一年の終わりに近づくと、業績の査定(英語ではアプレーザルといいます)があります。契約社会のアメリカでは年の初めに

「どんな事を今年あなたにしてもらいたいか…」

というのを上司と握り、年末に

「どれ位達成したか」

というのをお互いに見合わせるのです。結果がもちろんほとんどですが、その時に自分の強み・弱み等も相談に入ります。

以前はそういうところで受ける指摘に結構反応したりしていましたが、今になるとそれはもう「考え方の相性の違い」という次元の問題かなという気がしています。

それと同時に「光と陰」「強さと弱さ」の意味も感じています。今日はそちらの方を書こうかと思います。


自分の事を判断するより他人を判断する方が人間簡単なものです。たとえば私が将来また一緒に仕事をするKさんについていえば、「自分の損得とか保身とかを考えずに人を好きになれて行動できる」優しいところが強みです。けれど、その強さ故にビジネス判断としては余り良い判断と言えないことも許してしまうことがあります。それは弱みです。すなわち「強さ故の弱さ」なんですね。

Lさんは恫喝に負けないで静かに自分の道を進む強さがあります。吠え返さないことで信頼を得られるのですが、一部の人からはそれが弱さに映ってしまう。すなわち強さも弱さなのです。

だから、多分私が自分が強いと思っていることはある人から見たらそれは弱さに見えるのだと思います。

光が強くなければ陰も強くありません。「だれにでも満遍なく好かれる」とか「どこから見ても完璧」…という人も物事もないのだと思います。

要は、「光を見るか陰をみるか」「強さと見るか弱さをみるか」なんだと思うのです。

私は「欠点を克服」するのではなくて、「光をみる」「強さを見る」事に決めました。そして他の人の「光を見る」「強さをみる」様にしてきましたし、もっとそうして行こうと思っています。光れば光る程陰は強くなるのです。強さが強くなればなるほどそれが弱点にもなります。そういう物だと思います。陰に怯え弱さをコンプレックスにして必死に励んでも辛いばかりで幸せになれません。光を見て強さを見て「それでいいじゃん。完璧なんてものはないんだから」って開き直って幸せになった方がいいですからね。
日本の人達と繋がっているという話をしましたが、私のアメリカの上司の話を少ししようと思います。

その人は技術畑でずっと来た人でした。けれど、「ビジネスをやってみたい」と言う希望を持っていて、組織替えがあった時にいきなり国際部のディレクターとして他の事業部から移籍してきました。
そもそもこの事業部のアメリカのトップの下で技術のディレクターとして働いていた関係があり、それが縁で引っ張ってこられた抜擢なのでした。

移籍してきてからもう少しで2年近くなりますが、正直言うと「いきなりビジネスのディレクターそれも国際部は難しいんじゃないの?」という感じです。決して頭が悪い訳ではなく、賢い人なのですが根本的な働き方がその人の理解を妨げている気がします。

自分を引っ張って来てくれた上司の命令が「絶対」で「命」なので、上司が命令したことだけ忠実にやっている、究極のYes!マンなのです。自らのビジネス判断の上、上司に必要な情報を予め与えて上司を正しい方向に導く…そんなことは全く多分考えた事ないんだと思います。

上からのこえ「だけ」しか注意が行っていないということはどういう事かというと、部下がいろんなビジネス知識や情報をあげても「注意を払って理解しない」ということになります。そして、部下がビジネスのために正しい事をして貢献したとしても、それを的確に認めてあげることが出来ないのです。

だから部会でのその人のスピーチは全く内容がない空疎なスローガンばかりで、まるで「ガンバロー」三唱している感じです。それを聞く度に「その程度の内容のない事を話していて、我々が素直にそうだと納得する…と思っている」のかと思うと、毎回そういう薄っぺらい話しか出来ないと判っていても、やっぱり愕然としちゃうんですね。そして、数字がいいと「すばらしい!」と言うのですが、内容がわかってなくて数字だけで「すばらしい!」と言っていると本当にその言葉が空疎で、逆に言わない方がいいんじゃないかと思う位聞く度にむなしくなるのです。

ただその人のいいところは、それだけ上司に「絶対服従」ですが、自分の部下にはそれを求めないことでしょうか。もしもそれを求めたら多分ビジネスが判ってしっかりと仕事をしている部下程切れると思いますが(笑)。

