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鹿島鉄道3 (茨城県/石岡-鉾田) 最終回

●「茨城空港」のアクセス路線を任され、「バス路線」として
復活を遂げた「鹿島鉄道」の廃線跡を検証しています。
今回が最終回で、今回復活を遂げた残す最後の部分、
「玉里駅」から「四箇村駅」までを辿って参ります。
また、オマケとして前回印象に残っていた「桃浦駅」と、
震災の影響を
受けたという「鉾田駅」を再訪して来ました。では続きご覧下さい。
 
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「石岡駅」を出て3.6Km先にある「玉里駅」へやって来ました。
前回訪問時の状況はこうでした。全てモノが残っている感じでした。

 
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そしてこちらが今回です。バス停ができ、全く違う場所へと変化しました。
周りの景色と照らし合わせることで、ようやく同じ場所だと認識できます。

 
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こちらは同じ「玉里駅」から鉾田方面を見た写真です。
線路は更に先へ続き、信号機も残っていました。

 
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そして今回です。前回よりもやや「引いた位置での撮影」となりますが、
同じ場所だということが分かると思います。綺麗になりましたねぇ。

 
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次は「新高浜駅」です。ここもやはり駅ホームなどが全て残り、
ほぼ手つかずの状態でした。そしてバス開通後はというと・・・

 
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こうなりました。駅は無くなり、「新高浜駅」というバス停が出来ました。
比較してみると、どうやら線路上に土を盛られ、均(なら)されたようです。
 
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そしてバス路線へと変わった最後の駅、「四箇村駅」へとやって来ました。
今更ですが、「しかむら」と読みます。駅跡はこのような状態でした。
 
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そしてこちらが今回です。やはりここも駅ホームがごっそりと無くなり、
バス交換ができるスペースが造られています。バス停名にも注目です。

 
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以上、ここまでが「バス路線」へと転換・舗装された区間のご紹介でした。
ではこの先の部分はどうなっているのでしょうか。前回はこうでした。

 
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そして今回です。ほぼ、前回そのままの姿を保っていました。
ちなみにこの先は、元々レールを外されていた区間です。
 
以上で「バス路線」へと転換された区間のご紹介は終わりとなります。
これ以降はオマケで、前回訪問時に印象に残った「桃浦駅」と、少々嫌な
噂を耳にした「鉾田駅」へと向かいます。ではまずは「桃浦駅」からご覧下さい。
 
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久々、2年9カ月ぶりの「桃浦駅」です。当時から変わった様子は無く、
何故か安心しました。いいでしょう、この光景。隣はすぐに霞ヶ浦の湖面です。

 
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ただ、少々変わったところもありました。例えばコレ。一目瞭然です。
いったい何処へ行ったのでしょう? 盗まれたのでなければいいのですが。

 
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こちらは「桃浦駅」東側、「鉾田駅」へと続く廃線跡です。
未だに「信号機」は健在でした。そして次は「鉾田駅」へと向かいます。

 
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さっそく「鉾田駅」へ到着しました。と同時に、即、驚愕のシーンを
目にすることに・・・その「崩壊した」というウワサは本当でした。。。

 
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何ということでしょう・・・ここに居たハズの「 キハ601 」クンも居なくなって
いました。これはもちろん、「東日本大震災」の影響を受けたものでした。
 
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なんということでしょう、両端のホームはぐにゃりと曲がり、直線部分は
皆無に等しい状況でした。中央のレールさえも傾いている状況です。

 
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ホーム反対側(西側)へと回ります。こちらが前回の写真です。
奥には「キハ601」クンも居て、静かに余生を過ごしていました。

 
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そしてこちらが「震災後」の写真です。こちら側は荒れ果て、全体が見辛く
なっていますが、ホームが歪んでいるのが分かると思います。残念です。
 
