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東武熊谷線(妻沼線) (埼玉県/熊谷-妻沼) 後編

●遺構の数多く残った前編から一転、後編では遺構の数は極端に少なくなりますが、
 「廃線跡」だけは確実に残っており、辿ることは容易です。
 後半部分の廃線跡は道路化されてしましたが、終点の「妻沼駅」では
 「劇的」な出会いが待ち受けていました。さてその「出会い」とは? (大袈裟か 笑)
 
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引き続き遊歩道化された「かめのみち」です。
現在でも多くの人たちが生活道路として利用していました。
 
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「高崎線」とのクロスオーバー地点です。現在では殆ど崩されてしまいましたが、
この辺りは築堤でした。「クマガヤ」の文字に見覚えある方も?
 
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小さな橋梁跡(?)が残っていました。もう少々土が盛られていたとは
思いますが、この上をトコトコと「かめ号」が走っていたワケです。
 
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では恒例の空撮です。一目でどう変わったのかが解ると思います。
現在では「平ら」な廃線跡も、以前はこのような築堤だったのです。
 
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高崎線を超えて反対側へ来ました。実は熊谷線の廃線跡には
このような鉄道用の柵を随所で見かけることが出来ます。
 
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国道17号線とのオーバークロス地点へやって来ました。上記写真の
右上の地点です。この上を走っていたのですね。何だか不思議です。
 
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暫くすると、このような案内板が見えてきました。「かめのみち」の由来です。
見えますよ、ね?こういった理由だったのです。ま、想像はつきますが(笑)。
 
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「かめのみち」が終わると、暫くはこのような空き地状態となりますが、
人々の往来は多く、寂しい感じは全くありません。
 
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このような看板を見かけました。「東武熊谷線跡地 緑道整備事業」と
書いてあります。それにしてもこの看板、随分と古いようですが。
ぶっちゃけ、ウワサには聞いてましたが、全然進んでませんよね?

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ここで少々早いのですが、「大幡駅」と、終点「妻沼駅」の空撮画像です。
大幡駅には当時を匂わすものは残されておりませでした。
ご覧のような住宅地でした。妻沼駅についてはまた後ほど・・・。
 
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こちらが大幡駅跡です。「熊谷バイパス」下から撮影しました。
右側が駅跡ですが、残念ながらご覧のような住宅街となっておりました。
 
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この辺りでは、唯一「廃線後、手付かず」とされている廃線跡です。
・・・確かに。この道幅と雰囲気は「そのもの」のようです。
 
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その後は一般道へと変貌しておりました。実は廃線跡が一般道へと
変わってから、ずっと妙な光景が続いていました。それは何かというと・・・
 
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廃線跡に面した家々が「決して廃線跡には玄関口を設けていない」ことです。
これは現在においてもこの土地の所有者が「東武鉄道」にあるためだそうです。
ということは、まだ将来的に「復活」の可能性もあるという解釈で良いのでしょうか?
 
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「旧妻沼駅近くに列車が保存されている」というので行ってみました。
居ました、居ました、「かめ号」ちゃん。ただし、中には入れませんでした。
 
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ご覧の通り「由来」です。それにしても「特急カメ号」とは面白いですね。
ちなみに10kmを17分とすると・・・時速35km/h。確かに遅いですね。^^;


以上「東武熊谷線」の探索レポでした。文中にも記しましたが
この熊谷線跡の敷地は、現在においても東武鉄道の所有地です。

何故ずっと売却もせず温めているのか。妙ですよね。
ひょっとすると本当に「復活」の線もあるのでしょうか?
そこで少々調べてみました。実は当初の計画では「熊谷」から利根川を渡り、
「西小泉」までの接続を計画していたようでした。

結局、熊谷線は利根川を渡ることなく廃線を迎えてしまいますが、
ここ最近になって実際に「再計画」の話が浮上しているというのです。

これは近くを走る国道の渋滞緩和や、地球環境等にも憂慮されるという
観点から再び話が持ち上がっているというのです。
今後はどうなるかは分かりませんが、廃線跡を見る限り「復活」させるのは
敷地は確保されているので比較的容易に映りました。どうなるのでしょうね。

