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鹿島鉄道3 (茨城県/石岡-鉾田) その1

●データ 【所在地】茨城県石岡市~鉾田市 【運営キロ】27.2Km
【開業】1924年(大正13年)6月8日 【廃止】2007年(平成19年)4月1日
【魅力】過去の廃線跡巡りの中では最新の廃線跡。新しい廃線跡なので遺構の
数は文句無しですが、茨城空港の開港でやや減少しました。 【訪問日】11.01.10
 
●前回訪問から二年半、再びこの地へやって来ました。
基本的に「一度訪問した場所には再び向かわない」というのが
私のモットーですが、例外というのが2つだけあります。
 
それは「宿題を残した場合」と、「(廃線跡に)何かしらの変化があった場合」です。
今回のケースは後者、「変化があった場合」です。

ニュースにもなったので、ご存じの方も多いかと思いますが、
この「鹿島鉄道廃線跡」の付近に2010年3月、「茨城空港」が開港しました。
そしてなんと、この空港までのアクセス路線としてずっと空き地となっていた
「鹿島鉄道廃線跡」を再利用し、「バス専用道」として復活したというのです。

旧駅名でいうと「石岡」から5つ先までの「四箇村(しかむら)」までの
約5Kmがバス専用道となったそうですが、一体どのように変わったのか。
さっそく見て来ました。掲載は「 太平洋セメント専用線-2 」のように、
新旧画像を織り交ぜてお送りしたいと思います。では変化をご覧下さい。
 
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こちらはJR常磐線「石岡駅(水戸方面)」です。跨線橋上より前回
訪問時(08年11月1日)に撮影したものです。黄色い囲みが前回です。

 
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そしてこちらが今回、ほぼ同じ位置から撮影したものです。
かつてはここに、「かしてつ」のホーム(左側)がありました。

 
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そして反対側、土浦方面を見てみます。前回訪問時の写真です。
ちょうどこの下に、「かしてつ」のホームはありました。

 
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そして今回です。奥にある「洗車場」が無くなった程度で、特に変化はないようです。
 
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こちらはもう少し先へ進んだところで、前回のものです。
一部整地され、放置された廃線跡が奥まで続いていました。

 
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そして今回です。ここから以前とは違う光景が広がっていました。
どうやら、ここからバス専用道として生まれ変わったようです。

 
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ちなみにここは、「石岡一高下」停留所というそうです。始発はもちろん、
「石岡駅」からです。おや、枕木ですね。今はステップとして活躍中です。

 
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振り返って「石岡駅」方面を見ています。「バス専用道」なので、
このように各所に「遮断機」が設けられています。

 
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先へ進みましょう。こちらは数百メートル先へ進んだ橋梁跡です。
このような廃ガーター橋が架かったまま放置、残っていました。

 
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これがどうなったのかというと、こうなりました。やや撮影位置は
違いますが、完全に手直しされ、以前の様子は跡形もなくなりました。

 
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そしてこちらは、その近くにあった踏切跡です(石岡方面)。
当時は、このようにレールも一部現存している状況でしたが・・・

 
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今はこうなりました。撮影位置は変わっておりますが、同じ踏切跡です。
上の写真はこの写真、右手から左方面(石岡駅)を見て撮影しています。

 
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一旦、先ほどのガーター橋のあったところまで戻ります。
以前はこのような状況でした。萌え萌えな廃線跡でした(笑)。

 
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今はこのように生まれ変わりました。この場所でバス交換も行われる
らしく、道幅も広くなりました。これでは橋台跡が残る筈もありませんね。

 
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と、撮影をしていたら、さっそく路線バスがやって来ました。
これを見て思ったのですが、廃線跡とバスの幅って結構・・・

 
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シックリときてますね。と、見ていたら、向こうからも一台やって来て
行き違いをして行きました。時間通り、ピッタリ行き違いをしたようです。

 
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そしてこの踏切跡の先を見てみます。以前はこのように
線路を剥がした状態で、バラストも残っていたのですが・・・

