秩父鉱業専用線 (埼玉県/高坂-高本) 前編
【廃止】1984年(昭和59年)7月31日 【魅力】最大の見所は「関越道」上に
架線柱の残る橋梁か。最寄駅、高坂からは廃線跡探索は容易ですが、
橋梁以降は危険箇所が多く探索注意です。 【訪問日】09.02.14
●関越道を東京方面から北上し埼玉県入り、そして「高坂サービスエリア」を過ぎると
「東松山インター」の手前に「架線」の残っている妙な橋が掛かっているのを
「あんな所に電車なんて走ってたっけ?」と感じた方もおいでかも知れません。
実はここが今回のターゲット。私も随分と前から気にはなっていましたが、
ようやく対面する日を向かえました。もちろん暦(れっき)とした廃線跡であり、
今でも所有者に年に一度は掃除をされているそうです。では行ってみましょう。

東武東上線「高坂駅」にやって来ました。ここを起点に北へ向かいます。

「高坂駅」を出ると廃線跡は緩やかに登りながら左へと折れます。
廃線跡らしきスペースはありますが、遺構は見つけられませんでした。

もう少し進むと廃線跡はよりハッキリとしてきます。画面右、

少々進んで振り返って撮影。こちらの絵の方が廃線跡っぽいでしょうか。

先を見れば、もうこちらは完全に廃線跡です。

それにしても本当に手入れが行き届いていて、芝と見間違えそうです。

暫くはこのような状態なので、廃線跡を辿るのは容易です。

県道344号線と合流します。200mほど併走します。

その後は緩やかに登りながら左へ折れ、県道と別れます。

「関越道」へ随分と近づいて来ました。辿り易かった廃線跡もここまでとなります。

いよいよ例の「架線付き橋梁」へ到達致します・・・が。
後ろに目的地が見えているのに、ここは私有地です。
ということで、アプローチポイントを探してみたのですが・・・

藪が酷く接近不可、こちら側からは断念し反対側へ回ることにします。

どんどん進みますが・・・だんだん進路が険しくなってきました。
「ひょっとしたら、さっきの方がマシだった」とも思い始めました。
これが額などに接触・刺さって初の「流血」という事態に・・・。超滝汗
初の流血探索でした。腕は引っ掻き傷で血が滲み、額は数滴ですが
そして時間の関係もあり、決断を迫られます。さぁ、どうする!?
秩父鉱業専用線 (埼玉県/高坂-高本) 後編
目的地の「架線付き橋梁」まであともう少しというところでしたが、予想以上の悪路に

前方はこんな状態で(右方面が廃線跡、左側は崖)ここは仕方無く

これまで辿った悪路を戻るのも辛かったです。気を取り直し再出発、
"架線橋梁"から西へ約 1km、こんな場所を発見しました。

反対側へ行くとこれまでの悪路がウソのように綺麗な廃線跡が。しかしここには

更に先へ進むとこんな場所が。こんな場所があったとは・・・。

もちろん登ります(笑)。久々の廃線跡を探索している気分です。
短い橋梁に右へ曲がる緩やかな築堤。タマりませんねぇ(笑)。

少々「架線橋梁」方面へ戻ると、今度はコンクリート製の橋梁を発見。

更にその先にはこのような廃線跡が。しかし先ほどの藪がウソのように

これは架線柱でしょうか。コンクリート製だったようです。
それにしても本当に綺麗な廃線跡です。良く手入れされています。

では先へ進みます。そこで振り返って撮影しました。廃線跡は間もなく終点を迎えます。

この先、終点地点は私有地化されておりました。
「この先行き止まり」の文字も。さすがに進入(侵入?笑)はせず。
「架線付き橋梁」へと向かうことにしますが、問題はアプローチポイント。
先ほどのルートは厳しいことが分かったし、もう行くつもりもありません。
そして考えた結果、出来る限り近くまで行って築堤脇からのアプローチを
「こんな脇道があったのね」。む、ムダな血を流してしましました・・・。泣

脇道から築堤を登りようやく廃線跡へ。ここへ辿り着くのにどんなに
苦労したことか・・・涙。目的地の「架線付き橋梁」はもうスグソコです。
ちなみに廃線跡は左の平地部分では無く、黄色線の部分です。