これまでは、どなたかが手入れをされていたのでしょう。
しかし今回の状況を見て、それは途切れてしまったと予測されます。

正直、こんなところよりも他に直すところはたくさんある訳で、
ひょっとしたら今後はもうずっとこのままかも知れません。
できることなら、最後の最後で構わないので・・・(順番が)
回ってきて欲しいものですね。以上、かしてつ再訪のレポートでした。

わたらせ渓谷鉄道旧線 (栃木県/神戸-沢入)

●データ 【所在地】群馬県みどり市 【運営キロ】7.5Km
【開業】1912年(大正元年)11月11日 【廃止】1973年(昭和48年)6月27日
【魅力】草木ダム建設により水没のため廃線に。
神戸側より探索。分岐点直後の廃線跡は判別難所ですが
トンネル以降は遊歩道化されています。【訪問日】08.10.13

●「わたらせ渓谷鉄道」。実は以前の探索でも登場したことがあります。
足尾線 」で登場しました。この時は「わたらせ~」の北側の終点、
「間藤駅」から北に続く廃線跡の旧「足尾本山駅」までを探索しました。
しかしこの「わたらせ~」、実は営業中の路線にも廃線跡は存在したのです。

それは途中にあるダムが理由。そのダムの名前は「草木ダム」。
そしてこのダムが建設される際、「わたらせ~」の一部がダムに沈むことに。
そのため一部路線変更を余儀なくされることとなり新線を建設、
そしてこの時に新たな廃線跡が生まれたのでした。今回はこの時に生まれた
廃線跡、神戸(ごうど)-沢入(そうり)間の探索へと向かうことにします。
 
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今回は電車で移動。両毛線を使って桐生まで出て、わたらせ渓谷鉄道に。
都会では見られない車内の様子に驚きました。というのも・・・
 
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目的地へ着いたら乗るのでしょう、一緒に自転車を積んだ乗客が居たり、
車掌さんが沿線のパンフレットを配りに来たり・・・ローカル線ならではの光景です。
 
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「神戸」到着です。ちなみに「こうべ」ではなく、「ごうど」と読みます。
この駅には廃車両を利用したレストランがあります。
 
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このレストランで「カツカレー」を食べ、歩いて足尾方面へ向かいます。
写真はわたらせ渓谷鉄道をオーバークロスする道路上から撮影。
 
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旧線と新線の分岐点地点までやってきました。
旧線は左へ折れることなく、まっすぐに進んでいたようです。
 
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この道路の左側を少々高い位置で走っていたようです。左側の石積みは
当時の築堤跡でしょうか? この先にトンネルが見えてきました。
 
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「草木ダム」建設により役目を終えた「琴平隧道」です。しかしこのトンネル、随分と
入口が高い所にありますが、これは築堤(?)が削られてしまったためでしょうか?
 
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入口全体図です。ご覧のように短いトンネルです。
トンネル出口には、落石防止用のロックシェードが見えます。
 
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トンネル内部。下調べではSLが走っていた頃の「煙の煤(すす)」が残って
いるとのことでしたが正直、良く分かりませんでした。カビにも見えるし・・・。
 
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私の好きなショット、トンネルの内側から外を望みます。
失われてしまった築堤を含め、なんとなく線路跡が浮かびませんか?
 
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外へ出ました。即ロックシェードが廃線跡を覆います。
 
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廃線跡は少し登りながら緩やかに右へ。遊歩道化されております。
 
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するとこんなモノを発見。これは草木ダム建設の際、
迂回線として一時的に渡良瀬川を渡った時の橋梁の遺構と思われます。
 
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今回、時間の都合もあり探索は行いませんでしたが、対岸にある
トンネルがそれを証明しております。行き先は・・・湖底です。汗
 
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更に進むと「草木ダム」が見えてきました。廃線跡も当然終了。
ここからはダムを見るため、左右へと続き高度を稼ぐ遊歩道を登ります。
 
