Lさんがいじめられることから守ると誓った私は、その組織が密室になっていない…周りから見られているんだよ…ということを認識してもらう様にしました。
それはもちろんLさんが実現しようとしているビジネスをサポートすることでもありました。

まだ他にも私に出来る事はありました。

Lさんが私と話している時に、心配なフレーズが挟まるのが気になっていました。

「どうせ私が悪いんでしょうけど…」
Lさんが上司に関連する事を言う時に、このフレーズがふっと挟まるのです。もちろん上司からの恫喝にも曲げずに過ごしているLさんでしたが、言葉の暴力は少しづつ心身を蝕みます。Lさん自身が気がつかないうちにダメージが蓄積されて行っていることが心配でした。このままでは強いからこそ、風当たりも強くなって、最後は折れて鬱になってしまうかもしれません。

私はそのフレーズが出る度に、

「あなたは絶対悪くない!」

と断言し、「皮肉の表現としてすら口に出してはいけない」と言いました。そして、Lさんがどんなに頑張って来ているか、どれだけプロジェクトが進んでいるか、あなたがいなかったらここまで来ていなかった…と、思いつく限りのLさんの貢献を口にし、メールにして認めてあげたのです。

これらは全部「事実」ですから、私が表現するのに何のためらいもてらいもありません。Lさんの状況に追い込まれたら、自分も含めてほとんどの人が上からにらまれない様にひっそりと姿を隠すと思うのです。それを、敢えて顔を高く上げて、更に強い風当たりにも負けない強さに私は感動していますし、それを賞賛し表現するのは難しくもなんともないことでした。

日本人は大概褒められることには慣れていませんから、Lさんも最初は居心地が悪かったかもしれません。でも、年がら年中言われてたら、「そうかな?」と思えて来る様になるものですよね。


それともうひとつ、毎日寝る前にLさんの部下やKさんみんなが楽しそうにけらけら笑っている姿を想像し、それに対してレイキをかけながら寝るというのを続けました。

これに関しては、面白い引き寄せをしてしまいました。
ある朝6時半、まだ完全に眠っていた私は携帯電話の音で起こされました。見ると、日本からの電話です。

「なにかな?」と思って携帯に出ると、いきなり居酒屋の楽しいざわめきが聞こえてきました。
居酒屋でみんなで盛り上がって楽しい時間を過ごしている時に私の話題になり、私を一緒にその楽しい輪の中に加えてくれようとして電話をかけて来てくれたのです。

独りづつとお話をして、電話を切る頃には40分が経過していました。朝っぱらから酔っぱらった人達に起こされたのは「なんだかなぁ(苦笑)」ですが、私はそのけらけらとみんなが笑っている様子は、まさに私が就寝前にイメージしてレイキを送っているそのものでした。

とても楽しくて幸せな気分になることが出来ました。それが例え酔っぱらいのぐだぐだで起こされたのだとしても(笑)。






「私がこんなに頑張っているのに、どうしてみんなちゃんと出来ないのよ!?」
と言うオーラが出てしまう、肩に力が入りまくる人の話をしました。

これって、その本人に冷静に言ったら、理解できないばかりか、もの凄い逆切れされるのが落ちだと思うので言いませんが…


れいせ~~~い~~~~に 考えてみると、

「私が頑張っている」
のと、それを見て
「部下が頑張らなきゃいけない」
関連って、実は「全くない」んですよね(苦笑)。

これ、私の祖母と母の関係や私にかかっていた軛とも似ています。
親子の関係は伝染する?
でも書きましたが、「私が苦労して育ててあげたんだから老後は介護してもらって当然」という親と「育ててもらった恩のお返しじゃなくて、真心で介護してるんだから感謝してもらいたい」という子供の関係ですね。

仕事の場合は、部下からしてみたら育ててもらってもいない訳で(苦笑)、
「なんであんたが上司だからって従わなきゃならないのさ?」と、思うのは、私が考えるに「ある意味当然で、部下の思うことは正しい」のです。

こんなことを肩の力が入りまくってる人に言っても理解できないから言いません。これを言って諭してあげられる人は、親子の関係であれば「母」に当たる人、職場においては、肩に力に入っているいる人が「認めてほしい」と思っている人だけです。ほとんどの場合は上司です。


こうしてつらつらと考えると、結局上にたつ人のする事は、

「自分が頑張っている」という意識を「自分」からまずは移すこと
「みんなが頑張っている」という部分を見る様にすること、そして認めてあげる事

なんだと思うのです。結局のところ、肩に力の入っている人も突き詰めれば、「私こんなに頑張ってるんだから認めて、認めて!」と、誰よりも他の人に認めてもらいたくてじたばたしている訳で、「自分が認めてほしかったらまずは他の人をみとめてあげる」必要があるのだと思うのです。

