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篠ノ井線旧線 (長野県/明科-西条) 最終回

●「篠ノ井線旧線」の探索も最終回を迎えます。
最後は「小仁熊トンネル」、そして「旧第一白坂トンネル」を通り
「旧第二白坂トンネル」の入口までの探索を行います。最終回はトンネル三昧です。
 
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さて「小仁熊トンネル」の前まで再びやって来ました。全長 340mほどの
トンネルです。入口は開いていますが、その手前の雑草が邪魔です。
 
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行く手を遮る草を掻き分け中へ到着しました。中は無風で湿って
いました。反対出口は閉まっていたので、それも当然ですね。
 
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中は廃線決定から時が止まったままのような感じでした。
レールはありませんでしたが、ご覧のような標識は各所に点在。
 
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壁から染み出した「土」でしょうか。よくある光景ですが
何べん見ても「ドキッ!」とするし、気味の悪いモノですね。
 
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ん?反対側出口・閉じられたドアの隙間から光が漏れています。
しかし湿気で撮影距離が出ず、実はようやく取れた一枚でした。
 
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北側出口へ到着。こうしてみるとかなり隙間のあるものなのですね。
ちなみに扉へ当たる妙な丸い光は、ハンドランプのものです。
 
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イキナリですが「小仁熊トンネル」の探索を終え、再び旧線跡へやって来ました。
 
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暫く進むと、レールの付いた小さな廃橋梁を発見しました。
この篠ノ井線探索でレールを見るのは二度目でしょうか。
 
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それにしても度々訪れる深い雑草地帯に足元&体力を奪われます。
どんなトラップが隠れているかも知れませんし、進み方も遅くなります。
 
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「旧第一白坂トンネル」へ到着です。ご覧のように
向こう側が見える僅か 50mほどの短いトンネルです。
 
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さっそく中へ入ると、すぐに出口を迎えました。
再び雑草生い茂る廃線跡が続いているようです。
 
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すると足元にこのようなものが。コンクリート製の土台のようです。
今までにこのようなものは見たことがありません。これは一体ナニ?
 
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「旧第一白坂トンネル」(南口)を抜けました。
左側には梯子のついた見張り台のようなものが倒れていました。
 
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前方には引き続き廃線跡が伸びています。
この区間は何故か雑草が少なく、助かりました。
 
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そして「旧第二白坂トンネル」北口へ到着です。
ところでナニ?この生活感は? 扇風機やらタオルやらがありました。
 
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トンネル出口にはどうみても廃線後から生えたような樹木が。
しかし生えていたのはここだけ。面白い光景です。
 
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「1960(昭和35年)」ですか。ところで、ここのトンネルポータルは
他所とは違いコンクリート製のようですが。継ぎ足したのかな?
 
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ちょっとだけ中へ入ってみました。コンクリートなのは出口の
部分だけでその後は他所同様、レンガ造りとなっていました。


これにて篠ノ井線旧線の探索は終了となります。ただ、見逃してしまった部分が
ありました。「潮沢(うしおざわ)信号所」で、スイッチバック式の信号所でした。
原因は予習不足での見逃し・・・。また機会があれば再訪したいと思います。

上田交通真田傍陽線 (長野県/上田-真田[傍陽]) その1

●データ 【所在地】長野県上田市 【運営キロ】15.8Km
【開業】1927年(昭和2年)11月20日 【廃止】1972年(昭和47年)2月20日
【魅力】廃止から相当の年月が経過していることもあり、廃線跡や遺構を見つけるのが
難しい場所も。ただしその中で遺構を見つけた時の喜びは大きい。 【訪問日】09.05.09

●今回は長野県上田市へとやって来ました。今回の目的は上田交通
「真田傍陽(そえひ)線」の廃線跡探索です。ちなみにこの上田交通、総距離48km
あった鉄道路線は11km少々となりましたが、現在でも活躍中の路線です。
 
今回の主なルートは、まず上田駅周辺の探索から「傍陽駅」「真田駅」方面へと
分岐する手間の「本原駅」へと向かいます。ここから「真田駅」へと向かい
真田方面の探索をし、再び「本原駅」へと戻り、今度は「傍陽駅」へと向かいます。

