廃線跡訪問記 ブログ版 -58ページ目

羽鶴線 (栃木県/葛生-羽鶴) 前編

●データ 【所在地】栃木県佐野市 【運営キロ】6.2Km 【開業】1951年(昭和26年)
【廃止】1991年(平成3年)11月 【魅力】今回は羽鶴線のみの探索でしたが、
 この地には他に「会沢線」と「大叶線」という路線がありいずれも廃線となっています。
 廃線跡ターミナルとでもいったところでしょうか。 【訪問日】08.08.16


●やってきました、真夏の栃木県佐野市。しかしどこへ行っても暑いものなんスね。^^;

では簡単にご説明を。「葛生駅」からスタートする訳ですが、
しかしタイトルの「羽鶴線」は正確には葛生駅と接続していません。
正しくはこの先、「上白石駅」が羽鶴線のスタートとなります。
ではこの「葛生-上白石」間はナンなのか?となりますが、
この間は「会沢線」という路線名です。

この会沢線は羽鶴線と同時期に廃線となっており、ついでにということで
取材しました。「上白石駅」から先は分岐し当然行き先も変わりますが、
この先の会沢線はまたいつか機会があれば訪問したいと思います。
ということでこの「羽鶴線・前編」、正式には「会沢線」の廃線跡となりますが、
お間違えの無い様ご乗車下さい(笑)。では行ってみましょう。
 
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葛生駅。周囲には以前は"商店だった"ようなシャッターを下ろした
場所が点在、正直、「衰退してしまった」感が否めない印象でした・・・。
 
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駅の南側へ来ました。するとこのような広大な空き地が広がりました。
後ほどご説明致しますが、かつてこの場所は貨物ターミナル駅でした。
 
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東武鉄道が管轄のこの駅、当時の東武では最大の貨物駅でした。
前の写真から反対側へ来ましたが、それにしてもホントに広いですわ。
 
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「葛生駅」東側です。つまりはここから東は廃線跡となる訳です。
 
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同場所より一歩退いて撮影。ただ線路と架線が無いだけで
コレがあったならば、今でも全然現役線でイケそうですね。
 
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では1974年当時の空撮映像です。貨物もたくさん止まってますねぇ。
また画像の番号は掲載写真の撮影場所です。ご参考にどうぞ。
 
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こちらは上の写真、廃線跡を横断する道路に出て撮影。
どうですか、この見事な廃線跡。20年もの年月を感じさせません。
 
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こちらは100mほど先にあった「引き上げ線」跡です。この辺りには築堤が
あったはずですが、崩されてしまったようです。左に写るは廃線本線です。
 
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そして、もう少し進むと・・・築堤復活です。コレですよ、コレ。
良い景色です。そして突き当りにはトンネルらしきものが?
 
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と、その前に再び1974年の空撮映像で撮影場所を確認しましょう。
引き上げ線に車両が止まっているのが見えますね。
 
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では続きです。壁には「停止位置」の文字が。ここまで来てたのね。
さて、この先は一体どうなっているのでしょうか。
 
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映像では判り辛いかと思いますが、結構高い場所をよじ登って撮影。
そして中はにはナント!・・・数メートルで閉塞。実は分かってましたけどね(笑)。
 
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引き上げ線探索終了、廃線本線へ戻ることとしましょう。
再び引き上げ線の築堤を戻ります。
 
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写真左下の「虎模様」の標識はなんでしょうか。
ジツは「鉄」標識には詳しくなくて・・・。^^; しかしイイ感じ出してますね。
 
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さすがに夏場ということもあり雑草が伸び放題、進み辛いです。
それにしてもレールのみを撤去してなぜ架線は残っているのでしょうか。


以上、前編「羽鶴線」と言いつつ正確には「会沢線」の廃線跡でした。
後編では「上白石駅」からスタートし、いよいよ本題「羽鶴線」跡を辿ります。

羽鶴線 (栃木県/葛生-羽鶴) 後編

●正確には「会沢線」の廃線跡となる「葛生-上白石間」を前編ではご紹介致しました。
後編ではいよいよ本題「羽鶴線」の廃線跡を辿ります。
 
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まずは橋台跡から。ここ、正確にはまだ「会沢線」の廃線跡となります。
それにしてもこの橋台跡、随分と低くないですか? 車通れたのかな?
 