「自分にしてほしいことは、人にもその通りにせよ」

聖書のルカによる福音書でいわゆる「黄金律」と呼ばれる箇所ですが、少なくともこれは心から実践できる様にならないといけないと思いますし、更に言うならば

「人の良い所を認めてあげられる」ってこと自体が感謝だなぁ…位までいけたら、毎日感謝に満ちあふれて、肩の力はすっかり抜けて楽しく過ごせる気がするんですよね。




こうして、LさんやKさんの話を書いていると、その上司であり私の後任の人は一体どんな人なんだろう…というのを読んでくださっている方は思うと思います。余りに私と流儀が違うので理解するのは難しいのですが彼女の様子を見ていると、昔の自分の置かれていた状況を思い出します。

最近労働市場に入って来た若い皆さんにはピンと来ないかもしれません。私が仕事を始めたのは1990年、バブル真っ盛りでした。このKさんやLさんの上司に当たる人は88年に入社しています。1986年にいわゆる「男女雇用均等法」が施行されました。すなわちそれ以前は、「男子限定」や「女子限定」の求人や昇進がある意味「当然のこと」としてまかり通っていたのです。

私が就職活動をしていた1989年でも、とある会社で、「女子は採用しておりませんので」と同じ研究室から男女ミックスで会社訪問に出かけて言われたことがありますし、別の会社では「同じ職種ですが給料は安いです」というシステムを人事から当然の様に言われたのでした。

そういう時代で、法律が施行されてもそれまでの習慣や考え方は急には変わりません。なにかにつけ、「女子だから」という理由で様々な不利益がまかり通っていたのです。

私の母が「女は120%頑張って、やっと男並みに見てもらえる」
と私に発破をかけたのは、あながち間違っていなかったのです。

さて、そこである程度賢い女性が勝ち上がって行くのはなかなか難しい作戦を実行しなければなりませんでした。ストレートに優秀なところを見せつけてしまっては、男性から煙たがられます。さりとて、奥ゆかしくしていたら全く光が当たりません。私が日本に居た間は、周りの男性諸君を立てて自分の貢献を見せつけず、でも取りたい結果は勝ち取ろうという仕方をしていたものです。いってみれば非常に奥ゆかしくも、ビジネスの結果は自分の思う通りに持って行きたい…そういう作戦でした。

けれど、そんなまどろっこしい事をしながら、自分を叱咤激励するのに疲れてしまい、結局アメリカに逃げ出した…というのは、前に書いた通りです。私はバブルが弾けたて失われた10年において、女子社員が苦労して、存在と権利を確立して来た道筋を避けて来たのでした。

けれど、KさんとLさんの上司の人は、そんな日本でずっと戦い続けのし上がって来た人なのです。おそらく誰もロールモデルとなる女性の先輩はおらず、うまく指導できる男性の上司にもそんなに恵まれず、我が道を信じてひたすら切り開いて来たであろうことは、想像に難くありません。
もの凄い負けず嫌いで、周りの人を非常にシビアに見るのがその兆候です。

「頑張ってるね」
とか
「こういう風にしたらどうかな?」
とか、認めてもらうこともほとんどなく自分でのし上がって自分の乾きを癒して来たのだと思います。認めてもらえた経験があんまりないから部下にもつい辛口になりますし、部下を認めてあげることも下手くそなのです。

「なんとか上の人としてまとめなきゃ、結果を出さなきゃ」
と、肩の力が入ります。だから、
「どうして私ばかりこんなに頑張ってるのに、部下達は馬鹿ばっかり!ぐだぐだ言わずに私の言う事をききなさい」
というオーラが出て来てしまうのです。

部下の良いところをなかなか見られない人が上司に来たら、部下は大体2グループに別れます。その人のタイトル故にすり寄る人、上司のいけてないところを見透かしてしまい、尊敬できないから余計近寄れなくなる人の2グループです。

「私の言う事を聞け!」
と、肩に力が入っているということは、見透かされちゃうものだと思います。そして、それは軍隊ではなく、むしろ「イノベーション」を売りにしている私たちの会社の様なところですと、「自信のなさ」と見られてしまいます。

もうここまで来てしまうと、仕事を全然まともにしなくても、すりすりしてくる人(Lさんの前任者の様に)は「良い人」で、「違うでしょ」とあるべきビジネスの姿を考えて意見を言える強さのある人が「反逆者」になってしまう…という、哀しい展開になってしまうのです。