 
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今はこのように大変貌を遂げました。廃線マニアとしては、再び日の目を
見て良かったのと、そのままであって欲しかったのと、複雑な気分です。
 
以上です。次回はこの先、旧「東田中駅」跡までの旧線跡を辿って参ります。


 

鹿島鉄道3 (茨城県/石岡-鉾田) その2

●「廃線跡がバス路線として復活した」と聞き、その様子を見に再び「鹿島鉄道」の
廃線跡へ再訪問しています。今回は「鹿島鉄道」の駅でいうと「石岡南台-東田中」を
辿って参ります。前回訪問の画像は「黄色囲み」です。では続きをご覧下さいませ。
 
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こちらは旧「石岡南台」駅で、前回訪問時の写真です。
非常に「立派な駅」だった印象があります。そして今はというと・・・

 
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ほぼ同位置からの撮影です。殆ど変っていないようです。
相変わらず跨線橋も入れないようになっているようです。

 
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では早速中へホーム跡へいってみましょう。以前はこのように、
レールのみが無くなったような状態でしたが・・・

 
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このように、綺麗な舗装道路と生まれ変わりました。廃線マニアとしては
複雑な思いですが、ここはあえて「復活おめでとう」と祝いたいと思います。

 
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こちらはホーム上から石岡方面を眺めた絵です。こちらも、
レールさえあれば現役なのでは、と思えるような光景でした。

 
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そして今回の絵がこちらです。綺麗になりました。しかし良く考えたら、
「ホーム下は道路」って変ですね。かつて訪問した「 筑波鉄道を思い出しました。
 
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ここから少々石岡方面へ戻ったところに、高架橋があったのを
思い出し行ってみました。以前はこのような状況でしたが・・・
 
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今はこのようになっていました。ガードレールやフェンスが新たに取り付けられ
綺麗になりました。しかし良く見ると、以前の柵も右側に残っているようです。
 
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では駅を出ましょう。こちらは「石岡南台駅」を500mほど進んだ
廃線跡です。当時は廃線跡丸出しで、個人的には大好きな絵でしたが・・・

 
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今はこうなりました。何と、新たなバス停が新設されていました。
「大谷津南」という名のバス停として生まれ変わったようです。

 
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そして同じ場所から「鉾田方面」を見ます。以前はこのような
草ボウボウ、廃線跡丸出しの状態で、レールも残っていましたが・・・
 
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これまた見事な変わり様で、完全にバス専用道と変わっていました。
すぐ先にもバス停がありますが、あそこは「南台三丁目」のようです。

 
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次へ参ります。次は元々駅のあった場所、「東田中駅」跡です。
現役線ではないのか?と錯覚するほどの遺構ぶりでしたが・・・

 
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今回訪問したら、こうなっていました。レール、バラスト、枕木、そして僅か
ですが路盤跡までも削られていました。駅のあった場所まで行きましょう。

 
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以前はこのような状態で、駅跡も完全に残った状態でした。
駅手前には距離標も残り、非常に錆びたレールが印象的な駅でした。

 
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そしてこちらが現在です。駅が丸々ごっそり無くなってしまいました。
ただ、バス停名は当時を引き継ぎ、「東田中駅」のままとなっています。
 
第二回は以上です。次回は最終回で、今回復活した「四箇村駅」までを
辿って参ります。また、オマケでその先の二つの駅を訳あって追加します。

鹿島鉄道3 (茨城県/石岡-鉾田) 最終回

●「茨城空港」のアクセス路線を任され、「バス路線」として
復活を遂げた「鹿島鉄道」の廃線跡を検証しています。
今回が最終回で、今回復活を遂げた残す最後の部分、
「玉里駅」から「四箇村駅」までを辿って参ります。
また、オマケとして前回印象に残っていた「桃浦駅」と、
震災の影響を
受けたという「鉾田駅」を再訪して来ました。では続きご覧下さい。
 
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「石岡駅」を出て3.6Km先にある「玉里駅」へやって来ました。
前回訪問時の状況はこうでした。全てモノが残っている感じでした。

