信越本線4 (群馬県/横川-軽井沢) その1
【開業】1893年(明治26年)4月1日 【廃止】1963年(昭和38年)9月30日(旧線)
【魅力】廃線跡の登竜門的存在。「新線」は新幹線開業により1997年10月1日に
廃止と比較的新しい。廃線巡りは新線は立入禁止なので旧線が中心に。
【訪問日】08.02.16
私の廃線巡りの「原点」といも言える信越本線・横川-軽井沢間にある「碓氷峠」へ
久しぶりにやって来ました。前回訪問したのが偶然にもほぼジャスト、二年前でした。
それは「碓氷峠旧線(1963年廃止)の遊歩道化延長工事が進んでいる」との情報でした。
確かに二年前にも「遊歩道の延長を検討」しているという話は耳にしておりましたが、

実際には人造湖・言ってみればダムです。奥の方は氷も張っています。

しかもこの時代に僅か二年で造っちゃったってんだから驚きです。

雪がありますが、これが凍っていて危ないのなんの。慎重に行きます。

やっぱり噂は本当でした。工事中を示す柵が設けられていました。

増しているようです。ちなみに正式名称は「碓氷第6隧道」です。

振り返ってめがね橋上を見てみましょう。この区間までが現在遊歩道化
(横川まで~4.8Km)されています。何人かの人を見かけました。
ただし、お蔵入りにするつもりも毛頭ありませんのでご安心下さい。様子を伺いながら
ではこの後の写真は何処なのかというと、「今回の遊歩道化とは現在無縁の部分」、

合流する場所です。橋の上はトゲトゲの草で進むことが出来ず。

では向かいのトンネルの方へ向かってみましょうか。

というにも関わらず、この保存状態の良さには驚かされますね。

ものではないですねぇ。考えられるのはサルか鹿かイノシシか・・・。

旧線側が「碓氷第18隧道」、右側・新線側が「下り10号トンネル」です。

右側旧線、カーブの先に見えるが「碓氷17番隧道」です。ここへ行きます。

「碓氷17番隧道」の前です。実は以前もここへは来ましたが、この時は
トンネル内探索はしませんでした。ちなみに前回はおサルさんが居ました。

荒れているようですが何故? 悪戯されているようにも見えないし。

多くの待避所を見て来ましたが、ここの待避所は奥行きが浅いですね。

氷柱(つらら)の数がハンパないです。細心の注意を払いながら進みます。


長さはそれ程無い筈ですが、カーブしているためか出口は見えず。
信越本線4 (群馬県/横川-軽井沢) その2
そしてその「理由」なんですが、それは当時「立ち入り禁止」だったからです。
ただこれだけなら通常通りレポートをそのまま公開しておりましたが、
このようなことから、「これは(遊歩道が)開通してから・・・」と私の判断で
まぁ、開通したところでそれ以前に立ち入ったという事実は変わりませんが(汗)、
当時、辿って行けるのはここまででした。工事している様子が伺えます。
ここから行きましょう。こちらは「碓氷第5橋梁」で、実は重要文化財です。
「碓氷第7隧道」で長さは75mと短く、カーブしていても出口が見えます。
車両が停車しており接近NGでした。隧道は「碓氷第6隧道」西方です。
その他は石材ブロックを用いたポータルでした。立派なポータルです。
短いながらも右カーブ、天井を見れば煤(スス)らしき汚れも見えます。
奥が素掘りのようです。こういうタイプのものもあるのですね。
ありましたが、架線もあったのでしょうか。勉強不足ですみません(汗)。
「碓氷第8隧道」です。この付近は短い隧道が連続している区間です。
ところで上部にある金物は何でしょう? 煤煙対策カーテンの名残り?
距離は92mなり。こちらにも上部に「金物」が付いてますね。
上部にも煤煙の名残りか、雰囲気に味付けをしてくれます。
実はこの他の場所にも存在していたのですが、これは一体何でしょう。
そしてその先にも次のトンネルが見えます。右側に何かありますね。
こちらのはやけに厚く派手な氷柱だったので載せてみました。
ということはここは橋梁な訳で、こちらは「碓氷第6橋梁」になります。
信越本線4 (群馬県/横川-軽井沢) その3

「碓氷第6橋梁」です。奥に見えるのが軽井沢方、「碓氷第9隧道」です。

もちろん、こちらも国の重要文化財に指定されている橋梁です。

短いトンネルなので出口が見えますが、その先にもトンネルが見えます。

奥には垂れ下がる氷柱が見えていますが、あれには注意ですね。

そういえば、開通後の冬場の氷柱対策は大丈夫なのでしょうか?