営業終了から間もなく40年が経過する廃線跡でしたが、
予想外に遺構の残る廃線探索となりました。では行ってみましょう。

 

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画像は上田城です。この脇にある駐車場へ車を停め、
まずは上田駅周辺の廃線跡から探索開始です。
 
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上田駅を数百メートル出たところです。上を走るは長野新幹線です。
この下を走っていた「真田傍陽線」に遺構を求めるのは酷というものです。
 
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こちらは平行して走っていたJR「しなの鉄道」との分岐点付近です。
 
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実はこの付近は当時築堤とでした。崩されてしまったようです。
 
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今度は振り返って撮影。この駐車場の付近も当時は完全に築堤でした。
 
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上田城脇の廃線跡へとやって来ました。
この辺りの廃線跡は今でも多く遺構を残す部分です。
 
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撤去されてしまった架線柱跡。ここ以外にも多く残っています。
 
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最初の停車駅「公園前駅」へとやって来ました。
今でもほぼ完全な状態で残っています。
 
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脇の案内板には驚くべき歴史が記載されていました。
記述によるとこの場所は・・・なんと「お堀」だったというのです。
 
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なるほど、鉄道敷になる以前、ここは水中だったという訳ですね。
世の中には面白い歴史があるものです。架線の一部が残っていました。
 
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先へ進むとここで廃線跡は途切れます。恐らくここからは
地上へ戻るため、徐々に高度を増して行ったと思われます。
 
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上田城跡を過ぎると廃線跡は住宅街へと変貌していました。
そりゃ40年も経てばね。恐らくこの辺りも廃線跡だと思うのですが。
 
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すると一目で分かる遺構の登場です。ナント見事な橋梁跡でしょうか。
ちなみに下を流れる川は矢出沢(やでさわ)川というそうです。
 
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上田駅方面の橋台跡です。このような住宅街の中に
不釣合いな橋台跡。この構図がまた良いのです。
 
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廃線跡は国道18号線を踏切でやり過ごしました。遺構はありません。
 
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国道18号線を過ぎると「北大手駅」に到着です(カーブ左側が駅跡)。
駅を過ぎると廃線敷は右手、東の方角へと進路を変えて行きます。


以上が「上田駅」から「北大手駅」までの廃線跡探索でした。
次回は今でも現存する貴重な「樋之沢駅」までを辿ります。

上田交通真田傍陽線 (長野県/上田-真田[傍陽]) その2

●その2です。今回は「北大手駅」を出発、「上田花園駅」を経て
現存する「樋之沢駅」までを辿ります。
 
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「北大手駅」跡を出て右へと折れると「上田花園駅」跡に到着します。
カーブ途中にあった駅で、駅跡はこの辺り右側と思われます。
 
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そして線路はこの辺りを走っていたと思われますが・・・
ところが私は重大なミスを犯していることに気付きました。
 
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この辺りが「北上田駅」跡だと思っていたら超絶勘違いでした。道路を一本間違えて
いたのです。このせいで写真を撮ることが出来ませんでした。完全な予習不足でした。
 
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探索し損ねた「北上田駅」跡を過ぎたところで橋台跡を発見。
分かりますか?流れるは黄金沢(こがねさわ)川という川だそうです。
 
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そして「川原柳駅」跡に到着手前、「公園前」~「北大手」間で
渡った「矢出沢川」を再び渡ります。するとここでも橋台跡を発見。
 
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それにしても橋台跡が無ければとても廃線跡とは思えない場所です。
そしてこの橋を渡り、100mほど進むと「川原柳駅」跡に到着しました。
 
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「川原柳(かわらやぎ)駅」跡に到着です。この辺りが駅跡だと
思われます。このバス停付近が駅跡なのでしょうか。
 
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「川原柳駅」跡を出ると工場地帯の裏を通って行きます。
暫くはご覧のような開けた一直線の廃線跡が続きます。
 
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道路が廃線跡です。高架は国道18号線(上田バイパス)です。
 
