下河原線 (東京都/国分寺-下河原) その2
ここまで遺構らしい遺構と遭遇していなかったこともあり
本来の探索を忘れて食い入るように見入ってしまいました。
ということで、少々本線から外れ、寄り道をして行きましょう。

「東芝 府中事業所」北側にある廃線跡です。専用線と言えど

踏切跡にはまだレールが埋まったまま。廃止年月は不明です。

もう少し西側へ来ました。こちらの踏切跡もレールが埋まったまま。
その先は土が盛られてしまったようです。奥には信号機も見えます。

この先も廃線跡は続いていましたが、時間の都合(体力も?笑)もあり、
「本線」へ戻ることにします。ところで遠くに何か見えますね。なんぞや?

ん?アレですね。な?なんですと!?
アレは「103系(この間覚えました 笑)」ってヤツでは?

しかし更に近寄ってみてビックリです。何です?このカラーリングは?
奇抜というか、お子様が大喜びというか、面白いカラーリングでした。
ということで、この後は本当に「本線」へ戻ります。引き続きご覧下さい。

こちらは「北府中駅」手前です。図のどちらかが「下河原線」の線路だと
思うのですが。ちなみにカーブの先が先程の103系へと繋がるようです。

「北府中駅」の「東芝専用口」連絡橋までやって来ました。恐らく一番右の
路線(武蔵野線を除く)が下河原線と思われますが、果たして?

振り返って「府中本町駅」方面を見てみます。やはりこれを見ると、前の
写真は一番右側が廃線跡と判断せざるを得ないと思うのですが、どうでしょう?

アップにしてみます。廃線跡は雑草の中へ消えていきます。
このような大都会の中にも関わらずこんな光景を見られるとは。

更に「府中本町駅」寄りに来ました(ループのある道路より撮影)。

一つだけ置かれた枕木が良い味を出してます。錆びた線路も素敵です。

更に進み、某ホームセンター裏にある廃線跡末端部分まで来ました。
車止めを発見しました。もうちょっと近くへ寄ってみましょう。

正面へ回りました。そして車止め本体を見ることは出来ましたが・・・
このように凄い雑草でレールは確認出来ず。毎回邪魔してくれますねぇ。

「北府中駅」方面です。ここも雑草が凄くレールは確認出来ず。
思いがちですが、実は線で結んでみると線路はその隣と分かります。
その2は以上で終了です。ところで。今頃ナンですけが、
今回、「その2」で辿って来た「下河原線」の廃線跡ですが、ぶっちゃけ実は
「Wikipedia(通称:ウィキ)」等にはこの廃線跡のことが載っていません。
もっと言うならば「下河原線」のレールは今回の撤去(その1参照)で
完全に存在しなくなってしまったということになっています。
しかしながら空撮で当時と現在の比較をしてみると、まだ残っていると
下河原線 (東京都/国分寺-下河原) 最終回
予定外の遠回り等を強いられたりしたのが原因でしょう。
それでも途中で投げ出すワケにも行かず踏破を目指しますが、
最終的には予定距離の倍以上かかってしまいました。では最終回をご覧下さい。

突然小公園のような場所になったと思ったら何と、
レールが残っていました。恐らく当時のものでしょう。

しかしレールがある区間は、ほんの 50m ほど。
まぁ仕方ありませんよね。レールがあるだけでも有り難いです。

「下河原線の歴史」です。

レールが無くなると国道20号線(甲州街道)を超えます。するとこの後は
「下河原緑道」と呼ばれる遊歩道となります。片道約 3.5kmなり。

暫く進むと再びレールが復活します。ネット上でも見かけた光景が目の前に。

「旧下河原線跡」の解説です。

JR「南武線」との交差地点までやって来ました。このように「山なり」
だった筈は無いのですが、今となってはもう知る由もありません。

現在地はこちらです。ちなみに一言物申す!この遊歩道って「歩行者」と
「自転車」に分かれているのですが、守らない人が多過ぎ。守らなアカンぜ!

