伊香保ケーブル鉄道1 (群馬県/新伊香保-榛名山) その1
【廃止】1966年(昭和41年)12月19日 【魅力】総距離僅かに2kmということから
手軽に行けそうなイメージもありますがこれは大きな過ち。
道は荒れ果て急坂ということもあり大変危険です。【訪問日】09.10.17
●今回は群馬県、伊香保温泉の近くへやって来ました。
もちろん温泉に浸かりに来た訳ではありません。廃線探索でやって来ました。
ただ廃線は廃線でも今回はちょっと意味合いが違い、ケーブルカーの廃線探索です。
ケーブル関連の廃線探索はこれで二度目です。それにしても毎回のように言っていますが、
やっぱり今回も予定通りには行かないもので・・・それではご覧下さい。

早速ですが、今回の探索場所を地図で確認してみましょう。
ご覧のように近くには名所「榛名湖」や「榛名富士」があります。

「新伊香保駅」方面からアプローチすることにします。ところが、
ここだと思っていた「新伊香保駅」跡はここでは無かったんですねぇ。

この時は「ここだ」とばかり思っていましたが、帰宅後に気付きました。
本当は伊香保温泉側にあったのですね。ハァ、またやってしましましたわ。

かなり急な坂道を登りながら、駅跡を彷徨い求めます。ここじゃないのにね。

すると前方にケーブル跡らしきものが現れました。かなり急な
坂道ではありますが、まだまだ足取りは軽く急いで近寄ります。

しかし駅跡は残っおらず、落胆(当たり前です 笑)。

僅かに上方部分だけを覗かせていますが、私には分かりますよ!
アレはまさにトンネルポータルの一部!私の眼はごまかせません(笑)!

なんと!ノーマークだった突然の物件にもう大興奮です!
もっと近寄って確認してみましょう。上部になにやら書かれていますね。

なんでしょう?これは? 書かれているのは「漢字」だと
いうのは分かりますが、「窮無澤利」とは一体何のことなのでしょうか。

そしてその横には、「宇野哲人」と書かれています。人名なのでしょうが、
これは「窮無澤利を考えた人」なのか「建築者」なのか。全く分かりません。
当然ながら帰宅後に、この「窮無澤利」と「宇野哲人」をネット上で調べてみました。
まずは「窮無澤利」から。結果、ヒットしませんでした。あっても中国のサイトのような
「これはひょっとしたら年代的に考えても逆から読むのか?」と。そして「利澤無窮」で
ここでもハッキリとしたことは判りませんでした。
しかしながら可能性のあるものが 2つ見つかりました。
1つは「仏教」の経典、「法華経」の一部に出現。訳では「利沢の無は尽きて」と
想像できると思いますが「永遠」や「無限」を意味するそうです。
続いて「宇野哲人」について調べてみました。こちらはすぐに出てきました。

入口付近には大量の落ち葉があり、これが見た目以上に嵩上げされていて
足を取られました。そして辿り着いた入口には、人一人が入れるような穴が。

そしていよいよ中を覗き見ます。やはり軌道はかなり下にあり、入口部分は
相当に嵩上げされていることが判ります。また無風で閉塞している感も。
ということで、当然こんなものが目の前にあったとなれば
当然入りたくなりますが、今回は断念しました。
全くのノーマーク物件だったこともあり、ライトを持っていなかったのです。
車には積んでいましたが、ここまでの距離等を考えると
断念せざるを得ませんでした。ちなみにライトが無いと、
とてもではありませんが進むことは(絶対に)出来ません。無念です。

振り返ってみると、随分と土が盛られたことが判ります。ちなみにこの辺が
駅跡だと思ってた私。じゃあこのトンネルは何だっつーのよねぇ(恥)。

急角度で登って行くケーブル跡が確認出来ました。手前部分は
平らになっておりますが、これは土が盛られ慣らされたのでしょう。

では先へ進みましょうか。ところが、この先はご覧の通り。
毎回のように「深い雑草」が私の進路を阻んで来ます。全くもう。
舗装された小径(こみち)を発見、ここを辿ってもう少し粘ることにします。
その1は以上です。この先、廃線跡に合流できるのか否か。ではまた次回。
伊香保ケーブル鉄道1 (群馬県/新伊香保-榛名山) その2
脇にあった平行して進む小径(こみち)を辿って「何とか廃線跡と合流出来ないか?」

