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太平洋セメント専用線1 (埼玉県/高麗川-西大家) その2

●前回は西大家から中間点までをご紹介致しました。
今回はそこから太平洋セメント手前までをご紹介致します。

実はこの部分、余り期待はしていませんでした。
ところが実際には期待出来ないどころかその真逆でした。
築堤アリ、橋台アリ、レールアリで廃線跡丸出しでした。
その分喜びも大きかった訳で・・・では行ってみましょう♪
 
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何の意味も無く撮影した訳ではありません。
もちろんここも廃線跡。仕方が無いので迂回をします。
 
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舗装化された廃線跡を進みます。
実は探索中、廃線跡なのか確信が持てませんでした。
 
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薄暗くて少々見辛いのですが、この辺りは舗装化されていました。
 
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この辺は徐々に上りとなる築堤跡(道路右側)だったようなのですが・・・
ご覧のように取り崩され平地に、そして今では民家も建ち並びました。
 
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そして少々歩くと・・・で、出ましたっ! 何とも見事な橋台跡が出現です。
 
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片側だけしか現存しておりませんでしたが、築堤が存在していました。
 
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タマラず築堤へ登り撮影。笑崩された反対側には家が建ってました。
現役時、この先は築堤を緩やかに下りながら右へ曲がって行きました。
 
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この辺りの現在と当時の空撮画像を比べてみましょう。
左が現在で右が1989年。確かに緩やかに右へ下る築堤があったのです。
 
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振り返って完全な形で残る築堤跡を辿ることにします。
ところで、このパイプラインは?結露が出来ていました。
 
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結露があるということは、中に「冷たいナニかが」通っているということ。
分かる筈もないので次へ(笑)。この辺りはバラストが残っていました。
 
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ムム? 草に隠れては居ますが、この盛り上がり方。隠れてたって
判っちゃいますよ(笑)。あなた様はレール様でございますね?
 
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ほぼ完全な形で残る廃線跡。しかし残念ながら
ここで「立入禁止」の立て看が登場してしまいました・・・。
 
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やむを得ずヨダレを垂らしながら(笑)柵の外から撮影をします。
既に幾度か登場していますが、残った架線柱に蔦(ツタ)が絡み放題です。
 
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一度降りて築堤を見上げます。
 
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再び登ります。すると草で隠れて分かり辛いのですが
車止めを発見。この辺りは複線だったようですね。
 
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この築堤の斜面で妙な花を発見。曼珠沙華(まんじゅしゃげ)でした。
本当にここだけに咲いていました。ところでこの中にバッタが居るのが判りますか?


以上、「太平洋セメント専用線」中間点部分でした。最終回となるその3では、
ほぼ完璧な状態で残る太平洋セメント埼玉工場~高麗川の廃線跡を辿ります。

太平洋セメント専用線1 (埼玉県/高麗川-西大家) 最終回

●その2では築堤を頼りに廃線跡を辿ってきたものの、立ち入り禁止を
余儀なくされ築堤下から廃線跡を追いました。しかしその築堤跡も
次第に広くなる立ち入り禁止区域に阻まれ、遠くなってしまいました。
それでも最後には太セメの工場内へと繋がっていたのを確認、
その3ではここからのスタートとなります。
 
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築堤を下から見上げます。草に絡まれ「天に伸びる棒」は架線柱です。
そして廃線跡は工場内へと入り、私は工場の反対側へと向かいました。
 
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さっそく工場西口、高麗川方面出口へ来ました。
しかしソレらいいものは残念ながら発見出来ませんでした。
 
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仕方なく振り返り、廃線跡だったと思われる道路を歩いていると・・・
ありました、ありました、間違いなくこの廃線跡の遺構でしょう。
 
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レールは既に撤去済みでしたが、画面では分からないものの
バラストはそのまま。ということで、道を外れることなく廃線跡を辿れます。
 
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工場出口から数百メートル、つ、遂にレールの登場でございます。
しかもレールが錆び付いている以外はほぼ現役当時そのままです。
 