けれど、現実は反逆者のレッテルを貼られても毅然としていられる人はほとんどいません。だから、すり寄れない…でも…尊敬も出来ない…と言うジレンマに挟まれて、結局部下が出て行ってしまうか、あるいは「一応プロですからね、やるべき事はやりますけど…」と自分の境界線を作って「ひたすら目立たない様に」するかのどっちかがほとんどの人の行動なのでした。

私はLさんの上司は、多分私がやっていたのと同じあるいはそれ以上に一生懸命真剣にビジネスをしようとしていると思います。でも、力の入れどころがまとまらない方向に力を入れてしまっている気がするのです。

KさんやLさんを始め、反逆者としていじめた何人かこそが、本当は彼女の真のサポーターになるべき人でした。

彼女の粛正は凄まじく、私は海を渡ってまで聞こえてくる悲鳴を聞きながら、「ジョージ・オゥエルの『1984』の様に完全に自分の言うことを聞く人だけの組織を作りきるのかなぁ…」と、悲しく思いつつ、それはそれで一つの組織の形ではあるし、でもそれでやって行けるのだろうか?と疑問を持っていました。

上司に絶対服従という組織形態も「あり」ではあると思うのです。でも、それと対極にある文化の会社で彼女がそれをやりきれるのかどうか…というのは無理なんじゃないかと思っていました。

Lさんが現れ、私のアメリカの上司を始め多くの人が彼女の人を掌握する能力に疑問を持ち始めています。結局、会社の文化って明確な形はないけれど、それを一人の人がその人の肩書きだけで変えること…それは無理なんじゃないでしょうか。

人生の半ばまで、負けず嫌いで戦い続けて来た人に、急に価値観を変えてみては…というのは無理な話です。けれど、肩の力が入っていて楽しそうじゃないLさんの上司に、もしも私が何か言う立場にあるとしたら、こんな事を言うでしょう。


あなたはなんとかビジネスを成功させようとして一生懸命やってます。それはもの凄くよくわかるし、私は評価してますよ。でもね、いくつか質問があるんですよ。成功したビジネスってどういうビジネスになってるんだか表現してもらえますか?その時、あなたはどうなってますか?そして部下はどうなってますか?どんな組織になってるでしょう?あなたの夢を聞かせてください。

私は彼女が具体的な夢を描けないことは知っています。だからいくつか質問するでしょう。そして、舞台の上に引きずり上げるのです。

彼女が自尊心の固まりだったら、具体的な夢を描けず私が言いくるめた…と思って、怒り狂って出て行くかも知れません。
負けず嫌いが先行したら、徹底的に考えてくるかもしれません。考えた先には、必ず仲間を作って仕事をしていかないといけないというポイントに気がつく場面がいくつかあるはずです。そこが彼女の転換点になる可能性があります。

どんな道を辿るにしても、私は彼女が肩の力を抜けてもう少し笑えて幸せに仕事が出来る様になったらいいなと思います。






翡翠の石にレイキをかけ、パワーストーンを身につけてもらうこと自体は「お守り」でありますが、私にはそれ以上もっと出来ることがありました。


日本で「反逆者」とレッテルを貼られて密室でいじめられ、その事実が外に出てこないこと…これが一番の悲劇です。

ならば、そこを「密室になってないよ、みんなで見てるからね」と思わせることが最初の抑止力になります。私はLさんが正しいビジネスをしようとしていること、それが人間関係が悪くてうまく行かないかもしれない…と言う状況を私のアメリカの上司にもアジアに居る他のエグゼクティブにも興味を持ってもらえて力がある人全てにコミュニケーションを取る様にしました。もちろんここはプロフェッショナルにやらないといけません。

まずは、ビジネスプランの中身の良さを全面に出して、Lさんへの支持を仰いだのです。

すなわち、前任者はきちんとした解析も戦略もたてず、Lさんの上司に仲良く取り入ってすべき仕事をしていませんでした。「まあ適当に穏便に」それだけだったのです。それに対して、Lさんはすべき仕事をしました。Lさんが描いたビジネスプランの方が圧倒的にビジネスを大きくさせることが出来、リスクはほとんどありませんでした。

この部分をまず売り込みます。そして、次のパートに移るのです。人間関係のパートです。

話を聞いた人は当然この方向で進むもの…と、もうその話を聞いた時には思います。そこで、私が

「…と思うでしょ?ところが……」

と、切り出したのです。問題は「お気に入り」の進めていた方向性と全く違うものをつくりあげ、Lさんとその上司の人間関係は必ずしも良好ではないということから、うまくいきそうもない…と。