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次駅「神科駅」跡手前にはこのように黄色く塗られた壁が。
 
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「神科(かみしな)駅」跡付近へやって来ました。ところが発見出来ません。
この付近は「上信越道・上田菅平IC」の敷地となってしまったようです。
 
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そして「神科駅」跡から次駅「樋之沢駅」跡へと向かいますが、この間の
廃線跡はほぼ残っていません。画像は「樋の沢駅」手前の廃線跡です。
 
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「樋の沢駅」跡へやって来ました。駅跡が残っていると聞きましたが、
これは凄いです。完全にホームが残っているではありませんか。
 
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ちょっとした住宅街のウラにこんなモノがあるとは。
素晴らしい廃駅です。暫くこの場に留まって眺めてしまいました(笑)。
 
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「樋の沢駅」は二面二線の交換駅だったようですが、
この程度の間隔で足りるものなんですね。やや狭い感じがしました。
 
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「樋の沢駅」跡を出ると廃線跡は「上信越道」の建設により
一旦消滅しますが、再びこのように復活します。


以上「真田傍陽線」、ほぼ中間地点までの廃線跡探索でした。
次回はこの路線唯一のトンネル、「伊勢山トンネル」を経て
「真田」「傍陽」各方面の分岐点手前、「本原駅」までを辿ります。

上田交通真田傍陽線 (長野県/上田-真田[傍陽]) その3

●「真田傍陽線」廃線跡探索は後半戦へと入ります。
今回は「樋の沢駅」以降の路線、「本原駅」までを辿ります。
 
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こちらは「樋の沢駅」跡を出て暫く進んだ部分です。舗装路から
砂利道へと変わりました。このような景色が暫く続きます。
 
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「伊勢山駅」跡へと到着。しかしそれらしい痕跡は無く、発見には至らず。
しかし確実にこの画面には写っている筈です。ところで正面に何かありますね。
 
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トンネルです。こちらは「伊勢山トンネル」といい、
現在は"しめじ"の栽培として利用されているようです。
 
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少々近づいて上から撮らせて頂きました。銘板等は無いようです。
レールも確認出来ませんでした。ではトンネル反対側へと向かいます。
 
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その前に、「伊勢山駅」周辺を空撮で確認してみましょう。
この「伊勢山トンネル」を抜けると「神川第一鉄橋」がありました。
 
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この「神川第一鉄橋」は左記空撮のように全長200m少々の鉄橋でした。
今ではご覧のように、両端に橋台跡を残すのみとなっています。
 
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でじゃ「伊勢山トンネル」東口坑口へと向かいましょう。橋台跡脇から
よじ登って来ました。橋台跡上には遺構はありませんでした。
 
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しかし振り返ってみると、「伊勢山トンネル」東口がありました。
反対側と同じような造りで、こちら側にも銘板等はありませんでした。
 
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あえて線は引きませんでしたが、この上に鉄橋が架かっていました。
ちなみに「神川第一鉄橋」は「川久保鉄橋」とも呼ばれていたようです。
 
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反対側の橋台跡です。橋台上には家が建っていました。
良く考えたら、こんな頑丈で安全な場所は無い???
 
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今度は東側の橋台跡から「伊勢山トンネル」方面を撮影してみました。
このような形で「神川第一鉄橋」は架かっていたと思われます。
 
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橋を渡ってすぐに「殿城口(とのしろぐち)駅」跡があり、左へ折れました。
ちなみに「殿城口駅」跡は発見出来ず。先ほどの橋台上・住宅周辺だった?
 