まぁ完全に切れて辞めた人がひとり、辞めようと仕事を一生懸命さがしている人が一人、一緒の場所にいないから「付かず離れずで適当にやるさ」と思っている人が二人…そして私は、薄っぺらい話を聞く度に驚きとそれを冷静に見ておかしく思ったり、「私は私のやりたい事をやるから」と思ったりしています。

うん、「尊敬」ですか?部下に絶対服従を求めないし、本当に上司の幸せを願って身を粉にして働いているところは評価しています。いい人なんですよ。でも、このポジションでビジネスに貢献する能力はないと思うので、完全にミスマッチです。そういう面からは全く尊敬できません。将来どこかで別のタイミングで働くことがあるとしたら並列では働けるけど、上司にはしたくないですかね。
また新たな人の話をしたいと思います。

Sさんと初めてお会いした出張の際にもうひとり
「お時間をもらえないでしょうか?」
と声をかけてこられた方がいらっしゃいました。区別するためにTさんにしておきます。

TさんともSさん同様一緒に仕事をした事はありませんでした。Tさんはファイナンスの人で、私がアメリカに戻ってから私の担当していたビジネスの担当になったのでした。

「Tさんにお時間頂きたいんですがって言われたんですけど?」
と、私がLさんに言うと、Lさんはにやっとして
「人気者ですね。」と言いました。

さて、Tさんと二人きりでの会議室。話題がなんなのか判らずに出かけましたら、Tさんがこんな風に切り出しました。

「この会社に入ってずっとファイナンスで、いろいろなビジネスのサポートをさせてもらって来たのですが、今サポートしているビジネスが自分のビジネスの集大成って思っているんです。」

Tさんの実際の年齢は存じ上げませんが、多分私よりちょっと上位じゃないかと思います。ですから定年までにはまだまだ随分と時間があるはずです。でも、今仕事をしている、その仕事で「極めたい」と思っている…そう、私は理解しました。

「その上で、このビジネスをファイナンスの立場からサポートするとしたらどういう風に考えたらいいでしょうか?何らかのアドバイスを頂きたいのです。」
そうTさんは言いました。

私の最初のリアクションは、「それは現在そのビジネスの責任を負っているLさんの上司だったり、Lさんに聞くべき質問だよなぁ」と言うものでした。私がそのビジネスを率いている訳ではありませんから。それと同時に、「Tさんはそういう質問をきっとLさんの上司やLさんにも言葉にはしていないかもしれないけれど、問いかけてはいるんだろうなぁ…それが答えられていないからアドバイスしてくれそうな人に質問してるんだろう」とも思いました。

Tさんについても、Lさんの上司がやはり小馬鹿にした威圧的態度をとっているという噂を聞いた事があるからです。

そこで、私なりに出来るアドバイスをする事にしました。私がいた頃と経済状況は大きく変わってはきていますが、大局的に見ると政府の規制が入っている業界なので、それほど世界経済の波をもろに被らない市場なのです。ですから、市場規模から成長率、そして流通の成り立ちや、我々メーカーの流通に希望する点と流通がやりたいことのギャップ等、今でも通用することを説明しました。

Tさんはメモをとりながら、「なるほど」を繰り返しています。

会社のファイナンスの人の仕事というのは、そのビジネスの長の人がどういうビジョンを持っているかで仕事の質から内容までがらっと変わってしまうと思います。数字を計算するサポートをしてくれるだけ…位にしか考えていなかったら、本当に単なる計算屋になってしまいます。

その一方で、「ビジネスを大きく伸ばしたいんだけれど、どれ位のリスクをもって買収やら投資やらをしたり、利益率を守って行ったら健全なビジネス経営が出来るでしょうか?」 ビジネスを担当する人がファイナンスの人を右腕としてパートナーとして認めながら、今言った様な問題に答えを出して行きたいと考えるならば、ファイナンスの人は数字だけではなくて、そのビジネス特有の市場や利益率、何ど様々な数字を頭に叩き込んでおく必要があり、市場の動向を理解して、ビジネスのリーダーにアドバイスが出来る位にならないといけないのです。

Tさんは明らかに後者を至高しているのですが、現実は前者に近いそして、時折「どうして後者の様な仕事ができないんだ!」と怒鳴られる…そんなジレンマの中に生きている様なのでした。