ただ、それ以上にLさんの上司のpeople skillの問題点はLさんに限ったことではなかったのです。実は私の上司も私に愚痴を言ったりはしませんでしたが、Lさんの上司に去年ひどい侮辱的な行為を受けたのだ、ということが判りました。

そして私は結論しました。

「このプランの成否は、外的要因じゃなくて社内でコントロールが本来効くはずの問題なんですよ。」
と。


私がプランを売り込んだ人達はそのプランの良さをすぐに理解しました。そして、私がぎゃーぎゃー言わずとも、Lさんの上司について、一緒に仕事をして行く上でいろいろと問題がある…と言うことは、「初めて聞く話」ではなかったのです。

そして、「ビジネスを成功させ、Lさんを守る」という理解者が海の向こう側にあちこち増えていきました。


さて、Lさんが日本に戻る時がやってきました。
アメリカに居る時に、既に日本においてLさんに対して反逆者というレッテルが付き始めていました。あれほど帰るのが嫌な出張もなかったのではないでしょうか。

出発する日は土曜日でした。その日の朝、私の携帯電話が鳴りました。
「なんだかすごいことになってるみたいなんです。」
Lさんは自分のプランを曲げないと決意していましたが、それでも自分の周りが敵だらけになってしまうことが判って、さすがに心細かったのだろうと思います。

「一緒にコーヒーでも飲みましょう」
私はとりあえずLさんと会う約束をしました。幸いLさんの宿泊先のホテルから5分もかからないところに住んでいますから、準備をすれば直ぐに会うことが出来たのです。

私は「気休めでもいいから何か支えになるものをプレゼントすることは出来ないだろうか?」と考えて、クローゼットの引き出しをごそごそと探りました。どこかに出かけた時に、具体的に差し上げる宛はないけれど、いつか必要になるかと思って「ちょっとしたお土産」を買うことがあるのです。その中から何か良い物があるのじゃないかと思ったのでした。

すると、小さな紙の箱に入った翡翠のブローチが出てきました。

直感的に「これだ」と思いました。けれど、不思議な事にこの翡翠の小さなブローチを買った記憶はまるでないのでした。箱を見るとカナダのブリティッシュコロンビア州で買ったものというのが判ります。そこに行った時も覚えているのですが、どうしても「いつ」買ったのか思い出せません。

けれど、石は必要とされる時に現れると言いますから、これをLさんにあげる事にしました。私はその翡翠のブローチにレイキをあててから、Lさんにそれをプレゼントしました。

「身につけておいてください」
その翡翠に向けて時々レイキを送りますから…と。


Lさんと別れてから改めて翡翠の意味をネットで調べますと、翡翠には周りの悪事や不運から持ち主を守る効果がある様でした。調べなくても判っていました。翡翠がLさんにとって適切な石だということは。けれど、調べてみてそれが実感に変わりました。



「またいつか一緒に仕事をしようね」と決めた彼とは違う人の話をしようと思います。

今年に入ってから、一緒に仕事をする様になった人がいます。いろんな人が登場してくるので、とりあえずこの人はLさんと言う事にしておきます。そして、一緒に仕事をしようと誓った人はKさんということにしておきます。

Lさんは私が日本で仕事をしている間一緒に働く経験はありませんでした。彼はお隣の事業部の部門長をしていたのです。けれど、その事業部のサイズは私がいた所に比べると5%位でこじんまりした部門でした。駒不足はどんなに現有勢力をもり立てて活用したとして否めず、やっぱり優秀な人が居るといないとでは進み具合が違いますから、私が在任中にラブコールでアプローチをかけてもみました。けれど、その時は一緒に働くという案配にはならなかったのです。

その彼が私の居た部門にやってきました。部門長という立場ではありませんが、担当するビジネスのサイズは13倍位大きくなりましたから、彼のキャリアからしたら後退というよりは前進と言う位置づけでした。彼がそこにやって来たのは、私の働きかけが間接的に影響していました。

私が手がけている仕事は買収先のビジネス展開です。それぞれの国でどれだけポテンシャルがあるかというのを見てプライオリティをつけるのも私の重要な仕事でした。そして日本が「明らかに少なすぎる」というのは、買収前から判っていたのです。なので、その事業が入っている部門のエグゼクティブには「絶対化けるから真剣にやってください」というお願いを散々していました。

けれど、最初に担当になった人はそのビジネス案件を自分のものとして真剣に取り組んでくれませんでした。エグゼクティブと私の後任の人の顔色ばかりうかがって「穏便に済ませる」といった方向性だったのです。それでは折角のビジネスチャンスが無駄になります。そこで、エグゼクティブに「もっとちゃんと取り組んでください」とお願いした結果、Lさんがその部門に入って来て、私の後任の事業部長の部下になった…という経緯があったのです。