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次の駅は「真田」「傍陽」方面へと分かれる分岐点の手前にあった
「本原駅」跡です。駅跡はバス停付近にありましたが、今はご覧の通り。
 
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「本原駅」跡を出るとすぐに「真田駅」と「傍陽駅」方面へと分かれました。
ここでは「真田駅(右側)」方面へと向かいます。国道144号線が廃線跡です。
 
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では「本原駅」周辺を空撮で確認してみましょう。特に新たな家々が
立ち並んだということでもなかったのですが、分かり辛かったですねぇ。
 
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こちらは国道144号線。いわゆる「真田駅」方面へと向かう廃線跡です。
正面に見えるのは白根山周辺の山々。冬場は真っ白なんでしょうね。


次回は真田方面の終点「真田駅」へと向かいます。
そして一度「本原駅」へ戻り、傍陽方面の終点「傍陽駅」へと向かいます。
この回にて「真田傍陽線」の探索は終了となります。

上田交通真田傍陽線 (長野県/上田-真田[傍陽]) 最終回

●「真田傍陽線」の探索は「上田駅」を出発し前回は
「本原駅」まで北上、クライマックスへと差し掛かって来ました。
探索は今回が最終回、最後は「本原駅」分岐後の「真田駅」と
「傍陽駅」の探索を行います。では行ってみましょう。
 
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「本原駅」跡を出ると真田方面と傍陽方面への分岐点に差し掛かります。
まずは先に真田方面へと向かいます。次の駅「北本原駅」跡へ到着です。
 
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駅は既にありませんが、駅のあったことを示す「駅前食堂」が健在でした。
営業していたら入ろうと思ったのですが、残念ながら準備中のようでした。
 
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「北本原駅」跡を出ると次は「石舟駅」跡「長村(おさむら)駅」跡と続くのですが、
既にバス停となり駅跡は存在しませんでした。ということで次は終点、「真田駅」跡です。
 
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事前調査では、この辺りにホーム跡が健在とのことでしたが。
他にそれらしきものが無いので、これのことかと思いますが・・・。
 
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近寄ってみるとやはりここがホーム跡のようです。坂になっており
(ホームは平坦)ホームの両端は随分と高低差が出来ていました。
 
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駅舎は既に解体され、既に無いとのことでしたが、奥手にはこのような
年代を感じさせる建物が。恐らくこの建物は「真田駅」の証人かと思います。


以上で「本原-真田」間の探索は終了です。
次はここから再び「本原駅」へ戻り、今度は同駅から枝分かれした
もう一方の路線、「本原-傍陽」間の探索を行います。
 
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再び「本原駅」跡へと戻り、今度は「傍陽駅」跡へと向かいます。
写真は「本原駅」跡出て分岐した直後の廃線跡です。
 
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ここから暫くは下り坂が続きます。もちろんここも廃線跡。
コンクリート壁の一部が黄色く塗らられているのが分かるでしょうか?
 
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妙なものを発見しました。恐らく切り口から架線柱を切ったものだと
思うのですが、どうも高さ的に妙なんです。何でコンクリートの土台が?
 
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「本原駅」跡を出ると、ご覧のように列車はゆっくり下って行きました。
ちなみに土手向こうが先ほど探索した真田方面の廃線跡となります。
 
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綺麗な石積みを発見。こういうのが残っていると
廃線跡の区別がつき易くて助かりますね。
 
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途中でこのような貨車が置いてあるお宅を発見。当時のものでしょうか?
ちなみにこのお宅の裏手が廃線跡です。倉庫として使っているようです。
 
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「神川」という川へ差し掛かりました。ここにも大きな橋台跡が
残っていました。ただ、対岸は建物が建ち今は何もありません。
 
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ふと川のほうへ目をやると、橋脚跡も残っていました。こういう遺構も嬉しいですね。
 
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「横尾駅」跡「曲尾(まがりお)駅」跡はバス停となり発見出来ず。
終点「傍陽駅」跡手前にはこのような橋台跡が残っていました。
 
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川を渡ると終点「傍陽駅」跡なのですが、もう今はご覧のような状態です。
2003年まではあったそうなのですが、老朽化により解体されたそうです。


以上で「真田傍陽線」の全行程を終了致しました。
探索してみてまず思ったのは、景色の良い路線だったのではと感じました。

廃止から数十年も経っているにも関わらず、土地柄もあるのでしょうが、今でも
景色の良い場所が多く存在しました。経過年も重ねているので、廃線跡の自然へ
帰るスピードも既に遅く、暫くはこの状態を保っていてくれそうな廃線跡でした。