雑草による進入不可の場所から数百メートル、廃線跡を目で確認しながら
「どこかにアプローチポイントはないか?」と探りながら登り続けます。

どちらにしろこれ以上は進めないので、引き返すことにします。

廃線跡はそこに見えるのに。多少強引にアプローチポイントを
絞ることにします。うーむ、ここは登りがキツくてムリそうです。

ここも登りがキツそうですが木の数が多く、これを利用すれば

無事廃線跡へ到着(下を見ています)したものの、やはり雑草が物凄いです。
正直、もっと綺麗に行ける場所かと思ってました。考えが甘かったようです。

今来た道を振り返ってみます。結構な急斜面です。
実は自分、登るよりも下る方が恐いのよね。帰りが恐いDEATH(笑)。

そして前方(登り方面)を見てみます。「やっぱりダメか」と

草を掻き分け進んでみると、キセキターーー!(笑) 諦めないで良かったです。
しかし何故こうも草のある部分と無い部分がハッキリしているのでしょう?

とにもかくにも嬉しさで気力100倍、先へ進むことにします。
それにしても40年以上も前の景色が眼前に。タマらない瞬間です。

これは待避所でしょうか? また所々に結構大きな石がゴロゴロしてて
(転がってこないと)ちょっと心配です。ちなみに先程から見えている・・・

架線柱のようなものは電柱です。こんなところまで整備に来るのでしょうか。
それにしてもこの付近にも大きな石がゴロゴロしています。転がって来るなよぉ。

脇道にちょっとしたスペースがあったので、ここで横から撮影。
結構な急坂でしょう? しかし電線とかの点検等は大変だろうなぁ。

では先へ進みます。ところで実は、先ほどから気になっている部分が
二点ほどあるのです。まずはこの写真の右側に注目です。

右側の端の部分がゴッソリと抜け落ちているんです。これは恐いですよ。
外から固めてあるのでしょうが、長い年月には勝てなかったようです。

そしてもう一点、3枚前の写真をご覧下さい。どう見ても先が無いように
見えましたがやっぱりでした。しかもその先は 10m以上の崖です。

次回・最終回では一旦出発点まで戻り、先回りして中間地点から終点、
「榛名山駅」までの探索を行います。また、廃墟のオマケ付きです。
伊香保ケーブル鉄道1 (群馬県/新伊香保-榛名山) 最終回

廃線中間付近、「望雲橋」という橋らしいです(橋梁下が廃線跡)。
廃線部分(下り)はご覧の通り、とても立ち入ることは出来ません。

アップです。コレは酷い。その2、ガケで進めなくて良かったです。
本当は全区間を歩いて制覇しようと思ってたんですけどね。

では今度は振り返って登り部分を見てみます。この辺りは問題無く
進めそうでしたが、これまでの流れを考えると鵜呑みに出来ません。

ズームで見てもちょっと先はこんな感じでした。進むだけ進んで
ということで、一気に終着駅「榛名山駅」跡まで先回りをします→→→

「榛名山駅」跡へやって来ました。しかしそこにあったのは
今までと何ら変わらぬ光景でした。ちょっと残念ですねぇ。

そして下り方面へ向かう脇道を発見、そこを進んでみるとたまたま
廃線跡と合流出来ましたが、コレでは絶対進めませんね(登り方面)。

下り方面を見てもこの通りです。先ほどの中間地点では、
進むのを断念してやはり正解だったようです。

そしてこちらが廃線跡の最後の部分、「榛名山駅」跡だと思いますが、
もう訳が分かりません。残念な結果となってしまいました。
残念な結果に終わった「伊香保ケーブル鉄道」の廃線探索でしたが、この時の
私は特に落胆はしておりませんでした。というのも、私の視線はこの時既に
「榛名山駅」の先に見える「廃墟」へと移っていたからなのでした(笑)。
これまでにも何度かお伝えしていますが、私の趣味は「廃なモノ」でして、特に
「廃線に限って」という訳では無いのです。ということは「廃墟」だって「廃道」だって
大好きなのです。そんな訳で、先ほどからヨダレダラダラの私だったのでした(笑)。
ということで、ここからは完全に別の内容へと進みます。先ほどから私の視線を釘付けに
見えますが、学校のようにも見えます。アプローチポイントを探すのに非常に苦労しましたが、
何とか裏手の急斜面を克服し入ることに成功しました。では、ここからご覧下さい。

