廃線跡訪問記 ブログ版 -59ページ目

日本煉瓦専用線1 (埼玉県/深谷-上敷免)

●データ 【所在地】埼玉県深谷市 【運営キロ】 4.2Km
【開業】 1895年(明治28年)7月 【廃止】 1975年(昭和50年)3月
【魅力】 廃線跡というよりは、もう遊歩道化されて当時の面影を探すのは難しいものの、
 この路線の役割というのはそれは素晴らしいものでした。 【訪問日】08.06.21


●実は全く予定をしていなかった廃線跡探索でした。たまたま友人と通りかかった深谷の
ダイ○ー(笑)。「ここら辺って確か・・・」。その僅かな記憶を辿り、携帯で調べてみると
 まさに今居る"駐車場の隣"が廃線跡と判明。そこで血が騒ぎ出してしまった私は急遽、
友人そっちのけでの廃線跡探索となったのでした(笑)。ということで当然デジカメなど
所持している訳も無く、携帯での撮影となりました。短編モノですが・・・どうぞ。
 
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某"百均最王手"の駐車場。今見えている陸橋が廃線跡です。
もちろん当時は踏み切りだった訳で。少々画像が暗いですが・・・
 
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これは訪問が夕方だったため。携帯のカメラですし仕方ありません。
写真は既に廃線跡。綺麗に遊歩道として復活しておりました。
 
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「深谷駅」方面へと向かいます。「右が自転車」で「左が歩行者」専用と
なっているようです。それにしてもこの「曲線」はいかにもソレらしいですね。
 
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暫くこの緩いカーブが続き、最後には現・高崎線と並行するように
合流して行きます。と言っているうちに高崎線の架線が見えてきました。
 
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所々にこのような案内板が立てられていました。
「レンガ工場までは3.5km」か。今日はちょっと行けませんね。
 
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ある橋に到着しました。うーん、これは橋台と橋桁部分を見て
即「当時のもの」だと直感。このような遺構は非常に嬉しいですね。
 
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『つばき橋』というのですね。それにしても先ほどからうすうすと
気付いてはいたのですが、非常に多くの煉瓦が使われていますね。
 
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深谷駅方面の廃線跡です。もう暗くなってきて分かり辛いのですが、
中央の分離帯も煉瓦造りです。さすが「煉瓦専用線」といったところです。
 
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ということでこれにて「日没サスペンテッド」、強制終了です。
最後は空撮にて、当時の「つばき橋」周辺の状況を見てみましょう。
 
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1974年と現在の比較です。陸橋も出来て随分と様変わりしました。
ただ廃線跡は、遊歩道化していることもあり良く分かりますね。
 
帰宅してから当然の如くこの「日本煉瓦専用線」について調べてみたのですが、
調べれば調べるほどこの廃線跡がモノ凄く重要な路線だったということが判明しました。
また、コレだけでは終わらせてはいけないということも・・・ということで即再訪問決定。
そこでひとつだけヒントです。「煉瓦」に関係することです。調べちゃダメですよ(笑)。

日本煉瓦専用線2 (埼玉県/深谷-上敷免)

●データ 【所在地】埼玉県深谷市 【運営キロ】4.2Km 【開業】1895年(明治28年)7月
【廃止】1975年(昭和50年)3月 【魅力】廃線跡というよりは、もう遊歩道化
されて
当時の面影を探すのは難しいものの、この路線の役割というのはそれは素晴らしい
ものでした。 【訪問日】08.10.25
 
●再訪を決めた 前回の訪問 から約 4ヶ月後、再びこの地を訪れました。
前回UPした後半のまとめの部分で、『この路線は、非常に重要な
路線だった
ということが判明した』と記しましたが、ここでタネ明かしをしたいと思います。

実はこの「日本煉瓦専用線」はその名の通り、
製造したレンガを各地へ運ぶ路線として大活躍をしていたのでした。
そしてその各地へ運ばれた場所と言うのが・・・「日銀旧館」や「迎賓館」、
また東京都にある鉄道施設の「高架」部分に使われたり、更には「東京駅」や
以前に当サイトでもご紹介した「碓氷峠」にあった めがね橋
旧・丸山変電所 のレンガもここで造られ運ばれたものだったのです。
まさかこのような凄い場所だったとは思いもしませんでした。
だから最寄の「深谷駅」もあのような東京駅をモチーフにしたレンガ造りだったのです。

