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矢板線 (栃木県/矢板-新高徳) その4

●謎多きトンネル、仮で「玉生(たまにゅう)トンネル」とでもしましょうか。

今回はこのトンネルを過ぎたところから再開します。ちなみに「玉生トンネル(仮)」の
出口を探してみましたが、残念ながら発見には至りませんでした。
そう思うとこのトンネルの反対側で入れなかったのは( その3 参照)
余計に痛かったと思えてきますね。無念です。では続きをご覧下さい。
 
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「玉生トンネル(仮)」から 500mほど進んだ地点の廃線跡です。
再び広々とした田園地帯となり、やや築堤気味の廃線跡が続きます。
 
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振り返ってみます。ご覧のようにこちら側は判別不可能です。
左奥の道路は先ほどまで寄り添って進んでいた国道461号線です。
 
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舗装・整備された廃線跡を進んで行きましょう。こういう雰囲気、
大好きですねぇ。おや?遠くに何か見えてきました。
 
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どうやら次駅へ到着したようです。こちらは「芦場(よしば)駅」跡です。
ようやくハッキリとした駅跡が登場です。これ、50年前のですよ。感動です。
 
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反対側から撮影(矢板方面)します。どうやらホーム上は
花壇として利用されているようですね。賢明な利用法かと思います。
 
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例によって、「ホーム上で列車を待ってみました」(笑)。
ちなみに中央の立て札は駅名標・・・ではなく駅跡標です。
 
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では先へ進みましょう。この後も舗装した廃線跡が続きますが、
ここから先は「歩行者専用道路」となり自動車は進入禁止となります。
 
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暫く進むと「歩行者専用道路」は終了、再び自動車通行可能に。
こちらは次駅「天頂(てんちょう)駅」手前、切り通しの廃線跡です。
 
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「天頂(てんちょう)駅」跡へ到着致しました。予習段階で、
見逃しやすいとは聞いていましたが、さて、どれでしょうね。
 
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ふたつ、それらしいものを発見したのですが、一つ目はコレ。
う~む。これまで登場した駅跡と幅や形が似てますねぇ。
 
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そしてもう一つの候補がすぐ近くにあったコレ。若干新しい気がするし、
幅がやや狭いような・・・ということでこれは却下、前者が駅跡と睨みました。
 
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めでたく「天頂駅」跡も決定しましたし(自分比。笑)、
先へ進みましょう。「天頂駅」を出ると再び国道461号線と交差します。
 
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そして国道と交差すると、再び舗装された廃線跡が長々と続きます。
正直、この辺りは廃線色は薄く、少々退屈な区間です。
 
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と、そんな気分でいると、突然に不自然な石積みが現れました。
どうやらここが次駅、「船生(ふにゅう)駅」跡のようです。
 
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しかしコレって駅跡なんでしょうか。ふとこの光景に疑問が沸きました。
石積みとコンクリート壁の位置が、どうもシックリとこないんですよ。
 
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そしてちょっと先へ進んで横をみると・・・「 何よ、これは!?」
こちらにもホームらしきものが。ち、ちょ!どっちがモノホンなの !?


ということでその4は以上です。次回、その5は「船生駅」駅跡の解明編です。

矢板線 (栃木県/矢板-新高徳) その5

●前回は「船生(ふにゅう)駅」到着後、ホーム跡らしきものを二つ発見、
「どちらが本物なんだ !?」という場面で終了しました。
今回、その5はこの解明編と、次駅「西船生駅」&その先の
「遅沢川」に架かる橋台跡までを辿ります。ではご覧下さい。
 
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では私の答えです。こちらが「船生駅」のホーム跡ではないのかと
いう結論に達しました。その理由は、両端の廃線跡の延長線上に・・・
 
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あるということと、この空撮で見ると駅跡が膨らんでいることが分かります。
この膨らんだ外側の部分が もう一方 の写真ではないかと思います。
 
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要はあの部分は、駅の土台(基礎)だったのでは・・・という推測から、
こちらがホーム跡の可能性大とします。ちなみにここにも材木屋さんがあります。
 
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では「船生駅」跡を出発します。やや築堤じみた廃線跡がグッドです。
奥に見える山々は位置的に日光周辺の山々でしょうか。
 
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終点の一つ前の駅、「西船生(にしふにゅう)駅」跡へとやって来ました。
やはりここでも石積みが発見出来ましたが、ただこれまでとは違った点が。
 
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反対側にもあるんです(笑)。そこで 1949年の空撮画像で
確認してみると、この駅は周囲より一段低くなっていたようですね。
 
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「西船生駅」跡を出発すると、このように廃線跡は突然姿を消します。
実はここで廃線跡を見失ってしまい、廃線跡探しの時間となります。
 
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後から地図上で探してみると簡単に分かるのですが、これが現地で
探すとなると話は別、大変なんですよ。苦闘の末、やっと見つけました。
 
