一年の終わりに近づくと、業績の査定(英語ではアプレーザルといいます)があります。契約社会のアメリカでは年の初めに

「どんな事を今年あなたにしてもらいたいか…」

というのを上司と握り、年末に

「どれ位達成したか」

というのをお互いに見合わせるのです。結果がもちろんほとんどですが、その時に自分の強み・弱み等も相談に入ります。

以前はそういうところで受ける指摘に結構反応したりしていましたが、今になるとそれはもう「考え方の相性の違い」という次元の問題かなという気がしています。

それと同時に「光と陰」「強さと弱さ」の意味も感じています。今日はそちらの方を書こうかと思います。


自分の事を判断するより他人を判断する方が人間簡単なものです。たとえば私が将来また一緒に仕事をするKさんについていえば、「自分の損得とか保身とかを考えずに人を好きになれて行動できる」優しいところが強みです。けれど、その強さ故にビジネス判断としては余り良い判断と言えないことも許してしまうことがあります。それは弱みです。すなわち「強さ故の弱さ」なんですね。

Lさんは恫喝に負けないで静かに自分の道を進む強さがあります。吠え返さないことで信頼を得られるのですが、一部の人からはそれが弱さに映ってしまう。すなわち強さも弱さなのです。

だから、多分私が自分が強いと思っていることはある人から見たらそれは弱さに見えるのだと思います。

光が強くなければ陰も強くありません。「だれにでも満遍なく好かれる」とか「どこから見ても完璧」…という人も物事もないのだと思います。

要は、「光を見るか陰をみるか」「強さと見るか弱さをみるか」なんだと思うのです。

私は「欠点を克服」するのではなくて、「光をみる」「強さを見る」事に決めました。そして他の人の「光を見る」「強さをみる」様にしてきましたし、もっとそうして行こうと思っています。光れば光る程陰は強くなるのです。強さが強くなればなるほどそれが弱点にもなります。そういう物だと思います。陰に怯え弱さをコンプレックスにして必死に励んでも辛いばかりで幸せになれません。光を見て強さを見て「それでいいじゃん。完璧なんてものはないんだから」って開き直って幸せになった方がいいですからね。