 
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そしてこちらが今回です。バス停ができ、全く違う場所へと変化しました。
周りの景色と照らし合わせることで、ようやく同じ場所だと認識できます。

 
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こちらは同じ「玉里駅」から鉾田方面を見た写真です。
線路は更に先へ続き、信号機も残っていました。

 
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そして今回です。前回よりもやや「引いた位置での撮影」となりますが、
同じ場所だということが分かると思います。綺麗になりましたねぇ。

 
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次は「新高浜駅」です。ここもやはり駅ホームなどが全て残り、
ほぼ手つかずの状態でした。そしてバス開通後はというと・・・

 
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こうなりました。駅は無くなり、「新高浜駅」というバス停が出来ました。
比較してみると、どうやら線路上に土を盛られ、均(なら)されたようです。
 
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そしてバス路線へと変わった最後の駅、「四箇村駅」へとやって来ました。
今更ですが、「しかむら」と読みます。駅跡はこのような状態でした。
 
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そしてこちらが今回です。やはりここも駅ホームがごっそりと無くなり、
バス交換ができるスペースが造られています。バス停名にも注目です。

 
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以上、ここまでが「バス路線」へと転換・舗装された区間のご紹介でした。
ではこの先の部分はどうなっているのでしょうか。前回はこうでした。

 
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そして今回です。ほぼ、前回そのままの姿を保っていました。
ちなみにこの先は、元々レールを外されていた区間です。
 
以上で「バス路線」へと転換された区間のご紹介は終わりとなります。
これ以降はオマケで、前回訪問時に印象に残った「桃浦駅」と、少々嫌な
噂を耳にした「鉾田駅」へと向かいます。ではまずは「桃浦駅」からご覧下さい。
 
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久々、2年9カ月ぶりの「桃浦駅」です。当時から変わった様子は無く、
何故か安心しました。いいでしょう、この光景。隣はすぐに霞ヶ浦の湖面です。

 
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ただ、少々変わったところもありました。例えばコレ。一目瞭然です。
いったい何処へ行ったのでしょう? 盗まれたのでなければいいのですが。

 
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こちらは「桃浦駅」東側、「鉾田駅」へと続く廃線跡です。
未だに「信号機」は健在でした。そして次は「鉾田駅」へと向かいます。

 
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さっそく「鉾田駅」へ到着しました。と同時に、即、驚愕のシーンを
目にすることに・・・その「崩壊した」というウワサは本当でした。。。

 
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何ということでしょう・・・ここに居たハズの「 キハ601 」クンも居なくなって
いました。これはもちろん、「東日本大震災」の影響を受けたものでした。
 
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なんということでしょう、両端のホームはぐにゃりと曲がり、直線部分は
皆無に等しい状況でした。中央のレールさえも傾いている状況です。

 
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ホーム反対側(西側)へと回ります。こちらが前回の写真です。
奥には「キハ601」クンも居て、静かに余生を過ごしていました。

 
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そしてこちらが「震災後」の写真です。こちら側は荒れ果て、全体が見辛く
なっていますが、ホームが歪んでいるのが分かると思います。残念です。
 
これまでは、どなたかが手入れをされていたのでしょう。
しかし今回の状況を見て、それは途切れてしまったと予測されます。

正直、こんなところよりも他に直すところはたくさんある訳で、
ひょっとしたら今後はもうずっとこのままかも知れません。
できることなら、最後の最後で構わないので・・・(順番が)
回ってきて欲しいものですね。以上、かしてつ再訪のレポートでした。

わたらせ渓谷鉄道旧線 (栃木県/神戸-沢入)

●データ 【所在地】群馬県みどり市 【運営キロ】7.5Km
【開業】1912年(大正元年)11月11日 【廃止】1973年(昭和48年)6月27日
【魅力】草木ダム建設により水没のため廃線に。
神戸側より探索。分岐点直後の廃線跡は判別難所ですが
トンネル以降は遊歩道化されています。【訪問日】08.10.13

