アメンバー申請してくださっても、ブログやプロフィールを書かれていない皆さんに、下のメッセージをお送りしています。

 

『〇〇さん

 

アメンバー限定記事には、かなり偏った記事や個人的な内容が含まれていますので、アメンバーの承認は、① 同様の神経難病患者ご自身とそのご家族、② 個人的な知人、のみとさせていただいています。
〇〇さんはブログやプロフィールを書かれていないので、それらに該当するかどうか判断が付きかねます。
〇〇さんのプロフィールをお知らせください。』

 

ただ、あまりアクティブにブログ活動されていない方は、メッセージにも気付かれずに2週間が経過し、自動的に申請がキャンセルされているケースが散見されます。

今現在も3件が保留となっています。

 

拙いブログですが、宜しければお返事をお待ちしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

重度訪問介護の申請が暗礁に乗り上げている方のヒントになれば幸いです。


1.介護保険の点数を使い切っていなくても、「介護保険に無いサービスは重度訪問介護のサービスを受けられる」ことは、

『介護保険サービスが原則優先されることとなるが、サービス内容や機能から、介護保険サービスには相当するものがない障害福祉サービス固有のものについては、障害福祉サービスに係る介護給付費等を支給すること』(平成19 年3 月28 日付「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律に基づく自立支援給付と介護保険制度との適用関係等について」)

『介護保険法の規定による保険給付が優先されることが、あたかも介護保険のみの利用に制限されるという誤解を障害福祉サービス利用者に与えることのないよう、適用関係通知(2)②の場合や③の場合については介護給付費等の支給が可能な旨、利用者及び関係者へ適切に案内を行うこと。』(平成2 7 年2 月1 8 日付「厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部 企画課 障害福祉課からの業務連絡」)

『=障害福祉サービス利用者等に対する介護保険制度との併給が可能な旨の案内について=
介護保険給付又は地域支援事業が優先されることが、あたかも介護保険のみの利用に制限されるという誤解を障害福祉サービス利用者に与えることのないよう、イ(ア)の場合や(イ)の場合については介護給付費等の支給が可能な旨、利用者及び関係者へ適切に案内を行うこと。

(ア) 障害者が同様のサービスを希望する場合でも、その心身の状況やサービス利用を必要とする理由は多様であり、障害福祉サービスに相当する介護保険サービスにより必要な支援を受けることができるか否かを一概に判断することは困難であることから、障害福祉サービスの種類に応じて当該サービスに相当する介護保険サービスを特定し、当該介護保険サービスを優先的に利用するものとすることはしないこととする。
したがって、市町村において、申請に係る障害福祉サービスの利用に関する具体的な内容(利用意向)を聴取りにより把握の上、必要としている支援内容について介護保険サービスにより提供を受けることが可能か否かを適切に判断されたい。

(イ) サービス内容や機能から、介護保険サービスには相当するものがない障害福祉サービス固有のサービスと認められるもの(行動援護、同行援護、自立訓練(生活訓練)、就労移行支援、就労継続支援等)については、当該障害福祉サービスに係る介護給付費又は訓練等給付費を支給する。』(令和元年7月1日付「介護給付費等に係る支給決定事務等について(事務処理要領)」)

と規定されていることから明らかです。
特に、最後の文章の見出しには『介護保険制度との併給が可能な旨の案内について』と書かれています。

2.次に、「介護保険サービスには相当するものがない障害福祉サービス固有のもの」とは何かです。
 

重度訪問介護は、障害者総合支援法に基づく障害福祉サービスのうち、長時間の利用を前提とし、介助の内容が限定されない制度です。1日24時間365日つきっきりの支援が可能となります。
典型的なのは、長時間の見守りサービスや、通院の往復のみならず院内での介助、患者以外のための家事、などですが、それらには限定されません。
「居宅において入浴、排せつ及び食事等の介護、調理、洗濯及び掃除等の家事並びに生活等に関する相談及び助言その他の生活全般にわたる援助並びに外出時における移動中の介護を総合的に行うとともに、病院等に入院又は入所している障害者に対して意思疎通の支援その他の支援を行う」と厚労省は言っています。
ある意味、必要なのにも拘らず介護保険サービスではカバーされないサービス全部、と言っても良いかも知れません。
例えば、通常の訪問介護では、ヘルパーはタイムテーブルにしたがって各家庭を巡回するため、サービスを受けられる時間は1日1時間程度の場合が一般的です。夜間の見守りサービスは介護保険にも有るようですが、それは各家庭を巡回するタイプのものなので一つの家庭での滞在時間は短時間です。

