「京都 ALS 安楽死」シリーズを書きながら、神経難病患者の「死生観」と向き合ってきた。
ALSを患い、2018年11月に逝去された千代さん。
情報収集力、計画性、実行力、交渉力、事務作業能力、発想力、工夫力、潔さ、・・・・どれをとっても、足元にも及ばない。
この最後のメッセージも自ら。
惜しむらくは、神経難病を患いながら前向きに生きていくノウハウの主要な部分をアメンバー限定記事とされていることだ。
それらをリブログしても読んで頂ける方は限られる。
「京都 ALS 安楽死」シリーズを書いたこと、多くの方々から頂いたコメントやメッセージ、戦友であるブロ友さん達の生き様/死に様を見つめ直すこと、で大分頭の整理ができた。
治療方法が無い状況下で、神経難病患者が『生きる』希望を持つためには、
1) 近い将来、確実に襲ってくる、肉体的および精神的苦痛を和らげる方法を具体的に示すこと。
2) 患者を介護する家族や周辺の負担を減らせる制度が確立しており、実際にその利用が可能なこと。
が、最低限必要だと思った。
それが出来ないなら「安楽死」を否定出来ない。
その為には、
1)については、 「緩和ケア」の神経難病への適用と普及を図ることと、終末期医療については厚生労働省のガイドラインの適用
2)については、 「重度訪問介護」や「パーソナルアシスタント制度」(http://www.jvun.org/cils/pa.html)を含む諸制度の充実と現実的な運用を可能にすること
がそれぞれの解決策として有効だと思うに至った。
今日は、舩後靖彦 参議院議員に質問状を発信した。
質問のポイントは、
1. 同氏の『「死ぬ権利」よりも、「生きる権利」を守る社会にしていくことが、何よりも大切です。』発言の『「生きる権利」を守る社会』とは具体的に何を指すのか?
2. 上記の私見についてどう思うか?
回答があったら後日ブログでお伝えしたい。
他方面にも出来る限りの働きかけをしていきたい。