(続き)
主体がないから原始的かというなら。そんなことはない。状況依存とは、きわめて客観的な態度でもありうる。出来る限りの要素を考慮に入れて決定する。そういうことだからである。
むろんそれにはその欠点もある。物事がとくに根拠もなく、なんとなく決まってしまう時があるからである。オリンピック・スタジアムが典型であろう。
安保論議がやかましい。これも状況依存の典型か、憲法第九条を拳拳服膺する限り、自衛隊の海外派遣は違憲であろう。じゃあなぜ、あえて違憲の法律を作るのか、状況が変わったからだ、現に政府はそういっているはずである。
それなら今回の安全保障に関する法律を作ったのは、北京政府とイスラム国といっていいだろう。その背景にはアメリカ政府を加えていい。国際的な「状況」が違憲を要請している。政府に「平和憲法を守る」気など、そもそもない。そんなことをいうのは左翼かぶれに決まっている。万事は状況に依存する。そう考えるのを、「現実的」という。
私見だから、乱暴を言わせてもらう。日本の本土防衛はそもそも盤石である。なぜなら最終兵器を沿岸に五十余り並べているからである。こんな国は世界のどこにもない、福島原発の事故が起きたあと、一週間以内に5000人の中国人が新潟空港から帰国したと聞いた。アメリカ艦隊が近海まで来たが、放射能の危険を感じて、間もなく消えた。国土が占領される危険があるなら、この最終兵器を順次使えばいい。だれも日本に近寄りもしなくなるだろう。
自分も損害を受けるではないか。当たり前であろう。自分が損害を受けず、相手だけにダメージを与える。そんな甘い戦争はない。大日本帝国は中国と八年間戦った。その間、中国は本土決戦だった。日本は硫黄島と沖縄で手を上げた。どちらの考えが甘いか、よく考えたらいい。
念のためだがヴェトナムは、アメリカに勝った。前回も言葉について書いた。言葉や法律が国を守るのではない。国民の腹である。イラク派遣だけで、自殺者が30人近く出る軍が、外地でどれだけ本当に働けるのか。神風特別攻撃隊を銃後で送り出した世代の老人だから思う。もう一度「本気で」防衛を考えていただきたいなあ、と。
(註1)2016年3月から施行された平和安全法制について、「集団的自衛権」の行使に関して広範囲で議論」が起こった。
Q翁:今回のロシアのウクライナ侵攻は、憲法9条が国の安全と平和を守ることに全く役に立たないことを証明している。そしてロシアは、ウクライナが日本の憲法9条のようなものを制定し、軍備を放棄することを要求している。つまり憲法9条は侵略しようとする国にとって、都合のよい法律なのである。勿論日本の憲法9条も当時の戦勝国アメリカが、日本に押し付けたものである。
だからそれから70年余を経過し、国際情勢も大きく変動しているのであるが、日本人はアメリカの占領政策で、すっかり洗脳され、憲法9条で日本の平和が守られていると思っている人が、大勢できてしまった。
自衛隊は、専守防衛だという。専守防衛などという軍隊が、世界のどこにあるのだ。その言葉で、自衛隊はがんじがらめにされていて、動きがとれない。
日本人全員が、我が国の平和と安全を守るためには、どうあるべきか、を考え直さなければならないと思う。Q翁は間もなくこの世を去る。
個人的には、何の心残りもないが、日本の平和と安全については、心配事を山ほど抱えて死んでいくことにないそうだ。
(続き)
主体がないから原始的かというなら。そんなことはない。状況依存とは、きわめて客観的な態度でもありうる。出来る限りの要素を考慮に入れて決定する。そういうことだからである。
むろんそれにはその欠点もある。物事がとくに根拠もなく、なんとなく決まってしまう時があるからである。オリンピック・スタジアムが典型であろう。
安保論議がやかましい。これも状況依存の典型か、憲法第九条を拳拳服膺する限り、自衛隊の海外派遣は違憲であろう。じゃあなぜ、あえて違憲の法律を作るのか、状況が変わったからだ、現に政府はそういっているはずである。
それなら今回の安全保障に関する法律を作ったのは、北京政府とイスラム国といっていいだろう。その背景にはアメリカ政府を加えていい。国際的な「状況」が違憲を要請している。政府に「平和憲法を守る」気など、そもそもない。そんなことをいうのは左翼かぶれに決まっている。万事は状況に依存する。そう考えるのを、「現実的」という。
私見だから、乱暴を言わせてもらう。日本の本土防衛はそもそも盤石である。なぜなら最終兵器を沿岸に五十余り並べているからである。こんな国は世界のどこにもない、福島原発の事故が起きたあと、一週間以内に5000人の中国人が新潟空港から帰国したと聞いた。アメリカ艦隊が近海まで来たが、放射能の危険を感じて、間もなく消えた。国土が占領される危険があるなら、この最終兵器を順次使えばいい。だれも日本に近寄りもしなくなるだろう。
自分も損害を受けるではないか。当たり前であろう。自分が損害を受けず、相手だけにダメージを与える。そんな甘い戦争はない。大日本帝国は中国と八年間戦った。その間、中国は本土決戦だった。日本は硫黄島と沖縄で手を上げた。どちらの考えが甘いか、よく考えたらいい。
念のためだがヴェトナムは、アメリカに勝った。前回も言葉について書いた。言葉や法律が国を守るのではない。国民の腹である。イラク派遣だけで、自殺者が30人近く出る軍が、外地でどれだけ本当に働けるのか。神風特別攻撃隊を銃後で送り出した世代の老人だから思う。もう一度「本気で」防衛を考えていただきたいなあ、と。
(註1)2016年3月から施行された平和安全法制について、「集団的自衛権」の行使に関して広範囲で議論」が起こった。
Q翁:今回のロシアのウクライナ侵攻は、憲法9条が国の安全と平和を守ることに全く役に立たないことを証明している。そしてロシアは、ウクライナが日本の憲法9条のようなものを制定し、軍備を放棄することを要求している。つまり憲法9条は侵略しようとする国にとって、都合のよい法律なのである。勿論日本の憲法9条も当時の戦勝国アメリカが、日本に押し付けたものである。
だからそれから70年余を経過し、国際情勢も大きく変動しているのであるが、日本人はアメリカの占領政策で、すっかり洗脳され、憲法9条で日本の平和が守られていると思っている人が、大勢できてしまった。
自衛隊は、専守防衛だという。専守防衛などという軍隊が、世界のどこにあるのだ。その言葉で、自衛隊はがんじがらめにされていて、動きがとれない。
日本人全員が、我が国の平和と安全を守るためには、どうあるべきか、を考え直さなければならないと思う。Q翁は間もなくこの世を去る。
個人的には、何の心残りもないが、日本の平和と安全については、心配事を山ほど抱えて死んでいくことにないそうだ。