3.時間数については、
基本的に、長時間の利用を前提としていますから、必要に応じて1日3時間以上を原則として(制度上は30分単位で可能ですが)24時間毎日まで設定が可能です(認定を取るには周到な介護プランが必要です。下のブログを参考にして下さい)。

『ア  受託居宅介護サービスの支給決定基準の基本的な考え方は、当該支給標準時間の範囲内で定めることを基本とする。』
但し、
『ア により定めた支給決定基準の支給量の範囲内では必要な受託居宅介護サービスの支給量が確保されないと認められる場合には、当該支給決定基準を超える支給決定を行うこととして差し支えないこと。』

『国庫負担基準は、あくまで国が市町村の給付費の支弁額に対して国庫負担する際の一人当たりの基準額であり、当該基準額が個々の利用者に対する支給量の上限となるものではないことに留意すること。』

『「非定型ケース」( 支給決定基準で定められた支給量によらずに支給決定を行う場合) として取り扱うなど、障害者及び障害児が地域において自立した日常生活を営むことができるよう適切な支給量を決定していただきたい。』

『市町村においては、当該介護給付費等を支給する場合の基準を設けている場合であっても、当該基準によって一律に判断するのではなく、介護保険サービスの支給量・内容では十分なサービスが受けられない場合には、介護給付費等を支給するなど、適切な運用に努められたい。』

など、長時間介護を推奨するような記述が多く見られます。

実際の折衝にあたっては、下のブログの「長野市2例目の24時間重度訪問介護支給決定!!」に記載のプロセスが役に立つかも知れません。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サムさんのブログに、障害者福祉サービス、とりわけ、重度訪問介護支給決定プロセスの問題点が記されていた。

確かに自治体(しかも市町村レベル)任せでは、対応がまちまちになるのも仕方がないと思わされる。

 

これは、恐らく税収の地方移譲を巡る財務省の意地と総務省の地方税配分問題で、地方財政に大きな格差が出来てしまったことが原因だろうと思うが、だからと言って身障者の処遇が地域によって異なっても良いということでは断じて無い。

 

サムさんの、申請窓口をWeb会議を活用して集約しようと言う提案はとても面白い。

私は、安心予後計画の中で、反対側、即ち患者側のアドバイザーをリモートに集約することを提案していたのだが、これが実現するならこちらの方が良いかも知れない。

今後は、両面から攻めていきたいと思う。

 

しかしながら、どちらにしても実現までに時間が掛かる。

その間、重度訪問介護が必要な人が、ケアマネや自治体窓口の誤解や無知の犠牲になることは避けたい。

 

と言うことで、重度訪問介護申請に際して、ケアマネや役所の担当者に誤ったことを主張された時に、水戸黄門の印籠の様に「この紋所が目に入らぬか!」と、高々とかざせる厚労省発信の書面を探してみた。

 

左は、サムさんが紹介してくれた、『障害保健福祉関係主管課長会議資料 平成31年3月7日(木)』の抜粋 。

右は『介護給付費等に係る支給決定事務等について(事務処理要領)最終改正 令和元年7月1日』と言う文書の抜粋である。

 

  

 

それぞれの表紙をクリックしていただくと、それぞれ重度訪問介護に関連する部分の抜粋が表示される。

(これには、pacoさんに未明までご協力を頂いた。この場をお借りして、御礼を申し上げたい。)

 

誤解が発生し易い項目にはマーカーを入れてあるが、多頁の書類からの抜粋なので、何の書類かが分かる部分(表紙と目次)と、説得に必要なページだけをプリントして提示するのが良いと思う。

全文をご覧になりたい方は、こちら。

 

『抜粋 障害保健福祉関係主管課長会議資料 平成31年3月7日(木)』は、

(https://www.mhlw.go.jp/content/000484935.pdf)

 

 

『介護給付費等に係る支給決定事務等について(事務処理要領)最終改正 令和元年7月1日』は、https://www.pref.nagano.lg.jp/shogai-shien/kenko/shogai/shogai/joho/jigyosha/tsuchi/documents/r1shikyuuketteijimu-sha.pdf)

 