そもそも私の後任の人が望んだ組織替えではありませんでした。そして、その事業部長の言いなりになる人物がやっていることを私(アメリカの本社)が文句を付けているというのが気に食わなかったのだと思います。私はLさんが連日恫喝されているなんて全く知らないまま、日本の震災もあったので、日本には触れずに日々を過ごしたのでした。

そしてその組織替えがあって数ヶ月後、Lさんがアメリカにやって来て「とんでもない展開になっている」という事に気がついたのです。そして、Lさんはそのとんでもない方向に進んでいることに対して、私も同意している…と、聞いていたらしく、その方向性に疑問すら持っていなかったのでした。

お互いに「え~!?(汗)」という展開になり、「あり得ないでしょ!」という私にLさんが今度は「え~、そうなの?」という展開が重なるという事態になりました。そして、Lさんは自分が真剣にそのビジネスに取り組むためにそもそも異動してきた…ということを初めて聞いたのでした。

「そのビジネスのマネージはしてね」と言われている一方で、他の人が何となく上司と仲良くやっている、その上司からは恫喝される日々…Lさん自身も納得は行っていなかった様ですが、他にいろんな火の粉が飛んでくるので、その火消しに忙しかった…と言う事の様でした。


私はそこからLさんに迫りました。
「あなたがビジネスオーナーなんでしょ?このビジネスどうしたいの?」
傍観者だったLさんは自覚もないままに、裏方のつもりが実は主役だった…で、突然舞台に引きずり出された…そんな感じだっただろうと思います。

けれど、ビジネスのリードを取るには、そのビジネスを「どうしていきたいのか」という夢やカタチがおぼろげでも見えていなければリードすることは出来ません。私はそれを確信しているので、例え台詞を覚えていなくても衣装を纏っていなくても、主役としてLさんを舞台に引きずり上げたのです。

Lさんは一瞬すくみました。

けれど、それはほんの一瞬の事でした。

直ぐに気を取り直し、自分が主役であることを意識し理解して、主役を張れるだけのストーリーと周りの人を引っ張って行けるだけのものを紡ぎ始めたのです。

もちろん私が「どうしたいの?」
という質問をする時には、何かおぼろげでもLさんのしたいイメージを引き出すことが出来たら、そのイメージに近い形にするにはどうしたら良いのかサポートをする覚悟が付いています。私は日本を離れていますから日本の舞台にたつ事は出来ません。けれど、主役が主役を張りやすい様に、主役のイメージを明確化する手助けをしてあげたり、周りの事を整えてあげることは出来ます。そして、それが仕事でもあるのです。

急に舞台の練習を始めなければならなくなったLさんは息切れすることもありましたが、私がトレーナーとして筋トレに付き合い、衣装選びを手伝い、短期間でなんとか形を作ることが出来ました。

しかし、Lさんにつきあえばつきあう程、Lさんの描いた舞台はその上司の事業部長の物とは違っていきます。関係が良好とは決して言い難いなか、敢えて歯向かうことになる…そういう舞台を彼は作ったのでした。

本社の意向と支社のやりたいことがぶつかるのは日常茶飯事です。けれど、今回はLさんが本社の意向に近い形でビジネスモデルをまとめあげたことで、上司から反逆者と見られることは明らかだったのです。私はKさんが理不尽に降格されたことで随分と傷ついていました。だからここで、今度はLさんが犠牲になるのが怖かったのです。また不幸な思いをする人が生まれてしまう…と。

そして深夜まで仕事をしてその後食事と飲みに出かけた時、私は正直にKさんの事をLさんに話ました。その時Lさんはこう言ったのです。

「本社と支社がぶつかったら本社は『本社の意向』を押し通すものです。世界で展開する戦略があって、それを作ってやり通すのが本社でしょう?ここで押し切ってやりきらなかったら私は軽蔑しますよ」


私は雷に打たれた様な衝撃をうけました。
うまく行かない上司に更に気に入らないビジネスモデルを提案し、それを押し通す覚悟をしていたのです。それをやり通すと決めたのだから、サポートして押し切る立場にいるあなたがぶれてどうするんですか?Lさんは私にそう切り返したのでした。

それは「悲惨な覚悟」というよりは、毅然としていてそして静謐な決意表明でありました。

私は全身全霊でLさんの舞台を実現させるためにサポートすることを誓いました。そして、その上司の意向と沿わないからといって、その人がいじめられるのを気にしてビジネスの芯をぶれさせることはあってはならないと決めたのです。そして同時に、出来る事は全て頭を使い、手を回して何が何でもLさんを守ると誓いました。