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上へ登ってみました。やっぱり低いですよね? 下手するとチャリの
人も頭コスったかも。絶対「頭上注意」の警告もあった筈だよね(笑)。
 
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いよいよ上白石駅構内です。このあとは二手に分岐します。
イイ感じっスねぇ。ところで「構内勾配転動防止」って何でしょう?
 
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多くの貨物が止まっていたとされる現「住友大阪セメント」栃木工場。
外から眺めて見ましたが、当時を偲ばすものは何一つ見つかりませんでした。
 
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「同社、正門」より撮影しました。内と外では踏み切り脇には「ふみきりちゅうい」の文字が。
 
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では1974年当時の空撮画像を。番号は撮影場所です。
それにしても構内には多くの貨車が止まっていますね。
 
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「上白石駅」を通過、更に北へ足を運びます。ちなみにこちらの廃線跡、
正確には短い間ですが「羽鶴線」「会沢線」「大叶線」となります。
 
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会沢線と分岐してすぐの橋梁です・・・が橋は無し。
ただし橋梁のあったことを示す橋台跡はしっかりと存在。
 
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このあとは暫くのっぺりとした廃線跡が続きます。
どうやら子供達にはうってつけの遊び場となっているようです。
 
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この付近は雑草が伸び放題。ただの空き地みたいに見えますね。
 
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更に先へ進みます。生活道路のような廃線跡が続いています。
 
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更この辺りはもう住民の生活道路として大活躍中って感じですねぇ。
でも分かり辛いのですが、奥に架線らしきものがまだあるのが判ります?
 
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廃線跡は住宅街を離れ、森の中へという感じです。
しかし森の中というと・・・ちょっと嫌な予感がしました。
 
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案の定、感的中でした。ご覧下さい、この密林ジャングル。架線柱が
出ているのが分かりますが、同時に雑草の背の高さも分かります。
 
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途方に暮れてふと空を見ると・・・ムム? 今度は天気がピンチの悪寒。
実はここまで「マイチャリ」で来ていた私、探索を中止することにしました。
 
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ゴールまではあと僅かだったと思いますが、仕方ないですね。
ということで、その「あと僅か」だった部分、1974年空撮画像です。

猛ダッシュでチャリをこいで車へ移動、残念ながら最後まで行けずに
終了となりましたが、またいつか再訪したいと思います。

長野原線(太子線)1 (群馬県/長野原草津口-太子) 前編

●データ 【所在地】群馬県長野原町~六合村 【運営キロ】5.8Km
【開業】1945年(昭和20年)1月2日 【廃止】1971年(昭和46年)5月1日
【魅力】少々難易度の高い廃線跡ですが、ルートは生活道路として舗装化されていたりなど
 探り易い。トンネルも一部は入れない場所もありますが現存。 【訪問日】08.07.26


●これまで掲載してきた廃線跡の中で、「探索」を目的としたものでは一番の

遠距離ロケとなりました。( 井川線 でご紹介したのは静岡県でしたが、これは旅行を
目的としたものでした。)舞台は長野・・・と言ってしまいそうですが、実は群馬県です。

「草津温泉の近く」と言えば分かり易いでしょうか。これまでは山奥にあるような場所の
探索が多かったのですが、実は・・・今回もそう(笑)。特にそう決めて行っている訳でも
無いんですけどね。ではとりあえず「長野原草津口駅」へ行ってみましょう。
 
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今回も車で移動、長野原草津口駅到着。と、いきなり「廃駅」利用の
バス停が !?・・・と思いましたが、モーレツな早とちりでした。^^;
 
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それにしても本当に駅のホームみたいな造りのバスターミナルです。
なるほど、ここから「草津温泉」や「北軽井沢」へとバスが出るのですね。
 