(何故か厚労省のHPには、旧いものしか掲載されていないので、後者は長野県のHPに有ったものを借用。これは即ち、各自治体にはお達しが届いていると言う認識が有るということの証明。)

但し、これらの引っ掛け問題としか思えない文章を、ご自身が十分に理解されていないと、解釈が間違っていて思わぬ逆襲に遭うことが有り得るので、熟読の上ご利用頂きたい。

 

ちなみに、これらの文章を読んでいくと、厚労省の、関係者の誤解や利用者の不満に真摯に向き合おうという姿勢が垣間見える。

それ故、今後も制度の不備や使い勝手の悪さを具体的に指摘して、その声を厚労省に届けることが制度の改善につながると考えられる。

 

厚労省の『「国民の皆様の声」募集 送信フォーム』はこちら。(https://www.mhlw.go.jp/form/pub/mhlw01/getmail

 


以下典型的な誤解を拾ってみる。(何れも上記の書類中に記載がある)

1. 「介護保険を使うと重度訪問介護は使えない」と言う誤解。

『介護保険給付又は地域支援事業が優先されることが、あたかも介護保険のみの利用に制限されるという誤解を障害福祉サービス利用者に与えることのないよう、イ(ア)の場合や(イ)の場合については介護給付費等の支給が可能な旨、利用者及び関係者へ適切に案内を行うこと。』

『介護保険サービスが原則優先されることとなるが、サービス内容や機能から、介護保険サービスには相当するものがない障害福祉サービス固有のものについては、障害福祉サービスに係る介護給付費等を支給すること』

と明記されている。

2.「介護保険の枠を使い切らないと重度訪問介護は認定されない」という誤解

『障害福祉サービスについて当該市町村において適当と認める支給量が、介護保険サービスのみによって確保することができないものと認められる場合には、介護給付費等を支給することが可能である』

と言う文章が、誤解釈されたものと思われる。この文章の趣旨は、介護保険の上限まで達していた場合に、それ以上の部分を障害福祉サービスで補うことが可能ですよ、と言っているだけで、介護保険の上限に達していなければ障害福祉サービスが使えない、と言っているわけではない。

最後に、決定に不服がある場合は、

『都道府県が支給決定障害者等から市町村が行った支給決定に関する審査請求を受けた場合は、都道府県は、基本的には、当該市町村の支給決定基準に照らして審査を行うこととなる(都道府県の不服審査基準になる。)。』

審査請求ができる。

 

 

印籠を使って、ケアマネや役所の担当者を説き伏せることが出来たとしても、調子に乗って、「頭が高い!控えおろ~う!」とまでは、止めておいた方が無難だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

”安心予後”計画の一環として、厚労省にWeb上で以下の質問を発信しました。

 

《神経難病に罹患し、車椅子生活を余儀なくされている者です。

ある意味、癌患者よりも過酷な状況に置かれている神経難病患者を受け持つ神経内科医が、緩和ケアのマインドを持っていないために患者が突き放されている現状を改善するために、一刻も早く神経難病が緩和ケアの対象になることを望んでいます。

そのために以下質問をさせていただきますので、ご回答の程宜しくお願いします。

 

1. がん対策基本法及び関連検討会資料に、『がんその他の特定の疾病』、『がん等』と言う書き方がされていますが、それぞれ『その他の特定の疾患』『等』にあたる疾病には何が含まれているのでしょうか?

 

2. 第63回がん対策推進協議会 資料6(28.12.21) に『がん以外の疾患に対する緩和ケアの実態調査を行う。』と言う記述がありますが、この結果はどうなったのでしょうか?

 

3. 2018年4月の循環器疾患の患者に対する緩和ケア提供体制のあり方に関するワーキンググループによる報告書(別添)には、

『循環器疾患等のがん以外の疾患に対する緩和ケアについては、2016(平成28)年5月に設置された「がん等における緩和ケアの更なる推進に関する検討会」(以下「検討会」という。)が、2016(平成 28)年 12 月にとりまとめた「がん等における緩和ケアの更なる推進に関する検討会における議論の整理」において、今後の対策についてワーキンググループ等を設置して検討すべきであるとされた。』

とあり、更に、

『循環器疾患等のがん以外の疾患に対する緩和ケアについては、・・・・・ワーキンググループ等を設置して検討すべきであるとされた。』

とありますがワーキンググループは設置されたのでしょうか?

 

4. ワーキンググループ設置の要件は何でしょうか?

