東武熊谷線(妻沼線) (埼玉県/熊谷-妻沼) 前編 | 廃線跡訪問記 ブログ版

東武熊谷線(妻沼線) (埼玉県/熊谷-妻沼) 前編

●データ 【所在地】埼玉県熊谷市 【運営キロ】 10.1Km
【開業】1943年(昭和18年)12月5日 【廃止】1983年(昭和58年)6月1日
【魅力】熊谷駅から出発すると、前半戦は廃線跡丸出しで魅力たっぷり。
 その後は遊歩道化され、確実に廃線跡は消えつつあるが容易に辿れる。
【訪問日】08.11.16


●埼玉県北部に位置する熊谷市。「暑さ」でも有名なこの街ですが、
もちろん「暑さ」ではなく「廃線」の探索でやって来ました。
この「熊谷線」、正式には「東武熊谷線」と言いますが、
地元の人々には「妻沼線」とも呼ばれていました。
それにしても探索した結果、熊谷寄りには意外にも多くの遺構・・・
というか、当時のまま放置されていることが分かりました。
前編ではこの数多くの遺構が残る部分、「熊谷駅」から現在線の
「高崎線」をクロスオーバーする前までをご紹介します。
 
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「熊谷駅」南口へやってきました。写真は秩父鉄道ですが・・・
思わず懐かしさのあまり写真に収めました。私がガキの頃には(歳が
バレますが・・・)この車両ばかりでした。あとは緑とか水色とかね(笑)。
 
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さっそく熊谷駅を離れ、「廃線跡の始点」部分へやって来ました。
写真手前から二本目、ポイントで分岐し盛り土をされている部分が
廃線跡の始まりだと思われます。間違ったら・・・すみません。
 
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廃線跡は説明しなくともお分かりですね。
他ちなみに右二本は「高崎線」、左は「秩父鉄道」のレールです。
 
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踏み切り部分です。こちらも一目瞭然、手前から二本目が廃線跡です。
見た感じですが、アスファルト部分には恐らくレールは無いと思われます。
 
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秩父鉄道の「上熊谷駅」です。なぜここへ来たのかというと・・・
 
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「熊谷線」の停車駅でもあったからです。秩父鉄道との共有駅でした。
現在、「熊谷線」だったホーム側(手前側)には柵が張られています。
 
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「熊谷線」のレール上に立ちました。
駅の「柵」さえ無ければ、恐らく当時のままの光景でしょう。
 
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「上熊谷駅」を出て、「高崎線」と分かれる地点へ来ました。
右へ折れて行く二本が高崎線です。しかし見事な廃線ぶりです。
 
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振り返って撮影します。判り辛いのですが陸橋の向こう側、小さく見えるのが
先ほどの「上熊谷駅」です。ちなみに右側の高架線は「上越新幹線」です。
 
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この辺りは廃線跡のレールの間が土で埋まり、これが植木鉢替わりに。
 
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この辺りも素晴らしい廃線跡です・・・「あぁ、美しきかな廃線跡」。
 
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「秩父鉄道」との分岐点へやって来ました。ここで「熊谷線」は右へと折れます。
ちなみにこの部分にはレールがまだ残っています。薄っすらとありますが分かります?
 
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秩父鉄道と分かれてからは遊歩道、「かめのみち」として復活しています。
どうして「かめのみち」というのか。詳しくは後編にてご紹介致します。
 
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こちらは列車を象った「トイレ」です。
「かめ号」と書かれていますが、これは当時の車両の愛称です。

※実はこれ、トイレでは無く、どうやら休憩所のようです。
「猫が好き♪」様よりご指摘頂きました。有難うございました。


前編は以上です。
後編ではこの先、「高崎線」とのオーバークロス部分から始まり、
「大幡駅」、そして終点の「妻沼駅」までの探索を行います。
そして伝説の「かめ号」との出会いも!?