進入口の裏口より表へ回ってきました。この建物を見て思いました。
「ここは学校では?」と。建物内へはご覧のように入ることは出来ません。

そして振り返れば、苔や草が生い茂っていますが「校庭」のようです。
「L字」のように建つ校舎の内側に校庭があるという感じです。

その「L字」の内側、昇降口のような入口の上に学校名を見つけました。
ここではとりあえず伏せさせて頂きますが、「○×学園」とありました。

校舎から校庭を挟み反対側にはこのような「周辺図」が。
それにしても何故このようなものが?学校には普通ありませんよねぇ?

校庭を抜けて小さな高台にある休憩スペースのような場所に
ご覧のようなトーテムポールがありました。寄贈されたものでしょうか?

下に説明文がありました。ご覧の通りです(一部伏せさせて頂きました)。
建てたのは平成11年 7月。一体この間に何があったのでしょうか。

校庭の隅にはこのようなものが。これは一体なんでしょう?
何か火を入れて焼く器具のような感じですが、10台以上ありました。
あっさりと出口を発見。苦労して入ったのにね。ま、良くあることですけど(笑)。
以上で「伊香保ケーブル鉄道」及びおまけの「廃校探索」は終了となります。
書かれているそうです。またこれでハッキリしたこともあります。やはりこれは
伊香保は通過することの多い場所ですし、また機会があれば「通天洞」側の
伊香保ケーブル鉄道2 (群馬県/新伊香保-榛名山)
【開業】1929年(昭和4年)9月6日 【廃止】1966年(昭和41年)12月19日
【魅力】総距離僅かに2kmということから手軽に行けそうなイメージもありますが
これは大きな過ち。道は荒れ果て急坂ということもあり大変危険です。 【訪問日】09.12.31
●2009年の大晦日です。いくら「急に予定が空いてしまった」といっても、
年の瀬に何やってんでしょうね(笑)。しかも予定を立てる時間も無く突発的に
雪道を行くなんて無謀にも程があっりました。ではご覧下さい。

最初に目指した場所は群馬県の「某所」。何とかこの雪(山)道を登って
来たのですが、あと 2km少々というところで恐ろしくなり挫折しました。

コレですからね。良くここまで登って来ましたわ。もういくらアクセルを
吹かしてもダメ、止まって横滑りした時点で「白旗降参」しました。
ということで、帰りも(下り)も「ズリズリズルズル」と(汗)
かなり恐い目に遭いながらなんとか無事下山を果たしました。
「伊香保ケーブル鉄道」を目指しました。
この場所は宿題を残していた場所であり、かつ、
今の場所から1時間足らずで行けるということもあり選択しました。
その宿題とは、前回 訪問時にて気付いた「トンネル」東側です。
ここは自分の予習ミスにより見逃した物件であり、
再訪を誓った場所でもありました。ではリベンジ編をぞうぞご覧下さい。

現地写真へ行く前に、ネット上で見つけた超レア写真を載せておきます。
1~3枚目は「新伊香保駅(昭和10年頃)」です。ここで驚くべきは 4枚目。
この写真ってひょっとしたら超高確率で前回載せたこの 場所 では !?

ではまず左写真の 1~3枚目に当たる「新伊香保駅」ですが、
現在はホテルとなっており既に見る影もありません。
ということで、このホテルの裏にあるというトンネルを目指します。

あっさりと見つかりました。しかしこのトンネルが上のレア写真と

ところで、こちら側にも上部に何やら書かれていますね。

反対側 には「利澤無窮」と書かれていましたが、こちらには「洞天通」です。
でもここは逆読みでしたから、「通天洞」ですね。同じく名前も書かれています。

ご覧のように、入口は完全に封鎖されています。「完全密閉」という
以上で「宿題」は完了しました。意外に早く終わったので、もうちょっと先の方を
どのように変化したのかも見てみたいと思っていました。では続きをどうぞ。