 

5. 緩和ケアは”がん”のみを対象とすべきものではないと思いますが(実際、心不全も対象と理解しています)、緩和ケアが「がん対策基本法」の中でしか規定されていないことに違和感を禁じえません。

今後、「がん対策基本法」以外でも規定するお考えはお持ちでしょうか?》

 

返答があったら公開します。

 

 

 

 

 

 

京都 ALS 安楽死シリーズ』、Part1Part2Part3Part4番外編

に於いて、亡くなられた小島ミナさんと林優里さんについて、その背景や居たたまれない想いを述べた。

 

ALSで逝かれた千代さんのメッセージ

では、札幌市のパーソナルアシスタント(PA)制度を最大限に活用することで充実した日々を送られ、残されたご家族のための準備を万端にして逝かれた、千代さんの生き様を、そして、

 

だから、もう眠らせてほしい~安楽死と緩和ケアを巡る、私たちの物語

では、癌患者で「持続的な深い鎮静」を望んだ吉田ユカさんと、緩和ケアで先行する癌の緩和ケア専門医を巡る状況を考察した。

 

 

フォロワー数の多いブロ友さんにリブログして頂いたこともあり、大分時間が経過した今でも、想像を超えるアクセス数を記録し続けている。

数多くの方が、こんなに冗長な文章を読んでくださったことは、神経難病患者やそのご家族が、如何に終末期のことを気にされているかの証左と認識している。

 

上記の投稿をしていく中で、神経難病患者が穏やかな予後を送るには数々の問題が有ることを認識すると共に、多少時間はかかっても出来ることは有るように思えてきた。

 

それは、

  1. 福祉制度に関する、地域に縛られない横断的な情報提供
  2. 予後後半戦(車椅子もしくは寝たきり生活)における、介助・介護制度の改善
  3. 神経内科医の意識改革

であり、それぞれ具体的には、

 

1. 障害者総合支援、医療保険、介護保険、年金など、それぞれの制度に関する知識・経験が一定レベル以上の専門家に、各自の都合の良い場所から、都合の良い時間に、リモートで、患者もしくはその家族からの、制度間の横断的な相談に乗ってもらう仕組みの構築。

 

⇒ 地域包括支援センター制度の全国版への制度変更

 

2. 予後の後半戦において極めて重要なツールとなるべきにも関わらず、認知度が低く、使い勝手が悪い重度訪問介護制度と、自薦ヘルパー制度の欠点を補う、パーソナルアシスタント(PA)制度の活用。

 

⇒ 札幌市のPA制度を全国的に普及させる

 

3. 神経内科における患者ケアの必要性を共通認識にすると共に、予後生活に関する講習などを通じて医師達の関心を高める。

 

⇒ 厚労省に、緩和ケア対象に神経難病を含めてもらう(診療報酬も発生させる)

 

 

これらによって、神経難病の初期段階から、予後の生活を熟知した医師によるケアを受けられるようになり、そこでは得られない福祉制度関連情報については、横断的に専門家の提供する情報を、地域、専門家の有無、時間の垣根、などを越えて、誰もが、公平に、都合の良い時間に、自宅で、一度に、得ることが出来るようになる。

予後の後半戦を迎えても安寧に生活する同病者の情報が、病気の初期段階から得られたらどんなに気が楽なことか。

 

そして、患者が一番気掛かりな、家族への介護負担軽減策(経済面を含む)を早期に知り得ることで、どれだけ肩の荷が軽くなるか。

 

更にダメ押しとして、終末期に苦痛無く逝くことが出来ると思えるなら、死を急ぐ神経難病患者は相当数減るのではないかと思う。

 

題して

「(神経難病)”安心予後”計画」

 

 

頭が働き、騙し騙しでもキーボードが使える内は、これらの実現に向けて活動していきたいと考えている(どちらもかなり危ういが)。

これが一人の力で出来ることではないのは百も承知。

今は、同志を集めて戦略を練る段階。

 

手始めに、ALS患者で初めて国会議員になった舩後参院議員や、それぞれの分野の専門家等と意見交換をしている。

 

舩後議員に関して言うと、長いメールの交信を複数回行った結果、今の所、表面上のお題目は同じ様に見えるものの、当選以来具体的に何をされてきたのか、その結果はどうだったのか、その結果を踏まえて、今後何を、どの様な方法で、どんな時間軸で、成し遂げようとされているのか、が見えてこないために、敵か味方なのかも、どの施策でどの様な形の協力関係が構築出来るのかも、判断がつかない状態だ。