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振り返って撮影。途中時間をロスした関係で、
随分と陽が傾いてきてしまいました。では先へと進みましょう。
 
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踏切跡です。遮断機こそありませんが(元々無かった?)、
雰囲気ありますねー。ここは中学校の裏手にあった踏切です。
 
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「線路内立入禁止」の警告標もまた良い味付けをしてくれます。
 
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「速度15粁」ですか。随分とゆっくりだったのですね。
 
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不自然に切り取られたレールです。まぁ仕方がないでしょう。
 
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暫く進むと、これはまた立派な踏切が登場しました。
本当に遮断機だけを奪われてしまった踏切のようです。
 
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「生活道路」として定着したようで、幾人かの人々とすれ違いました。
そして線路脇に住むおじさんに声を掛けられ、10分少々お話をしました。
 
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話によれば、現役当時は速度も出していなかったせいか、騒音は気に
ならなかったそうです。途切れたレールに遮断機の無い踏切。絵になります。
 
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錆び付いた曲線レールの間に、今まで子供が遊んでいたのか
スコップや赤いバケツが転がっています。さっきの子供達のかな?
 
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さぁ「高麗川駅」が近づいて来ました。「川越線(埼京線)」と「八高線」が
合流する間へ専用線は繋がっていました。右が八高線、左が川越線です。
 
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少し進んで振り返ります。左は八高線。次の停車駅は「毛呂駅」です。
以上で探索完了、近くの踏切(現役)から脱出しました。汗


予定到着時刻よりは随分と遅れてしまいましたが、楽しく満足のいく探索でした。
得に「高麗川-工場」間は、危険も無く雰囲気バッチリでお勧めの廃線跡ですね。

羽鶴線 (栃木県/葛生-羽鶴) 前編

●データ 【所在地】栃木県佐野市 【運営キロ】6.2Km 【開業】1951年(昭和26年)
【廃止】1991年(平成3年)11月 【魅力】今回は羽鶴線のみの探索でしたが、
 この地には他に「会沢線」と「大叶線」という路線がありいずれも廃線となっています。
 廃線跡ターミナルとでもいったところでしょうか。 【訪問日】08.08.16


●やってきました、真夏の栃木県佐野市。しかしどこへ行っても暑いものなんスね。^^;

では簡単にご説明を。「葛生駅」からスタートする訳ですが、
しかしタイトルの「羽鶴線」は正確には葛生駅と接続していません。
正しくはこの先、「上白石駅」が羽鶴線のスタートとなります。
ではこの「葛生-上白石」間はナンなのか?となりますが、
この間は「会沢線」という路線名です。

この会沢線は羽鶴線と同時期に廃線となっており、ついでにということで
取材しました。「上白石駅」から先は分岐し当然行き先も変わりますが、
この先の会沢線はまたいつか機会があれば訪問したいと思います。
ということでこの「羽鶴線・前編」、正式には「会沢線」の廃線跡となりますが、
お間違えの無い様ご乗車下さい(笑)。では行ってみましょう。
 
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葛生駅。周囲には以前は"商店だった"ようなシャッターを下ろした
場所が点在、正直、「衰退してしまった」感が否めない印象でした・・・。
 
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駅の南側へ来ました。するとこのような広大な空き地が広がりました。
後ほどご説明致しますが、かつてこの場所は貨物ターミナル駅でした。
 
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東武鉄道が管轄のこの駅、当時の東武では最大の貨物駅でした。
前の写真から反対側へ来ましたが、それにしてもホントに広いですわ。
 
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「葛生駅」東側です。つまりはここから東は廃線跡となる訳です。
 
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同場所より一歩退いて撮影。ただ線路と架線が無いだけで
コレがあったならば、今でも全然現役線でイケそうですね。
 
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では1974年当時の空撮映像です。貨物もたくさん止まってますねぇ。
また画像の番号は掲載写真の撮影場所です。ご参考にどうぞ。
 
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こちらは上の写真、廃線跡を横断する道路に出て撮影。
どうですか、この見事な廃線跡。20年もの年月を感じさせません。
 
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こちらは100mほど先にあった「引き上げ線」跡です。この辺りには築堤が
あったはずですが、崩されてしまったようです。左に写るは廃線本線です。
 
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そして、もう少し進むと・・・築堤復活です。コレですよ、コレ。
良い景色です。そして突き当りにはトンネルらしきものが?
 
