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長野電鉄木島線(河東線)2 (長野県/信州中野-木島) その2

●リベンジ訪問中の木島線、その2では「中野北駅」から「夜間瀬川橋梁」までを辿ります。
 
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「中野北駅」を目指してやって来ました。ところが。
どの辺りなんでしょう
。小さな橋台(?)が写っています。
 
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事前調査だとこの辺だったハズなんですが、結局見つからず。
実はここより北へ僅かに100mほど行ったところでした。む、無念。
 
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もう少し粘っても良かったのですが、まだ前半戦で時間も読めず、
残念ながら先を急ぎました。悔しいので空撮で駅を見ることにします。^^;
 
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次の駅、「四ヶ郷(しかごう)駅」の入口へ移動しました。県道355号線の
踏切跡ですが、まだアスファルトの下にレールが埋まっていそうですね。
 
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真っ直ぐに伸びる廃線跡。「四ヶ郷駅」はこの左手にありました。
一段高くなっており、何やらコンクリートの部分も見えます。
 
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近づいてみました。コンクリートの部分には
駅舎でもあったのでしょうか。後ろに見えるのは保育園です。
 
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「書状受」箱です。良く無事に残っていてくれたものです。
上には薄く「四ヶ郷」の文字も確認できます。
 
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では現役時の空撮画像を見て確認してみましょう。
やはり比較的立派な駅舎が建っていたようです。
 
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同駅北側の踏切跡には、このような注意書きが。
良く見ると裏手の保育園へと繋がっていたようでした。
 
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では先へ進みます。「四ヶ郷駅」を出ると線路跡は右へ折れ、
「夜間瀬(よませ)川」を渡るため徐々に高度を稼ぎ出します。
 
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木島線の見所のひとつとも言える「夜間瀬川橋梁」までやってきました。
コレを見たかったんですねぇ・・・やっと見ることが出来ました。
 
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「夜間瀬川」、土手上にある踏切跡です。
 
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銘板(?)かと思ったら塗装記録表でした。向こう岸には銘版があるのかな?
 
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現役時の夜間瀬川橋梁の空撮画像です。
そろそろこの遺構に「触れて」みたくなってきました・・・。


その2はここまでです。最終回となる次回では「夜間瀬川」を渡り
前回探索を断念したポイント、「柳沢駅」までを辿ります。

長野電鉄木島線(河東線)2 (長野県/信州中野-木島) 最終回

●色々とあった木島線も、いよいよ今回で最終回となります。
最終回は夜間瀬川を渡り、前回体力切れによりダウン、断念したポイントの
「柳沢駅」までを辿ります。しかしここでもトラブルが。
散々「予習」をしてきた筈なのに起こってしまいました・・・では、ご覧下さい。
 
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「夜間瀬(よませ)川橋梁」です。既に渡り始めているかのように見えますが、
まだ渡ってません。どうせ、ほっといたって渡ると思っているんでしょ?笑
 
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ではご期待に応えて・・・ちょっとだけ進んでみました。
あそこの避難場所まで進んでみましょうかねぇ。
 
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到達しました。そしてこの勢いで向こう岸まで行こうと思いましたが・・・
遮るものがナニも無いので目立つんですよ、、、ココ。
 
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ということで(チキンな私は)ここで戻ることにしました(笑)。
随分進んだように思ったけど、こんなモンだったのね。
 
当初は(橋梁を)渡る気マンマンだったのですが、
「通報」されても困るので適当なところでヤメました。;
ここで次の場所へ向かうことにします。

次の目的地はこの「夜間瀬川」を渡ってスグの「赤岩駅」です。
ところが、、、予習した筈なのに、どうしてもこの駅が見つからないのです。
そして探し続けること 30分、ある決断を下します。
 
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夜間瀬川を渡る手前でこのような光景を目にしました。たぶん建設中の
「北陸新幹線」だと思うのですが、どうも位置的にヘンなんですよね。
 
