羽鶴線 (栃木県/葛生-羽鶴) 前編
【廃止】1991年(平成3年)11月 【魅力】今回は羽鶴線のみの探索でしたが、
この地には他に「会沢線」と「大叶線」という路線がありいずれも廃線となっています。
廃線跡ターミナルとでもいったところでしょうか。 【訪問日】08.08.16
●やってきました、真夏の栃木県佐野市。しかしどこへ行っても暑いものなんスね。^^;
では簡単にご説明を。「葛生駅」からスタートする訳ですが、
正しくはこの先、「上白石駅」が羽鶴線のスタートとなります。
ではこの「葛生-上白石」間はナンなのか?となりますが、
この間は「会沢線」という路線名です。
この会沢線は羽鶴線と同時期に廃線となっており、ついでにということで
この先の会沢線はまたいつか機会があれば訪問したいと思います。
お間違えの無い様ご乗車下さい(笑)。では行ってみましょう。
場所が点在、正直、「衰退してしまった」感が否めない印象でした・・・。
後ほどご説明致しますが、かつてこの場所は貨物ターミナル駅でした。
前の写真から反対側へ来ましたが、それにしてもホントに広いですわ。
コレがあったならば、今でも全然現役線でイケそうですね。
また画像の番号は掲載写真の撮影場所です。ご参考にどうぞ。
どうですか、この見事な廃線跡。20年もの年月を感じさせません。
良い景色です。そして突き当りにはトンネルらしきものが?
引き上げ線に車両が止まっているのが見えますね。
さて、この先は一体どうなっているのでしょうか。
そして中はにはナント!・・・数メートルで閉塞。実は分かってましたけどね(笑)。
再び引き上げ線の築堤を戻ります。
ジツは「鉄」標識には詳しくなくて・・・。^^; しかしイイ感じ出してますね。
それにしてもレールのみを撤去してなぜ架線は残っているのでしょうか。
以上、前編「羽鶴線」と言いつつ正確には「会沢線」の廃線跡でした。
後編では「上白石駅」からスタートし、いよいよ本題「羽鶴線」跡を辿ります。
羽鶴線 (栃木県/葛生-羽鶴) 後編
後編ではいよいよ本題「羽鶴線」の廃線跡を辿ります。
イイ感じっスねぇ。ところで「構内勾配転動防止」って何でしょう?
外から眺めて見ましたが、当時を偲ばすものは何一つ見つかりませんでした。
それにしても構内には多くの貨車が止まっていますね。
正確には短い間ですが「羽鶴線」「会沢線」「大叶線」となります。
会沢線と分岐してすぐの橋梁です・・・が橋は無し。
ただし橋梁のあったことを示す橋台跡はしっかりと存在。
ただし橋梁のあったことを示す橋台跡はしっかりと存在。
どうやら子供達にはうってつけの遊び場となっているようです。
でも分かり辛いのですが、奥に架線らしきものがまだあるのが判ります?
しかし森の中というと・・・ちょっと嫌な予感がしました。
実はここまで「マイチャリ」で来ていた私、探索を中止することにしました。
猛ダッシュでチャリをこいで車へ移動、残念ながら最後まで行けずに
長野原線(太子線)1 (群馬県/長野原草津口-太子) 前編
【開業】1945年(昭和20年)1月2日 【廃止】1971年(昭和46年)5月1日
【魅力】少々難易度の高い廃線跡ですが、ルートは生活道路として舗装化されていたりなど
探り易い。トンネルも一部は入れない場所もありますが現存。 【訪問日】08.07.26
●これまで掲載してきた廃線跡の中で、「探索」を目的としたものでは一番の
遠距離ロケとなりました。( 井川線 でご紹介したのは静岡県でしたが、これは旅行を
「草津温泉の近く」と言えば分かり易いでしょうか。これまでは山奥にあるような場所の
探索が多かったのですが、実は・・・今回もそう(笑)。特にそう決めて行っている訳でも