ところが。途中よりこんな状態となり、また「雪道」Death・・・。
しかも一見、晴れていそうですが実は小雪も舞っています。

実はこの時、「寒波の予想」が出されていました。雪雲が次々と山を
越えてくるのも確認出来ます。急いで目的地へと向かうことにします。

見たかった場所というのはココ。「望雲(ぼううん)橋」です。
前回 訪問時の写真と比べてみましょう。雑草の量が一目瞭然です。

今だから乗れる、橋の上に来ました(笑)。
地面は見えませんが、恐らく薄い土かコンクリートでしょう。

橋の上から下を(廃線跡を)覗いてみます。どうやら歩けそうです。

ということで下へ降りて来ました。夏の雑草は綺麗さっぱりありません。

なんて調子コイてたら、急斜面で「ズルッ!」とスッコケました(滝汗)。
転落なんてことも考えられます。ということでこれにて任務終了です。
以上、「伊香保ケーブル鉄道」のリベンジ編でした。しかし雪の下に枯葉とはね。
ちなみにこの翌日は、筋肉痛&ケツの痛みで唸ってました。。。^^;
下河原線 (東京都/国分寺-下河原) その1
【開業】1910年(明治43年)2月24日 【廃止】1976年(昭和51年)9月20日
【魅力】「北府中(駅からではない)」から「下河原」までは「下河原緑道」として整備され
探索し易い。ただ「純正な遺構」が少ないのはやや残念か。 【訪問日】09.10.12
●久々の東京都です。今回は電車で移動、そして全工程徒歩での探索を
予定して来たのですが、やはり予定通りに行かないものです。
徒歩記録更新となりました。まぁ詳しいことはまた記事内で・・・。
「遺構の減少」は無いだろうと先伸ばしになっていた「下河原線」です。
ところが。たまたま廃線サイトを歩いていたら辛い情報を目にしました。
一部の「廃線跡のレールが撤去された」と言うのです。
そこで、「これは急がなければ」と取り急ぎでの訪問となった訳です。
果たして本当にそうなのか?確認に向かいました。ではご覧下さい。

ご覧のようにJR中央本線「国分寺駅」へとやって来ました。
こちらが今回の出発地点、国分寺-下河原間、7.1kmのスタートです。

まずは国分寺駅のすぐ西に架かる橋(花沢橋)へとやって来ました。
ここから何か見えるかな?と思いやって来ました。ん?アレでしょうか?

アップにしてみます。どうやらそのようです。左側の真新しいコンクリートブロックが
並べられているところがその場所です。あの位置にレールがあった筈なのですが。

本当に撤去されてしまったようでした。一歩遅かったですね。残念です。
左の短いレールが気になりますが、まぁ無関係でしょうね。

ではこの地点の空撮画像を見てみましょう。図のようにどの路線にも
接していない線路があるのが分かるかと思います。これが廃線跡でした。

場所を移動して「西武国分寺線(奥)」との分岐点近くへとやって来ました。
一番手前のスペースが「下河原線」です。やはり噂は本当でした。

「西国分寺駅」方面を見ます。が、こちらも同じくご覧の通り。
本当に撤去されてしまったのですね。もっと早く来るべきでした。

諦めきれず何度も痕跡を探しますが、やはり何度やっても結果は同じ。
この間に何本もの電車が行き来しました。本当に残念です。

「下河原線」廃線跡はこの50mほど先から左へ(府中方面)へカーブを
描いて行きました。恐らくこの場所が廃線跡の西側末端と思われます。

更に西へと歩きます。遠目に「西国分寺駅」も見えています。
この辺りが「下河原線」と「中央本線」との分岐点だったと思われます。

「西国分寺駅」、「JR武蔵野線」のホームへとやって来ました。
この駅は「武蔵野線」と「中央本線」とが交差する駅です。

こちらは「JR武蔵野線」の下を潜り線路の西側へ行き、やや府中方面へ
進んだところです。この緩やかなカーブは廃線跡の名残りと思われます。

ではこの周辺の空撮画像を見てみましょう。殆どの廃線跡が消失して
しまったかのようにも見えますが、良く見ると名残りらしきものも見えます。

こちらは更に昔、1947年の空撮です。「西国分寺駅」も「武蔵野線」も
ありません。西国分寺駅は武蔵野線の開通時に出来た駅だからです。

では先へ進みましょう。武蔵野線に沿って南へ500mほど進みました。
そして「一応チェックしておこうか」と思っていた物件を目指します。
数少ない遺構に意気消沈気味だった廃線魂に火が入った瞬間です(笑)。
ということで今回はここまでです。とりあえずタネ明かしをしておきましょう。
この場所は「東芝 府中事業所」の敷地内です。調査段階で妙な廃レールが