映画「赤軍-PFLP」についての補足~足立監督は何者なのか~ | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)



 前回記事で書こうと思ったが時間的・スペース的な関係で書けなかったことを,今日は補足的に書こうと思う。

 私がとても印象的だったのは,足立監督が上映後のトークショーで,リッダ闘争(テルアビブ空港乱射事件,1972年)で生き残った岡本公三さんのことをとても嬉しそうな表情で語っていたことである。今でも2週間に1回ぐらいは電話をしているらしい。そうすると岡本さんが「おやじさん元気でやっとるかぁ~」と元気な声で聞いてくるのだという。岡本さんはふだんは普通に生活しているが,イスラエルの獄中で受けた拷問の影響で総合失調症を患っており,家の前を人が通ったりするだけで精神が不安定になることがあるのだという。足立監督はレバノンに行きたがっていたが,自分にはパスポートが下りないのだと悔しがっていた。

 オリオンの三ツ星になると決意して,リッダ闘争を奥平剛士・安田安之(二人はその場で死亡)と共に闘った岡本さんは,イスラエル軍に囚われの身になり,長期にわたる拘禁生活と拷問によって心身が破壊されてしまった。その後,1985年,国際赤十字の仲介により「戦時捕虜交換」(ジュネーブ条約)で釈放され,レバノンに戻って日本赤軍の人たちと一緒にリハビリ生活をしていたが,1997年,日本政府の意向を受けたレバノン政府によって,日本赤軍メンバーが逮捕され日本に強制送還された。その中で岡本さんだけが「アラブ解放運動の英雄」としてレバノンへの政治亡命が認められ,現在レバノンで療養生活を送っている。


 「地獄でまた革命やろう」と先に逝き彼岸で待ってる君は二十六歳 (重信房子)




 足立監督やオリオンの会という日本のグループが,現地の医師やボランティアなどと協力して,レバノンに住む岡本さんの生活や治療のサポートをしているのだが,問題は日本政府による妨害工作である。日本政府は,岡本さんの政治亡命が正式に認められたにもかかわらず,岡本さんを犯罪容疑者として国際手配し,ことあるごとに岡本さんの身柄引き渡し,強制送還をレバノン当局に要求している。こういう政治亡命者に対する日本政府の露骨な介入・圧力は国際法上も認められていないのだが,ここにも日本の国家権力の国際感覚のなさというか,侵略性・ファシズム性が表れていると言えよう。日本はイスラエル=アメリカと共に,岡本公三を憎き「テロリスト」,「国外逃亡犯」としてしか見ていないのである。そこにアラブの大義,パレスチナの歴史,民衆・民族の闘いといった重層的な視点が入る余地は一切ない。

 だから日本政府・公安当局は岡本さんの支援活動に関わる市民,運動を徹底的に弾圧するわけである。例えば昨年,人民新聞社の編集長をでっち上げの詐欺容疑で不当逮捕した。その真の狙いは,岡本さんへの支援を阻止・妨害することである。そして,編集長の詐欺容疑にかこつけて人民新聞社のガサ入れを行い,新聞発行をも妨害しようとした。人民新聞社はまがりなりにも新聞社,言論機関である。公安が企てた新聞社への強制捜査は,明らかに表現・言論の自由や政治活動の自由に対する挑戦であり,戦前の言論弾圧につながる暴挙である。





 岡本公三氏をめぐるこうした日本の国家権力の幼稚で野蛮な弾圧行為を見ていると,つくづく日本の人々が享受している自由が,実は権力によってあてがわれたにすぎないものであると思わざるを得ない。つまり,それは私たちが勝ち取った私たち自身の自由(=解放)ではなく,権力の自由(=専制)にすぎないわけである。国家権力が死刑をはじめこのような暴力的な存在であり続ける限り,民衆の側の一切の暴力はなくならないだろうし,すべての自由は国家権力に対する暴力・非暴力の闘いの中から勝ち取らざるを得ないだろう。

 映画の中でパレスチナの若者たちが銃を磨いていたり,銃を使う訓練をしたりするシーンが何度も出てくるが,それは私たちがデモをしたり,政府批判の言説を発表したりするのと同じフェイズで,権力に対する民衆の闘いとしてとらえなければいけないと思う。言論もデモも映画も,銃や爆弾と同じく民衆一人一人の武器である。


 帝国主義勢力と闘う(闘った)ゲリラたちがはじめて銃を手にしたとき,彼らはそれを大切に扱った。毎日磨き,毎晩抱いて寝るほどに,それを愛したんだ。なぜなら,その銃は,帝国主義勢力を倒し,人民を,同志を守り抜く,解放のための武器だったからだ。(大道寺将司『明けの星を見上げて』)




 この映画では,何度もハイジャック作戦を決行し「ハイジャックの女王」と呼ばれたライラ・ハリドという若い女性が出てくるのだが,彼女は現在,パレスチナ民族評議会(日本の国会にあたる機関)の議員である。PFLP(パレスチナ解放人民戦線)の活動家で,「テロリスト」のレッテルを貼られた人物が国会議員を務めている。一方,ライラと共にパレスチナ解放のために闘った重信房子は,日本の国家権力に裁かれ,現在は獄中で闘病生活である。この落差はどこから来ているのだろうか?実際,オランダやフランスでは,政治的背景のあったPFLPの作戦を訴追していない。国際社会では,政治的・時代的な文脈の中でPFLPの活動は一定程度,評価されているのである。にもかかわらず,重信は日本人というだけで日本国に裁かれ,犯罪者にされてしまった。リッダ闘争もまた,アラブ社会では英雄的行為として擁護された一方で,日本では暴虐非道なテロ・無差別殺人としか映らなかった。先ほども書いたのだが,日本には国際的な視野や,日本も一定の歴史的な責任を持つパレスチナ問題という視点が全く欠けている。そのことが返す返す残念である。


 重信には罰ではなく褒賞を! (ライラの法廷での証言)




 今日もつい長文になってしまって恐縮なのだが,上映後の足立監督の話をいろいろ聞いていて思ったのは,この人の場合,個人的な体験がもはや歴史になっているということである。だから単に古き良き時代の回想として懐かしいというだけでなく,歴史的経験として今もって学ぶことが多い。この映画も,前回書いたように単なるプロパガンダ,アジテーション映画ではなく,貴重な歴史記録だ。

 時代はいつもヒーローというか,証言者を自ずと生み出す。足立監督は間違いなく,あの時代(とりわけ1968年から72年)の証言者である。そして,この映画も時代の証言であり記録である。「記録されないものは記憶されない」とは民俗学者・宮本常一の言葉だ。逆に言えば,記録されたからこそ,記憶が継承される。パレスチナの記憶が今に甦る。歴史が現代とつながる。現代が歴史になる。

 上映会当日に配られた資料の中に足立監督の「上映会メモ」がある。その一部を下に引いておきます。足立監督の言葉の端々に,あの時代に鍛えられた,今も変わらなぬ革命家としての強い意志や信念を感じる。足立監督は時代の証言者であるとともに,いまだ現役の革命家だったのだ...。


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