鹿島鉄道1 (茨城県/石岡-鉾田) 前編

●データ 【所在地】茨城県石岡市~鉾田市 【運営キロ】27.2Km
【開業】1924年(大正13年)6月8日 【廃止】2007年(平成19年)4月1日
【魅力】過去の廃線跡巡りの中では最新の廃線跡。新しい廃線跡なので
 遺構の数は文句無し。駅も一部を除き、ほぼ全て残されておりました。 【訪問日】08.11.01


●廃線跡訪問記では初の茨城県上陸です。そしてもう一つ「初モノ」が。
それは廃線跡の総距離で、27Kmと過去最長。駅数もあるので
「これは一日では
回れないだろう」と、最初から 2日に分けての探索にしようと決めました。
 
そしてこの「鹿島鉄道」ですが、まだ新しい廃線跡ということもあり期待通り、
多くの遺構が残っておりました。ただし中には、事前の調査では「あったものが無かった」
というケースもあり、廃線後の整備も確実に進んでいるようです。

探索 1日目のこの日は、「石岡駅」から「浜駅」までの探索です。初めて訪れた「霞ヶ浦」も
綺麗でした。ちなみに2009年1月、フジテレビで放映された「コードブルー」というドラマでは、
電車事故を再現するために、この鹿島鉄道の廃線跡である「鉾田駅」がロケ地となりました。
 
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石岡駅です。黄色い線がレールのあったであろう場所です。
今は全くのサラ地となってしまいました。右を走るはJR常磐線です。
 
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では半「恒例」の空撮今昔画像です。駅の右側が「鹿島鉄道」ホーム。
ちなみに現在は、サラ地となってしまっております。また1974年の方で
右上に伸びる線、実はこれも廃線跡です。現在は跡形もありません。
 
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鹿島鉄道のホーム南側です。駐車場となっていました。
そして注目は車止め。枕木ですね。やはり当時のものでしょうか?
 
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さらに南へ行くと、このような草生した空き地が続いていました。
列車は前方に見える陸橋下をまっすぐに進んで行きました。
 
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左へ緩やかに折れる廃線跡です。イイ絵ですねぇ。
ご覧のようにバラストも残っております。そして反対側には・・・
 
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ガーター橋が残っていました。これはまた立派なモノを
残してくれました。いつまで残しておいてくれるのでしょうか。
 
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最初の駅、「石岡南台駅」へやってきました。どうです、この立派な姿。
まるで現役みたいでしょう? 実際に「駅前トイレ」は現役でした。
 
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更に駅構内はご覧のようにレールが無い程度で、保存状態は超良好です。
まさに廃線初期という感じ。どうやら複線の列車交換駅だったようです。
 
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少し「石岡駅」方面へ戻りました。この橋の下には道路が通っています。
 
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やや切り通しですね。素晴らしい「廃線跡」です。赤錆びたレールもグッドです。
 
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「東田中駅」跡へやってきました。こちらも立派にホームが健在。
レールさえ錆びていなければ、本当に「現役線」で通るかも知れませんね。
 
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次なる駅は「玉里駅」跡です。こちらも伏線の列車交換駅だったようです。
 
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四分割は左上から「国道355線脇に立つ駅案内」、
「列車時刻表」、「ポイント切替装置(?)」、「ポイント部分」です。
 
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こちらは「新高浜駅」です。それにしてもどこもホームは健在だし、
廃線跡のムードは丸出しで、もう廃線フェチにはタマリマセンね(笑)。
 
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この回最後の駅は「四箇村駅」跡です。「しかむら」と読みます。
こちらもホームは健在、今のところ「石岡駅」以外は全て健在ですが・・・
 
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ここでは、これまで続いてきたレールが遂に途切れてしまいました。
こ、これはもしや、次の駅は・・・? 嫌な予感がします。。。


探索一日目、前編は以上です。
後編では次の駅「常陸小川駅」から「浜駅」までをご紹介致します。
そして次回中盤からは「霞ヶ浦」のすぐ脇を走るため、景色も楽しめます。
時間帯も夕方だったため非常に綺麗でした。

