趣味というわけではないのだが、最近、どうも仕事をする気になれない時に、アイチューン・ユー(アップルのサイトにある説明はこちら )であちこちの大学の講義をタダで楽しませてもらっている。すべての大学でというわけではないけれど、多くの大学で、なぜか一番充実しているのが医学部の講義だったりする。なんでだろう。今週は、脳神経内科の進展にともなう倫理問題についての講義を聞いた。なかなかおもしろかった。

とある学内会議に学科代表として出席してくれないかという依頼がきた。依頼主は学科長担当の秘書さんである。もちろん学科長が指示したに決まっており、アイ・アム・ソーリーと答えるわけにはいかない。ペーペーの平従業員である私が学科代表となった瞬間である。


それはともかく、私はこういうエライ先生方がくるに決まっている会議に出席するのは嫌いではない。オーストラリアでは、会議でも講習会でもとにかく人が集まる場合には、食べ物、飲み物が振舞われるのがふつうなのだが、エライ先生方が出てくる会議ではこの「食べ物、飲み物」はサンドイッチにジュースではなく、オードブルから始まってデザートで締めるお食事にワインと決まっているからである。安月給の平従業員としては、たまにこういうごはんをタダで食べるのは悪くない。


それにしても、こういう分不相応な仕事が回ってくるということは、私はよほどブラブラしていると思われているにちがいない。ゆゆしき問題である。

仕事の区切りが悪く、帰りが遅くなったら大学構内できつねに出くわした。


ここ(オーストラリア)でよく見かけるオーストラリアにはいないはずの動物というと、まずきつねではないだろうか。日本できつねというと、北海道かどこかの大自然をイメージするかもしれないが、この国のきつねは田舎はもとより都市部にもふつうに出没する。大きくてかなり毛が長い。しかも、日本のきつねとちがって、きつね色をしていない。こげ茶の野良犬といった感じであまりかわいくない。


もともときつね狩り用に持ち込まれたらしいんだけれど、今じゃ、増えに増えてどうにもならなくなっている。



2月に新年度の始まるオーストラリアでは、毎年10月あたりに翌年度の計画が最終決定されるのだが、今年は学科長から早々にメールが来た。


「来年度の担当科目一覧を添付します。これから予算を見積もるので、講義要綱等を変更したい場合は、申し出てください。」


えらいことである。じつは、来年度どころか今週の準備にもとりかかっていないのだ。この調子では来年度に向けて、もろもろの改定変更作業を開始するなどとうてい無理というものである。これは変更なしと返事をする以外にないではないか。しかし、変更なしとなると、担当科目か学内業務を増やされる可能性がある。今週の準備に追いついていけない者にさらなる仕事というのも無理な話である。いったいどうしたらいいのだろう。とりあえず、学科長のメールは見なかったふりでもしておくか、、、。

昨年だったか、臨床心理士による心理療法にこの国の政府の健康保険が適用されるようになった。医者が心理療法を承認すると健康保険指定の臨床心理士のカウンセリングが6回まで、医者が延長を認めた場合はさらに6回の合計12回まで、保険でカバーされる。そこで、今、この国では即行で効果があるといわれるCBT(Cognitive Behavioural Therapy、認知行動療法)が大流行である。


CBTというのは、大雑把にいうと、気分が悪くなるのは物事を必要以上に悪く考える(=認知がゆがんでいる)からで、その認知のゆがみを正せば気分はよくなるという思想に基づく療法で、物事を必要以上に悪く考えないためのテクニックをいろいろ教えてくれる。自習サイトもいろいろあって、オーストラリア国立大学のムード・ジム(リンクはこちら )や、西オーストラリア州政府保健省のインフォパックス(リンクはこちら )はとくに有名である。


私もかれこれ2年前、まさに死にそうだったころに試そうとしたことがあるのだけれど、この療法には思わぬ欠点があった。まず、この療法は、物事に対する考え方を変えようというものなので、物が考えられる状態でないとチャレンジのしようがない。うつがほんとうにひどい時には「考える」などという大仕事はできるわけもなく、私が会った何人かの医者は口を揃えて、「CBTはうつがよくなってからやってみましょう」と言ったのである。さらにCBTは、認知のゆがみが認められない場合、つまり事実、物事が最低最悪の状態にあるために最低最悪に思われる場合には、打つ手がない。私は専門柄、物事がどの程度難しい状況にあるかは臨床心理士を含めた一般の人より正確jに理解できてしまう。そこで、私が「これを認知のゆがみだなんて言う人がいたら、その人の認知のほうがゆがんでいる」というと、CBTはほぼ確実に打ち切りになる。実際になった、、、。


そんなわけで、CBTは私には使えなかったのである。CBTがだめな私に、臨床心理士が試そうといったのはACT(アクセプタンス・コミットメント・セラピー。日本語訳は見たことがない)だった。しかし、これはシャレにしかならなかった、という話はまたの機会に。

私のお気に入りの一つ、弁護士の辻村幸宏先生のブログにおもしろい記事があった。(記事へのリンクはこちら 。)おもしろいと思ったのは、この国の臨床心理士さんたちがまさに同じような話をよくするから。こういうのをサポーティブ・カウンセリング(支持療法という日本語に訳してあるのを見たことがあるけれど、正しい訳かどうかは知らない)というんだそうだ。こういうのがタダで読めてしまうわけだから、日本で心理療法がはやらないのも当然かもしれない。