●「わたらせ渓谷鉄道」。実は以前の探索でも登場したことがあります。
足尾線 」で登場しました。この時は「わたらせ~」の北側の終点、
「間藤駅」から北に続く廃線跡の旧「足尾本山駅」までを探索しました。
しかしこの「わたらせ~」、実は営業中の路線にも廃線跡は存在したのです。

それは途中にあるダムが理由。そのダムの名前は「草木ダム」。
そしてこのダムが建設される際、「わたらせ~」の一部がダムに沈むことに。
そのため一部路線変更を余儀なくされることとなり新線を建設、
そしてこの時に新たな廃線跡が生まれたのでした。今回はこの時に生まれた
廃線跡、神戸(ごうど)-沢入(そうり)間の探索へと向かうことにします。
 
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今回は電車で移動。両毛線を使って桐生まで出て、わたらせ渓谷鉄道に。
都会では見られない車内の様子に驚きました。というのも・・・
 
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目的地へ着いたら乗るのでしょう、一緒に自転車を積んだ乗客が居たり、
車掌さんが沿線のパンフレットを配りに来たり・・・ローカル線ならではの光景です。
 
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「神戸」到着です。ちなみに「こうべ」ではなく、「ごうど」と読みます。
この駅には廃車両を利用したレストランがあります。
 
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このレストランで「カツカレー」を食べ、歩いて足尾方面へ向かいます。
写真はわたらせ渓谷鉄道をオーバークロスする道路上から撮影。
 
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旧線と新線の分岐点地点までやってきました。
旧線は左へ折れることなく、まっすぐに進んでいたようです。
 
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この道路の左側を少々高い位置で走っていたようです。左側の石積みは
当時の築堤跡でしょうか? この先にトンネルが見えてきました。
 
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「草木ダム」建設により役目を終えた「琴平隧道」です。しかしこのトンネル、随分と
入口が高い所にありますが、これは築堤(?)が削られてしまったためでしょうか?
 
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入口全体図です。ご覧のように短いトンネルです。
トンネル出口には、落石防止用のロックシェードが見えます。
 
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トンネル内部。下調べではSLが走っていた頃の「煙の煤(すす)」が残って
いるとのことでしたが正直、良く分かりませんでした。カビにも見えるし・・・。
 
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私の好きなショット、トンネルの内側から外を望みます。
失われてしまった築堤を含め、なんとなく線路跡が浮かびませんか?
 
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外へ出ました。即ロックシェードが廃線跡を覆います。
 
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廃線跡は少し登りながら緩やかに右へ。遊歩道化されております。
 
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するとこんなモノを発見。これは草木ダム建設の際、
迂回線として一時的に渡良瀬川を渡った時の橋梁の遺構と思われます。
 
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今回、時間の都合もあり探索は行いませんでしたが、対岸にある
トンネルがそれを証明しております。行き先は・・・湖底です。汗
 
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更に進むと「草木ダム」が見えてきました。廃線跡も当然終了。
ここからはダムを見るため、左右へと続き高度を稼ぐ遊歩道を登ります。
 
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ゼーハーゼーハー。下から見た限り、それ程高いところにあるようには
見えなかったのですが・・・やっと「草木湖」到着です。づ、疲れました。。。

距離的には推定 500m少々と、これまでで一番短い探索だったでしょう。

この「草木ダム」建設のために廃線となった距離は約 7.5km。
ちなみに今回探索はしませんでしたが、ダムに沈んだ反対側(沢入駅側)路線も
早い段階に"水の中"のようで、殆どの部分がダムに沈んだようです。
ちなみに以前もちょびっとだけご紹介しましたが実は私、半"ダムフェチ"。
高い所が苦手なクセに高い所ばかりのダム、矛盾してますが好きなんですよね(笑)。