もう納得づくめでした。そんな凄い廃線跡とは知らず、前回は中途半端な
探索で終わってしまったので、今回はしっかりと探索したいと思います。

 

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廃線跡らしい緩やかな右カーブです。遊歩道として復活中。
 
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全線に渡り右側が「自転車」、左側が「歩行者」と決められております。

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今回は探索は前回の未達部分、レンガ工場方面への探索です。
 
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と、その前に、レンガ工場手前の新旧空撮映像を比較しておきましょう。
上部がレンガ工場、下部が深谷駅方面です。さほど変化は無いようです。
 
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レンガ工場手前に小さな橋を見つけました。
小さな橋ですが、見事にレンガが組み込まれております。
 
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そして少々進むと・・・「備前渠鉄橋」という橋が現れました。
なんと重要文化財に指定されているのですが、その橋とは・・・
 
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この橋でした。正直私には「その価値」が見出せなかったのですが、
重要文化財指定ですし、さぞ立派なものなのでしょう。
 
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横から撮影。これは恐らく当時のガーター橋ですね。ちなみに先ほどの
レンガ橋も含め水が枯れ気味ですが、以前は多くの水があったようです。
 
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Uターンして「福川」という川のところまで戻ってきました。
すると、廃線跡の脇にこのような橋が。コレは一体?
 
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ではタネ明かしの前にこの周辺の新旧空撮画像です。
川の位置が治水のためか、随分と変わったようです。
 
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ではタネ明かしです。この橋は「福川鉄橋」といい、
この傍にある川に掛かっていたものを移動、保存したもののようです。
 
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ただ、ガーター部分や枕木は当時のもののようですが、どうもレンガが
新しいんですよね。これは当時のものではないかも知れません。
 
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ただ、このように大切に保存されているということは
この廃線跡がどれだけの功績を残してきたかの証明ですよね。
 
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レールが幾分か上下に波打ってますが・・・そこはご愛嬌です。
ちなみに隣は小公園となっています。


以上で「日本煉瓦専用線」は完結です。
僅か 4km少々という廃線跡でしたが、ここで製造されたレンガが
全国各地へ運ばれ散らばっていったことを考えると、
実態より遥かに長い廃線跡なのかも知れませんね・・・。

安比奈線 (埼玉県/南大塚-安比奈)

●データ 【所在地】埼玉県川越市 【運営キロ】3.2Km
【開業】1925年(大正15年)2月15日 【廃止(休止)】1967年(昭和42年)3月29日
【魅力】特に危険な箇所はなく、「初心者」に優しい廃線跡。ただ、車両基地として
復活の話もチラホラ。現に新しいレールも敷設・・・廃線跡ファンは急げ !?
【訪問日】08.06.14

●廃線跡の登竜門的存在ともいえる「西武・安比奈線」。総距離も
3km少々と散歩がてら歩きでも十分に満喫できる廃線跡です。

ちなみに私は車に「マイチャリ」を積んで訪問、最寄駅の南大塚駅近くへ車を
止め探索をしました。この安比奈線、実は廃線ではなく「休止線」扱い。
しかも驚くことに「復活」の動きさえ出てきているのです。
そのためか、以前はほぼ開放状態だった"廃線跡"に柵が設けられて
"立ち入り禁止"を大きくアピールするようになりました。

「復活」の話を少々すると、終点だった「安比奈駅」周辺に西武が
「車両基地」を設けたいようです。果たして実現はあるのか・・・。
 
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やってきました、埼玉県・川越です。写真は西武線「南大塚駅」。
近場へ車を止めて「マイチャリ」を引っ張り出し探索開始です。
 
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さっそくありました。これに間違いなさそうです。錆び付いたレールに
そこへ乗っけられた車止め用の木。まさしく廃線跡ですね。
 
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駅を出て少々歩くとこのような踏切が現れます。もちろん電車の来ることは
ありません。でもこの線路、実は廃線跡ではなく"将来のため"のものらしいです。
 
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こちらが本当の廃線跡。所々で「歪み」のきているところがまた
いい雰囲気を醸し出しています。架線柱は木製だったようです。
 
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以前は自由に入れたようですが、今は残念ながら立入禁止です。
徐々に「復活作業」が進んでいるという解釈で宜しいのでしょうか?
 