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前回、この先の「信濃安田駅」近くでも見かけたし。まぁ新幹線に興味は
無いのでどうでもいいか、と。で、反対岸の廃線跡は発見しましたが・・・。
 
車で30分探し続けたものの、「赤岩駅」が全く見つかりません。
携帯等を駆使しても見つからず。
「廃線跡が一部道路になった」というところまでは掴んだのですが・・・
残念ながらここで「赤岩駅」の確認を断念しました。

そして帰宅後に確認してみました。そうすると、散々探し回ったお陰か、
この周辺の地図が手に取るように分かるようになっていました。
「あそこだったのかーーー!」と(笑)。そして肝心の
「赤岩駅」はというと・・・クイズです。下記空撮画像で探してみて下さい。
 
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さて、「赤岩駅」はドコでしょう?それにしても見つからんハズでしたゎ、、、
下の地図で確認してみて下さい。シッカリと予習していれば分かったかも知れませんが・・・
 
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これだけ変わってしまってわ、、、しかも図面上では分かりませんが
この辺りは凄く高低差のある地形でして、これも場所特定を難しくした
理由でした。しかも一番残念だったのは、一枚も写真を撮らなかったこと。
何をやって来たんでしょうねぇ。それで検証も出来るのに・・・。
 
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気落ちしながら次の最終目的地、「柳沢駅」跡へ到着しましたが・・・
この光景を見てパワー復活です(笑)。広い敷地を持つ列車交換駅でした。
 
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正確には前回も訪れているのですが、前回は体力を失い、
ヒィヒィ言いながらの訪問でしたので、正直実感もイマイチでした。
 
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ではどんな駅だったのかというと、お馴染み空撮画像で確認します。
空撮からでもしっかり「島式ホーム」というのがしっかりと見てとれます。
 
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ただの「出発」という文字が、凄く意味ありげなものに見えてきます。
以上で本日の日程は終了、木島線の全線探索も完了です。
 
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少々時間が余ったので、前回見失った「信濃安田」「田上」間の
廃線跡探索に向かいました。今回はもうバッチリ、迷うことはありません。
 
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ある意味、衝撃的な光景が待ち構えていました。新しく出来る
「新幹線」と消えてしまった「鉄路」の交差点という映像です。
 
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その「交差点」手前に小さな橋台跡を見つけました。
大きな橋桁を前に佇む廃線跡・・・これも何故か胸を打つ映像でした。
 
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分かり辛いのですが、矢印のように廃線跡が確認出来ました。
この先に先ほどの「新旧交代劇」地点があります。


最後に・・・ショッキングな絵を「見つけちゃった感」でフクザツな
気分で終わった探索でした。もちろん楽しくて、満喫しましたけどね。
良くも悪くも「アノ光景」は一生忘れないだろうなぁ、なんてね。
まぁ、「泣いて笑って盛りだくさんだった廃線跡」ということでまとめましょうか。
「ありがとう!木島線!」

太平洋セメント専用線1 (埼玉県/高麗川-西大家) その1

●データ 【所在地】埼玉県日高市~鶴ヶ島市 【運営キロ】 5.0Km
【開業】1963年(昭和38年)5月16日(西大家側)
【廃止】1999年(平成11年)9月20日(高麗川側)
【魅力】高麗川側では全線に渡り廃線跡が現存。「列車が来る」と錯覚するかも。笑
 反面西大家側では、一部で開発も進み探索に苦労するかも。 【訪問日】08.09.14
 
●今回の探索は太平洋セメント(埼玉工場)の専用線だった西大家-高麗川
(こまがわ)間。太平洋セメントの停車場は高麗川寄りにあり、
探索は西大家から高麗川へと歩いて探索します。
距離も5km程度ということだったので徒歩を選択したのですが・・・
予想以上の探索苦戦となりました。理由は探索不可能地点が存在したため。
このための迂回で 1 時間以上のタイムロスとなりました。
その1では西大家からそのタイムロスまでの探索をご紹介します。ではどうぞ・・・。
 
