対馬丸記念館 語り部のお話 | 爆走☆えころじ庵店主のもりもり日記

対馬丸記念館 語り部のお話

沖訪寸前に、たまたま銀座で、映画 「島守の塔」 を観る機会を得た。

 

沖縄戦時の県知事 島田 叡(あきら) と 警察部長 荒井退造 の

戦火に翻弄されながらも命の重みを受け継ぎ必死に生きる沖縄県民と、

それぞれの 「苦悩と葛藤」 の物語 「命どぅ宝、生き抜け!」

 

 

負傷兵を看護する暗く壮絶なガマでの撮影の臨場感、爆撃の音響、

吉岡里帆、萩原聖人、村上淳、最後の香川京子の出演も良かった。

 

 

五十嵐 匠監督が、沖縄に3年間通って、

数多くのガマの暗闇に入り、コロナで撮影中止となり、1年8ヶ月の延期を経て

完成が危ぶまれながらも、制作陣の強い意志で出来上がった

いま、戦争が終わっていない世界に発信すべき奇跡の映画です。

 

沖縄から九州への疎開に尽力した荒井退造のつらい 「対馬丸」 の場面に

ロワジールホテル那覇より徒歩15分の記念館も立ち寄ろうと思った次第

 

せっかくだからと 「対馬丸記念館」 へ電話をして、

「修学旅行生に説明するタイミングがあれば、うしろから聴かせていただけないか?」 と、お伺いしたら、

「おひとりのためにお話ししますよ」 とご親切におっしゃっていただき、

語り部さんのお手配をしていただいた。

 

沖縄に向かう羽田の搭乗ゲートで着信

「明日の語り部さんがコロナに感染してしまって、記念館も休館になるかもしれない。

決定については明日、当日朝になりますが、ご連絡します」

 

合格発表を待つ気持ちで待っていたら、

「予定通り、開館します。別の語り部さんのお手配も出来ました!」

 

「ありがとうございます!」  特に沖縄では、成り行きを素直に受け入れる。

対馬丸記念館へ

 

記念館の裏の旭ヶ丘公園には、対馬丸犠牲者の慰霊碑の祀られた

 

「小桜の塔」 に続く、散歩道があります。

 

1944年8月22日夜、学童834名を含む、学童集団疎開、一般疎開 1,661名に

船員・隊員含めた1,788名を乗せた対馬丸が、

アメリカの魚雷攻撃を受けて撃沈、生存者はわずか280名

 

当日の朝になって急遽乗船を取りやめたり、嫌がる子供を無理やり乗せたりした

親もいて、乗船者も犠牲者も生存者も、数字は不確定

生死を分けた親御さんのお気持ちはいかばかりかと思う

 

「海鳴りの像」 には、海で犠牲になった25隻1951人が祀られています。

 

殉職系作職員慰霊の碑や戦没新聞人の碑、ふんばるガジュマル から

展望台に続く道もあり、犬と散歩しながらお弁当を食べている方もおられました

 

ロワジールホテル那覇から徒歩圏内に、三重城(みえぐすく)跡や

沖縄一之宮の波の宮(なみのうえぐう)、旧久米村があり、那覇の街中でも

琉球時代からの歴史の足跡を訪ねて歩くことが出来ると教わりました。

 

さて、話を 「対馬丸記念館」 に戻します

 

疎開船対馬丸で犠牲になった子どもたちの資料館

Tsushima-maru Memorial Museum

 

疎開通達から、対馬丸への乗船、航行、撃沈、漂流、そして救助までを

証言と資料で展示しています。1500名もの尊い命が犠牲になった

対馬丸が撃沈されたことは、単なる疎開者の戦時遭難ではなく、

沖縄県が戦場として飲み込まれ始めた事件として捉えることが出来ます。

 

まず、ビデオで 「おばあの語り」 を聞きます。

 

子どもたちを戦争から逃れさせようと思って出したのに、

こんな事になってしまって

「やっぱり疎開させるのでなかった」 という悔やんでも悔やみきれない想い

 

真夜中に冷たい海に投げ出され、

翌朝までに多くの人々が力尽き、海底へ沈んでいきました。

しがみついて助かった後の漂流の日々は、

果てしない大洋の真っただ中で、波は荒く、日中の焼けつく暑さ、夜の震える寒さ

のどの渇き、口はからからで、くちびるは張り付いてしまう

 

生死と隣り合わせで、助かったあとにさらなる苦しみとなる

撃沈の事実は決して語ってはいけないという 「箝口令(かんこうれい)」

 

↑ 上の画像の左の暗闇に浮いているのは、生存者の証言から作られた

救命ボートとなった筏(いかだ)にしがみついている様です。

真っ暗な海に投げ出された再現として、少しでも想像出来るでしょうか?

 

漂流したこどもの証言

 

4歳のときに母姉とともに対馬丸に乗船された語り部の照屋さん(82歳)

 

なんと、坂元が持っていたロワジールホテル那覇で

ご挨拶をさせていただいた名刺をご覧になって、「次男です」 って! 

