この記事は、8月10日にアメンバー限定記事として投稿したものに、若干の加筆修正を加えて公開するものです。

 

 

昨年11月、京都市在住の林優里さん(アメブロのプロフィール名は「タンゴレオ」さん)が、安楽死を依頼して亡くなった事件。

 

もはや忘れ去られた感もあるが、最近のマスコミの論調(最近は殆ど報じられないので、旧い記事の抜粋)は、

 

『もはや安楽死論議以前の「トンデモ殺人」

・二人は主治医でもなく初対面

・たった10分で「任務完了」』

(デイリー新潮/2020年8月1日6時1分配信)
 

『京都ALS安楽死事件、”優生思想”医師は実刑となるか?』
(デイリー新潮/2020年7月24日掲載)

 

『京都府警は、「安楽死とは考えていない。安楽死か否かを問題にする事案ではない」と強調』

(産経ニュース/2020年7月24日1時4分配信)

 

などの見出しの通り、相模原障害者無差別殺傷事件の植松聖死刑囚と同列の”優生思想サイコパス事件”扱いとなっており、安楽死もしくは尊厳死を議論する風潮にはない。

 

とても残念なことである。

本件が、「嘱託殺人」として法に問われるかどうかはともかく、一連の報道の中で強烈な違和感を抱くのは、「週刊新潮」2020年8月6日号に掲載された、日本ALS協会の会長で、患者でもある嶋守恵之氏の以下発言に象徴される論調である。

 

『難病患者の死ぬ権利についての議論には不安を覚えます。生きるための励ましや社会支援がおろそかにならないか心配だからです。難病患者でも生きられる環境を整えることが大切だと思います』

 

死ぬ権利が議論されることと、『生きるための励ましや社会支援がおろそかになる』こと、の関連付けが私には全く理解できない。

 

また、あたかも『難病患者でも生きられる環境が整っていないことと、励ましが足りないことだけが原因で死を望むのだ』と言っているように聞こえる。

 

ALS患者で初の国会議員となった舩後靖彦参院議員の以下発言も同様に聞こえる。

 

『報道を受け、インターネット上などで、「自分だったら同じように考える」「安楽死を法的に認めてほしい」「苦しみながら生かされるのは本当につらいと思う」というような反応が出ていますが、人工呼吸器をつけ、ALSという進行性難病とともに生きている当事者の立場から、強い懸念を抱いております。』

 

『「死ぬ権利」よりも、「生きる権利」を守る社会にしていくことが、何よりも大切です。』

 

国民からの得票で国会議員になり、ALSでも強く生きていることを体現しなければならない立場上、「まだ死にたいと思っている」などと言えないのは勿論のこと、安楽死の議論の肯定発言など論外というのは分かる。(舩後議員は、同時に『私も、ALSを宣告された当初は、できないことがだんだんと増えていき、全介助で生きるということがどうしても受け入れられず、「死にたい、死にたい」と2年もの間、思っていました。』と発言している)

 

日本ALS協会の会長も同様に、ALS患者に希望を与えなければならない立場なので、安易に「安楽死問題」を取り上げるべきなどと言う発言は、間違ってもできないのも理解は出来る。

 

が、患者代表のような二人がこういう発言をすることで、神経難病患者が皆こう思っていると誤解されるのは困る。

 

確かに環境が整っていないから死にたいと言うケースも有るかも知れないが、それだけが問題の本質だろうか?

難病患者は、『(単なる生物として)生きる環境が整っていて、励ましを受けられさえすれば』、死を望むことは無いのか?

 

問題を抽象的な社会システムの議論にすり替えているだけで、想像し、考えることを放棄している様にしか聞こえない。

その証左が、『難病患者でも生きられる環境を整えること』とは、何をどうすることなのか、具体的な方策が一切語られていないことだ。

 

 

一昨年スイスで安楽死された小島ミナさん(アメブロのプロフィール名は「紺美」さん)は、お姉様方とそのご主人、そして医療機関によって十分なケアを受けていた。勿論、励ましも各方面から受けていた。

ご家族の負担をこれ以上増やしたくないという思いもあったかも知れないが、将来的には林優里さんのケースの様に24時間、外部のケアを受けてご家族に負担を掛けない方法は有ったであろう。

 

お二人とも『生きる環境が整っていたし、十分に励まされてもいた』。

それでも尊厳死を切望されていた。

何故なのか?

そこを議論して欲しいのだ。

 

 

日本のALS患者の7割が人工呼吸器の装着を望まない(他国ではもっと割合が高い)、と言う事実は何を物語るのだろうか?

前出の彼らは、具体性も無い『生きる環境が整っていて、励ましを受けられさえする』ことで、この比率が大幅に減少するのだろうか?

 

林優里さんのこんな悲痛な叫びを聞いても?

 

『普通にしてるのに眉間にしわの辛そうな(鏡に映る自分の)顔。唾液が垂れないようにペーパーと持続吸引のカテーテルもくわえ、操り人形のように介助者に動かされる手足。惨めだ。こんな姿で生きたくないよ。』

 

『自分では何ひとつ自分のこともできず、私はいったい何をもって自分という人間の個を守っているんだろう?』

 

 

そして、小島ミナさんとお姉様方の、以下のような思いを耳にしても?

 

『私の人生振り返り、思い残すことはない。ただ、いずれ寝たきりになり、世話をしてもらっても、ありがとうも、ごめんねも言えなくなる私は、何の為に生きるのか?』

 

『思うに死を迎えるのに大概は ある程度の期間を要します。
その期間とはおおよそアンハッピーな時間ではないでしょうか。
他の病気について、ほとんど知識もありませんから、比較はできません、が、この病気に関してはアンハッピーな期間が長すぎます。
それを「命には別状がない」として、安易に振り分けてもいいのでしょうか。
苦しくても、命があれば いいのでしょうか。』

 

『初めて告知されてときから約3年が経ちました。

3年間、1日も欠かさず、毎日毎日、どうやって死のうか死ぬことばかり考え、疲れました。』

 

『妹がこれ以上、体の痛みもそうですが、心まで壊れていくのを見ていられませんでした。「安楽死は自分に残された最後の希望の光」だと、切実に訴える妹。辛さ、切なさ、悲しみ、そして体の痛みや、心の痛みは、想像を絶する事だったでしょう。』

 

小島ミナさんは、『私が我が運命の支配者、私が我が魂の指揮者』の信念の元、3回の自殺未遂を経て、やっとスイスにまで行って希望を叶えることが出来たのだ。

 

 

Part 2に続く