とりあえず行動すること、明確なイメージを持てば現実になる…

それ迄のことで、この引き寄せとシンクロニシティの秘密は会得していますから、彼にはこうお願いしました。
「一日一回でいいから本気で、えびのり戻ってこい」って思ってくれる?と。
もちろん彼はそうする事に合意しました。私も一日一回は最低でも、「みんなと笑い合っている様子」を想像し始めました。


さて、私はこのブログに書いている以外にこの話をたった一人にしかしたことがありません。彼と私二人共を知る人物で、その彼女自身が会社でいろいろないざこざに巻き込まれ、会社を去らないといけない状況になりかけていました。

私は「人の縁」ということつながりで、彼と話した事、そして彼は折角他のもっと「求められている場所」にいけるオファーをもらったのに断ることにした…という話をしたのです。すると、彼女は

「そこまで、奴はえびのりちゃんの事が好きか…」
と、ぽつりと言いました。「そこまで人を好きになれて、自分の保身とか考えずに行動できるから、みんなに愛されるんだよねぇ」と。

彼は私の後任の上司には目の敵にされましたが、他の人達には概ね愛されるタイプの人なのです。そこで話している彼女も彼のことを好きな一人でした。

「信頼」しているとかじゃなくて「好き」…。

その言葉の方が、なんだかしっくり来るのでした。お互いに、全くロマンチックな雰囲気はかけらもありません。なんというのでしょう、彼と「何があっても一緒にまた仕事をしようね」と話し合った日…魂が喜ぶと言うのが一番しっくり来る表現だと思うのですが…感謝の心と沸き立つ様な歓喜の気持ちが起こりました。本当に信じて何か一緒に達成しようと心を合わせられる人が現れた…というのは、滅多にないことですし、本当に人生の恩恵だなぁと思うのです。
ちなみに、これは、人生の伴侶と出会うというのと全く違う味わいです。そもそもロマンチックな色合いは全く含まれていないので。

こういう素敵な出会いに恵まれる…この事自体、人生が楽しくなりますし、生かされて、こういう体験をさせてもらえていること自体に感謝の気持ちがわいてきます。


そうして、「一日一回」考えてくれる人は、一人じゃなくてだんだん増えて行くのでした。

「いつか必ずまた道は交差する」
と、語り合った時点では、実は「一緒の場所で働く」…というイメージは明確にありませんでした。
むしろそれぞれの道を辿ってまた交差して、その過ぎし月日を二人で振り返った時に、
「短いけれど一緒に仕事をしたこと、そして別々の道を歩む事が絶対に悪い終わりを迎えないよね。どういう風にお互いが成長してるんだろうね?」という感じで、「道は交差する」と話し合ったのです。


けれど、別々の場所で、でもビジネスの内容としては近いところで働きながら、お互いに色んな事に巻き込まれて、いろんな思いをして…話をしているうちに、「どこかで交差する」以上に

「一緒にまた働きたいね」
という想いが二人とも明確になっていったのです。

けれど、彼の成長を見ている人はいるのです。上司から仕打ちを受けて冷や飯を食わされていることも、それが不当であることも…。彼のところに仕事のオファーが来る様になりました。そして、遂に「来週一つ答えを出さないといけないオファーがあるんだけれど」という状況になったのです。

その時たまたま日本に出張に出かける用事がありました。そこで、
「会って話をするまで、結論出さないでいてくれる?」とお願いし、日本に出むいた時に話し合いました。

私は彼に会う迄いろいろ考えたのです。彼の置かれている状況は決して好ましい状態ではない。才能と元気を塩漬けにしておけない。そういう状況で彼に新たな仕事のオファーがあるのなら、それを私は喜んであげるべきではないのか…と。けれど、その仕事は明らかに私のキャリアとは交差しないであろう仕事でした。だから、ここで「一緒に働きたいね」という想いには終止符を打つことになるだろう…そう考えたのです。

「今の状況で、一緒に働きたいからそこにいてって言うのは言えない。だから、そのオファー受けたかったら止められない。でもね、私がいつか日本に戻って来たら『一緒に働こう?』って誘ってもいい?」
こう言うことが精一杯でした。

すると、彼はこう言ったのです。
「俺、今そっちに移ったら絶対成功する自信あるんだよ。そうしたら、そこで自分のチームを作ってしまう。そういうチームを作ってしまったら、『一緒に働こう?』って誘われても、その人達に対して責任があるからおいそれと離れられない。だから誘われても受けられないと思うんだ。」

