社会で子どもを育てるとは、

お金の問題よりも何よりも、

大切なことがあるだろう。

 

 

 

 

 

こんにちは。

子育て中、これから親になる、

そんな仲間を応援しております。

 

 

食×心のケアで幸福度をアップする

子育てカウンセラー えみです。

 

 

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まずはお知らせを。

今月のおしゃべり会第1回は

21日(火)、明日です!

時間は11時から12時半です。

 

 

ご都合あいましたらどうぞ遊びに

来てください。

おしゃべりして、

ストレスを発散したり、

思考を整理して、

心身を整えてまいりましょうウインク

 

 

 

 

 

 

 

さて本題。

先日、facebookでこの記事が

シェアされていました↓

 

 

 

なるほどなあと思って読んでいた

のだけども、

あなたはどう感じただろうか

(ぜひ読んでみてね)。

 

 

私は、うなずける部分もあれば

うなずけない部分もあった。

 

 

 

 

 

 

確かに、

厳しい環境の中で自己の成績を

伸ばすのは、

ある意味優しいのだと思う。

 

 

厳しい練習のメニューに、

それを管理する監督、コーチ。

だから生徒は、

そんな監視下の元、

厳しい練習に耐えればいい。

 

 

耐えれば、

それなりの成果が得られる。

ある意味楽だ。

 

 

〈「今の時代、指導する側が厳しくできなくなって。何年くらいなるかな。僕が初めて高校野球の指導にいったのが2020年の秋、智弁和歌山だね。このとき既に智弁の中谷監督もそんなこと言ってた。なかなか難しい、厳しくするのはと。でもめちゃくちゃ智弁は厳しいけど。これは酷なことなのよ。高校生たちに自分たちに厳しくして自分たちでうまくなれって、酷なことなんだけど、でも今そうなっちゃっているからね。(中略) でも自分たちで厳しくするしかないんですよ。ある時代まではね、遊んでいても勝手に監督・コーチが厳しいから全然できないやつがあるところまでは上がってこられた。やんなきゃしょうがなくなるからね。でも、今は全然できない子は上げてもらえないから。上がってこられなくなっちゃう。それ自分でやらなきゃ。なかなかこれは大変」と様変わりした現代では、選手がより自身を律することが求められる過酷さを指摘した〉(2023年11月6日、スポニチアネックス【イチロー氏 「指導する側が厳しくできない」時代の流れ 「酷だけれど…自分たちで厳しくするしか」】より引用)

 

(中略)

 

スポーツをまるで「修行」のような心身修練の機会とするのではなく、あくまでひとつの娯楽やアクティビティとしてエンジョイすることを主眼に置く取り組みは、近年高く評価されている。甲子園ではまさにそのようなスタイルを貫いた慶應義塾高校が優勝を果たすなど、メンバーをさながら軍隊のごとく厳しくしごきあげる過酷な方法で構成されていた旧来的な指導法は、時代遅れの陋習として否定的に語られる向きが強まっている。

 

 

 

以前私のブログにも書いたけど↓

 

 

 

 

 

今年の甲子園で優勝した慶応、

べつに楽しむことを大事にしている

だけであって、

緩い練習をしているわけでも、

練習で楽をしているわけでもない

のだと思う。

 

 

「楽しい」だからこそ、

もっともっと強くなるために厳しい

練習もしてきたんじゃないだろうか。

 

 

そこに監督やコーチはいなかったかも

しれないけれど、だからこそ、

自分たちで、生徒たちで「楽しい」

気持ちを大事にしながら厳しい練習をも

乗り越えられたんじゃないだろうか。

 

 

そこに、監督やコーチと言う「上」

からの圧力的な厳しさは必要なかった。

 

 

生徒間で、

もっとこうしよう、

ああしよう、

と、厳しくできてこれたんじゃ

ないだろうか。

 

 

ただそれだけなんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 

自分たちで厳しくすることは、

酷なのだろうか。

 

 

そもそも、

大人が考える厳しさと言うのも、

そもそも必要なのだろうか?

 

 

と、私は思う。

 

 

暴言や暴力という厳しさは、

必要無いよね。

そんな厳しさは必要ない。

 

 

厳しく自己を律することは、

そもそもどこまでのレベルで

必要なのだろうか。

 

 

それは、

その人の好きなことであるかどうか

でも、決まることなんだと思う。

 

 

好きでもないことには頑張れない、

自分を律することができないのは

当然のことだと思う。

 

 

好きなことだからこそ、

どこまでも頑張れるよね。

 

 

だから、

何を頑張るかを見つけなくちゃ

いけない。

 

 

その仕事は、

大人がするべきじゃなくて、

子どもが自身でするべきこと。

 

 

その好きなことが見つかる時期は

人それぞれ。

 

 

だから、

そもそもこの時期に皆一斉に、

好きなことを見つけて頑張って、

自己を律していきましょう。

 

 

なんてことは、

無意味であり無茶であると思う。

 

 

 

 

 