で、出ましたっ!つ、遂に到着致です。本当にここまでの道のりは大変でした。
「予習不足だよ」と言われると、返す言葉もありませんが。。。

橋上はこんな具合でした。無理をすれば入れそうですが、
高速道路上からであれば簡単に撮れるのですけどね。^^;
ちなみに流血を伴ったこの探索、帰宅後に額の傷を確かめたところ、
長さ 1cm・深さはごく浅いものでした。そりゃすぐ血は止まりましたからね。
しかしアノ「トゲトゲ」のある「イバラ」はタマに見るし、今後は気を付けなきゃね。
上武鉄道 (埼玉県/丹荘-西武化学前)
【廃止】1986年(昭和61年)12月31日 【魅力】遊歩道化されるなど、
廃線跡は全て残っており、この跡を辿るのは容易。しかし遺構が少なく
変化に乏しいため少々退屈かも。初心者には最適。 【訪問日】09.02.14
ということで埼玉県のほぼ最北端(最北端は上里町)、神川町へやって来ました。
参考までにこの路線は性質上、「 熊谷線 」で別名「妻沼線」と言われたように、
ここでも地元の人々に別名「日丹線」や「ニッケル線」と呼ばれたようです。
またこの廃線跡は遊歩道として整備されている部分が多く、探索し易い場所です。

JR八高線、「丹荘(たんしょう)駅」北口へやって来ました。
参考までにこの次の駅(北側)は隣県・群馬県の「群馬藤岡駅」となります。

南側へ移動しました。画像の部分が上武鉄道のスペースでした。
今でも手入れをしているのか、雑草やゴミは無く綺麗な状態でした。

「丹荘駅」北側、JR八高線との分岐点です。
ご覧のように左へ緩やかに折れていきました。

では現役時の「丹荘駅」を恒例、空撮画像で検証してみましょう。
南側には貨物らしき車輌が多数停まっているのが見えます。

ではそろそろ「丹荘駅」を離れることにしましょう・・・と、思ったら
ナント素敵な置き土産が。しかし何故ここにポツンと一つだけ?

では先へ進みます。駅を出ると、廃線跡は道路へと変わります。
そして廃線跡らしく、緩やかに左へと折れて行きます。

このカーブで90度以上左へ曲がります。
ただ、ご覧のようにそれほど急カーブという印象は受けません。

緩やかなカーブが終わり暫くすると、遊歩道となります。
廃線跡の利用法として非常に多いパターンです。

ここからほぼ「終点」まで遊歩道が続きます。
しかもほぼ直線のため、間違える可能性は限り無くゼロに近いです。

駅跡を発見。正直、予習不足でノーマークでした。^^;
「神川中学校前駅」ですか。しかし随分と短いホームですね。

このような解説が書かれていました。

では先を急ぐことにします。遊歩道は終了し、今度は道路となります。


遂に遺構発見です。私の探索した限りではここが唯一の
レール付き踏切跡だと思います。間違っていたらスミマセン。。。

再び駅跡発見、「寄島駅」跡です。ただ、行き先表示に「あおやぎ(青柳駅)」と

さぁ探索も終盤戦です。ガーター橋を発見しました。
間から生えている木が年月を感じさせます。

更に終点近くにはもう一つガーター橋を発見。
この先、終点部分は私有地となるため探索はこれで打ち止めです。

非常に良く整備された廃線跡でした。「丹荘駅」から最後の「ガーター橋」までは
奥多摩湖ロープウェイ (東京都/かわの-みとうさんぐち)
【廃止(休止)】1966年(昭和41年)1月 【魅力】休止から相当の年月が経過するも、
ほぼ当時のまま放置されている。ただし、事実上は立入禁止。
アプローチルートも厳しく注意が必要。 【訪問日】08.11.24
●前回、「 水根貨物線-3 」と同日のレポートです。
この探索が予想外に早く終わってしまったので、以前から気になって
この私、以前より申しておりますように「廃線フェチ」でもあるとともに、
「廃道」や「廃墟」などの【廃フェチ】でもあるのです。
ということで以前から、この近くにある半廃墟のロープウェイに
「いつか行こう」と決めておりました。そんなワケで今回は、
廃線から少々離れて「廃墟」&「廃ロープウェイ」を番外編としてご紹介致します。

天候が心配でしたが、遂にポツポツとき始めてしまいました。先を急ごうと
思いましたが、ナント「正規ルート」では跳ね返されてしまい約20分のロスに。
何とか「ウラルート」を見つけここから攻めることにします。

さっそくありました、鉄塔発見です。しかしこの廃ロープウェイ、
実は休止扱いなのにウン十年も放置されたまま。どういうことでしょう。
それにしても既に半・本降りの雨で、足場が急速に悪くなり始めました。