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ゼーハーゼーハー。下から見た限り、それ程高いところにあるようには
見えなかったのですが・・・やっと「草木湖」到着です。づ、疲れました。。。

距離的には推定 500m少々と、これまでで一番短い探索だったでしょう。

この「草木ダム」建設のために廃線となった距離は約 7.5km。
ちなみに今回探索はしませんでしたが、ダムに沈んだ反対側(沢入駅側)路線も
早い段階に"水の中"のようで、殆どの部分がダムに沈んだようです。
ちなみに以前もちょびっとだけご紹介しましたが実は私、半"ダムフェチ"。
高い所が苦手なクセに高い所ばかりのダム、矛盾してますが好きなんですよね(笑)。

長野電鉄木島線(河東線)1 (長野県/信州中野-木島) 前編

●データ 【所在地】長野県中野市~飯山市 【運営キロ】12.9Km
【開業】1925年(大正14年)7月12日 【廃止】2002年(平成4年)4月1日
【魅力】まだ廃線としては新しいものの、夏場では雑草等が生い茂り行く手を阻む。
 一部は道路化されたが、それ以外では廃線跡を辿るのは容易。 【訪問日】08.09.20


●今回の訪問地は長野県にある河東(かとう)線。地元の方々には木島線とも呼ばれて
いました。この長野県、一口に長野県と言っても都道府県面積第 4位、広いんです。

訪問したのは富山県や新潟県に近い北部にある飯山市。この辺りは冬は大雪に
見舞われるため、冬季の探索はNG。ということで 9月に訪問してみた訳なのですが、
この暖かい(暑い)季節、探索にツキモノなのが「雑草」。ただ、そんなことはある程度
覚悟しているものなのですが、予想外に多くの雑草が私の体力を奪い大変なことに・・・。

今回の探索予定は徒歩で約13km。日頃から体力づくりもしてきたつもりでしたので、
このくらいの距離ならば問題はないだろうと思っていたのですが・・・
しかし「雑草」に加え「暑さ」が容赦なく私を襲います。大苦戦のレポートをどうぞ。
 
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早速ですが「飯山駅」に到着です。長野新幹線で長野まで出て、
飯山線で揺られること45分、20km先となるこの場所までやってきました。
 
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駅を降りて辺りを見回すとこのようなものが。
この時は分かりませんでしたが、後々探索中で答えが出てきました。
 
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千曲川の土手まで出てきました。まず目に入ったのがコレ。どう見ても
スキーのジャンプ台のようです。帰宅後調べたら「飯山シャンツェ」といそうです。
 
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最初の目的地「木島駅」を目指します。「これが千曲川か・・・」
・・・などと言いつつ、予想以上に距離があり、既にクタビレ状態です(苦笑)。
 
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途中の「セブンイレブン」で簡単にメシを食って遂に「木島駅」到着。
予想外に広い敷地で少々面食らいました。
 
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バスターミナルとしても使われていたそうです。それは広い筈です。
今でもバスが数台停まっていましたが、発着しているのでしょうか?
 
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そして裏手へ回り、遂に河東線ホームと対面・・・「なんですか、コレは?」。
ご覧のように雑草だらけで、とても先へ進めるような状況では無く・・・
 
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脇にあった道路に沿って進みことにしました。
駅を出て数百メートル、ずっとこんな調子でした。
 
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ちなみにレールは全て撤去されてありません。
ただ踏切部分にレールは残っています。嬉しいですね。
 
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更にこの先も写真のような「ジャングル状態」が続きます。
架線柱に絡みつくツタも前回の「太平洋セメント専用線」同様、凄いです。
 
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レールはありませんが、バラストは残っております。
時折、写真のような鉄道施設も残っております。
 
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旧「信濃安田駅」まであと200mほどかというところで、
ようやく歩き易くなってきました。誰か手入れでもしたのでしょうか?
 