サポーティブ・カウンセリングは、試験前に緊張してしまってどうしようもなくなる学生さんのように(私から見れば)どうでもいいようなことで心理士さんのところに来る人に対しては、第一の選択肢に挙がることがあるようだけれど、臨床心理士さんがまず試すのはCBTと略される認知行動療法のことが多い。私も挑戦してみたことがある、という話は、明日、気分がよかったらしてみたい。

ここ二、三日、動悸がひどくて気持ちが悪い。心臓発作の前兆じゃないかと不安になるくらい。こういう時、日本だったら医者にかかることができるんじゃないかと思う。あいにくここでは、「三週間後に来てください」なんて言われることが多い。もちろん救急病院もあるにはあるけど、受付のお姉さんに「緊急外来よりふつうに予約をとったほうが早くお医者さんに会えますよ。」と言われたことがあって、以来、あまりアテにしないことにしている。


当地の医者不足は深刻である。だいたい、こういうのを三週間も放っておいたら、治っているか死んでいるかに決まっているじゃないか。ガンの放射線治療なんて一年待ちとか二年待ちで、順番が回ってくる前に亡くなる患者さんが多いって、医療系の知り合いから聞いた。


こんなことになっているのは、ここでも強力な医師会が長年、新規参入を効果的に阻止し続けたことによる。しかも医者不足のおかげでお医者さんの給料が高いのをいいことに、フルタイムで働かない人が増えたので、ますます医者不足が進む始末。さすがにどうしようもないと思ったのか、ここのところ政府は必死になって外国からお医者さんの移民を進めているんだけど、外国産の輸入は国産品と違って品質管理が難しいわけで(失礼!)、いろいろ問題が起きている。


昨年末、企業の健康診断をやっている診療所に行ったら、白人のオーストラリア人のお医者さんが出てきてびっくりしたことがある。「珍しいですね」と話したら、その先生は診療所に来る前に勤めていた公立病院ではただ一人のオーストラリア人医師だったという返事が返ってきた。なんでも周りのお医者さんはみんなアフリカから来た人たちでアフリカーンを話すから、何を言っているのかさっぱりわからなかったそう。かように医者不足はひどい。あぁ、精神科のお医者さんに会いたいなぁ。

sphinx先生の「大学という斜陽産業」で、学生がネットからのコピペでレポートを作るのを防ぐにはどうすればいいかという話が出ていたけれど (該当記事はこちら )、ここオーストラリアでも最近、学生の盗作レポートの話がもちあがった。オーストラリアに限った話ではなかろうと思うのだが、英語圏の学生の盗作法は進んでいる。ネットからのコピー・アンド・ペーストはもうかなり昔に大問題になって、ここ7、8年はどこの大学もターンイットインというソフトでネットからのコピー・アンド・ペーストをチェックするのが当たり前になっている。それでもコピペはなくなっていないけどね。


今回、オーストラリアで話題になったのは、学生のためにオリジナルなレポートを作成するレポート代行業者の存在である。なんでもイギリスでは10年くらい前からそういう商売が繁盛しているんだそうだ。うわさでは、エリザベス・ホール・アソシエーツ というところが一番有名らしい。ウェブを見ると、レポートどころが博士論文の作成代行までやっている。あきれたもんだ。


しかし、こういうのを使われると、ターンイットインにはひっかからない。どうやら学生が勉強したかどうかを測るには、昔ながらの教場試験しかなさそうである。それにしても、この値段。察するに大学教員をやるより、エリザベス・ホールに勤めるほうがはるかに儲かりそうである。

最近は日本でも社会人学生が増えてきているようだけど、オーストラリアでは、かなり昔から相当な数の学生が社会人だった。この国では仕事に必要な資格が大学の学位や修了証書と結びついていることが多く、資格を取るには大学に行かざるを得ないというのが大学に社会人が少なくない理由の一つだと思う。残る理由は、おそらくオーストラリア人には日本人のように将来に備えて日ごろから研鑽を積むというような発想がないからではなかろうか(これ、オフレコ)。だから、仕事に資格が必要になってからおもむろに大学に入学すると。


そんなわけで大学には大学教員が多く在籍している。いや、大学教員としてではなくて、学生として。やはり資格取得のための科目を教えている教員が無資格者だとあまり見栄えがよくないでしょ。たいていの大学では自分のところの教員が入学する場合、授業料が免除か減免になるから、まず仕事を始めてからおもむろに大学に入学するというは経済的合理性にかなっていたりもするわけだ。でも、やっぱり自分の学生といっしょに試験を受けるのはさすがにマズイと考える教員もいて、そういう教員は勤務先以外の大学に入学する。


前置きが長くなったけど、じつは私も他大学に入学申請をしていた。今日、やっと入学手続きのための書類を受け取ることができたので、これから手続きを始める。もう新学期は始まっているというのに、ずいぶんとのんびりした大学だ。

外国の学術誌に投稿された論文の査読を頼まれた。(この国で外国というと日本も含まれるわけだけど、私の感覚では外国はオーストラリアと日本以外の国のこと。)英語の論文なんだけど、原文は日本語だと思う。発想が日本語なんだもの。英語圏の読者に理解できるものなのか、おおいに疑問だ。


こういう論文を審査すると、どうしても著者が誰なのか知りたくなる。学術誌によっては著者名を隠さずに査読に回してくることもあるんだけど、今回の編集担当の教授はきっちりと覆面査読にしてきた。こういう場合、著者を知る手段はただ一つ。論文を通すこと。


うぅん。しかたあるまい。ここはひとつ、一部修正のうえの出版を勧めておこう。あはは。まぁ、私の過去の論文にも似たような理由で出版されたものがあるにちがいないし。