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と、その前に再び1974年の空撮映像で撮影場所を確認しましょう。
引き上げ線に車両が止まっているのが見えますね。
 
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では続きです。壁には「停止位置」の文字が。ここまで来てたのね。
さて、この先は一体どうなっているのでしょうか。
 
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映像では判り辛いかと思いますが、結構高い場所をよじ登って撮影。
そして中はにはナント!・・・数メートルで閉塞。実は分かってましたけどね(笑)。
 
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引き上げ線探索終了、廃線本線へ戻ることとしましょう。
再び引き上げ線の築堤を戻ります。
 
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写真左下の「虎模様」の標識はなんでしょうか。
ジツは「鉄」標識には詳しくなくて・・・。^^; しかしイイ感じ出してますね。
 
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さすがに夏場ということもあり雑草が伸び放題、進み辛いです。
それにしてもレールのみを撤去してなぜ架線は残っているのでしょうか。


以上、前編「羽鶴線」と言いつつ正確には「会沢線」の廃線跡でした。
後編では「上白石駅」からスタートし、いよいよ本題「羽鶴線」跡を辿ります。

羽鶴線 (栃木県/葛生-羽鶴) 後編

●正確には「会沢線」の廃線跡となる「葛生-上白石間」を前編ではご紹介致しました。
後編ではいよいよ本題「羽鶴線」の廃線跡を辿ります。
 
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まずは橋台跡から。ここ、正確にはまだ「会沢線」の廃線跡となります。
それにしてもこの橋台跡、随分と低くないですか? 車通れたのかな?
 
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上へ登ってみました。やっぱり低いですよね? 下手するとチャリの
人も頭コスったかも。絶対「頭上注意」の警告もあった筈だよね(笑)。
 
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いよいよ上白石駅構内です。このあとは二手に分岐します。
イイ感じっスねぇ。ところで「構内勾配転動防止」って何でしょう?
 
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多くの貨物が止まっていたとされる現「住友大阪セメント」栃木工場。
外から眺めて見ましたが、当時を偲ばすものは何一つ見つかりませんでした。
 
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「同社、正門」より撮影しました。内と外では踏み切り脇には「ふみきりちゅうい」の文字が。
 
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では1974年当時の空撮画像を。番号は撮影場所です。
それにしても構内には多くの貨車が止まっていますね。
 
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「上白石駅」を通過、更に北へ足を運びます。ちなみにこちらの廃線跡、
正確には短い間ですが「羽鶴線」「会沢線」「大叶線」となります。
 
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会沢線と分岐してすぐの橋梁です・・・が橋は無し。
ただし橋梁のあったことを示す橋台跡はしっかりと存在。
 
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このあとは暫くのっぺりとした廃線跡が続きます。
どうやら子供達にはうってつけの遊び場となっているようです。
 
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この付近は雑草が伸び放題。ただの空き地みたいに見えますね。
 
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更に先へ進みます。生活道路のような廃線跡が続いています。
 
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更この辺りはもう住民の生活道路として大活躍中って感じですねぇ。
でも分かり辛いのですが、奥に架線らしきものがまだあるのが判ります?
 
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廃線跡は住宅街を離れ、森の中へという感じです。
しかし森の中というと・・・ちょっと嫌な予感がしました。
 
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案の定、感的中でした。ご覧下さい、この密林ジャングル。架線柱が
出ているのが分かりますが、同時に雑草の背の高さも分かります。
 
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途方に暮れてふと空を見ると・・・ムム? 今度は天気がピンチの悪寒。
実はここまで「マイチャリ」で来ていた私、探索を中止することにしました。
 
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ゴールまではあと僅かだったと思いますが、仕方ないですね。
ということで、その「あと僅か」だった部分、1974年空撮画像です。