一通り説明が終わった後、Tさんはこういいました。
「今迄で一番ビジネスが判った気がします。」

そして、一緒に飲みに行きたいということになり、もっと仕事のおつきあいがあるといいなと言う意思表示をもらいました。


Lさんの上司は、「私利私欲なく貢献したい」と願う人に囲まれているのです。部下にしてもファイナンスにしても人事にしても。最高のメンバーに囲まれているのでした。それがうまく回らない…唯一の壁は「自分が引っ張らなければならない。周りは自分の言う事をきかなければならない」と思い込んでいる自分自身なのですね。

それぞれの良いところスキルを最大限に活かして一緒に成長していこう…そう思うことが出来さえすれば、自分が一番求めている「成功」を手にすることが出来るはずなのですが。

そういう人達と、海を隔てて直接ビジネスの責任のない私が次々と繋がってしまう…Lさんの上司はもったいないことをしていると思います。

それと同時に私が求めていること「信頼関係を基盤にチームを作ってどこ迄行けるかやってみたい」と言う想いが海を隔ててもこのご縁を引き寄せているとも感じています。そう思ってくださる皆さんには本当に感謝の気持ちで一杯です。


収穫感謝祭Thanksgivingのシーズンになると、アメリカ人もなんとなくいろんなことに「感謝」したくなるみたいです。木曜日がThanksgivingなんですが、会社のメールには突然「thank you」メールがいろんなところから飛び交い…なんとなくそれを見てるだけで幸せな気分になります。

このブログや就職活動などいろいろと振り返ってみる機会をもった今年でしたが、本当に素敵な人達との出会いが沢山あって、幸せだなっておもいます。会社人生も本当に恵まれてると思いますし。

それなりにいろいろ凹むこととか不満たらたらの時期だってあったはずなんですけどね、振り返るとそういうことってあんまり覚えてなくて感謝したくなる様なことが残ってる気がします。

本当にありがとう。
この土日、近所の州立大学でレイキのクラスをとってきました。公立大学でレイキのクラスです。それも、教養が目的の「コミュニティースクール」ではなくて、「学部の単位になるれっきとした授業」です。これだけレイキがアメリカでは普及認知されているのだなぁ…というのが実感です。

私はここの大学のMBA卒業生なので、現在学位取得のために勉強はしていませんが、新たにいろいろ設定しなくても、授業の講師が「受講許可」を出せばクラスをとる事は可能です。

久しぶりの大学で、久しぶりにキャンパスを歩き、クラスに出席してきて、いろいろ面白かったのですが、今日の話題はそのクラスそのものではなくて、今日もらった珍しい人からのメールの話をしようと思います。

かれこれ2年近く音信不通の昔からの友達から突然メールが来ました。
彼は日本のある公立大学で教授をしています。

「クラスに来てもらってから2年がたちます。お元気ですか?」

2009年、まだ日本にいた時に彼のゼミの発表会があり、チーム発表の優勝チームを選ぶという審査委員を受けた事があるのです。若い人の真剣勝負に私も非常に楽しいひと時を過ごしました。それがちょうど二年前の10月の終わりだったのです。

これは面白いシンクロニシティです。久しぶりに大学に私が出かけたその日にほぼ2年間音信不通だった大学教授から「元気か?」というメールがきました。それも、彼は私が彼の大学に行った事を思い出してメールしてくれたのです。


2年の音信不通…と書きましたが、彼と2年位音信不通になっても、別に「不義理」と思わないのです。彼と出会ったのが高校2年生の冬ですが、そこから今迄で面と向かって過ごした時間は20日もありません。ふっと交信がなくなる、でもお互いこの縁は絶対に切れないと確信している、ある意味とても不思議な、でも、とても確固とした友達なのです。


出会いはこういう場面でした。
とある予備校が大学別の合宿をしていました。父がどこかからその情報を聞きつけ、私はその合宿に出かけることになりました。当時の私は女子校で恋愛とかボーイフレンドなんてかけらもなく勉強に打込んでおりました。自分で言うと笑っちゃいますが、合格発表の時に後悔だけはしたくないと言う気合いと親に喜ばれたいという健気な努力で極限まで追いつめつつ勉強していた訳です。