長野電鉄木島線(河東線)1 (長野県/信州中野-木島) 前編

●データ 【所在地】長野県中野市~飯山市 【運営キロ】12.9Km
【開業】1925年(大正14年)7月12日 【廃止】2002年(平成4年)4月1日
【魅力】まだ廃線としては新しいものの、夏場では雑草等が生い茂り行く手を阻む。
 一部は道路化されたが、それ以外では廃線跡を辿るのは容易。 【訪問日】08.09.20


●今回の訪問地は長野県にある河東(かとう)線。地元の方々には木島線とも呼ばれて
いました。この長野県、一口に長野県と言っても都道府県面積第 4位、広いんです。

訪問したのは富山県や新潟県に近い北部にある飯山市。この辺りは冬は大雪に
見舞われるため、冬季の探索はNG。ということで 9月に訪問してみた訳なのですが、
この暖かい(暑い)季節、探索にツキモノなのが「雑草」。ただ、そんなことはある程度
覚悟しているものなのですが、予想外に多くの雑草が私の体力を奪い大変なことに・・・。

今回の探索予定は徒歩で約13km。日頃から体力づくりもしてきたつもりでしたので、
このくらいの距離ならば問題はないだろうと思っていたのですが・・・
しかし「雑草」に加え「暑さ」が容赦なく私を襲います。大苦戦のレポートをどうぞ。
 
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早速ですが「飯山駅」に到着です。長野新幹線で長野まで出て、
飯山線で揺られること45分、20km先となるこの場所までやってきました。
 
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駅を降りて辺りを見回すとこのようなものが。
この時は分かりませんでしたが、後々探索中で答えが出てきました。
 
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千曲川の土手まで出てきました。まず目に入ったのがコレ。どう見ても
スキーのジャンプ台のようです。帰宅後調べたら「飯山シャンツェ」といそうです。
 
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最初の目的地「木島駅」を目指します。「これが千曲川か・・・」
・・・などと言いつつ、予想以上に距離があり、既にクタビレ状態です(苦笑)。
 
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途中の「セブンイレブン」で簡単にメシを食って遂に「木島駅」到着。
予想外に広い敷地で少々面食らいました。
 
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バスターミナルとしても使われていたそうです。それは広い筈です。
今でもバスが数台停まっていましたが、発着しているのでしょうか?
 
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そして裏手へ回り、遂に河東線ホームと対面・・・「なんですか、コレは?」。
ご覧のように雑草だらけで、とても先へ進めるような状況では無く・・・
 
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脇にあった道路に沿って進みことにしました。
駅を出て数百メートル、ずっとこんな調子でした。
 
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ちなみにレールは全て撤去されてありません。
ただ踏切部分にレールは残っています。嬉しいですね。
 
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更にこの先も写真のような「ジャングル状態」が続きます。
架線柱に絡みつくツタも前回の「太平洋セメント専用線」同様、凄いです。
 
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レールはありませんが、バラストは残っております。
時折、写真のような鉄道施設も残っております。
 
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旧「信濃安田駅」まであと200mほどかというところで、
ようやく歩き易くなってきました。誰か手入れでもしたのでしょうか?
 
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左上から、「踏切跡」に「アスファルトの中に眠るレール」、
「落ちてしまった進入禁止札」に小さな「橋台跡」です。
 
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緩いカーブ、奥の左側に「信濃安田駅」はあった筈です。
 
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しかし駅の手前はこのような状態、駅があったであろう場所も
今は空き地で何もありませんでした(残念ながら写真を撮り損ねる)。
 
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しかし「駅があったであろう場所」から前方を見ると・・・出ました。
木島線唯一のトンネルがデーンと待ち構えています。

以上、河東線前半戦でした。ご紹介した木島駅から信濃安田駅までは僅かに 1.5kmほど
でしたが、今思えば道を駅を見失い探してしまった(おばちゃんに聞いて到達。有難う!)
こともあって既に 4km以上は歩いていました。

ということで、後半では完全に体力切れ&更なる「ハプニング」で、かなりヤバい
状態となってしまいます。さてどんなハプニングだったのでしょうか。。。
後半は河東線唯一となるトンネルのシーンから再開致します。