コンクリートを吹き付けた方も、その下はレンガなのでしょうか?


近付いてまいりました。どうやら出口手前、右手に何かあるようですね。


新たに造られている施設と思われますが、開通した今、答えは既に出ている?

「真っすぐ」ではないんですね。風か何かの影響でしょうか。

トンネルが見えますが、ここを抜けると「旧 熊ノ平駅」となります。


先ほどの造りかけの施設からくり抜いたもの? まさかね(汗)。

最後のトンネルとなります、「碓氷第10号隧道」です。長さは102mナリ。

いるようです。やや残念な気もしますが、こればかりは仕方ないですね。
繰り返しになりますが、現在は「遊歩道」として開通しております。
信越本線4 (群馬県/横川-軽井沢) 最終回

煤煙らしきものがこびり付き、良い雰囲気を醸し出しています。

コンクリートですね。開通に向けて造られたものではなさそうです。


カーブをしているのが分かります。ところで、この鉄道施設は一体?

何度もネット上で見かけた光景で、「デジャ・ヴ」にあったという感覚です。笑

「ナゾのトンネル」が。 これは想定外であり、ワクワクしてきました。笑

やはりこれは「煙よけのカーテン」の一部と考えて良いのでしょうか。

保存状態に驚きです。今後に「何かを期待をさせる」保存状態とも言えます。

確認すると橋台跡。これも嬉しい想定外でした。

思いきや、違いました。コンクリートです。ちょっと拍子抜けです。

こちらは「押下線」といって、狭い構内という理由から一時的に退避・・・

あります(今回は未探索)。内部は途中からコンクリート製となります。

ちなみに、トンネル中ごろまで、路盤に土を盛られたようでした。

ここが本来の路盤の位置(高さ)ということですね。

などで見かける遺構に見えますが、何でしょう。枕木も転がっています。

コンクリート造りとなっていました。ちなみに1924年竣工だそうです。

ご覧のように、トンネル中ごろから路盤が盛られているのが分かります。

この時しておりません。開通した今、後日にゆっくり訪問したいと思います。
私のような類の人間は常時アンテナを立てているので、気付き
自分が言うことでもないんだけど、もうちょっと積極的に宣伝して欲しい
手宮線 (北海道/南小樽-手宮)
【開業】1880年(明治13年)11月28日 【廃止】1985年(昭和60年)11月5日
【魅力】ほぼ全線に渡り保存されていること。間違えて止まってしまいそうな踏切も。
手宮駅跡は博物館として利用。ターンテーブルも。【訪問日】06.10.18
以前より"廃なモノ"に興味はあったものの"どの分野"にしようかキッカケが掴めずにいました。
そんな時、【出逢い】は突然にやって来ました。偶然訪れていた北海道旅行道中のこと。
目の前に「どこかおかしい踏み切り」が出現・・・"私の中に眠る何か"が目覚めた瞬間でした。

【出逢い】というものはいつも突然にやってきます(笑)。
これが記念すべき廃線跡撮影第一号となりました。

次に撮影したのがこれでした。
「手宮線跡地」というプレートが立っています。

こちらは現在の南小樽駅周辺です。

そしてこちらが1976年(昭和51年)の南小樽。
建っている建物は変わっても殆ど変わらぬ街並みにはちょっと感動。

こちらは現在の函館本線と手宮線が分かれる辺りの空撮。
廃線跡には草木が生い茂っているのが分かります。

ちょっと感動ですね。写真上部には今は亡き手宮線高架が。

最初の写真、【出逢いの場所】を納めたのが、画像中央辺りです(笑)。
少々分かり辛いのですが、空き地がハッキリと教えてくれています。

左画像にはある大通り(道道820&454号線)はまだありません。

車両が展示されています。予習不足で行かず。行きたかったなぁ。

こちらも年月を感じさせず、十分過ぎるくらい面影アリアリです。