到着しました。居ました、居ました。「ネットで見たまま」です。
ちなみに正面からは入れないので、裏口から入ることにします。

思わず「裏口」と書いてしまいましたが、本当はここが入口なんですよね。

どうやらこれは改札のようです。運営期間は僅かに4年という
ことですが、一体何人の人がここを通過したのでしょうか・・・。

改札を通過すると、下へ降りる階段が現れます。実は先ほどから

広い空間に出ました。恐らくこの部屋は一般者は立入禁止だったのでしょう。
機械室のようで、大きな歯車があったりします。

こちらがその歯車です。もちろんケーブルワイヤを動かすためのものでしょう。

操作室です。良く見なかったのですが、
見たところで、分からないだけでしょう(笑)。

操作室からの風景です。いやぁ、良く見渡せますね。
外には「くもとりくん」が待機中です。「今行くからねー」

ご紹介が遅れました・・・ここは「かわの駅」といいます。
「かわの駅」を出て、奥多摩湖を越えると終点「みとうやま駅」に到着です。

ネットで見た「くもとりくん」が今、目の前に・・・感動です。
ちなみに「みとうやま駅」には「みとうくん」が居るらしいです。

今回は時間の都合や雨も降っていますので「みとうやま駅」には

「OKK」って・・・。ひょっとしたら証券コードでいう
「6205」の会社のことでしょうか。違ったらスミマセン。

恐らくこちらは「みとうくん」の指定席なのでしょう。
もう二度と納まることはないのでしょうか・・・。
これから戻らなければいけませんが、足元に気を付けねば・・・。
ということで番外編、「奥多摩湖ロープウェイ」は以上となります。
ぶっちゃけ、「廃墟マニア」の方は殆どの方がご存知と言っても
東武熊谷線(妻沼線) (埼玉県/熊谷-妻沼) 前編
【開業】1943年(昭和18年)12月5日 【廃止】1983年(昭和58年)6月1日
【魅力】熊谷駅から出発すると、前半戦は廃線跡丸出しで魅力たっぷり。
その後は遊歩道化され、確実に廃線跡は消えつつあるが容易に辿れる。
【訪問日】08.11.16
●埼玉県北部に位置する熊谷市。「暑さ」でも有名なこの街ですが、
もちろん「暑さ」ではなく「廃線」の探索でやって来ました。
この「熊谷線」、正式には「東武熊谷線」と言いますが、
地元の人々には「妻沼線」とも呼ばれていました。
それにしても探索した結果、熊谷寄りには意外にも多くの遺構・・・
というか、当時のまま放置されていることが分かりました。
前編ではこの数多くの遺構が残る部分、「熊谷駅」から現在線の

「熊谷駅」南口へやってきました。写真は秩父鉄道ですが・・・
思わず懐かしさのあまり写真に収めました。私がガキの頃には(歳が

さっそく熊谷駅を離れ、「廃線跡の始点」部分へやって来ました。
写真手前から二本目、ポイントで分岐し盛り土をされている部分が
廃線跡の始まりだと思われます。間違ったら・・・すみません。

廃線跡は説明しなくともお分かりですね。
他ちなみに右二本は「高崎線」、左は「秩父鉄道」のレールです。

踏み切り部分です。こちらも一目瞭然、手前から二本目が廃線跡です。
見た感じですが、アスファルト部分には恐らくレールは無いと思われます。

秩父鉄道の「上熊谷駅」です。なぜここへ来たのかというと・・・

「熊谷線」の停車駅でもあったからです。秩父鉄道との共有駅でした。
現在、「熊谷線」だったホーム側(手前側)には柵が張られています。

「熊谷線」のレール上に立ちました。

「上熊谷駅」を出て、「高崎線」と分かれる地点へ来ました。
右へ折れて行く二本が高崎線です。しかし見事な廃線ぶりです。

振り返って撮影します。判り辛いのですが陸橋の向こう側、小さく見えるのが
先ほどの「上熊谷駅」です。ちなみに右側の高架線は「上越新幹線」です。

この辺りは廃線跡のレールの間が土で埋まり、これが植木鉢替わりに。

この辺りも素晴らしい廃線跡です・・・「あぁ、美しきかな廃線跡」。

「秩父鉄道」との分岐点へやって来ました。ここで「熊谷線」は右へと折れます。
ちなみにこの部分にはレールがまだ残っています。薄っすらとありますが分かります?

秩父鉄道と分かれてからは遊歩道、「かめのみち」として復活しています。
どうして「かめのみち」というのか。詳しくは後編にてご紹介致します。

「かめ号」と書かれていますが、これは当時の車両の愛称です。
※実はこれ、トイレでは無く、どうやら休憩所のようです。
「猫が好き♪」様よりご指摘頂きました。有難うございました。
前編は以上です。
後編ではこの先、「高崎線」とのオーバークロス部分から始まり、
「大幡駅」、そして終点の「妻沼駅」までの探索を行います。
そして伝説の「かめ号」との出会いも!?