鹿島鉄道1 (茨城県/石岡-鉾田) 後編

●探索初日の後編では、「常陸小川駅」から「浜駅」までをご紹介致します。
前編では探索開始直後の「石岡駅」以外は全ての駅でホームが健在しておりましたが・・・。
 
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レールが途切れ嫌な予感が・・・と思ったら、「常陸小川駅」は
残念ながらサラ地となってしまいました。かなり広い敷地を構えていたようです。
 
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で、どんな駅だったのかというと、1980年の空撮画像で確認。
ご覧のように「駅前広場」まである比較的大きな駅でした。
 
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「え~、次の停車駅は小川高校下、小川高校下です」なんて。
この駅、田畑の中にポツンとあった駅なのですが・・・
 
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それでも重要な駅であったということが思い知らされます。
正直、これを見た途端絶句・・・泣けましたわ(涙)。
 
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石岡方面へ少々戻り、事前にチェックしていたガーター橋へ。
ガーター橋の上に残る枕木の跡が哀愁をそそります・・・。
 
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さぁ次の駅です。こちらは「桃浦駅」跡です。ここからは「霞ヶ浦」の脇を
沿うように走りました。ちなみにこの絵、個人的には凄く好きな絵です。
 
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このような駅なので当然レールをまたいでホームまで行く訳で・・・。
 
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この付近は雑草も少なく、まるで現役線のように見えます。
 
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未だ「桃浦駅」跡に残る駅舎の風景・・・。湖面はもちろん「霞ヶ浦」です。
 
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ご覧のようにすぐ脇は霞ヶ浦。さぞ癒される車窓だったことでしょう。
 
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夕日に映える廃線跡。かなり陽が傾いてきました。
 
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次なる駅は、森の中にあるかのような「八木蒔(やきまき)駅」跡です。
 
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切り通しを左へ緩やかに折れる廃線跡。何度見てもイイものです。
 
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かなり日が暮れてきましたので、一日目の探索はこれにて終了とします。
最後は「浜駅」跡です。こちらもホームは健在、良い風景を見せてくれました。
 
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次なる駅は「玉造町駅」跡ですが、それは後日ということで。
残された時間を使って、線路上をもう少しだけ歩いてみました。
 
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少々登って切り通しを抜け、下ると「玉造町駅」です。しかし今日は
これにてサスペンデッド終了。囲み画像は有名な撮影ポイントらしいです。

以上、鹿島鉄道・一日目の探索でした。二日目ではもちろんこの先から終点、
「鉾田駅」までの探索へと向かいます。とにかく全てが「廃線跡丸出し」で、
しかも「霞ヶ浦」のお陰で景色もヨシと、大満足の探索一日目でした。

鹿島鉄道2 (茨城県/石岡-鉾田) 前編

●データ 【所在地】茨城県石岡市~鉾田市 【運営キロ】 27.2Km
【開業】1924年(大正13年)6月8日 【廃止】2007年(平成19年)4月1日
【魅力】 過去の廃線跡巡りの中では最新の廃線跡。新しい廃線跡なので遺構の数は
 文句無し。駅も一部を除き、ほぼ全て残されておりました。 【訪問日】08.11.03


●一日目では「石岡駅」から「浜駅」までを探索しました。
最終日となる二日目では「玉造町駅」から「鉾田駅」までを探索致します。
 
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前回の探索から 2日後、再び鹿島鉄道の廃線跡へやって来ました。
最初の駅は「玉造町駅」だったのですが・・・ご覧の通りでした。
 
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まぁ、ホームがあっただけでも良かったです。
ここからは石岡方面、「浜駅」方行へ歩いて戻ることにします。
 
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レールを剥がされたばかりのような廃線跡。
この切り通しを抜け少々下ると「浜駅」跡となります。
 
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と、ここでレール復活。この山の中へと続く感じ、大好きです。
 
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やや?コレはまさか、ぬこ様の足跡ではないでしょうか(笑)?
 