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同ターミナルにある案内板です。ちなみに季節は夏、山と言えども
やはり暑いものは暑く、ノドもカラカラ、一息してから出発しました。
 
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さて一息ついて探索開始です。まずは同ターミナル脇にある線路から探索。
実はこの先辺りから「長野原線」へと分かれる地点があったと思われます。
 
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ここからは「マイチャリ」で移動。まずは長野原草津口駅の北口へ。
写真は「白砂川」を渡る現役線です。この右側に「長野原線」が・・・。
 
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同地点から「長野原草津口駅」を振り返ります。恐らくこの左手付近から
長野原線へと分岐していた筈なのですが、遺構は発見出来ませんでした。
 
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この辺りも間違いなく長野原線が通っていた筈なんですが・・・。
どうやっても遺構は見つけられず。この先の橋梁へと繋がります。
 
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そしてようやく遺構発見です。少々分かり辛いのですが、旧・「白砂川橋梁」の橋台跡です。
何故か半分以上が削られていました。ちなみに写真のチャリは自分のです。笑
 
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根元まで来ました。登ってみたかったのですが、雑草も多く
アプローチする場所を見つけられず断念。夏場は仕方無いですねぇ。
 
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それにしてもしっかりと残っていますねぇ。枕木も乗っかった
ままのようです。しかしここでも木々が視界を遮ります、、、orz
 
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今度は電柱が視界を妨げます・・・。
でも全体像は掴めると思います。なかなかうまく撮らせてくれませんね。
 
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さぁ、「今度こそ!」と期待を込めて橋の反対側へ・・・と思ったらまたしても!
く、草がモノ凄いんだけど、、、正直、こんなことになるとは思いませんでした。泣
 
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ダメなものは仕方無いです。気を取り直して先へ進むことにします。
写真は道路が廃線跡です。暫く直線が続きます。
 
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すると路面が舗装ではなくなりました。さぁ再び盛り上がって参りましたよ♪ 笑
 
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「いかにも」という道を進みます。線路跡まで草が占拠してなくて良かったです。
 
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すると・・・遂に出ました。トンネル発見です。しかし、、、
「た、立ち入り禁止?」 さぁ、どうしましょう。

今回はここまでです。ちなみにこの最後のトンネル、一応「立ち入り禁止」というのは
判っていたんですよねぇ。それにしても猛暑の筈なのにこの辺は妙にヒンヤリしています。
これはトンネルから出てくる冷たい空気によるもの。ということはこのトンネル、「貫通」
しているということになります。ちゃんとライトも持って来たけど・・・さぁどうしましょう。。。

長野原線(太子線)1 (群馬県/長野原草津口-太子) 後編

●「た、立ち入り禁止?」 さぁ、どうしましょう!?

・・・最初のトンネルの前に立ち、悩む。トンネルからはヒンヤリとした冷たい
空気が流れ出ており、猛暑で汗だくとなった体も次第に冷却されてきます。
ということはこのトンネル、「貫通」しているということに。ちゃんとライトも
持って来たんだけど、さぁどうしましょ・・・って、行くに決まってるでしょう(笑)。

 

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さて入り口まで来ました。相変わらず奥からは、ヒンヤリした空気が流れて来ています。
 
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中へ入ります。本来は「猛暑」なのにここは異常なくらいに「涼しい(寒い?)」です。
 
ところが・・・想定外のハプニングが起こりました・・・持ってきた「懐中電灯の
明かりが届かない 」んです!実は水根貨物線探索の際、
詳しくは触れませんでしたが、トンネル内のあまりの暗さに驚愕したのでした。

この時は「暗さに目が慣れるまで数分待ち」、かろうじて僅かに足元が見えたので、
あとはその携帯の明かりを頼りに先へ進み窮地をしのぎました。、
そんな経緯もあり、今回は「それなりの懐中電灯」を準備して来たのですが・・・