猛ダッシュでチャリをこいで車へ移動、残念ながら最後まで行けずに
終了となりましたが、またいつか再訪したいと思います。

長野原線(太子線)1 (群馬県/長野原草津口-太子) 前編

●データ 【所在地】群馬県長野原町~六合村 【運営キロ】5.8Km
【開業】1945年(昭和20年)1月2日 【廃止】1971年(昭和46年)5月1日
【魅力】少々難易度の高い廃線跡ですが、ルートは生活道路として舗装化されていたりなど
 探り易い。トンネルも一部は入れない場所もありますが現存。 【訪問日】08.07.26


●これまで掲載してきた廃線跡の中で、「探索」を目的としたものでは一番の

遠距離ロケとなりました。( 井川線 でご紹介したのは静岡県でしたが、これは旅行を
目的としたものでした。)舞台は長野・・・と言ってしまいそうですが、実は群馬県です。

「草津温泉の近く」と言えば分かり易いでしょうか。これまでは山奥にあるような場所の
探索が多かったのですが、実は・・・今回もそう(笑)。特にそう決めて行っている訳でも
無いんですけどね。ではとりあえず「長野原草津口駅」へ行ってみましょう。
 
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今回も車で移動、長野原草津口駅到着。と、いきなり「廃駅」利用の
バス停が !?・・・と思いましたが、モーレツな早とちりでした。^^;
 
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それにしても本当に駅のホームみたいな造りのバスターミナルです。
なるほど、ここから「草津温泉」や「北軽井沢」へとバスが出るのですね。
 
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同ターミナルにある案内板です。ちなみに季節は夏、山と言えども
やはり暑いものは暑く、ノドもカラカラ、一息してから出発しました。
 
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さて一息ついて探索開始です。まずは同ターミナル脇にある線路から探索。
実はこの先辺りから「長野原線」へと分かれる地点があったと思われます。
 
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ここからは「マイチャリ」で移動。まずは長野原草津口駅の北口へ。
写真は「白砂川」を渡る現役線です。この右側に「長野原線」が・・・。
 
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同地点から「長野原草津口駅」を振り返ります。恐らくこの左手付近から
長野原線へと分岐していた筈なのですが、遺構は発見出来ませんでした。
 
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この辺りも間違いなく長野原線が通っていた筈なんですが・・・。
どうやっても遺構は見つけられず。この先の橋梁へと繋がります。
 
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そしてようやく遺構発見です。少々分かり辛いのですが、旧・「白砂川橋梁」の橋台跡です。
何故か半分以上が削られていました。ちなみに写真のチャリは自分のです。笑
 
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根元まで来ました。登ってみたかったのですが、雑草も多く
アプローチする場所を見つけられず断念。夏場は仕方無いですねぇ。
 
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それにしてもしっかりと残っていますねぇ。枕木も乗っかった
ままのようです。しかしここでも木々が視界を遮ります、、、orz
 
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今度は電柱が視界を妨げます・・・。
でも全体像は掴めると思います。なかなかうまく撮らせてくれませんね。
 
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さぁ、「今度こそ!」と期待を込めて橋の反対側へ・・・と思ったらまたしても!
く、草がモノ凄いんだけど、、、正直、こんなことになるとは思いませんでした。泣
 
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ダメなものは仕方無いです。気を取り直して先へ進むことにします。
写真は道路が廃線跡です。暫く直線が続きます。
 
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すると路面が舗装ではなくなりました。さぁ再び盛り上がって参りましたよ♪ 笑
 
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「いかにも」という道を進みます。線路跡まで草が占拠してなくて良かったです。
 
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すると・・・遂に出ました。トンネル発見です。しかし、、、
「た、立ち入り禁止?」 さぁ、どうしましょう。

今回はここまでです。ちなみにこの最後のトンネル、一応「立ち入り禁止」というのは
判っていたんですよねぇ。それにしても猛暑の筈なのにこの辺は妙にヒンヤリしています。
これはトンネルから出てくる冷たい空気によるもの。ということはこのトンネル、「貫通」
しているということになります。ちゃんとライトも持って来たけど・・・さぁどうしましょう。。。