太平洋セメント専用線1 (埼玉県/高麗川-西大家) その1
【開業】1963年(昭和38年)5月16日(西大家側)
【廃止】1999年(平成11年)9月20日(高麗川側)
【魅力】高麗川側では全線に渡り廃線跡が現存。「列車が来る」と錯覚するかも。笑
反面西大家側では、一部で開発も進み探索に苦労するかも。 【訪問日】08.09.14
探索は西大家から高麗川へと歩いて探索します。
距離も5km程度ということだったので徒歩を選択したのですが・・・
予想以上の探索苦戦となりました。理由は探索不可能地点が存在したため。
このための迂回で 1 時間以上のタイムロスとなりました。
その1では西大家からそのタイムロスまでの探索をご紹介します。ではどうぞ・・・。
今回は電車で現地へ移動、徒歩での探索を選択しました。
暫くはこのような判りやすい廃線跡が続きます。
このように一本松駅側から分岐していたようです。
特に立ち入り禁止などの立て看板もありません。
分かり辛いのですが、小さな橋台跡を発見。
その後も辿りやすい廃線跡が続きます。
20~30分も歩いたでしょうか。すると・・・ナニコレ?
ご覧のように枕木らしきものが高く積まれております。ん?下には・・・
レールですよ、レール。かなりの確率でこの路線のものでしょうね。
先へ進みます。次第に廃線跡を辿るのが難しくなってきました。
更に難しくなり、仕舞いには雑草で進むことも出来なくなりました。
廃線跡は辿れるものの私有地の感じになり、
雑草も酷く仕方なく大きく迂回することにしました。
この迂回で思いもしなかった 1時間以上ものロスとなってしまいました。
携帯のGPSを使いながら迂回先を探しましたが、ここは運悪く細かい
草生(くさむ)した廃線跡。コレをずっと歩いてきました。
こちらはご覧のような状況だったので迂回することにしました。
この辺りは舗装されていますが間違いなく廃線跡です。
以上、「西大家-高麗川」間、中間地点までの廃線跡探索でした。
この間の距離は約 2.5km程なのですが、実際には 4kmほど歩いたでしょうか。
体力は消耗しましたが、「楽しみな」後半部分を心の支えに先へ進みます。笑
次回は太平洋セメントの手前まで、今も残るレール付き築堤跡の廃線跡を辿ります。