■闘わない・・・という選択・生き方。そして理由を探さない生き方・・・。 | 一生役に立つ!リバウンドしないセクシュアリティと女性性を用いたマインドダイエット〜「ももざっぷ」

一生役に立つ!リバウンドしないセクシュアリティと女性性を用いたマインドダイエット〜「ももざっぷ」

いのち・セクシャリティ・女性性で「生きる」を学ぶスクールFreedomHeart-フリーダムハート-を主宰。
人生のセカンドステージで、自分を愛しわたしらしく生きる自信をつけ後悔しない人生の御手伝いをしています。

先日・・・ある方のご紹介で、キャンナス設立の御挨拶をしに


ホスピス病棟に行きました。


久々に、大きな病院の病棟に伺って


懐かしさと、昔の勤務先のことが思い出されて


ドキドキした気分を味わっていました。




わたし・・・・看護師3人でしている夜勤に穴をあけて・・・


そのまま行けなくなったんですよね。。。



やっぱり・・・・そこ、まだまだ引っかかってるんですよね・・・。

何とかしたがっているのですよね・・・。


まだまだ、闘っているのかな??




そんなことを思いつつ、病院なので


病気を治す・・・闘病について考えてみました、



以前勤めていた病院は急性期の総合病院で・・・・


治療優先「治す」が主体の病院でした。




病棟のナースステーションには、常に心電図モニターの音が


聞こえ、決してそのモニターが空くことはない場所でした。



と・・・言うか、足りなくて・・・ナースステーションにはモニターだらけ。。。。


そして、病室の患者さんの元には、更にたくさんの医療機器があって


ホントに・・・「戦場」みたいでした。




「戦場」 は・・・・「戦い・闘い の場」


病気やけがになって・・・まず、1番に治療する役割の病院だから


仕方のないことです。


もちろん、命にかかわる病気や状態の時は、なおさらのことです。




当然のように・・・患者さんやそのご家族は・・・


「頑張って治したい」


「出来るだけのことをしてあげたい」


「よろしくお願いいたします」


と、おっしゃいます。。。



確かに・・・そう。。。。




けれど、世の中の全ての病気や症状に対して


全て・・・悪者扱いするのはどうかな??と思いつつ


仕事をしていました。



医療的に病気やけがには、その「時期」にはその「時期」に合った


治療法があって、付き合い方があるのじゃないかと思ってます。



緊急の状況が過ぎれば・・・・


命の危険はなくなったら・・・・


その病気は治ってなくても、付き合い方や考え方を


変えていく必要があるんだと思うのです。



伺ったホスピスの部長先生は

「医者や治療にも、野球のピッチャーのように役割がある」
「完投が全てではなくて、中継ぎや押さえが必要」

と言われていました。

とかく専門性を追求しがちな医療の世界です。

看護も含めて、逆に融通が効かなくなっています。

ひとつの部分では、役割が果たせない

言わば、万能ではないと言うことだと思います。

あまりにも・・・闘うことが主体で、そればかりだと


病気によっては貴重な残された時間を


常に戦闘態勢で明け暮れる日々だけにしかならない。




「治したい」


「病気を退治してできるだけのことをしたい」


そうかもしれないけれど、どこかで見極めは必要なのだと


思っています。



そして、本来ならそれは・・・お医者でもなく、家族でもない。


判断ができる状態なら、自分が主導権、選択権を持つように


意識したいですよね。



けれどそれは、本人はなかなか気がつかないのは当然です。



そして、治療してもらいたいために、医者の意向に従うばかりだったり


家族の意向を汲んで、あくまでも闘う姿勢をとっていた


患者さんを思い出します。




医療の世界では、死は敗北と言う考えがあって


治す事は闘うことでもあります。



そういう意味で、医師は治療の実質最高権限者なので


じぶん達がやれることって、治すことしか出来ないと


思ってしまう方も多いのです。



特に、急性期の濃厚な治療をする時期の病院では


仕方のないことだと思います。





病気は悪の軍団ショッカー(笑)


悪いもの、忌まわしいもの、やっつけるもの。。。。


そう決めつけて・・・・闘い疲れて


それで、退治出来た時はへとへとじゃ元もこうもない。



治すことばかりに集中して、上手く治らないじぶんを

責めるのではなくて、

人生の中で、今はこの病気や不自由さを

ほんの少しだけで良いから距離をおいて

見てみる、、、、、。

言うのは、簡単ですが、そんなことが出来ていたら

って、じぶんの体験に重ねて思うことがあります。


病気だってじぶんの中で起こっている限り


じぶんの一部という見かた・・・・、


「サイン」「警報装置」と考える見方も必要だと思っています。




敵視をやめて・・・治療をやめてみても


ほとんど病気が悪化しない・・・


現状維持を保つことが出来ることも多いです。



検査の数値や病気の深刻さに反比例して


本人は至って苦痛も少ないし、生活に支障のないこともあります。



例えば、わたしの母親は・・・心臓も肺もボロボロで


カラオケなんて歌ったら「死んでしまう!」と


医者に言われていましたが、何だかほぼ毎日歌っているようです。



もう、80をとうに越えている母に

お医者さんはお医者さんの立場で、

そうとしか言えないんですよね。

歌って死んでも、本望だと思いますので

歌わせてやって下さい。


そして、それを受けて、歌わせてくれる施設の方々。

承諾書に何でもサインをする世界じゃない

信頼があってこその世界です。


そして・・・・


特に・・・ほとんど検査をしないと言うかできない


ご本人の訴える症状でしか判断するしかないメンタルな病気では、


さまざまな症状を使って、何とかしたい・・・・



何かそうしなければならない自分なりの理由や目的が


在るのかもしれません。



うつになったから今がある・・・。


もう・・・これで良かったんだ!と何度となく思える証拠が揃っていても


つい、わたしが、何とかしたくなるように・・・・ね。



闘うことをやめてみる。


原因追究をしない。



闘わなければ、休むことができる。


原因を探さなければ犯人探しをしなくて済む。



そんな生き方を、少し心がけていこうと思っています。






ただただ・・・飛びたいだけ。。。。


せーーーーのI