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左上から、「踏切跡」に「アスファルトの中に眠るレール」、
「落ちてしまった進入禁止札」に小さな「橋台跡」です。
 
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緩いカーブ、奥の左側に「信濃安田駅」はあった筈です。
 
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しかし駅の手前はこのような状態、駅があったであろう場所も
今は空き地で何もありませんでした(残念ながら写真を撮り損ねる)。
 
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しかし「駅があったであろう場所」から前方を見ると・・・出ました。
木島線唯一のトンネルがデーンと待ち構えています。

以上、河東線前半戦でした。ご紹介した木島駅から信濃安田駅までは僅かに 1.5kmほど
でしたが、今思えば道を駅を見失い探してしまった(おばちゃんに聞いて到達。有難う!)
こともあって既に 4km以上は歩いていました。

ということで、後半では完全に体力切れ&更なる「ハプニング」で、かなりヤバい
状態となってしまいます。さてどんなハプニングだったのでしょうか。。。
後半は河東線唯一となるトンネルのシーンから再開致します。

長野電鉄木島線(河東線)1 (長野県/信州中野-木島) 後編

●残念ながら旧「信濃安田駅」には何も残ってはおりませんでしたが、
ふと前を見れば・・・河東線唯一のトンネルが口を開けて待っているでは
ありませんか。後半はそんなシーンから始まります。
これから自分の身にどんなことが起こるのかなどは知る由も無く・・・。
 
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木島線唯一となるトンネル、「飯綱山トンネル」です。しかしその手前には
ご覧のようなジャングル地帯が・・・フン、こんなので怯むとでも?笑
 
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ジャングル地帯通過。中はレールこそ撤去されてしまいましたが
それ以外ではほぼ完璧な形で保存(or 放置?)されていました。
 
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トンネル内から外を望みます。私がトンネル内で必ず撮る構図です。
 
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中はご覧の通り。配線の類までそのままです。ところで「8」って何でしょう?
 
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反対側の出口まで来ました。ところで何故高くなってるのでしょう?
そのせいで、こちら側の出入り口は2/3ほどになっていました。
 
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外へ出ます。この道路に転用されてしまったのでしょうか?まだ新しそうだし。
ところで写真左側の切り通しみたいな石積みは、やはり遺構でしょうか?
 
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そしてふと視線を下へ落とすと・・・「!!!」 だ、大蛇の抜け殻が!笑
 
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辺りを見回すとこんなものが。「一体何を作って・・・」と、ここでようやく
飯山駅で見たものとが結びつきました。その部分も(奥)見えてます。
 
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これは建設中の「北陸新幹線」で、平成26年の完成目標だそうな。
ちなみにこの飯山にも駅が出来るそうで・・・ちょっとビックリ(失礼^^;)。
 
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この直後です。廃線跡を見失っているのに気付いたのは。
さて右側と左側、どっちなんだろ・・・(ホントはどっちも違う)。
 
この時、私は完全に廃線跡を見失っており、
本来の廃線跡は上記右側の写真から 200m以上も左でした。

完全な下調べ不足でした。そして携帯で細かいことを調べるのにも限界があり、
自力でこの周辺を歩き回ることになりました。

ノドの渇きを覚えながらも相当歩きました。足元も悪く土手を登っては下り、
時には自分の背の高さほどの雑草群を抜けることもありました。

そんな訳で相当のタイムロスに加え、それに比例し「体力ロス」も重なりました。

 

そこで 「これはヤバい・・・」 と一旦廃線跡探しは中止し、
体力回復
に努めるために水分補給をすることにしました。ところがです・・・

無い


ナイ



無いんです!


コンビニどころか、

自販機さえも!
で、更に歩き回りますが見つからず・・・


『み、水ぅぅぅ!!!』

こ、これでは本当に

干乾びて死んでしまう !!!


