたまらないのですから、単純な「作業」に逃げているだけなのです。

「既に知っていること」も「知らなかったこと」も全く整理せずに、ただ単に「奇麗なノートを作っていく作業」に、学習における大きな成果など期待できるはずがないと、私は考えているのです。

 

「ノート作り」が「手段」ではなく、「目的化」している時点で、すでに「学習」ではないのです。有り体に言えば、ノートなど取らずとも、きちんと理解し、記憶できるのであればそれでよいのです。あくまで「ノート」は「手段」であり、「目的」ではないということを決して忘れてはなりません。

 

毎年この手の「学習もどき」を実践して、時間と労力を浪費する子が必ず発生します。そんな無駄なことに精を出すよりも、授業時に先生の話をひと言たりとも聞き逃すまい!と全神経を集中させて取り組んでみてください。その方が訳の分からない「ノート作り」よりも格段に学習効果が高いということを断言します。

「手段」と「目的」を取り違えることは、取り返しのつかない事態に陥る危険性が極めて高いという事実を、しっかりと認識すべきでしょう。時間と労力を浪費するばかりの現状から一早く脱却することこそが、受験を成功に導く重要な要素と成り得るのです。

 

頑張りましょう!