今回も車で移動、長野原草津口駅到着。と、いきなり「廃駅」利用の

それにしても本当に駅のホームみたいな造りのバスターミナルです。
なるほど、ここから「草津温泉」や「北軽井沢」へとバスが出るのですね。

同ターミナルにある案内板です。ちなみに季節は夏、山と言えども

さて一息ついて探索開始です。まずは同ターミナル脇にある線路から探索。
実はこの先辺りから「長野原線」へと分かれる地点があったと思われます。

ここからは「マイチャリ」で移動。まずは長野原草津口駅の北口へ。
写真は「白砂川」を渡る現役線です。この右側に「長野原線」が・・・。

同地点から「長野原草津口駅」を振り返ります。恐らくこの左手付近から

この辺りも間違いなく長野原線が通っていた筈なんですが・・・。
どうやっても遺構は見つけられず。この先の橋梁へと繋がります。

そしてようやく遺構発見です。少々分かり辛いのですが、旧・「白砂川橋梁」の橋台跡です。

根元まで来ました。登ってみたかったのですが、雑草も多く

それにしてもしっかりと残っていますねぇ。枕木も乗っかった

今度は電柱が視界を妨げます・・・。

さぁ、「今度こそ!」と期待を込めて橋の反対側へ・・・と思ったらまたしても!
く、草がモノ凄いんだけど、、、正直、こんなことになるとは思いませんでした。泣

ダメなものは仕方無いです。気を取り直して先へ進むことにします。
写真は道路が廃線跡です。暫く直線が続きます。

すると路面が舗装ではなくなりました。さぁ再び盛り上がって参りましたよ♪ 笑


今回はここまでです。ちなみにこの最後のトンネル、一応「立ち入り禁止」というのは
これはトンネルから出てくる冷たい空気によるもの。ということはこのトンネル、「貫通」
長野原線(太子線)1 (群馬県/長野原草津口-太子) 後編
・・・最初のトンネルの前に立ち、悩む。トンネルからはヒンヤリとした冷たい
ということはこのトンネル、「貫通」しているということに。ちゃんとライトも

さて入り口まで来ました。相変わらず奥からは、ヒンヤリした空気が流れて来ています。
詳しくは触れませんでしたが、トンネル内のあまりの暗さに驚愕したのでした。
この時は「暗さに目が慣れるまで数分待ち」、かろうじて僅かに足元が見えたので、
あとはその携帯の明かりを頼りに先へ進み窮地をしのぎました。、
そんな経緯もあり、今回は「それなりの懐中電灯」を準備して来たのですが・・・
全然考えが甘かった。く、暗過ぎる、、、
「トンネルというのは光を吸収するのか!?」というくらいに暗いです。
しかも今回のトンネルの長さは前回体験したものより長いようでしたので
残念ながらここで引き返すことにしました。ということで、早々にして【宿題】&

こちらは国道292号線を北上し、白砂川を渡ったところで合流する
廃線跡を南下するところからの連続写真です。見るからに廃線跡ですね。

そして最後にはこのトンネルが出現。ちなみに先ほど断念したトンネルの

しかし先ほどよりも潜入が困難そうです。入り口には水が溜まっていますし、
そもそもこの奥は崩落しており先へは進めないそうです。

さぁ今度は戻ります。先ほどの4分割の逆バージョンです。
「廃線跡丸出し」ともいえる道路が心地良いです。

今度は先ほどの国道292号線との合流地点まで北上し、
再び国道と廃線跡に分かれる地点まで移動。写真は既に廃線跡です。

この辺りは普通に生活道路として再利用されているようです。と、
再び前方にトンネルが見えてきました。今度は通れそうですね。

目の前まで来ました。銘板には『第二愛宕ずい道、自 46K263M78、
至 46K351M78、形式 2号型、延長 88M00』と書かれています。

46kmというと起点は渋川辺りになるのでしょうか。それにしても"cm"まで
算出するものなのですね。写真は連続していたもう一つのトンネルです。

2つのトンネルを抜けるとあとはこのように「ソレらしい」舗装道路が続きます。
ここを「マイチャリ」でどんどん北上して行きます。

廃線跡と知らなければなんでもない写真なんですが、
知ってしまうと、なんとなくレールが浮かんできませんか?