ですから、合宿で決まった席で隣りに誰が座っていようが全く眼中にありませんでした。

この大学教授の彼が実は私の隣りに座っていたのでした。本当に全く、さっぱり、眼中になかったのですが、最終日いきなり

「住所を教えてもらえないですか?」
という不意打ちを喰らい、文通を始めることになったのでした。

後に彼にそのいきさつを聞くと、彼は北陸の出身なのですが、「折角首都圏の女子校に通っている女の子とお知り合いになれるチャンスなのだから声をかけてみよう」と思ったそうです。その首都圏の女の子が私と言う訳でした。

もちろんインターネットなんてありませんから、「手紙」です。彼からの手紙は常に速達でした。これも後に「どうして毎回速達だったの?」と聞いたところによると、「折角書いたら早く読んでもらいたいじゃない?」ということで、当時プラス200円だったと記憶しているのですが、彼からの手紙の封筒にはいつも速達の赤い帯がスタンプされていました。

手紙の内容はほとんど覚えていません。受験勉強の合間のささやかな交流で、当然ながら色恋沙汰に発展するでもありませんでした。(これで同じ大学に入っていたら出会って何かの展開があったかも知れませんけどね)

私は東京の大学へ、彼は自分が納得する大学に入れず浪人を選んで名古屋にいきました。その一年後、彼も東京の大学へ入学し、久しぶりに会うことになります。ここでもう既に1度目と2度目の出会いの間は2年以上開いていた…という次第です。

多分通算3度目位の時に彼がふっとこう言ったのです。
「あなたは僕のことを忘れてしまうかもしれないけれど、僕はあなたの事忘れませんよ。」と。

私はその言葉に痛く感動しました。そして「私も忘れちゃだめだ!」と思ったのです。何故彼が「僕は忘れません」と思い至ったのか…その理由はまだ聞いていません。もしかしたらそんな事を言った事も忘れてるかも知れないですけどね(笑)。

それ以来、何年かに一度出会い、つかず離れず、でも…彼の研究対象に私の会社が選ばれたり、私を彼のゼミの審査委員に読んでくれたり。やっぱり彼は「あなたが忘れても僕は忘れませんよ」と言う約束を守ってくれているんですよね。そして、私はこの友情が続いていることを非常に誇らしく思っています。


「またお会いしていろいろと語りたいです」


メールの最後にはそんな言葉がありました。そろそろ久しぶりに顔をあわせて、話をする時期なのかも知れません。


「私もいろいろと話したいです」


今日うれしかった事がありました。

2週間程前に新しく部下が出来たのですが、実感として「下の者」という意識は全然なくてチームに一人加わったというイメージです。この人大きく括ると同じグループの人でしたが他の地域と商品の担当をしていて、その人の上司はグループ内の別の人だったのです。自分の可能性をもっと試して広げたいということで、私のやっているビジネスのグループへの参加を希望し、異動して来たのです。

別に日本に限らず自分のチームの人にはハッピーになってもらいたいというのは当然ですから、特に情報過多で混乱しやすい最初は気をつけるのはもちろんです。ですので、ちょこちょこ
「どう、楽しい?元気でやってる?何か問題はない?」という声をかけていたのでした。


今日は他の地域担当の人と仕事をしていて、私の新しい部下の話になりました。昨日私の新しい部下の人とその人は数時間お互いにやっている事を相談していろいろと協力できることを見つけたのだそうです。そして、その中で、私の部下が私が今日一緒に仕事をしていた人にこう言った…と、一緒に仕事をしている人が教えてくれました。

「前の上司の下では3年間もいたのに、一度も『どう?楽しい?』ということは聞かれた事がなかったんだよ。なのに、まだ2週間なのにもう2度も『どう?楽しい?』って自分の気持ちとかそういうことを聞いてもらったんだよ。」

前の上司が3年で一度も「元気?楽しい?」とか聞いた事がない…と言う事の方が驚きなのですが、私の「チームのみんなにはハッピーになってもらいたい!」という気持ちを受け止めてもらっていることがわかりました。とてもうれしい気持ちになりました。