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終着駅を目指し、廃線跡は森の中へ入って行きます。
 
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小さな橋台跡が見つかりました。
 
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見た目は進めそうな感じですが、実はこの先はかなり荒れています。
そして廃線跡はこの先で再び途切れます。また見失いました。orz
 
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再びあちこちと彷徨った挙げ句、やようやく見つけました。。。
こちらが廃線跡予想図です。こ、これじゃ分からんよなぁぁぁ。
 
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ところが上手く出来ているもので、こういう後にはお楽しみが
待っていたりするものです。「遅沢川」に架かる橋台跡を発見します。
 
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実はここも探したんですわ。振り返ればこのように土が盛られ、地形
そのものが変わってしまっています。これじゃなかなか見つかりませんわ。
 
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では苦労した分、"ジックリと舐め回すように"拝見させて頂くことに
しましょうか(笑)。画像では分かり辛いのですが、結構な高所です。
 
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川の流れの音が心地良いです。自分の中の悪いモノを洗い流してくれるようです・・・。

その5は以上です。次回はいよいよ最終回、「新高徳駅」までの廃線跡を辿ります。

矢板線 (栃木県/矢板-新高徳) 最終回

●「東武矢板線」の廃線跡探索は 6回目を迎えて
ようやく最終回に辿り着きました。では早速ご覧下さい。
 
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その5でご紹介した「遅沢川」に架かる橋台跡を迂回するため、
一度戻ります。この廃線跡は当時は緩やかに下っていた筈です。
 
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迂回途中でこのような石碑を見つけました。「鉄道関連か?」と
確認してみますが、どうやら違うようでした。「開墾記念碑」のようです。
 
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面倒な迂回でしたが反対へ到着しました。どこから見ても立派です(笑)。
ちなみに反対側の景色をもう一度見ましょうか。その先端から撮影しています。
 
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では終点へ向けて歩を進めましょう。こちらは今の橋台跡のすぐ先の廃線跡です。
 
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橋台跡を過ぎると終点「新高徳駅」まで廃線跡はほぼ一直線となります。
 
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こちらは切り通しですね。駅まであと約 2kmの地点です。
 
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基本的にこの区間は、ご覧のような森を抜ける形が多いですね。
 
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駅まであと約 500m少々となる頃、今までの森を抜けるような
廃線跡は終わり周囲が開け始めます。今度は住宅街となります。
 
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駅まであと 300m。廃線跡は最後のカーブに差し掛かります。
 
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そしてカーブを抜けると、終点「新高徳駅」が見えてきます。
 
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「新高徳駅」に到着しました。東武鬼怒川線の停車駅となります。
 
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ではこの「新高徳駅」を空撮で確認して見ましょう。
1948年当時とほぼ区画構成が変わっていないようです。
 
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こちらは「新高徳駅」全景です。この敷地に「矢板線」のホームがありました。
 
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振り返って矢板方面を見ます。正面に見えるのが廃線跡です。
ところでこの上の空撮写真で、何かに気が付いた方は居ますか?
 
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気付かれた方は鋭いですね(笑)。矢板方面から来たレールが下へも
延びているのにお気付きでしょうか。どうやら連絡線のようです。
 
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現「鬼怒川線」への乗り入れも可能なように敷いていたのでしょうか。同じ
「東武」ですしね。そこで現地へ行ってみましたが・・・全く判別不能でした。

以上で「東武矢板線」は完結になります。しかし廃止から約 50年も経過して
いるというのに、未だに多く残る遺構の数々、そして向こうから疑問を投げかけ
謎解きを求めて来るような遺構が多く、予想外に見どころの多い廃線跡でした。

新潟交通電車線 (新潟県/白山前駅-燕) その1

●データ 【所在地】新潟県新潟市~燕市 【運営キロ】36.1Km
【開業】1933年(昭和8年)4月1日 【廃止】1999年(平成11年)4月4日
【魅力】総距離36Kmは長岡線に次いでの長距離探索記録でした。
まだ年月の浅いせいか遺構の数や記念碑等も多く、
貴重な路線だったことが伺えます。 【訪問日】09.11.14

●魅力的な廃線跡の多い新潟県。本格的な冬将軍到来の前にと、
今年最後のつもりで新潟県へやって来ました。

スタート地点は新潟県の中心部としていたので、前日中に新潟入りし
近場で一泊しました。しかしながらこの日は運の悪いことに前日から雨が続き
携帯片手に雨雲レーダー」と睨めっこの探索となりました。

そして探索開始を一時間ほど遅らせれば雨が小降りになると予測、
思惑通り小降りになり探索を開始しました。ところがです。
これが後々思わぬ副作用をもたらすことになってしまいました。
ちなみに今回は長編(全 8回?)の予定です。ではご覧下さい。
 
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まずは恒例、空撮でスタート地点の確認をしておきましょう。
スタート地点の「白山前駅」ですが、現役当時は「路面電車」でした。
 
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「白山前駅」を少々出たところです。駅は右側にあり、
現役当時はこの道路中央を真横へ横切り駅へ行きました。
 