その経緯はもう少し進んだ段階で、他の協力者との対話を含めて順次公開して行きたい。

 


前出のブログを書きながら、自分の考えはある程度固まってきて入るものの、現状の制度の詳細を学ぶ中で、そして、ブログ仲間の意見を聞く中でも、考えが変わってきた部分もあるので、この先も協力者との意見調整を通じて、若干の主張の変更があり得ることはご容赦いただきたい。

 

 

ご意見、ご協力  Welcome!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西 智弘 医師の著書、『だから、もう眠らせてほしい~安楽死と緩和ケアを巡る、私たちの物語』を読んだ。

(一部は https://note.com/tnishi1/m/m554cc2c3a5b2 で無料で読める)

 

著者は、 川崎市立井田病院かわさき総合ケアセンター 腫瘍内科/緩和ケア内科医長。

プロローグにあった以下の文章が、この本を読んでみようと思わせた。

 

『日本には安心して死ねる場所がない――だからこの患者はスイスに行こうとしているのか……。僕は日本の緩和ケア医として、どうすれば患者たちがこの国で、安心して生きて、そして死んでいけるのかということを、ずっと考えて実践してきたつもりだ。10年前と比べれば、この国はずっと良くなったと思う。それでもこの吉田ユカという患者(※)は「ここには安心して死ねる場所がない、スイスで安楽死したい」と言っている……。』

 

『きっと、話せばわかることがある。僕だって伊達に、緩和ケアの専門家を10年もやってきたわけじゃない。緩和ケアは体の痛みだけではなく、心も、社会的な苦痛も緩和できる方法だ。安楽死なんてことを考える前に、まだ、できることがあるはずだ。きっと、何とかできるんだ。
そう期待して、僕は外来の日を迎えた。ドアを開けるまで、僕は自信満々だったのだ。
 ――そう、ドアを開けるまでは……。』

 

(※)吉田ユカさんは、膵臓癌で抗がん剤治療を続けていたが、同時に実親からの虐待によって「複雑性PTSD(Post-traumatic Stress Disorder)」の診断も受けていて、一昨年小島ミナ(紺美)さんが安楽死された、スイスの自死幇助支援団体であるライフサークル、からの承認が降り次第、渡航予定だった。

 

筆者は、「安楽死制度は否定しないが、仮に安楽死制度があったとしても、それを使いたいと思う人をゼロにするための、一つの方策として早期に外来で開始する緩和ケアという方法もある」と言う立ち位置である。

 

彼女は、想定外に待たされた挙げ句に、最終的には望んでいた「持続的な深い鎮静」と言う名の間接的安楽死を施してもらうのだが、別の患者に施した「持続的な深い鎮静」の過程も含めて、筆者は苦悩することになる。

その苦悩については後段に譲る。

 

ちなみに、筆者の関心は癌患者のみであり、その他の病の緩和ケアは一切考えていない。

故に、神経難病患者の我々には、本書はあまり参考にならない。

だからと言って、筆者を責められない。癌以外の病気の患者の緩和ケアは診療報酬外なのだから。


多少の期待を持って筆者本人ともメールを交わしたが、やはり神経難病患者は対象外との返事をもらっただけに終わった。(私は癌患者でもあることを伝えたにも関わらず)

 

本書の登場人物である二人の癌患者は、死ぬ直前まで普段通りに会話を交わしたり、トイレにも自分で歩いて行けたりする。

もう一人の患者は、末期にも関わらず緩和ケアのお陰で痛みも無く元気に過ごせるからと、希望していた安楽死を断ったそうである。

 

以前、癌 or 神経難病 どちらがマシ?にも書いた通り、神経難病との比較で言うと、癌はマシな部類の病である(何事にも例外はあるが)。

神経難病の場合は例外無く死に向かって身体機能が奪われていくため、死ぬ直前まで普通に会話ができるとか、トイレに歩いて行けるなんてことは想像も出来ない(私は現時点で両方とも出来ない)ことに加えて、神経難病には緩和ケアという概念が存在しないこともその一因である。

 

本書に登場する二人の癌患者を見ていると、「緩和ケア」が必要なのは彼らではなく、今も日々身体機能喪失の恐怖と戦って苦しんでいる神経難病の仲間だろう、との思いが募る。