ところが、ここで終わりではなかったのです。

「そんなに自分のことを気にかけてくれるんだから、えびのりさんが成功するためにも自分が頑張らなきゃいけないって気合いが入る!」

と言ったのだそうです。これはうれしかったですね~。思わず泣きそうでしたよ(笑)。

その部下の彼はヨーロッパで企画されているミーティングに出席することが仕事の上で大きくプラスとなると判断し、来週の収穫感謝祭の4連休を逃してもヨーロッパに出かけることにしました。
そんなところも彼の意気込みの表れなのだと思います。

もちろんそれでなくても祭日の少ないアメリカですから、「折角の連休出張しないで休んだら?」とも言ったのですが、本人は「元々アメリカ出身じゃないので、収穫感謝祭の連休はうれしいけど、七面鳥の豪華な食事とかいろいろ…別にこだわりないから」と言って出張を敢行することにしています。


こうして短期間でもしっかりした信頼関係が築けることに本当に感謝です。
彼からは、「ネス湖でネッシーが後ろに入ってる写真送るね~♪」と言われています(笑)。出張が無事で実り多きものでありますよう。


Kさんと「また一緒に働こうね」というのが将来確実に起こる事…になった今でも何故就職活動を続けているかという話を書こうと思います。

これはひとえに

悩んで立ち止まるのではなくて行動すること
時が満ちれば自然にぱたぱたと物事が動く。それを見逃さないこと
その時に向けて精進すること


に他ならないのです。

Kさんと一緒に働くということをプライオリティと考えるなら、今やっている仕事である必要はなく、今居る会社である必要も極論するとなくなるのです。

今やっている仕事をするために日本に戻る、その時までまだKさんが一生懸命頑張っている…それでしか一緒に働く条件が整わない…と考えると非常に厳しくなってしまいます。だから、可能性を広げるため、平衡状態を壊すためにも行動し続けることが必要だと思うのです。

化学を学んだ人は「化学平衡」ということを聞いた事があると思います。
たとえば

A + B = C という化学反応があったとして、AとBがCになる速度と、Cが分解してAとBになる速度が一緒だと、A,B,Cの濃度が釣り合って見えてしまいます。これを化学平衡というのですが、過去の経験から、

「物事がぱたぱたと動く」

時というのは、この平衡が崩れてどんどんと反応が進み、次の平衡状態へ移行して行く…まさにそんな感じがするのです。だから、行動することで平衡を意図的に「崩したい」のですね。


こうして平衡を崩すことによって結局どこで道が交差することになるのか…これまたさっぱり予想も付きません。けれど、こうして行動して、将来

「こうやって道が交差することになったんだね~」
って二人で振り返ってしみじみすることを考えるだけで、ワクワクします。


どうしてそこまでしてKさんと一緒に仕事がしたいのか…頭で考えてもうまく説明がつきません。
頭で考えても説明がつかないけれど一緒に仕事がしたいんだから、一緒に仕事をするんだ…それだけでいいのだと思います。とりあえず行動します。


ここのところ、私と係わり合いになっている人達の話が続きましたので、ちょっと自分の話を書こうと思います。ビジネスにしようか、生き方にするか迷ったのですが、とりあえずビジネスのテーマにしておこうと思います。

就職活動の話です。外部のリクルーティング会社にレジュメを登録していらい、複数のエージェントさんから、途切れる事なくそれなりに面白い案件がやってきています。私はどんな案件でも何かのご縁…と考えて、畑違いでもお声がかかれば前向きに検討してきています。

そのエージェントの会社の一社のリクルーターさんと、日本に行ったおりにお会いすることが出来ました。その時に伺ったお話の中で「へぇ」と興味深かったことを今日は書こうと思います。


日本の企業で女性の取締役がいないのが問題になっている……;

というのです。確かにテレビを見れば上の方の人は男性ばかり。均等法が施行されてから二十年以上たちますが、まだ日本の会社は男性社会と言う事なのですね。

ところが、「やっぱり男性だけじゃまずいんじゃないの?」と言う声が「どこかから」上に上がってくる会社が多いらしいのです。この「どこから」そういう声が上がってくるのか…というのが、私個人的には非常に興味のあるところではあるのですが、そのリクルーター曰く「中間管理職やもっと下の層から」そういう声が上がって来て、「業績がふるわなかったりすると、男性ばかりの取締役がダメなんじゃないのか?」といった話になる…らしいのです。