「どこかのお宅でもいいから」と蛇口を探しましたが見つからず、
最後には「どぶ川の水でも少しは飲める部分もあるだろう」などと、
そこまでホンキで考えていました。結構キレイだったし・・・。


そして散々歩き回り、遂に前方に「ガソリンスタンド」が見えてきました。

ガススタといえば自販機の 1つや 2つ置いてあるもの。
そこで「ちょっと買わせて下さい」と言うしか・・・っていうか、絶対に言わなければ!
今や「恥ずかしい」などと言っている場合ではありません。干乾びる寸前なのです。

そして到着して愕然・・・つ、潰れているではありませんか。。。
絶望と体力の限界を感じでそこで 5分ほど座り込んでしまいました。

誰かと連絡を取るなんて言ったってこんなトコに知り合いなど居ないしムダ、
そしてこうしていても仕方無いのは百も承知で、ほんの僅かに回復した
体力を頼りに再び自販機探しの旅に立ち上がりました。
絶望感いっぱいで【10歩】ほど歩いた時でした・・・なんだありゃ・・・???



自販機(キ)ターーー!!!!!


ガススタの塀って消防法でもあるのか、高い壁で囲むように造られていますよね?
その壁の外側に自販機が置いてあったのです!

しかしぶっちゃけロクなものしか置いて無かったのですが我侭など言ってる状況でもなく、
私はその中の「DAKARA・ペット」を選択。


 

ゴクゴク・・・1本終了


ゴクゴクゴク・・・2本終了


ゴクゴクゴクゴクゴク・・・ゲフッ・・・3本終了

さすがに 3本目は窮屈でしたが、一気に 3本(1.5ℓ)なんか飲んだのは始めてですわ。


ということで「オヤジの干物」になることだけはこうして避けることが出来たのでした。汗


そして少々休んでから再び廃線跡探しに・・・と思いましたがその時、
やたらと体が重いのに気付きました。予想以上に体力の消耗が進んでいたのでした。
それでも、あともう少しだと思い探索を再開したのでした。

ちなみに見失っていた廃線跡は「自販機探し」の際に見つけておりました。
場面はここから再開致します・・・。

 

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見つけた廃線跡は再びこのようなジャングル状態でした。
前に見える「ツタの棒」はもちろん、架線柱です。す、凄いですねぇ。
 
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この程度ならば歩けるように見えますが、これでも相当歩き辛いもの。
体力を著しく消耗している今の私には、ここを歩くのはとてもムリでした。
 
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ということで、脇を走る道路から眺めるように探索。それにしても
あの「ツタだらけの架線柱」は何度見ても異様ですねぇ。
 
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旧「柳沢駅」手前です。時折このような開けた場所も出てきますが、
それはごく一部、この辺りの大部分はジャングル状態で探索不可でした。
 
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旧「柳沢駅」跡。河東線唯一の「交換駅」だったらしいのですが、ご覧の
状態で踏み込めず。かなりの遺構が残っているというのに・・・。
 
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もう体力の限界でした。最後の力を振り絞り雑草を掻き分け、
シャッターを切りました。完全な形で残る信号機です。


と、ここで完全に体力切れとなり、遂に探索を諦める
ことにしました。
歩く余力も殆ど尽きてしまいました。

そこでどうしたのかというと、「販売機探索時」に廃線跡脇の道路が
運良くバス路線だったのを事前に把握しておりました。
そしてバス停も予め把握していたのでそこでバスを待つことに。
2時間に 1本程度のバスをでしたがそこは仕方ありません。

バス停で待つこと数分、ふと周りを見回すと「タクシー」の
電話番号が出ているのが目に入りました。・・・即決でした。
実際に次のバスが来るまでは 1時間以上・・・そりゃタクシーを呼びますよね、フツー。
という訳で、本来のゴールである「信州中野駅」へタクシーで辿り着き、
電車に揺られ帰路へついたのでした。。。