全然考えが甘かった。く、暗過ぎる、、、
「トンネルというのは光を吸収するのか!?」というくらいに暗いです。
しかも今回のトンネルの長さは前回体験したものより長いようでしたので
残念ながらここで引き返すことにしました。ということで、早々にして【宿題】&
【再訪問決定】になっちゃいました・・・。で、では次へ行きましょう、、、滝汗
 
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こちらは国道292号線を北上し、白砂川を渡ったところで合流する
廃線跡を南下するところからの連続写真です。見るからに廃線跡ですね。
 
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そして最後にはこのトンネルが出現。ちなみに先ほど断念したトンネルの
出口ではありません。この間に3つほどのトンネルがあったようです。
 
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しかし先ほどよりも潜入が困難そうです。入り口には水が溜まっていますし、
そもそもこの奥は崩落しており先へは進めないそうです。
 
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さぁ今度は戻ります。先ほどの4分割の逆バージョンです。
「廃線跡丸出し」ともいえる道路が心地良いです。
 
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今度は先ほどの国道292号線との合流地点まで北上し、
再び国道と廃線跡に分かれる地点まで移動。写真は既に廃線跡です。
 
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この辺りは普通に生活道路として再利用されているようです。と、
再び前方にトンネルが見えてきました。今度は通れそうですね。
 
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目の前まで来ました。銘板には『第二愛宕ずい道、自 46K263M78、
至 46K351M78、形式 2号型、延長 88M00』と書かれています。
 
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46kmというと起点は渋川辺りになるのでしょうか。それにしても"cm"まで
算出するものなのですね。写真は連続していたもう一つのトンネルです。
 
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2つのトンネルを抜けるとあとはこのように「ソレらしい」舗装道路が続きます。
ここを「マイチャリ」でどんどん北上して行きます。
 
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廃線跡と知らなければなんでもない写真なんですが、
知ってしまうと、なんとなくレールが浮かんできませんか?
 
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イキナリですが終着駅「太子」に着きました。
ちなみに読み方は「たいし」ではなく「おおし」と読みます。
 
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写真は「ホッパー跡」と言いまして鉄鉱石を車両に積む施設です。
その下に車両があり鉱石を積んだ筈なのですが、今は跡形もなく・・・。
 
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車止めが残っていました。周りにはお花畑やブランコがあり
小さな公園のようになっていますが、あのホッパー、大丈夫なのかな?
 
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このあたりが太子駅の入り口かと思われます。
手前へとレールが分かれていく様子が見えそうです。


以上、長野原線(太子線)跡レポートでした。実はレポート中、どうも天候が
怪しい(スコール系ね)のが気になってはいたのですが、
「せっかく来たんだ」と探索を強行突破していました。
そして太子駅を到着した頃に・・・「ゴロゴロゴロ」
最後の写真などは随分暗いかと思います。で、帰る頃に「ポツリポツリ」。
チャリMAXスピードで車へと急ぎました。汗
そして多少は降られましたが、大して濡れることもなく無事帰還。
そしてその後は・・・「スコール」が来なかったとさ。。。笑

長野原線(太子線)2 (群馬県/長野原草津口-太子)

●データ 【所在地】群馬県長野原町~六合村 【運営キロ】5.8Km
【開業】1945年(昭和20年)1月2日 【廃止】1971年(昭和46年)5月1日
【魅力】 少々難易度の高い廃線跡ですが、ルートは生活道路として
舗装化されていたりなど探り易い。トンネルも一部は入れない場所もありますが現存。
【訪問日】08.09.06


前回の訪問 から約 1ヵ月半、やり残した宿題をするために再訪問。
その宿題とは、ハンドランプの光が弱く潜入予定だったトンネルへ入れず・・・
というもの。ということで、その断念したトンネルへ再び再訪したのでした。
もちろん強力な「ハンドランプ」を携えて、ね。
 
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イキナリですが、前回断念したトンネルの前まで来ました。
さぁ、気合入れて行きますか。相変わらず中からは強烈な冷気が。
 