 

結局、本書を読んで感じたのは、癌患者と言うだけで向き合う医師が存在することが心底羨ましい、と言う思いだ。

緩和ケア対象の病気であるかどうか、即ち、診療報酬の有無でこれだけの違いが出るのだ。

 

本書が神経難病患者の参考にならないことは前述の通りだが、幡野広志氏(癌患者で安楽死肯定派の写真家。自らもスイスでの安楽死を望んでいる)との対談の中に、興味を惹かれた記述があった。

それは、前述の筆者の苦悩にもつながる。

 

幡野氏は、

『患者の「持続的な深い鎮静」の希望を阻むのは家族と医者』

『患者は医者の死生観の犠牲になる』

『患者は一番弱い立場』

『要件の「耐え難い苦痛」は医師の主観に基づく我慢大会』

『だから自分の生死を医者や家族には任せられない』

『医者に判断を委ねるのは偏るから、むしろ裁判所などが判断を下すべき』

と言う。

 

実際、「持続的な深い鎮静」の実施率は20%程度と言われているようで、望んだ5人の内わずか1人しか処置してもらえない。

中には、しない方針であることを自慢する医師まで居て、そんな医師が主治医になってしまったら、患者がどんな状況に置かれていても(客観的に見れば、十分「持続的な深い鎮静」の要件に適合した状態だったとしても)、「持続的な深い鎮静」は施されずに苦痛の中で死んでいくしか無いのだ。

 

実際に、他の例でも吉田ユカさんのケースでも、患者とその家族が強くそれを望んでいて、筆者も主治医として「持続的な深い鎮静」を施すべき、と判断しているにも関わらず、病院のたった一人の医師の反対によって、それまで賛成だった医師までもが保守に回ったことで孤立し、患者との板挟みになり苦悩する様子が克明に描かれている。

 

緩和ケアの終着駅とでも言うべき「持続的な深い鎮静」、にもこんな曖昧さが残っていることは頭に留めておくべきだ。

 

と共に、神経難病患者の早期緩和ケアにおいては、癌とは違って、将来必ず必要になる介助・介護・看護などをカバーする医療・福祉制度や、生活を支える補助金・年金制度などの専門的な知識を持った人のアドバイスが必須だ。

それらの情報の有無が、闘病生活における精神的安心感を大きく左右する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「京都 ALS 安楽死」シリーズを書きながら、神経難病患者の「死生観」と向き合ってきた。

 

ALSを患い、2018年11月に逝去された千代さん。

情報収集力、計画性、実行力、交渉力、事務作業能力、発想力、工夫力、潔さ、・・・・どれをとっても、足元にも及ばない。

この最後のメッセージも自ら。


惜しむらくは、神経難病を患いながら前向きに生きていくノウハウの主要な部分をアメンバー限定記事とされていることだ。

それらをリブログしても読んで頂ける方は限られる。

 

 

「京都 ALS 安楽死」シリーズを書いたこと、多くの方々から頂いたコメントやメッセージ、戦友であるブロ友さん達の生き様/死に様を見つめ直すこと、で大分頭の整理ができた。

 

治療方法が無い状況下で、神経難病患者が『生きる』希望を持つためには、

 

1) 近い将来、確実に襲ってくる、肉体的および精神的苦痛を和らげる方法を具体的に示すこと。

 

2) 患者を介護する家族や周辺の負担を減らせる制度が確立しており、実際にその利用が可能なこと。

 

が、最低限必要だと思った。

それが出来ないなら「安楽死」を否定出来ない。

 

その為には、

 

1)については、 「緩和ケア」の神経難病への適用と普及を図ることと、終末期医療については厚生労働省のガイドラインの適用

 

2)については、 「重度訪問介護」や「パーソナルアシスタント制度」http://www.jvun.org/cils/pa.html)を含む諸制度の充実と現実的な運用を可能にすること

 

がそれぞれの解決策として有効だと思うに至った。

 

今日は、舩後靖彦 参議院議員に質問状を発信した。

 

質問のポイントは、

 

1. 同氏の『「死ぬ権利」よりも、「生きる権利」を守る社会にしていくことが、何よりも大切です。』発言の『「生きる権利」を守る社会』とは具体的に何を指すのか?

 

2. 上記の私見についてどう思うか?

 

回答があったら後日ブログでお伝えしたい。

他方面にも出来る限りの働きかけをしていきたい。