まぁ当然のことです。
「そうだよなぁ…。虫が良すぎるか」と、自分が都合良く考えた居た事を反省しました。

「それにさぁ」と彼は続けました。「そこで、ほいほい動けるってことはだよ、うまく行ってないってことで、そんな失敗してる奴と一緒に働きたくないだろう?」
というのです。まぁそれもそうなのでした。

私は彼がどこに話を持って行こうとしているのかしばらく読むことが出来ませんでした。

「今のポジションってさ、割と自由が利くんだよね。で、キャリアとしては悪くない経験が積めるって言う利点もある。俺自分の仕事人生振り返った時に、アップの時期とダウンの時期があって、ダウンの時期はそれはそれで次の飛翔のために有益だったんだよね。今をダウンの時期と考えて、あなたが戻って来る時に備えて準備しておくって言うのも悪くないオプションなんだよ。」

結局彼が言おうとしたことは、
「待って準備しててあげるから早く戻っておいで」
ということだったのです。


そもそも、彼が私のいる部門に異動して来てくれた時の騒動でも

わたしは
「絶対来てなんて責任とれないから言えない。でも一緒に働きたい」
というのが精一杯でした。

それに対してかれは
「俺、動いた後責任とってくれなんて思ってない。でも、来てほしいって言葉は聞きたいんだよ。」
と言ってくれました。

今回もわたしは
「今の状況で、一緒に働きたいからそこにいてって言うのは言えない。だから、そのオファー受けたかったら止められない。でもね、私がいつか日本に戻って来たら『一緒に働こう?』って誘ってもいい?」
というのが精一杯で、

それに対してかれは
「待って準備しててあげるから早く戻っておいで」
と、言ったのです。
そして翌日彼はオファーをすっぱりと断りました。


「絶対裏切らない」と誓った私でしたが、今回もまた、「彼のため」を考えてはっきりと自分の想いを伝えることができず、結局彼に私を信じていてくれることを言わせる結果になったのでした。

もう、「彼のためを考えてよかれと思って」いろいろ思い悩むのはやめる事にしました。自分の彼に対する感謝と気持ちを正直に伝える…それが一番良い事なんだな…と、やっと判ったのです。そして、絶対裏切らないのは彼の方で、私は「彼にとってよかれと思って」という理由をつけて、まっすぐにその想いに向き合うことをしていなかったのだと思いました。


こうして、「一緒に働く事」は「なったらいいね~」程度の想いではなくて、「絶対実現する未来」に変わったのです。



日本にいる時に、エグゼクティブからの引き止め工作もすっぱり断って一緒に働くために異動して来てくれた同僚がいました。そのドラマもあって、私は「絶対に彼の事は裏切らない」と心に決めたのですが、そこから後もドラマは続いたのでした。

一つの予定外の事は、私のアメリカに戻るタイミングが予定より早くなってしまったことでした。確かたまたま二人でアメリカに居たときにその話をしたのです。

「アメリカに戻ってくるって話を他の人がしてたけど本当?」
彼に切り出されて、私は正直に「そうなった」と答えました。新たなビジネスプランを作っていくぞ、「さぁこれから!」というタイミングでした。まだやりたい事のカタチがしっかりしていなくて、そこからプランをカタチにして行くのには非常に大きなエネルギーが必要…そんな状況だったのです。軌道に乗る…その二歩も三歩も手前でした。

「どうにもならないから」と諦めるしかない状況でした。彼は怒りはしませんでした。
「残りの時間は短いけれど、思いっきりやろう」と決めて、本当にアメリカに戻るまで彼を引きずり回してプランを作ったのです。そして私はアメリカへ。彼はそうやって作ったプランを実行に移すことになりました。こうして私たちが「一緒に働く」という物語は一旦終わりを迎えたのです。


さて、私がアメリカに戻って来てどうしようもない状況に巻き込まれている最中、彼もまたどうしようもない状況に巻き込まれていきました。私の後任の人と考え方が全く合わなかったのです。上司としての指導もなしにいきなりの降格といった辛い体験をしました。それでも、我々が描いたプランは「アジアと繋がる、世界と繋がる。その先に日本への投資があり、繁栄がある」というものだったため、彼はアジアの人達やアメリカの同僚との結びつきを強め、彼らからの評価は高まりました。それにより、おいそれと彼を排斥することも出来ない…という緊張状態が生まれてしまったのです。

それでも、何かのきっかけで二度目の降格をさせられそうになり、さすがに彼もその事業部から出て少し違うグループに異動することになりました。どう考えても「好き嫌い」だけの人事の様に私には見えました。

「一緒に働きたいから来てくれないか」
と、私が言ったことで彼が受けた仕打ちは、例え私のせいではないにしても私が呼び起こしてしまったものです。日本からそういう哀しい知らせが来る度に、我が身を切られる様な辛い思いをしました。そして、そういう「辛い思い」を、もっと辛い思いをしているであろう本人に打ち明けることは出来ません。この消化できない思いを抱えたまま彼の行く末を案ずることしか私には出来ませんでした。

それで彼は私を恨んだでしょうか?