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では「玉造町駅」跡へと戻り、順路通り、先へ進むことにします。
するとさっそく現れたのが、このガーター橋。「登れるかな?」
 
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登りました。「廃線魂」に不可能はありません・・・なんてね。
ご覧のようにレールは剥がされましたが、良い味を出してます。
 
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この辺りは築堤だったのですね。しかしなんという絶景でしょうか。
 
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間もなく次の駅到着というところですが、いつの間にかレールが復活します。
 
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「榎本駅」跡に到着です。ここもなかなか広い構内を持っていたようです。
 
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廃線跡だからこんなローアングルでも撮れちゃいます。
ところで左下の「1」というのは、1両目の停車位置ってこと?
 
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なかなか遺構の多い駅でしたので四分割でご紹介。
 
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いきなりですが次の駅、「借宿前駅」跡へ到着しました。
こちらもホームは健在、保存状態はかなり良好でした。
 
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更に飛ばします。次の駅、「巴川駅」跡に到着です。複線の
交換駅だったようですが、こちらもかなり保存状態は良好です。
 
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哀愁漂う待合室。いったいどれだけの人が利用したのでしょう・・・。
 
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中へ入るとガラス窓にこのような張り紙が。
どうやら「廃線跡巡り」のイベントでも行われたようです。

今回はここまでです。次回はいよいよ最終回、
「坂戸駅」と終着駅「鉾田」までの廃線跡を辿ります。

鹿島鉄道2 (茨城県/石岡-鉾田) 後編

●過去、最も長い 27km強の長丁場となった廃線跡探索もいよいよ
今回が最後。最終回では「巴川駅」を出てすぐの橋梁跡から終点、
「鉾田駅」を目指します。ではご覧下さい。
 
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「巴川駅」を出てすぐの合流ポイントです。なんかまだ
動かせそうなんですけど(笑)。すると前方に橋梁が見えてきました。
 
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なんとレール付きの橋梁が現存していました。素晴らしい遺構です。
 
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横から撮影します。この橋をトコトコと列車が走っていたんですねぇ。
 
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そして振り返り、「巴川駅」跡へ戻ろうとすると・・・誰?
こんなトコへ石並べたの?もちろん、私じゃありませんよ(笑)。
 
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さぁ、終点一コ前の駅、「坂戸駅」跡へ到着しました。
 
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ここは雑草も少なく、一番現役時代に近い廃駅ではないしょうか。
ホーム上からの撮影でしたが、こんな感じで列車を待ったのでしょう。
 
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待合室内もご覧の通り。ほぼ完璧な保存状態です。す、凄いですね。
 
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終点、「鉾田駅」方面を望みます。列車がやってきそうな錯覚に陥ります。
 
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上を走るは県道 8号線。鹿島鉄道のために高架にしたのでしょうね。
 
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さぁいよいよ終点、「鉾田駅」に到着です。残念ながら駅舎は解体されて
しまった後でした。このことは知らなかったので、非常に残念でした。
 
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しかし「対面式」のホームは健在でした。どうやら意図的に
保存されているようです。少々気分が晴れました。
 
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当時活躍した車両なのでしょう、こちらも保存されておりました。
 
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「キハ601」というそうです。詳しくは・画像・解説の通りです。
それにしてもよく読んでみると・・・なかなか泣かせる"つぶやき"です。
 
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こちらも「キハ」とか言うヤツですか?保存されてました。
すみません、恥ずかしながら車両のことは全然分からんのです・・・。^^;
 
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鉾田駅ホーム全景です。残念ながら現役時代は知りませんが
普通であれば、左ホームが乗客下車用で、右が乗車用だと思いますが。
 
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振り返れば「鉾田駅出発時」の風景に。ちなみにこの先で
「コードブルー」のロケ(鉄道事故のシーン)が行われたようです。


以上で、過去最長距離となる鹿島鉄道の探索が終わりました。
まず最初の感想は・・・最高でした。

遺構の数はもちろん、廃駅の風景など文句無しでした。
いつまでこのような状態が保たれるのかは知る由もありませんが、
一日でも長く、そして一つでも多くの遺構が
保存されることを祈りつつ・・・この地を後にしました。