そんでもって、

じゃあ練習サボって遊んでいる人は、

将来ダメな人間になるかというと、

そうでもない。

 

 

そうとも言い切れない。

 

 

けっこうでっかい人間になって

いたりもする。

 

 

その人はその人なりに自身の人生を

歩んでいくのだ。

 

 

規律に沿って、守って、

進む人だけが素晴らしいということ

でもない。

 

 

 

 

 

 

↑の記事では、

「厳しい大人がいない」という問題を、

学校の運動部に限ったことではない

と言っていて、普通に社会でもある話

だと書いている。

 

 

これは、私がかつて読んだ

「いい子症候群の若者たち」に

通ずるところもあると感じて、

ふむふむ興味深く読んだのだけども

(私引用が下手だからぜひ全文読んでね)。

 

 

社会では厳しいことを言えば

「ハラスメント」と捉えられやすい

部分もあって、大人が若者に厳しく

接することが難しくなっているという

ようなことが書かれている。

 

 

ちなみに

「いい子症候群の若者たち」

についてはこちらに書いてます↓

 

 

 

 

厳しいことを言えばすぐ心が折れて

会社を辞めてしまう、

そんな状況は困る、と。

 

 

確かに。

 

 

でもそれは、

厳しいことを言う大人側に問題が

あるんじゃなくて、そんな

 

自己肯定感の

低すぎる若者が

多いこと

 

 

に、

問題があるんじゃないだろうか。

 

 

私は、ここの問題は、

「厳しいことを言う大人が減って

いることが現代の若者にとっては酷だ」

 

 

じゃなくて、

 

 

「若者に自己肯定感が低すぎる人が

多いこと」

が、問題なのだと思う。

 

 

自己肯定感が低いと、

何を言われても非難された、

どうせ自分が悪い、

自分は何をやってもダメだ、

に、なっちゃう。

 

 

そんな人相手じゃ、

厳しくしたい大人も気力が

萎えるだろう。

 

 

自己肯定感の低い若者に、

気力を吸い取られてしまう。

 

 

で、若者はその吸い取った気力を

消してしまうのだからブラックホール

みたいなものだ。

 

 

 

 

 

 

私も厳しいことを言う大人は

必要だと思う(暴言暴力ではなくてね)。

 

 

でも、

それを困難にさせているのは若者の

自己肯定感で、そんな若者を量産させて

いるのはこの日本社会なのだと思う。

 

 

だから、

そんな日本社会に屈することなく、

若者の自己肯定感を守っていくことが、

私たち大人たちに課せられた

重要ミッションなのだ。

 

 

そのために、私たち大人は、

この日本をよりよくしていくために、

赤ちゃんを、子どもを

大事にしなくてはいけない。

 

 

泣きわめいていようがひっくり返って

じだんだ踏んでいようが大人はそんな

赤ちゃんを静かにさせようとしては

いけないし、騒ぐ幼児をただ頭ごなし

に叱ることもしてはいけない。

 

 

しなくてはいけないのは、

赤ちゃんが泣くのは、どうして?

と、よく観察して赤ちゃんと

コミュニケーションをとること。

 

 

その結果、

泣きたいだけ泣いてもらう必要性も

出てくるし、

おむつを替えるとかおっぱいを

飲ませるとか、

必要な対処も出てくる。

 

 

騒ぐ子どもに対しては、

静かにするべき場所なら、

それを説明してあげる必要があるし、

ある程度の声は大人が一歩引いて

見守ってあげる必要性も出てくる。

 

 

そうやって、

赤ちゃんの頃から、

個々を大事にする姿勢を、

大人は意識する必要があるのでは

ないだろうか。

 

 

これは、

甘やかせろと言っているんじゃない。

 

 

赤ちゃんだって幼児だって個々人なのだ。

大人側のルールに合わせるんじゃなくて、

その時その時、その頃に合わせて、

子どもたちと向き合って、

大人は子どもたちを見守っていかなきゃ

ならない。

 

 

そんな守られた環境で、

赤ちゃんは、

幼児は心を育てて生き、

さらに成長するにつれて自己を

認めて許し、

困難に立ち向かうこともできる

ような自己肯定という力を持って

より成長することができるんじゃ

ないだろうか。

 

 

社会で子どもを育てるということは、

そうゆうことなんじゃないか?

お金云々の前に。

 

 

大人がうるさいと言って子どもに

キーキー言っていることのなんと

なさけないことか。

 

大人こそ、

 

自分の機嫌は

自分で取れ。

子どもの声

ごときにいちいち

左右されてんじゃ

ねーよ情けない

 

 

で、あるにやり

 

 

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こちらも参考になれば↓

 

 

我が子を下げる発言は慎もう。

 

 

何からでも逃げていいしやめていい

なんてことじゃなくてね。

 

 

大丈夫。そのままで大丈夫。

 

 

どんなやり方が合っているか

はその子による。

 

 

 

自分の今の心も体も愛して生きませうラブラブ

 

 

 

 

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