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埼玉県・鶴ヶ島市にある東武越生線「西大家駅」。
今回は電車で現地へ移動、徒歩での探索を選択しました。

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この廃線跡、「西大家-高麗川」間とは書きましたが実は西大家駅とは
接続しておらず「西大家- 一本松」間で分岐します。画像は分岐地点です。
 
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道路右側のスペースが廃線跡となります。
暫くはこのような判りやすい廃線跡が続きます。

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上段は現在、下段は'84年現役当時の空撮画像となります。
このように一本松駅側から分岐していたようです。


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何とも分かりやすい廃線跡でしょうか。
 
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特に立ち入り禁止などの立て看板もありません。
 
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分かり辛いのですが、小さな橋台跡を発見。
 
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その後も辿りやすい廃線跡が続きます。
 
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20~30分も歩いたでしょうか。すると・・・ナニコレ?
ご覧のように枕木らしきものが高く積まれております。ん?下には・・・
 
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レールですよ、レール。かなりの確率でこの路線のものでしょうね。
 
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先へ進みます。次第に廃線跡を辿るのが難しくなってきました。
 
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更に難しくなり、仕舞いには雑草で進むことも出来なくなりました。
 
ここで冒頭にも書いたように、「探索不可能地点」にぶつかってしまいました。
廃線跡は辿れるものの私有地の感じになり、
雑草も酷く仕方なく大きく迂回することにしました。
この迂回で思いもしなかった 1時間以上ものロスとなってしまいました。

携帯のGPSを使いながら迂回先を探しましたが、ここは運悪く細かい
路地までは記載されないエリア。それでも何とか再び廃線跡と合流し
再び探索再開。場面はそれから暫く歩いたところから再開します。
 
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草生(くさむ)した廃線跡。コレをずっと歩いてきました。
 
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こちらはご覧のような状況だったので迂回することにしました。
 
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この辺りは舗装されていますが間違いなく廃線跡です。
 
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ただし、正確には舗装面よりも若干左側を走っていたようです。

以上、「西大家-高麗川」間、中間地点までの廃線跡探索でした。
この間の距離は約 2.5km程なのですが、実際には 4kmほど歩いたでしょうか。
体力は消耗しましたが、「楽しみな」後半部分を心の支えに先へ進みます。笑
次回は太平洋セメントの手前まで、今も残るレール付き築堤跡の廃線跡を辿ります。

太平洋セメント専用線1 (埼玉県/高麗川-西大家) その2

●前回は西大家から中間点までをご紹介致しました。
今回はそこから太平洋セメント手前までをご紹介致します。

実はこの部分、余り期待はしていませんでした。
ところが実際には期待出来ないどころかその真逆でした。
築堤アリ、橋台アリ、レールアリで廃線跡丸出しでした。
その分喜びも大きかった訳で・・・では行ってみましょう♪
 
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何の意味も無く撮影した訳ではありません。
もちろんここも廃線跡。仕方が無いので迂回をします。
 
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舗装化された廃線跡を進みます。
実は探索中、廃線跡なのか確信が持てませんでした。
 
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薄暗くて少々見辛いのですが、この辺りは舗装化されていました。
 
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この辺は徐々に上りとなる築堤跡(道路右側)だったようなのですが・・・
ご覧のように取り崩され平地に、そして今では民家も建ち並びました。
 
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そして少々歩くと・・・で、出ましたっ! 何とも見事な橋台跡が出現です。
 
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片側だけしか現存しておりませんでしたが、築堤が存在していました。
 
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タマラず築堤へ登り撮影。笑崩された反対側には家が建ってました。
現役時、この先は築堤を緩やかに下りながら右へ曲がって行きました。
 
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この辺りの現在と当時の空撮画像を比べてみましょう。
左が現在で右が1989年。確かに緩やかに右へ下る築堤があったのです。
 
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振り返って完全な形で残る築堤跡を辿ることにします。
ところで、このパイプラインは?結露が出来ていました。
 
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結露があるということは、中に「冷たいナニかが」通っているということ。
分かる筈もないので次へ(笑)。この辺りはバラストが残っていました。
 
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ムム? 草に隠れては居ますが、この盛り上がり方。隠れてたって
判っちゃいますよ(笑)。あなた様はレール様でございますね?
 