答えは「否」です。

そもそも移ってくる時に彼はこう私にいいました。
「俺、動いた後責任とってくれなんて思ってない。でも、来てほしいって言葉は聞きたいんだよ。」
もちろん、降格等の仕打ちを受けた直後は凹んでいましたが、それでも決して私に恨み言を言いませんでした。状況を逆手にとって自分の経験を広げることに時間を使うさ…とすらポジティブに語るのでした。

「『一緒に働く』という物語」は私たちの中では一旦中断しましたが終わってないからなのです。

「残りの時間は短いけれど思い切りやろう」
と、話し合ったその日、私たちは未来の話もしたのです。

「何年先か判らないけど、必ずまた道は交差する。それで振り返った時に、『こんなこともあったけど、まぁそういう経験も込みでここまで来たんだよね』って話し合うんだよね。その『こんなこと』がどんな事なのかはさっぱりわからないけれど」

二人とも、これでThe Endとは思えなかったのです。どんな形で境遇で交差するのかは判らないけれど、「必ずまた一緒に働ける」そういう確信があったのです。そして、その後お互いにひどいことが起きても、「いつか必ずまた一緒に働きたいね」という言葉が、まるで合い言葉の様に強く輝きを増していったのです。


かつて、子供に対しては、「自分が犠牲にしてきたことを感謝してほしい」親に対しては、「自分の献身を認めてほしい」という親子の連鎖の話を書きました。

近くに住んでいれば、「会いにこない」とかいろいろ文句を言われるのだと思うのですが、さすがに海の向こうに済んでいるのでそれは言われません。けれど、まつて「毎週一度は電話をしてくる様に」という言いつけはありました。

その頃の話題は、私のいとこの冴えない話とか、母の兄弟への不満とか、「国際電話の電話代払って話す話題かなぁ…」みたいな文句ばかりでした。それがいくつかの工夫によって劇的に変化しました。

まず、携帯を持たせました。これは携帯で連絡が付く様にする…という意味ではありません。「メールを使える様にする」という意図でした。携帯を渡してから一月、メールは一通も来ないので、普通の電話で話をしながら一つ一つメールの書き方・送り方をコーチしました。それによってメールが書ける様になったのです。

これによって、何が良かったかというと、ちょっとした「御飯の写真」とか「出かけた時の風景」とか写メールが出来る様になったことでした。電話という「声だけのコミュニケーション」だと、日頃不満に思っていることばかりが口をついて出て来てしまいます。けれど、写メールが出来ることによって、
「あ、この景色きれいだな」
と、思った瞬間にメールを出すことが出来るので、不平不満じゃないコミュニケーションが自然と増えたのです。
それと、電話口でグチグチ言うのに比べて、同じ内容をメールに使用と思うと案外それはそれでエネルギーの必要なことなんですよね。なので、愚痴の内容がなくなりました。

それから、通販でいろいろな食材・特産品を送っています。これは以前からやっていたのですが、メールが出来る様になったおかげで、まず届いたら、「届いたよ」の写メール。それが食卓に並んだら、その食卓の写真を写メール。こうして、今迄だったら、「ごちそうさま」の一言だった…それもリアルタイムでは表現できなかった(週末まで待たないといけなかった)ことが、リアルタイムで何度も表現できる様になったのです。

それと、宅急便の配達が来ると、集落全体が「誰のところに配達に来たのかな?」と眺めるらしく(笑)、頻繁に配達に来ると近所の人から
「いいねぇ」
と言われることになり、それも少し自慢らしいのです。

ということで、「育ててくれてありがとう」といったことを言わされる圧迫的な雰囲気もなく、各地の名産品で美味しい写メールのやり取りをする…という方向に変わって行ったのでした。


これが近くにいたらこんな風にスムーズな関係も保てないと思いますし、結局不満たらたらの愚痴を聞き続けていたのかな…とも思うのでした。


昨日だったか、円満な夫婦の関係のために交換日記をしてはどうか…というコラムを読みましたが、しゃべるだけではない「書き言葉」の効能もあるよな…と、自分の親とのコミュニケーションを通じても思うのでした。