イキナリですが終着駅「太子」に着きました。
ちなみに読み方は「たいし」ではなく「おおし」と読みます。

写真は「ホッパー跡」と言いまして鉄鉱石を車両に積む施設です。
その下に車両があり鉱石を積んだ筈なのですが、今は跡形もなく・・・。

車止めが残っていました。周りにはお花畑やブランコがあり
小さな公園のようになっていますが、あのホッパー、大丈夫なのかな?
手前へとレールが分かれていく様子が見えそうです。
以上、長野原線(太子線)跡レポートでした。実はレポート中、どうも天候が
「せっかく来たんだ」と探索を強行突破していました。
そして太子駅を到着した頃に・・・「ゴロゴロゴロ」
最後の写真などは随分暗いかと思います。で、帰る頃に「ポツリポツリ」。
チャリMAXスピードで車へと急ぎました。汗
そして多少は降られましたが、大して濡れることもなく無事帰還。
そしてその後は・・・「スコール」が来なかったとさ。。。笑
長野原線(太子線)2 (群馬県/長野原草津口-太子)
【開業】1945年(昭和20年)1月2日 【廃止】1971年(昭和46年)5月1日
【魅力】 少々難易度の高い廃線跡ですが、ルートは生活道路として
舗装化されていたりなど探り易い。トンネルも一部は入れない場所もありますが現存。
【訪問日】08.09.06
●前回の訪問 から約 1ヵ月半、やり残した宿題をするために再訪問。
もちろん強力な「ハンドランプ」を携えて、ね。

イキナリですが、前回断念したトンネルの前まで来ました。
さぁ、気合入れて行きますか。相変わらず中からは強烈な冷気が。

まだまだ暑い季節だというのに、中は寒いくらいです。
そして風が流れて来るということは、「貫通している」ということ。

トンネルを抜けました。結構長いトンネルでした。
300mくらいはあったでしょうか。中は湿気だらけでジメジメでした。

そして目の前にはこのような光景が広がりました。
先は見渡せませんが、とりあえずは前へ進めそうです。

途中、埋もれた木を発見。この形、たぶん枕木確定でしょう。
しかし雨上がりということもあり、歩き辛かったですね。

何の問題も無く数百メートル進むと、次なる標的が出現。ここも長そうです。

ここも同じような長さでしたが、違ったのが湿気の多さ。湿気というか、

抜けました。ご覧頂ければ分かるかと思いますが、もう心霊サイトの
ようです(笑)。曇っているように見えるのはその「霧」のせいです。

銘板発見。『境ずい道 自44'451"84 至44'801"84 型式2号型 延長350"00』
と書いてあります。つまりこのトンネルの長さは350mだったぞ、と。

で、正面を見ると・・・そ、そんな。。。進路妨害も甚だしいです。
もうこれ以上進む気にはなれず、ここで探索を断念することにしました。
ということで、長野原線探索は一応これでほぼ全線制覇、
崩壊により貫通していないトンネルがあると思われます。
現在ここを走る「吾妻線」や国道も一部ダムの水没にかかってしまうそうで、
そのため迂回する新線を建設中でした。どこかと似ていませんか?
実は以前ご紹介した「井川線」と同じ状況なんです。
ダム名は「八ッ場(やんば)ダム」、沈むのは「川原湯温泉」といいます。
ただし、完成は数年後の予定なのですが、反対運動や難工事に加え、
資金的な問題もあり一説には完成は10年以上延びるのではないかとの
後々この街がダムに沈むことは確実と思われます。ということで、

近くにある「やんば館」にて撮影。工事状況や周辺のジオラマ、
その地域の歴史に写真などが展示されていました。

「やんば館」の外へ出ると、このような光景が。JR吾妻線です。
上が建設中の「新線」で、下が旧線・廃線となる「現在線」です。

ダムに沈む予定の「川原湯温泉」。この温泉街、

工事の進む国道145号線の迂回路。最初は「ナニコレ?」でしたね。
井川線の「奥大井湖上駅」の工事もこんな感じだったのでしょう。

鉄道マニアの間では有名らしい日本一短いトンネル「樽沢隧道」。
ちなみに自分って鉄マニア? 実は現在線には全く興味が無かったりします。^^;
暑い季節でしたが画像の通り、涼しかったですねー。
以上、短いご紹介でしたがダムに消える温泉地「川原湯温泉」でした。
渓谷はもっとゆっくり見たかったですね。ちなみに最後の2枚、
湖底へ沈むまではまだ猶予はあるようですが、
期限が迫ってくるようでしたらまた訪問したいと考えています。