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ほぼ完全な形で残る廃線跡。しかし残念ながら
ここで「立入禁止」の立て看が登場してしまいました・・・。
 
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やむを得ずヨダレを垂らしながら(笑)柵の外から撮影をします。
既に幾度か登場していますが、残った架線柱に蔦(ツタ)が絡み放題です。
 
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一度降りて築堤を見上げます。
 
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再び登ります。すると草で隠れて分かり辛いのですが
車止めを発見。この辺りは複線だったようですね。
 
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この築堤の斜面で妙な花を発見。曼珠沙華(まんじゅしゃげ)でした。
本当にここだけに咲いていました。ところでこの中にバッタが居るのが判りますか?


以上、「太平洋セメント専用線」中間点部分でした。最終回となるその3では、
ほぼ完璧な状態で残る太平洋セメント埼玉工場~高麗川の廃線跡を辿ります。

太平洋セメント専用線1 (埼玉県/高麗川-西大家) 最終回

●その2では築堤を頼りに廃線跡を辿ってきたものの、立ち入り禁止を
余儀なくされ築堤下から廃線跡を追いました。しかしその築堤跡も
次第に広くなる立ち入り禁止区域に阻まれ、遠くなってしまいました。
それでも最後には太セメの工場内へと繋がっていたのを確認、
その3ではここからのスタートとなります。
 
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築堤を下から見上げます。草に絡まれ「天に伸びる棒」は架線柱です。
そして廃線跡は工場内へと入り、私は工場の反対側へと向かいました。
 
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さっそく工場西口、高麗川方面出口へ来ました。
しかしソレらいいものは残念ながら発見出来ませんでした。
 
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仕方なく振り返り、廃線跡だったと思われる道路を歩いていると・・・
ありました、ありました、間違いなくこの廃線跡の遺構でしょう。
 
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レールは既に撤去済みでしたが、画面では分からないものの
バラストはそのまま。ということで、道を外れることなく廃線跡を辿れます。
 
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工場出口から数百メートル、つ、遂にレールの登場でございます。
しかもレールが錆び付いている以外はほぼ現役当時そのままです。
 
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振り返って撮影。途中時間をロスした関係で、
随分と陽が傾いてきてしまいました。では先へと進みましょう。
 
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踏切跡です。遮断機こそありませんが(元々無かった?)、
雰囲気ありますねー。ここは中学校の裏手にあった踏切です。
 
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「線路内立入禁止」の警告標もまた良い味付けをしてくれます。
 
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「速度15粁」ですか。随分とゆっくりだったのですね。
 
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不自然に切り取られたレールです。まぁ仕方がないでしょう。
 
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暫く進むと、これはまた立派な踏切が登場しました。
本当に遮断機だけを奪われてしまった踏切のようです。
 
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「生活道路」として定着したようで、幾人かの人々とすれ違いました。
そして線路脇に住むおじさんに声を掛けられ、10分少々お話をしました。
 
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話によれば、現役当時は速度も出していなかったせいか、騒音は気に
ならなかったそうです。途切れたレールに遮断機の無い踏切。絵になります。
 
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錆び付いた曲線レールの間に、今まで子供が遊んでいたのか
スコップや赤いバケツが転がっています。さっきの子供達のかな?
 
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さぁ「高麗川駅」が近づいて来ました。「川越線(埼京線)」と「八高線」が
合流する間へ専用線は繋がっていました。右が八高線、左が川越線です。
 
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少し進んで振り返ります。左は八高線。次の停車駅は「毛呂駅」です。
以上で探索完了、近くの踏切(現役)から脱出しました。汗


予定到着時刻よりは随分と遅れてしまいましたが、楽しく満足のいく探索でした。
得に「高麗川-工場」間は、危険も無く雰囲気バッチリでお勧めの廃線跡ですね。