この土日、近所の州立大学でレイキのクラスをとってきました。公立大学でレイキのクラスです。それも、教養が目的の「コミュニティースクール」ではなくて、「学部の単位になるれっきとした授業」です。これだけレイキがアメリカでは普及認知されているのだなぁ…というのが実感です。
私はここの大学のMBA卒業生なので、現在学位取得のために勉強はしていませんが、新たにいろいろ設定しなくても、授業の講師が「受講許可」を出せばクラスをとる事は可能です。
久しぶりの大学で、久しぶりにキャンパスを歩き、クラスに出席してきて、いろいろ面白かったのですが、今日の話題はそのクラスそのものではなくて、今日もらった珍しい人からのメールの話をしようと思います。
かれこれ2年近く音信不通の昔からの友達から突然メールが来ました。
彼は日本のある公立大学で教授をしています。
「クラスに来てもらってから2年がたちます。お元気ですか?」
2009年、まだ日本にいた時に彼のゼミの発表会があり、チーム発表の優勝チームを選ぶという審査委員を受けた事があるのです。若い人の真剣勝負に私も非常に楽しいひと時を過ごしました。それがちょうど二年前の10月の終わりだったのです。
これは面白いシンクロニシティです。久しぶりに大学に私が出かけたその日にほぼ2年間音信不通だった大学教授から「元気か?」というメールがきました。それも、彼は私が彼の大学に行った事を思い出してメールしてくれたのです。
2年の音信不通…と書きましたが、彼と2年位音信不通になっても、別に「不義理」と思わないのです。彼と出会ったのが高校2年生の冬ですが、そこから今迄で面と向かって過ごした時間は20日もありません。ふっと交信がなくなる、でもお互いこの縁は絶対に切れないと確信している、ある意味とても不思議な、でも、とても確固とした友達なのです。
出会いはこういう場面でした。
とある予備校が大学別の合宿をしていました。父がどこかからその情報を聞きつけ、私はその合宿に出かけることになりました。当時の私は女子校で恋愛とかボーイフレンドなんてかけらもなく勉強に打込んでおりました。自分で言うと笑っちゃいますが、合格発表の時に後悔だけはしたくないと言う気合いと親に喜ばれたいという健気な努力で極限まで追いつめつつ勉強していた訳です。
ですから、合宿で決まった席で隣りに誰が座っていようが全く眼中にありませんでした。
この大学教授の彼が実は私の隣りに座っていたのでした。本当に全く、さっぱり、眼中になかったのですが、最終日いきなり
「住所を教えてもらえないですか?」
という不意打ちを喰らい、文通を始めることになったのでした。
後に彼にそのいきさつを聞くと、彼は北陸の出身なのですが、「折角首都圏の女子校に通っている女の子とお知り合いになれるチャンスなのだから声をかけてみよう」と思ったそうです。その首都圏の女の子が私と言う訳でした。
もちろんインターネットなんてありませんから、「手紙」です。彼からの手紙は常に速達でした。これも後に「どうして毎回速達だったの?」と聞いたところによると、「折角書いたら早く読んでもらいたいじゃない?」ということで、当時プラス200円だったと記憶しているのですが、彼からの手紙の封筒にはいつも速達の赤い帯がスタンプされていました。
手紙の内容はほとんど覚えていません。受験勉強の合間のささやかな交流で、当然ながら色恋沙汰に発展するでもありませんでした。(これで同じ大学に入っていたら出会って何かの展開があったかも知れませんけどね)
私は東京の大学へ、彼は自分が納得する大学に入れず浪人を選んで名古屋にいきました。その一年後、彼も東京の大学へ入学し、久しぶりに会うことになります。ここでもう既に1度目と2度目の出会いの間は2年以上開いていた…という次第です。
多分通算3度目位の時に彼がふっとこう言ったのです。
「あなたは僕のことを忘れてしまうかもしれないけれど、僕はあなたの事忘れませんよ。」と。
私はその言葉に痛く感動しました。そして「私も忘れちゃだめだ!」と思ったのです。何故彼が「僕は忘れません」と思い至ったのか…その理由はまだ聞いていません。もしかしたらそんな事を言った事も忘れてるかも知れないですけどね(笑)。
それ以来、何年かに一度出会い、つかず離れず、でも…彼の研究対象に私の会社が選ばれたり、私を彼のゼミの審査委員に読んでくれたり。やっぱり彼は「あなたが忘れても僕は忘れませんよ」と言う約束を守ってくれているんですよね。そして、私はこの友情が続いていることを非常に誇らしく思っています。
「またお会いしていろいろと語りたいです」