日本の会社は「女性の取締役ないしは取締役候補を探しているところが多いんです」と言うのでした。

このコメントいろんな点で、かなり違和感があります。


1。業績が揮わなかったりすると、「男性ばかりだからいけないんじゃないの?」という風に、男性で固まっているということが理由になってしまう…。確かに英語にもOld boys clubという言葉があって、昔から仲良しの人達だけで固まって権力を握ってしまうことを揶揄するのですが、そういう風に言われてしまう程、上の人達ってダチなんでしょうか?
2。中間管理職やその下の人の声で取締役会が動く…とりあえず女性候補はいないか探してみる。部下のオピニオンサーベイか何かで出た結果を真摯に受け止めているというところは好感が持てますが、下から言われたから女性を捜してみるって言うのは短絡的な感じがするのです。


「ですから、女性活用をしたい…とそういう会社は考えているのです。」
と、そういっているリクルーターさんも大概は外資系の仕事が多いので、この日本の企業の「女性活用」と言う言葉に違和感を持っている様子でした。


ということで、私が十年以上前に日本から逃げ出した当時のことがぼわ~っと蘇りました。私は言いました。

「アメリカですと、男性だから女性だからってないですし、表には絶対出さない様に日頃から訓練しているので、女性だから登用したいって言うのは、どうなんでしょう、すごく違和感あるんです」

こう切り出すと、「ごもっとも、おっしゃる通り」と相槌を打ってくれます。

「更に言うのなら、年齢の差別も絶対ダメですから、誰が何歳というのはたまにうわさ話をする時には話題になりますが、仕事の場面で出すのはないです。だから、日本の採用に年齢枠の制限が付くのは、未だに違和感あるんですよ。」と続けます。

「そうですよね~。アメリカではあり得ませんよね。」と、相槌を打ってくれます。

「もしも、その会社が真剣に本当に真摯に女性の活用をしたいということだとしたら、それは女性・男性じゃなくて、老年とか若年とかそういう物全て含めて取っ払って、その人その人の『貢献』に集中できるのか、そういう文化に会社を変える取り組みをすると決意するのか…だと思うんです。私は日本にいた時に『女性初の…』シリーズでいろいろ周りからもいろいろ言われました。女性初だからって特別でもなんでもない…なのに一挙手一投足特別視される、それは女性活用じゃないと思います。女性とか男性とか考えなくなった時、老齢・若年齢考えなくなった時…その時こそ本当の意味で女性活用が出来る様になったってことで、そうなったら、きっと男性社員も一人一人の人間として働きやすい職場になると思います。」

私は考えをはっきりと申し上げました。
結局その考えでも、更に会社が興味を持ってくださるのなら、お会いするのはそれもご縁なので、お会いしてみたい…とも申し添えました。

リクルーターの方がどう私の「言い放ち(苦笑)」を受け止めてくださったのかは判りませんが、その後そのリクルーターさんの上司の方とも電話でお話をして、更に会社の方でお会いしたい…ということになった…というご連絡をいただきました。

女として働いてないもんなぁ………一人の人として働いてるんだもんなぁ…

と、やっぱりまだ違和感を抱きつつ、その会社がどれだけ本気なのかちょっとぶつかってみてみよう…そんな風に考えています。




Sさんは お酒が飲めるだけでなく、正義漢女(笑)でした。

Lさんの上司がそれだけパワハラをしていても指導がそれほど入らないのは、Lさんの上司が社長の元政策秘書であり、お気に入りだからに他ならないのでした。こういうところがまさに上司に認められようと必死で頑張って来て「人生これ戦い」と生き延びて来た「優秀な人」らしいなぁ…と思うところでもあります。

ほとんどの人は社長の顔色をうかがってLさんの上司の事は当たらず触らずという立場をとっていたのに、Sさんは違いました。Sさんは、Lさんの上司がそこにそのままいたら組織が死んでしまう…と、本当に思っていました。人事がまさに仕事をしないといけない場面だから、仕事をしようとしたのです。

日本の周りの人が社長の顔色をうかがってばかりいるのだったら、アメリカ本社のエグゼクティブが来ている時がチャンスだ!と、エグゼクティブのレビューが日本であった時にプロフェッショナルに問題を提議したというのです。これが巡り巡って、結果的にLさんを上司の恫喝から守る抑止力になっているらしい…と言うことでした。