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まだまだ暑い季節だというのに、中は寒いくらいです。
そして風が流れて来るということは、「貫通している」ということ。
 
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トンネルを抜けました。結構長いトンネルでした。
300mくらいはあったでしょうか。中は湿気だらけでジメジメでした。
 
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そして目の前にはこのような光景が広がりました。
先は見渡せませんが、とりあえずは前へ進めそうです。
 
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途中、埋もれた木を発見。この形、たぶん枕木確定でしょう。
しかし雨上がりということもあり、歩き辛かったですね。
 
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何の問題も無く数百メートル進むと、次なる標的が出現。ここも長そうです。
ちなみに右側には川があり、その川は遥か下方・・・汗
 
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ここも同じような長さでしたが、違ったのが湿気の多さ。湿気というか、
もう「霧」でした。ライトも数メートル程しか届かず、正直恐かったですね。
 
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抜けました。ご覧頂ければ分かるかと思いますが、もう心霊サイトの
ようです(笑)。曇っているように見えるのはその「霧」のせいです。
 
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銘板発見。『境ずい道 自44'451"84 至44'801"84 型式2号型 延長350"00』
と書いてあります。つまりこのトンネルの長さは350mだったぞ、と。
 
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で、正面を見ると・・・そ、そんな。。。進路妨害も甚だしいです。
もうこれ以上進む気にはなれず、ここで探索を断念することにしました。

ということで、長野原線探索は一応これでほぼ全線制覇、
探索は終了となります。ちなみに最後の雑草だらけで進めなかった先には、
崩壊により貫通していないトンネルがあると思われます。
そのトンネルの出口が、「 長野原線-1 後編 」でご紹介したトンネルとなるようです。
 
ではここからは「番外編」として、数年後には「ダムの底」へと沈んでしまう
温泉地をご紹介したいと思います。長野原線探索へ行く過程において
偶然知ったもので、新たなダム建設によって沈んでしまうそうなのです。

現在ここを走る「吾妻線」や国道も一部ダムの水没にかかってしまうそうで、
そのため迂回する新線を建設中でした。どこかと似ていませんか?

実は以前ご紹介した「井川線」と同じ状況なんです。
ダム名は「八ッ場(やんば)ダム」、沈むのは「川原湯温泉」といいます。
ただし、完成は数年後の予定なのですが、反対運動や難工事に加え、
資金的な問題もあり一説には完成は10年以上延びるのではないかとの
憶測があります。しかしながら見た感じでは工事も相当に進んでおり、
後々この街がダムに沈むことは確実と思われます。ということで、
工事の進む川原湯温泉周辺を探索して来ました。どうぞ進捗風景をご覧下さい。

 

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近くにある「やんば館」にて撮影。工事状況や周辺のジオラマ、
その地域の歴史に写真などが展示されていました。
 
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「やんば館」の外へ出ると、このような光景が。JR吾妻線です。
上が建設中の「新線」で、下が旧線・廃線となる「現在線」です。
 
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ダムに沈む予定の「川原湯温泉」。この温泉街、
上方へ移動し温泉を汲み上げて営業を再開するそうです。
 
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工事の進む国道145号線の迂回路。最初は「ナニコレ?」でしたね。
井川線の「奥大井湖上駅」の工事もこんな感じだったのでしょう。
 
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鉄道マニアの間では有名らしい日本一短いトンネル「樽沢隧道」。
ちなみに自分って鉄マニア? 実は現在線には全く興味が無かったりします。^^;
 
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こちらは吾妻川の大渓谷にある鹿飛橋。
暑い季節でしたが画像の通り、涼しかったですねー。


以上、短いご紹介でしたがダムに消える温泉地「川原湯温泉」でした。
渓谷はもっとゆっくり見たかったですね。ちなみに最後の2枚、
樽沢隧道と鹿飛橋はダム底へ沈むようなことは無いそうです。
湖底へ沈むまではまだ猶予はあるようですが、
期限が迫ってくるようでしたらまた訪問したいと考えています。