型通りにはまった人間を育てたいのか、

個性を自由に伸ばしてあげたいのか?

 

 

 

 

 

こんにちは。

子育て中、これから親になる、

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食×心のケアで幸福度をアップする

子育てカウンセラー えみです。

 

 

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型通りに教えられた

人間は、それ以上に

はなれない。

 

 

のだそうですよイヒ

 

 

スポーツ選手が練習をする際に、

コーチから型どおりに教えられると

(それまでの経験データから

練習内容を設定していたとしても)、

当人が困難にぶち当たった時に

それを乗り越える力が身につかない

のだそう。

 

 

そう、スランプとか。

 

 

型通りに教えられたら、

その型から抜きんでることが

困難になるということなのかなうーん

 

 

じゃあ何が重要なのか?

というと、その人が

「楽しむ」ことが重要なのだそう。

 

 

何かを学ぶときは、最初に

「楽しい」と感じることが重要。

 

 

そして、

楽しみながら試行錯誤して自分で

学んでいく。受け身じゃなくて、

自ら何かを掴みに行くんですねキラキラ

ここが重要なんだと。

 

 

 

 

 

 

 

今年の夏の甲子園は慶応が優勝

しましたよね。

 

 

私は野球に全然詳しくないし、

甲子園ファンでもない。

 

 

でも、慶応が優勝した際に、

「エンジョイ・ベースボール」

というワードを聞いて、

 

なになに??

 

 

と思いましたイヒ

 

 

練習風景などを取材した記事など

を読むと、生徒と監督、

コーチ間にある信頼関係の高さや、

まずは野球を楽しむ姿勢を大事にし、

何をどうしたら強くなれるのか、

生徒が試行錯誤を繰り返していく

姿が見えて、

 

 

私は感動を

覚えました。

 

 

慶応野球部のやり方は、

型どおりに教わるよりも時間が

かかって効率が悪いのだと思う。

 

 

でも、

身につくものは型どおりに教わる

よりもとても大きなものになる。

 

 

「俺たちは遊びでやってんじゃねーぞ」

と、他所の学校から言われたことも

あったみたいだけれど、

「エンジョイ」の持つ威力がどれだけ

素晴らしいのかを、

結果を持って示せたということですね。

 

 

甲子園で優勝することは

簡単なことではない。

 

 

だから、

「エンジョイ」の持つ威力をこうして

示せたことは、とてもかっこいい。

 

 

もちろん、

楽しいだけで優勝できるなんて

私も思っていません。

 

 

けれども、

「楽しい」があるから、

野球部に強い信頼関係があるから、

皆で試行錯誤ができ、

何が原因でどうなって、

こうしたらああなって、

ああしたからこうなって、と、

自ら導き出した答えを持って

強くなっていくことができる

のではないか。

 

 

自ら生み出した答えは、

型から教わった答えよりも強い力を

持っていることは、

誰もが知っている、

誰もが納得できることかと思うニコ

 

 

 

 

 

 

これはスポーツに限らず、

子育てにも、教育にも同じことが

言えると思います。

 

 

型通り教わることが、

つまりは効率よく教わることが、

その子にとって素晴らしい教育に

なっているのか。

 

 

教育とは何なのか。

 

 

その子にとって素晴らしいことと

は何なのか。

 

 

誰もが同じことができるようになり、

同じ環境で生きていくことが

できるようになり、

同じように優秀になれることが

素晴らしいとなのか?

 

 

だとするならば、

実際にそういう人が世に増えていく

はずだと、おっしゃる方がいました。

 

 

ならば、

そんなジェネラルが素晴らしいと

言うならば、ジェネラルな人間が

増えていくはずなのに、

 

 

実際には

不登校になる

子どもの方が

増えている。

 

 

これは、

ジェネラルから真逆の方向に

進んでいるように私には見えますイヒ

 

 

つまりは、

ジェネラルが素晴らしいのでは

なくて、個性を持って生きること

が素晴らしいと言うことではない

だろうか、人間と言う生き物は。

 

 

不登校になる人が皆個性を大事に

するために学校に行かない、

というわけではないけれど、

今や学校(ジェネラルな場所)に

行けなくなる子どもが増えている

ことは事実としてあるわあけで、

 

 

文部科学省も、

学校に登校することを目標とする

のではなく、と、言っている。

 

 

あくまで社会的自立に向けて

どうしたらいいのかが重要だと

言っている。

 

 

それはもう、

ジェネラルをよしとするのではなく、

個人個人の個性を大事にして、

その子に合った進め方を模索して

生きようよということでもあるよね。

 

 

だから、学校に通う(型通り)より

も大変な道のりになるけれど、

獣道どころか道なき道を歩むことに

なるのだろうけれど、

進んだ先には強い力が身につくんじゃ

ないかなうーん

 

 

人間として、

その人の魅力が活きる力を得ることが

できるということになるんじゃないか?

 

 

 

 

 

 

結局何が言いたいかと言うと、

大人は子どもに余計なことを言うな

と言いたい。

 

 

「こうしたらいい」

「ああしたらいい」

「そうじゃない」

「こうしなさい」

 

 

と、自分の経験値で、

愛を持ったアドバイスだとしても、

子どもにとっては自ら掴む力を

発揮するチャンスを奪われている

ということにもなる。

 

 

だから、

子どもからアドバイスを求められた時

以外、口出しはせず、子どもが方法を

間違えたとしても、「そうじゃない」

という言葉は飲み込んで、失敗したら

「あーだから言ったのにー」なんて

言葉は自分を殴ってでも口からは出さず、

子どもが試行錯誤することを見守っていく。

 

 

子どもがアドバイスを求めてきたら、

アドバイスをする。

 

 

それがいいんではないかなあ。

つまりは、

 

耐える

 

教育とは、

親が耐える力を身につけること

だと言っても過言ではないだろう

(真面目)。

 

 

ああ、できるのか…私…(オイ!)

頑張る所存であります。

 

 

まあね、もちろん匙加減が大事

なるんだろうと思いますよ。

何でもかんでもというわけではなくて、

要はバランスが大事。

 

 

その見極めを親はよく考える必要が

あるぶー

 

 

 

 

 

 

そしてこれは、

親と子どもを切り離して考えると

言うことでもある。

 

 

子どものすることなすこと心配に

なって口を出すと言うことは、

自分と同一視してしまうことから

来るのだと思うから。

 

 

同一視するのではなくて、

子どもも親も個々人、

他人なわけで、別々に考える。

 

 

これができるようになると、

親も余計なストレスを抱えることなく、

ある意味

冷静に子どもを見ることができる

ようになるのではないかな。

と、私は思うのだよねにやり

 

 

ここって、

何気に超大事じゃない?

 

 

 

 

 

 

 

こちらも参考になれば↓

 

 

男女は同じように物事を考え

られないよ。

 

 

土台が大切という話。

 

 

 

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最初からできなくてもいいんだよ。

 

 

 

 

自分の今の心も体も愛して生きませうラブラブ

 

 

 

 

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