Sさんもまた自分の会社生命も下手したら危うくなるところを、リスクも顧みず「正しい」と信じた道に突き進む勇気を持っているのでした。それでも、そういう強さがあると言う事は風当たりも激しい訳で、時々心が折れそうになるらしいのです。

私とLさんがLさんの翡翠の話をしたところ、
「私も欲しいです」
とSさんも何か石が欲しいと言われました。

そこで、私はアメリカに戻って来てから再びクローゼットの引き出しを引っ掻き回してみましたところ…

これまた全く買った記憶のないペンダントトップが出てきました。

Lさんにあげた翡翠と同じお店で買ったものです。箱が一緒なので。

「どうしてこんなにすっぽり記憶が抜けているんだろう?」
と、不思議に思い、ブリティッシュコロンビア州のどこにお店があるのか調べてみました。すると、そのお店はウィスラーにあることがわかりました。ウィスラーに行ったのは8年前のことです。会社の出張でした。私が今のビジネスユニットに移ってくる遥か昔のことでした。

そのペンダントトップはラブラドライトという石です。
自信を失いかけた時に、生まれた意味や生きる意味をそっと語りかけ助けてくれるのと同時に、人との出会いをもたらしてくれる…と言う事の様です。

Sさんにその石の意味を話したところ、
「まさに今その石を必要としている」ということでした。確かに人事のお仕事は人との巡り合わせですから。

Lさんの石を探している時にはこのラブラドライトのペンダントは気配も全くなく、Sさんの石を探し出したら途端に出て来た…という面白い体験でした。これもまた、Sさんがラブラドライトを必要としているんだろう…と、思います。

こうして石にレイキを送る相手が二人になりました。



KさんLさんと来て、また新しい人の話をしようと思います。Sさんにしておきましょうか。


sさんは私がアメリカに戻ってから日本の支社に入社して来た人でした。すなわち一緒に働いた経験は全くありません。その上担当は人事です。まぁ全然接点がないはずの人でした。

しかしながら、Sさんについては、実際にお会いする前に話に聞いていました。Sさんが会社に来てから、「組織の活性化」の一つとして、組織管理職の人達のEQに注目することになったそうです。多分Sさんの提唱だったのではないでしょうか。

EQとは Emotional intelligence quotientのことで、「心の知能指数」と呼ばれています。自己や他者の感情を理解して、自己の感情のコントロールが出来る能力をさします。

そして、組織管理職の人達で「優秀」と言われて抜擢されている人のEQがかなり低い事実が明らかになったという話を聞きました。想像ですが、上司に認められようと必死で頑張って来て人生これ戦い…みたいな人達が昇進して来ちゃってるんでしょうね。そうすると、Lさんの上司の様に部下を認めてあげることが出来ません。自分の成果ばかりに注目が行っていては、周りの人の感情を読んで自分をコントロールし、周りをうまく乗せる…というトレーニングが余り積めませんから。

「面白い人ですから一度会うといいですよ」
とは言われていたのです。

そして、SさんはLさんの飲み友達でもありました。Lさんと話をすると、大体上司の話が出て来て、このLさんの上司のpeople skillに関してSさんも全く認めていない…という話題で、Sさんが登場するのでした。

私は「いつか日本に戻る」ということで、Lさんに「Sさんに私の履歴書渡そうか?」と半分冗談で言っていたのです。でもまぁそれはともかく一度一緒に飲みましょう…そんな話になりました。

さて、私が日本に出張で出かけたおり、Sさんとお酒を飲む予定にはなっていましたが、仕事をする予定は全くありませんでした。ところが、ひょんなところからオフィスで出くわし、

「質問があるんです」
と、挨拶もそこそこにSさんが切り出しました。それはセールスの賃金制度についてでした。私が日本にいた頃に会社がセールスの賃金制度をもう少し実績ベースで大きく上下するプランにしてはどうか…と考えていて、私もその「ご意見番」の一人として呼ばれたのです。当時、私はそのプランに賛成でした。ところが他の事業部の部長さん達は伸びる方のあがり代よりうまく行かなかった時の下がり具合の方ばかりを気にして、結局リーマンショックも起こり、そのプランは実行に移されることはなかったのです。