メールの最後にはそんな言葉がありました。そろそろ久しぶりに顔をあわせて、話をする時期なのかも知れません。
「私もいろいろと話したいです」
私はここの大学のMBA卒業生なので、現在学位取得のために勉強はしていませんが、新たにいろいろ設定しなくても、授業の講師が「受講許可」を出せばクラスをとる事は可能です。
久しぶりの大学で、久しぶりにキャンパスを歩き、クラスに出席してきて、いろいろ面白かったのですが、今日の話題はそのクラスそのものではなくて、今日もらった珍しい人からのメールの話をしようと思います。
かれこれ2年近く音信不通の昔からの友達から突然メールが来ました。
彼は日本のある公立大学で教授をしています。
「クラスに来てもらってから2年がたちます。お元気ですか?」
2009年、まだ日本にいた時に彼のゼミの発表会があり、チーム発表の優勝チームを選ぶという審査委員を受けた事があるのです。若い人の真剣勝負に私も非常に楽しいひと時を過ごしました。それがちょうど二年前の10月の終わりだったのです。
これは面白いシンクロニシティです。久しぶりに大学に私が出かけたその日にほぼ2年間音信不通だった大学教授から「元気か?」というメールがきました。それも、彼は私が彼の大学に行った事を思い出してメールしてくれたのです。
2年の音信不通…と書きましたが、彼と2年位音信不通になっても、別に「不義理」と思わないのです。彼と出会ったのが高校2年生の冬ですが、そこから今迄で面と向かって過ごした時間は20日もありません。ふっと交信がなくなる、でもお互いこの縁は絶対に切れないと確信している、ある意味とても不思議な、でも、とても確固とした友達なのです。
出会いはこういう場面でした。
とある予備校が大学別の合宿をしていました。父がどこかからその情報を聞きつけ、私はその合宿に出かけることになりました。当時の私は女子校で恋愛とかボーイフレンドなんてかけらもなく勉強に打込んでおりました。自分で言うと笑っちゃいますが、合格発表の時に後悔だけはしたくないと言う気合いと親に喜ばれたいという健気な努力で極限まで追いつめつつ勉強していた訳です。
ですから、合宿で決まった席で隣りに誰が座っていようが全く眼中にありませんでした。
この大学教授の彼が実は私の隣りに座っていたのでした。本当に全く、さっぱり、眼中になかったのですが、最終日いきなり
「住所を教えてもらえないですか?」
という不意打ちを喰らい、文通を始めることになったのでした。
後に彼にそのいきさつを聞くと、彼は北陸の出身なのですが、「折角首都圏の女子校に通っている女の子とお知り合いになれるチャンスなのだから声をかけてみよう」と思ったそうです。その首都圏の女の子が私と言う訳でした。
もちろんインターネットなんてありませんから、「手紙」です。彼からの手紙は常に速達でした。これも後に「どうして毎回速達だったの?」と聞いたところによると、「折角書いたら早く読んでもらいたいじゃない?」ということで、当時プラス200円だったと記憶しているのですが、彼からの手紙の封筒にはいつも速達の赤い帯がスタンプされていました。
手紙の内容はほとんど覚えていません。受験勉強の合間のささやかな交流で、当然ながら色恋沙汰に発展するでもありませんでした。(これで同じ大学に入っていたら出会って何かの展開があったかも知れませんけどね)
私は東京の大学へ、彼は自分が納得する大学に入れず浪人を選んで名古屋にいきました。その一年後、彼も東京の大学へ入学し、久しぶりに会うことになります。ここでもう既に1度目と2度目の出会いの間は2年以上開いていた…という次第です。
多分通算3度目位の時に彼がふっとこう言ったのです。
「あなたは僕のことを忘れてしまうかもしれないけれど、僕はあなたの事忘れませんよ。」と。
私はその言葉に痛く感動しました。そして「私も忘れちゃだめだ!」と思ったのです。何故彼が「僕は忘れません」と思い至ったのか…その理由はまだ聞いていません。もしかしたらそんな事を言った事も忘れてるかも知れないですけどね(笑)。
それ以来、何年かに一度出会い、つかず離れず、でも…彼の研究対象に私の会社が選ばれたり、私を彼のゼミの審査委員に読んでくれたり。やっぱり彼は「あなたが忘れても僕は忘れませんよ」と言う約束を守ってくれているんですよね。そして、私はこの友情が続いていることを非常に誇らしく思っています。
「またお会いしていろいろと語りたいです」
メールの最後にはそんな言葉がありました。そろそろ久しぶりに顔をあわせて、話をする時期なのかも知れません。
「私もいろいろと話したいです」