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駅のあった場所へ到着しました。前方に見える木は、
空撮で確認すると当時からあったように見えますが、どうなんでしょう。
 
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駅のホーム先端へ立ったと仮定して撮影してみました。
電車はこの道路中央を走って行ったようです。
 
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ではお待たせ致しました、「白山前駅」跡地です。何とトイレとなっていました。
ただこのトイレ、タイル張りです、が当時の駅をモチーフにしたとかしないとか。
 
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ではそろそろ駅を離れましょう。スタートから約 1Km地点です。
この辺りで小降りだった雨がようやく止んできました。
 
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前方に見える高架は「JR越後線」です。この下を潜り暫くすると
新潟交通は「路面電車」から「鉄道」へと切り替わります。
 
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この辺りが「路面電車」から「鉄道」へと切り替わる地点、
「鉄軌分界点」だったと思われます。かなり変わってしまったようです。
 
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振り返って「白山前駅」方面を見てみます。これまで道路中央を
走っていた電車は、急速に左へ逸れ道路から離れて行きました。
 
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写真には写っておりませんが、すぐ右には信濃川が流れています。
電車はこの信濃川に沿って次駅「東関屋駅」へと向かいました。
 
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さぁ「東関屋駅」へと到着しました。ご覧のように跡地にはこのような
マンションが立ち並び、当時の様子を偲ぶことは出来ません。
 
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マンションの駐車場です。この左側に「東関屋駅」の駅舎が
あったと思われます。この辺りにはバスターミナルがありました。
 
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ではこの「東関屋駅」を上空から見てみましょう。"外枠"は同じなのに、
内側は大変貌、遺構の"いの字"もありません。残念ですね。
 
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「少しくらい何かあってもいいのに」と思いつつ、無念な思いで駅を後にします。
駅を出ると電車は「関屋大橋」を渡るために高度を増して行きます。
 
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完全に「普通の歩道」に見えますが、ここが新潟交通の廃線跡でした。
この坂道を電車は「ガタンゴトン」と登って行った訳です。
 
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では今度は「関屋大橋」についてクローズアップして行きましょう。
横から見てみます。当時のガーターを使用しているとのことです。

 
今回は以上ます。次回はこの「関屋大橋」の検証と、次駅「東青山駅」から先を辿ります。

新潟交通電車線 (新潟県/白山前駅-燕) その2

●場面は「東関屋駅」を出発し、信濃川の分水路・関屋分水路に
架かる「関屋大橋」を渡るところから再開します。
当時のガーターを使用しているそうです。ちなみに
降り続いていた雨はようやく小降りとなり探索し易くなってきました。
 
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当時のガーターを使用しているそうですが、横から確認してみましょう。
塗りなおされてはいるようですが、どうやら当時のもののようです。
 
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すぐ下までやって来ました。この上をゴトゴトと走っていたんですねぇ。
しかし関係ありませんが、この水の濁りは何でしょう。降雨があったから?
 
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では橋の上に行きましょう。画像は「東関屋駅」方面です。
 
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振り返ります。これを見るととても電車が走っていたとは思えませんね。
でも壊されずに再利用されているのですから良かったですね。
 
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対岸へ来ました。橋を渡り左へカーブすると、「東青山駅」がありました。
この先は築堤となっており、有難いことに今も残ってはいるのですが・・・
 
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築堤上はご覧の通りでして・・・。それにしてもほぼ毎回と
言って良いくらいコイツらには悩まされます。
 
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ということで築堤上の歩行は困難でしたので、脇の道路側から「東青山駅」へ
アプローチすることにします。すると途中でガーター橋を発見しました。
 
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嬉しいモノを残しておいてくれますねぇ。ここは「東青山駅」を
出るとすぐに渡る橋でした。「青山道下」と書いてありますね。
 
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どうにかして築堤上へ行けないものかと進入口を探します。
しかし、これがなかなかどうして、行けそうで行けないんですよね。
 
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でも何とか見つけて既に築堤上です。この付近が「東青山駅」跡と思われ
ますが、境界杭らしきものを見つけたのみで他に収穫はありませんでした。
 
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では先ほどのガーター橋へ向かってみましょうか。もう既に前方に
うっすらと見えていますね。下の囲みですが、コレはなんでしょう?
 
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というわけで廃橋梁、すぐ目の前までやって来ました。
このようになっていたのですね。やっぱりレールはナシですか。
 
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では強度的にも全く問題無さそうなので、渡ってみましょうか。
ただ大通りということもあり目立つので腰を低くして渡ります。
 
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渡りました。橋を渡ると築堤は徐々に低くなり左カーブしながら
地上を目指します。現役時もこのような光景だったのでしょう。
 
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振り返ってみます。それにしても何度も言いますが、このような
遺構は嬉しいものです。何時まで残っていてくれるのでしょうか。
 
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対岸の築堤上もこれまで同様ジャングルと化しているので、
ここから先は脇の道路に沿って進むことにします。


今回は以上です。次回はこの先「平島駅」~「寺地駅」間の探索予定です。