けれど、2年経った今、セールスの賃金制度がまた蒸し返されて来ていてSさんがそのリーダーとして提言をまとめているというのです。
「えびのりさんだけ他の事業部長とは全然違う考えだったって伺ったものですから、一度背景を伺いたいんですけれどお時間はありませんでしょうか?」

もう2年以上も前のことですから、思い出すのにちょっと時間がかかると思いました。けれど、その頃作った資料は全て残っていますから、Sさんには
「週末に記憶を掘り起こしますので、ちょっと待っていただけますか?」
と待ってもらうことにしました。そして同時に、「その会議の時にLさんに同席してもらっていいですか?私、Lさんにもその歴史を知ってもらいたいんです。」と付け加えました。

Lさんのしているビジネスで、SさんとLさんは飲み友達ですから異存はありません。そうして私はパソコンの中のファイルを探して、古い記憶をたぐり寄せSさんと会うことにしたのです。

「結果で賃金に弾力をつけるということは、その結果の測定が正確で公平でなければ、組織を壊しかねません。だから、私はこういう測定用のツールの開発と上司と部下がターゲットについて正しく握ることが出来る様にCRMを導入し、上司の人達の指導力についても向上させるためのトレーニングをカスタムで作成し、2泊3日でグループリーダー達を缶詰にしてトレーニングもしたのです。そして、グループリーダーたちにどういう組織になりたいか、ストラテジックプランを作ってもらったのです。これが、彼ら自身が作ったプランなんですよ!」

私はその時のファイルをいろいろ引っ張り出してSさんとLさんに見せながら説明をしました。

「これだけしっかり用意したら、結果が下ぶれするよりはちゃんとしたゴール設定と部下が結果を出せる様な上司の指導が出来るでしょ?」

Sさんは「うんうん」と大きくうなずきました。「公平な測定が出来なければ賃金体系を弾力的に運用するのは組織を破壊しますものね」

「その通り!」

私はそのやり取りや私たちがしたことをLさんに見て理解しておいてもらいたかったのです。今、その頃考えられていたことは一つも実践されていませんが、そのプランをまとめてやる気に燃えていたグループリーダー達はまだ同じ場所に居るのです。彼らは粛正や恫喝が怖くて頭を低くしていますが、心の中にはまだ小さくても炎は残っていると思ったからです。

すると、Lさんは「セールスの人からこのプランを作った事はちらっと話を聞いたことがありました」
と言いました。そして、Sさんも。
「私、セールスのマネージャーさんからこのプランの存在をお話頂いて、コピーはもらってたんです。しっかりした内容だし、何より魂が籠っているプランだと思いました。それで、何故それがセールスの人達が作ることになったのか…ってところが聞きたかったんです」と打ち明けてくれました。

みんなLさんの様に不器用ではないので、風当たりが強くならない様に黙っていますが、自分たちで作ったプランを「正しい方向」と認識していて、それが判る人にこっそり打ち明けている…というのが判りました。

まるで、「禁書」か「禁教」かって感じです(苦笑)。
でも、その本当の心のうちを隠して、判る人にそっと打ち明けるしかない…という状況は悲しいです。

Sさんは
「戻ってくるとかそういうことは考えた事はないんですか?」
と私に質問してきました。Lさんは私を日本に戻す…という話をしていなかったと思うのですが、Sさんからそういう話題になったので、機会があれば是非考えたいですというお話をしました。

「別に今のビジネスじゃなくてもいいですよ。この会社では他のビジネスもやりましたから、経験はありますし。」
と、私が言いますと、Sさんは
「いいえ、ここに戻って来ていただきたいです。そうじゃないと、このビジネス死んじゃいます」
と、断言しました。

SさんはLさんの上司が独裁的なスタイルで上に座っていては組織が死んでしまうと本気で思っていました。


こうして、「えびのりもどってこい」のメンバーがまた一人増えました。そしてSさんはLさんを守ることもしてくれたのです。


付け足しですが、私がセールスの人と取り組んだ仕組みづくりやプランの策定の話を聞いたLさんは
「自分はそんなこと考えた事もありませんでした。」
と、正直に勉強になったと言いました。それで引け目を感じて欲しいのでは決してありません。人をやる気にさせる工夫を常に考えておくことが重要だって、Lさんに気がついてもらいたかったのです。そして、Lさんが上司のポジションと入れ替わる時に、その仕組みを考えてほしいなと思います。