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さぁ国道16号線と交差する地点が近づいて参りました。
国道16号線といえば、交通量の激しいイメージがありますが。
 
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もし「復活」となったらこの交差部分はどうなるのでしょうか?
やはり踏み切りにするのでしょうか。それとも高架?
 
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国道16号を渡り少々したところです。中にはご覧の通り立て札が。
この立て札、比較的新しいところを見るとやはり・・・。
 
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「復活」の噂はあるものの、中にはこんな場所も(笑)。
完全に立ち入ってるようですし、そもそもこの綺麗なお花って、、、^^;
 
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更に進むとこんな状態でした。さすがに進むことが出来ず断念します。
ただこの架線柱の支えみたいなのは後から付けたようですが。
 
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かなり進んできました。この辺りは築堤となっているので
廃線跡の判別は容易です。写真には小さな橋が写っています。
 
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そして廃線跡は森の中へ。緑溢れる森の中に一本の道。絵になります。
 
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森を抜け暫く行くと小さなガーター橋が現れました。
枕木も腐りつつもしっかりと残っています。
 
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途中で道路の築堤に分断されますが、これをクリアし
モトクロス場らしきところを過ぎると終点、「安比奈駅」に到着します。
 
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と、言っても残念ながら駅らしい跡はもう何もありませんが。
ただ車止めがあったようなのですが、草木の背が高くて確認出来ず。
 
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その代わりに草むらにこんな物を発見しました。
ポイント切替え装置の一部でしょうか。


ということで安比奈線は以上です。もう少々「安比奈駅」周辺を
探索したかったのですが、実は夕暮れ時だったこともあり、
暗くなってしまいサスペンテッド強制終了となってしまったのでした。

それにしてもご紹介中にも何度か触れましたが「復活」の話、
地元・川越市も結構乗り気のようで「今すぐどうこう」ということは無いようですが、
本当に現実味を帯びてきたという感じです。もし仮にそうなったとしたら・・・
もちろん私の興味の対象から外れますね(笑)。廃線マニアは急げ!?

足尾線 (栃木県/間藤-足尾本山) 前編

●データ 【所在地】栃木県日光市 【運営キロ】1.9Km
【開業】1914年(大正3年)11月1日 【廃止】1989年(平成元年)3月29日
【魅力】比較的判り易く辿ることの出来る廃線跡。特に間藤駅を出てすぐの
 廃線跡は「これぞ廃線跡」と言える。ただその後は橋梁等があり注意が必要。
【訪問日】08.05.24


●今回の訪問地は「足尾銅山」で有名な栃木県日光市足尾町。
そして廃線跡は「わたらせ渓谷鉄道」、「間藤駅」より北側の部分です。
この「わたらせ渓谷鉄道」、ピンと来た方も多いかと思いますが、
そうです、森高千里(若い方はあややかな?)の「渡良瀬川」のわたらせです。

「わたらせ渓谷鉄道」は間藤が最北端の駅となっていますが、
1987年以前は約1.9km先の「足尾本山駅」まで貨物線として利用されていました。
今回はこの廃止から約20年経った「足尾-足尾本山」区間へと足を伸ばしてきました。
攻略は比較的容易でしたが、橋梁部分は恐かったですね。

 

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今回はマイカーを使い、東北道を北上し日光を経由しての間藤入り。
奥に見えるのは「わたらせ渓谷鉄道」の車両です。
 
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こちらは間藤駅から廃止区間を撮影。今は使うことの無い勾配標が
妙に綺麗なのが気になりますが、その他は良い雰囲気を出してます。
 
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こちらは終点を示す「車止め」から間藤駅を撮影。ちなみに写真に
写っている車両と上記写真の車両は同じものです。
 
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さぁ、車止めを越して早速先へ進むことにします。
するといきなり痕跡発見。信号機の制御ボックスでしょうか。
 
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この切り通しにこの曲線と草木の生え具合。これぞ「廃線跡」の理想的構図です。
 
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この切り通しにこの直線と草木の生え具合。これぞ「廃線跡」の理想的構図です。
 
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と、廃線跡の雰囲気に酔っていたら崩落により一部線路を
塞いでるじゃないですか。急に気が引き締まりました(汗)。
 
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すると突然線路分断。でもこの「途切れた線路」も絵になるものです。
 
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そしてすぐ脇には古く錆び付いた踏切が。ただこれで
遮断機が付いていれば「現役」と言われても分からないかも。
 
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そして踏切からごく僅かのところに「橋梁」発見。下を流れるは渡良瀬川。
そ、それにしても高所恐怖症の自分には「高ぇっス(滝汗)」。
 