帰宅して調べたのですが、私の挫折した場所は全行程 13km中の約 8km地点でした。
まだあと 5kmもあったのです、、、

もちろん、
リベンジ
を誓ったのは言うまでもありませんが、
それにしても普段は毎晩マラソンで 7~10km走って鍛えているつもりでしたが、
途中で体力が尽きたことには驚きでした。13kmくらいならワケ無いと思っていたのに。

実際には迷ったりしたこともあり相当の距離を歩きましたし、
予想外の悪路の多さに体力を奪われたのもありますが、それを差し引いても
13km程度でヘバったのにはショックでした。そして翌日、何故か筋肉痛が発生。
毎日筋トレもしてるのに何故?と考えたら、普段使っていない筋肉が痛い。
そうか。「歩く」と「走る」では使う筋肉が違うのね・・・しかし情けないですわ。

長野電鉄木島線(河東線)2 (長野県/信州中野-木島) その1

●データ 【所在地】長野県中野市~飯山市 【運営キロ】12.9Km
【開業】1925年(大正14年)7月12日 【廃止】2002年(平成4年)4月1日
【魅力】まだ廃線としては新しいものの、夏場では雑草等が生い茂り行く手を阻む。
一部は道路化されたが、それ以外では廃線跡を辿るのは容易。 【訪問日】08.12.21


●体力切れにより壮絶なリタイア(自分比 笑)をした 前回 から約 3ヶ月、
リベンジを果たすために再び木島線へやって来ました。
 
前回は残暑残る暑い時だったということもあり、体力が切れダウンしてしまいましたが、
今回は冬季、「気温」という敵はもう居ません。更に今回は「車」という強い味方をお供に
つけての訪問、「木島線を完全制覇」するつもりでやって来ました。ではご覧下さい。
 
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前回は「木島駅」からのアプローチでしたが、今回は反対の「信州中野駅」から。
ここから前回の最終到着地点、「柳沢駅」を目指し、制覇を目指します。
 
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前の夜から長野入り、カプセルホテルで一晩過ごし、朝から探索開始。
さっそく廃線の匂いがして来ました。既に奥のレールは廃線跡です。
 
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最初の踏切に到着。非常に交通量の多い道路でした。「ナニやってんだ?」
という好奇な視線を妙に受けましたねぇ。それはそうですよねぇ(笑)。
 
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踏切を過ぎるとこれまで寄り添ってきた現役線、「長野線」ともお別れ、
右へと折れて行きます。木島線もレールとここでお別れとなります・・・。
 
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レールエンドです。これより先は「踏切跡」でしかレールを
見つけることが出来ませんでした。
 
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「信州中野駅」方面を望みます。「長野線」との合流地点です。
手前のボックスは位置的に「木島線」のものでしょうか?
 
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ここからは「レールのみを失った廃線跡」となります(正確には架線も、か)。
 
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「15.2‰(パーミル)の下り」の勾配標・・・で良いんですよね?もっと言えば、
「ここまで下り」で「更に下る」で、良いですよね? 違ったらスミマセン。
 
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更に進みます。この先には国道 292号線にかかっていた
橋がある筈ですが・・・。ところで手前の「6」って何でしょう?
 
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お、アレでしょうか?見えてきました。ところでこの架線柱って
ひょっとして他の用途で使用しているから、撤去されないのでしょうか?
 
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到着しました。どうやらレール撤去後にバラストを均(なら)したようですね。
しかし自分は始めて見ましたが、これは何という種の鉄橋なんでしょう?
 
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ところでここって一応立入禁止のようだったにも関わらず、
「生活道路臭」プンプンだったんですけど。絶対に使ってますね(笑)。
 
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ではこの周辺の空撮を見てみましょう。ご覧の通りです。
 
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では車まで戻って次の目的地へ進むことにします。次は「中野北駅」ですね。

ということで今回はここまでです。次回はその「中野北駅」から木島線の
ハイライトの一部ともいえる「夜間瀬川橋梁」の手前までをご紹介致します。