 

語り部さんの交代により出会った、「沖縄ご縁の不思議」 あるある!

 

うれしくなって、お話も弾み、思わず、1時間の予定が 2時間にもなっちゃって

その後、館内を一緒に、資料を見ながらご説明もいただいてしまいました。

 

 

軍事用語の疎開、絶対国防圏、敗戦思想を与えてはいけない

 

当時、サイパンの次は沖縄か台湾が戦場になると考えて

子供やお年寄り、女性などを台湾に2万人、本土に8万人、計10万人の疎開を進めた

 

なかなか踏み切れない家庭を説得する政府の指令が強くなり

農業や防空壕堀り、工場で働く親が帰宅するのを待って

学校の先生が夜、家庭訪問をして説得にあたった。

 

「大和に行ったら、雪も汽車もあるよ~」 「友達が行くから行きたい」

印鑑を持ち出して親に内緒で書類を提出した子供もいたらしい。

 

親たちは、海はすでに危険であることを知っていたので

「疎開船は軍艦である、護衛艦が付く」 と説得された。

 

疎開で血筋を残そうという考え方と、どうせ全滅するのであれば家族一緒がいい。

苦渋の決断の中、命令に従って、やんばるからは一週間前より那覇に待機

 

出航時間は知らされず、朝から埠頭に集合し、乗船を待つひとびとでごった返し

 

お昼を食べに家に帰って 「やっぱり行きたくない」 と言い出す子もいて

結果、良かったのか悪かったのか ・・・

 

夕刻になってから、絶壁のように迫る船体の高さに圧倒されながら、

高さ10メートルは3階建ての高さもあり

「下を見るな、上を見ろ」と言われながら、甲板まで吊り梯子で登る。

 

 

老朽化している対馬丸は、実は、軍艦でなく貨物船だったので、

ひとが通れるところはとても狭く、船員のために作られた

船倉(せんそう)にただ二段に仕切られ、子どもたちはぎっしり詰み込まれ

むんむんして汗びっしょり、蒸し暑くてなかなか寝付くことができなかった。

 

 

最後にすごした場所から闇の海へ

 

 

昭和19年(1944)8月22日夜10時12分

アメリカの潜水艦ボーフィン号によって撃沈されました。

トカラ列島悪石島の北西約10キロ地点でのことです。

 

10発中、4発が命中し、10分足らずで沈没

 

灯りは消え、真っ暗な船倉の中で恐怖の渦の中にいた学童たちは

一刻も早く外に出ようと縄梯子に群がり大混乱

 

甲板に上がったものは、「飛び込め、(船から)離れろ!」 

 

4歳だった語り部の照屋さんは、お母さんと一緒に飛び込んで

醤油樽の紐つかんだそうです。

お姉ちゃんを探しに行くと言って、お母さんは行ってしまった。

 

救命胴衣は肌身離さず着けていたが、当時は発泡スチロールもなくて

ススキを布に詰めたもの、24時間しか持たない。

 

翌日の午後に見つけられたものが一番早い救出、6日間漂流したものもいる

潮の流れにより、105体の遺体が流れ着いた島の村長さんは

膨らんだ遺体を、焼酎を含んで埋葬をしてくれたという

 

照屋さんは、任務を終えて帰るところのヘリが見つけてくれて、

通信筒にガンバレとメッセージを書いて送ってくれた。

 

近くにいた漁船に連絡をして、魚を捨てて助けに来てくれた。

 

鹿児島に上陸して、歓迎されると思ったら、憲兵がいて、

決して話してはいけない」と 「箝口令」 がしかれ

みんなから聞かれても、だれにもなにも言えない

 

6歳で沖縄に帰ってきた

60歳で退職し、対馬丸には関与したくないと思っていたが

 

70過ぎて語り部を始めて12年目となる。

 

被害実態調査がされなかったことは、対馬丸撃沈事件の本質として、語り継ぐ

 

船内の様子 (生存者のスケッチ)

 

児童制作の平和劇用 「対馬丸垂れ幕」

対馬丸にこんなにたくさんのひとが乗っていたことが、作って見てわかります。

 

学童疎開での暮らしは 「ひもじい」、「寒い」、「さみしい」

 

対馬丸を攻撃した潜水艦BOWFIN(ボーフィン)は、

ハワイ真珠湾のボーフィン記念公園内に実物が展示されているそうです。

ニックネームは 「真珠湾の復習者」 !

 

 

語り継いで行くべき、78年前の対馬丸の貴重なお話を伺いました。

 

たくさんの方へ聞いていただきたい、

対馬丸記念館を訪れていただきたいと思いました。

 

ロワジールホテル那覇より徒歩15分に位置します

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たくさんの子どもたちにも知ってもらいたい。

 

マンガ子ども太平洋戦争物語 

 

 

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