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暫く進むと、ご覧のように草が生い茂り先へ進むことが困難に
なってきました。ということで、ここからは脇を走る道路を利用し・・・
 
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時折廃線跡へ入り探索を行うことにしました。しかしこのコンクリートを
割って壁から生える木々に自然の力強さと年月を感じさせますね。
 
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前方に短いガーター橋を発見。ナイスな味付けです。
 
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脇へ移動し横から撮影。「廃線跡」丸出しでタマらない映像です。
 
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間から覗いてみました。写真からは判りにくいと思いますが、
こんな短い橋でも結構高くて恐いものです。
 
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このページで移動した区間の空撮画像です。さすがに現在の
「間藤-足尾本山」の線路跡は少々判別しにくいですね。

前編は以上です。後編ではこの先、「足尾本山駅」を目指し進むことに
なります。その途中で現れる「ガケ崩れ」や今でも現役のような「トンネル」、
駅手前の「橋梁」などの見所をUPします。

足尾線 (栃木県/間藤-足尾本山) 後編

●後編ではいよいよ「終着駅・足尾本山駅」を目指します。距離的には
短いものでしたが、そんな中でも十分に中身の詰まったものでした。
 
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前編・後半にUPしたガーター橋を振り返って撮影。草、凄いでしょ?
これでは進めませんって。この区間は仕方ありません、スルーします。
 
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が、ガケ崩れです。ナニやら土嚢が多く積まれております。
 
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「今、崩れてくるなよ」と思いながら「土嚢ゾーン」を通過。
しかしこんな対処の仕方で良いんですね。ま、廃線だからね。
 
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ここから先は今まで邪魔をしてきた草はありません。
サクサク進むことにします。眼前にトンネルが見えてきました。
 
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何と信号機が現存しておりました。が、撮影を失敗してしまいました。
草が邪魔して素晴らしいトンネルが・・・もう少し右に行くべきでした。泣
 
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もう変わることの無い信号機。いつまでこのままでいるのでしょうか・・・。
 
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トンネル入り口の枠に注目です。所々が剥がれて中からレンガが
露出しています。補強のためにコンクリートを被せたのでしょうか?
 
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トンネルを潜り出口です。ところが出口へ到着してビックリ。
一部が剥がれて落下してます。あんなのを一個でも喰らったら・・・4超滝汗
 
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出口から振り返って撮影。この「列車確認」の文字がイイですね。
しかし今にも向こうから列車が"ゴォーッ"と走って来そうな感じです。
 
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さて最後のトンネルを通過していよいよ目的地の「足尾本山駅」です。
と、その前に、また大きなイベントがあるのでした。最後の橋梁超えです。
 
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ローアングルで撮影。しかし結構高くて恐かったですね。極力下を見ないように通過(笑)。
 
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遂に終点、「足尾本山駅」へ到着です。さて、と。入れませんねぇ。
無理して入って通報されても困るしね、諦めて外から眺めることにします。
 
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実は、入れないことは事前に調査済みでした。ということで、
柵に腕を突っ込み「少しでも近くで撮影を・・・」と悪あがきをします(笑)。
 
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更にその状態でデジカメをアップにし、最後の「悪あがき」です。
このカメラではこれ以上寄れませんでした。うーん、行きたいなぁ。
 
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ということでこれにて探索終了。そこでふと周りの景色を見てみると・・・
「何?あのハゲ山は?」 やはりまだアノ影響が残っているのでしょうか?
 
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最後に「足尾本山駅」空撮画像です。1976年と現在との比較ですが、
鉱山の稼働&停止の比較でもあります。でも殆ど変わりませんね。
 
ここでタネ明かしをします。前編でご紹介した踏み切りを過ぎたあとの8枚目の
橋梁・・・ジツは渡ってません(汗)。ただ、「恐いから」と言う理由ではなくて、
結構【人の目】が気になってしまって、渡るのを躊躇したものでした。

また本来、この橋を渡っていればもう一つトンネルを拝めた筈で、
残念なことをしてしまいました。というか、また行けばいいんですけどね。
 
色々な方のサイトを拝見しても余裕で渡ってるみたいですし、次回は渡りますよ!
またこの時には行かなかったのですが、この奥には鉱山の
廃墟もあるようで、こちらも次回は見ようと思います。以上「足尾線」編でした。