「下河原線」の一つの見所とも言える「東京競馬場前駅(左)」
方面と「下河原駅(右)」方面への分岐点へやって来ました。

恒例、空撮にて当時と今の比較をしてみましょう。
ご覧の通りです。先に「下河原駅」方面へ向かうことにします。

「下河原駅」方面へ向かっています。上の高架は「中央自動車道」です。
今更ですがユーミン「♪中央フリーウェイ(右に競馬場)」の舞台近しです。

中央自動車道を潜り数百メートル進むと、線路跡は右カーブします。

そしてカーブが終わると開けた場所に。終点「下河原駅(奥)」です。
かなり広い敷地のようですが、それもその筈で貨物駅だったようです。

そして駅の先には「引き上げ線」が設けられていました。
「遊歩道」はその終点部分まで伸びています(最後は小公園)。

では再び空撮にて今度は「下河原駅」周辺を見てみましょう。
随分と建物が建ちました。ただ、ホームが確認出来ないんですよねぇ。

ということでイキナリ飛びますが、「下河原駅」の探索を終え、
先ほどの「分岐点」へ戻りました。「東京競馬場前駅」を目指しています。

分岐点から 200mほど歩くと「東京競馬場前駅」に到着します。
今はこのように駅跡だったという痕跡は全く分かりません。
その1冒頭でも書きましたが、やはり予定というものはあくまで未定でして、大回りしたり
このことから、本当にガソリン切れでヘトヘトとなってしまいました。
よって過去最長徒歩記録達成ですそれにしても、「この程度でくたびれるなよ」と
魚沼線 (新潟県/来迎寺-西小千谷) その1
【開業】1911年(明治44年)9月14日 【廃止】1984年(昭和59年)4月1日
【魅力】FILE NO.39、赤谷線と偶然同日の廃止日。しかし遺構的にはこちらの方が
●新潟県「来迎寺駅」にやって来ました。実はこの来迎寺にやって来たのは
二回目です。最初は 長岡線 の探索での訪問でした。
そしてこの「魚沼線」の存在を知ったのがこの「長岡線」の探索を終えて
整理していた時で、「来迎寺」の部分に差し掛かった時でした。
「ん?なんだこの魚沼線って ?」 来迎寺についての情報収集中、
PC画面上に浮かび上がった「魚沼線」の文字にもう釘付け。
編集そっちのけで「来迎寺駅」周辺の空撮地図をPC画面上に
展開させました(笑)。これが今回探索の経緯です。ではご覧下さい。

再び「来迎寺駅」へとやって来ました。しつこいようですが前回は
「長岡線」目的の探索でした。まさか反対側にも廃線跡があったとはね。

ではまず空撮で当時と現在の状況を確認してみましょう。
北に「長岡線」、南に「魚沼線」の廃線跡、こんな駅があるんですねぇ。

さっそく来迎寺駅のホームへと入ってみましょう。ん?これですね。
一目瞭然です。右側が魚沼線のスペースでした。白線まであります。

バラストまで健在です。廃止から25年も経過しているとは思えません。

ホーム先端まで来ました。列車は来迎寺駅を出ると、大きく右へ
カーブして行きました。ちなみに左は「信越本線」、長岡方面です。

では駅を離れます。駅を出た列車は最初の踏切に差し掛かります。
しかしこの感じだと、当時は結構距離のある踏切だったのかも?
では次へ行く前に。少々本線を離れます。実はこの魚沼線には

では再び「来迎寺駅」の空撮で確認しましょう。1946年です。
分かりますか? 南へニョキッと伸びる路線が。これが旧線です。

[1]の部分です。駅を出てすぐの部分です。ここはまだ良いのですが、
中にはもう相当昔ということで、完全に住宅となっている部分もあります。

[2]の部分です。こちらは県道23号線を渡る部分となります。

[3]の部分です。県道を渡って少々行ったところです。
この直線の先で末期の廃線跡と合流します。
以上、軽便鉄道時代の廃線跡でした。ちなみに「旧来迎寺駅」が

では「本線」へ戻りましょう。再び来迎寺駅を出たところまで
やって来ました。場所は先ほどご紹介した踏み切りの来迎寺寄りです。

ちょっと駅の方まで歩いてみましょうか。来迎寺駅が見えました。
来迎寺駅ホーム先端で見た光景が、今居る場所です。

ではUターンして再び踏切方面まで歩いて行ってみましょう。
未だに残るこのレール跡に沿った古びた柵が、想像力を書き立てます

再び最初の踏切に到着しました。廃線跡は更に右カーブを描いていきます。

では更に先へと進みましょう。まだまだカーブして行きます。
ということでその1は以上です。このカーブ、最終的には130度ほどカーブします。
魚沼線 (新潟県/来迎寺-西小千谷) その2
大きな右カーブを描いている地点から再開致します。

前回最後の写真から 100mほど進んだ地点より再開しています。
この後廃線跡は図のように進み、最初の駅「片貝駅」へと進みます。

ではこの「片貝駅」到着の前にどのような駅だったのか、
空撮画像で確認しておきましょう。1面1線の駅だったようです。

現地へやって来ました。現在は郵便局となっています。
ヘタクソですが、当時の様子(想像図)を再現してみました。

別角度。この県道10号は200mほど先で右へ折れますが、
廃線跡はまだ真っ直ぐに伸びて(来迎寺方面)いました。

この先、西小千谷方面を見てみます。廃線跡は「片貝駅」を出ると
左へ折れて行きました(二枚目、空撮参照)。では先へ進みましょうか。

すると築堤気味にクッキリと残ってる廃線跡を発見。
正直、ここまでハッキリと残っているとは思っていませんでした。

車の轍の跡が残っています。この感じを見ると、比較的多くの
車が今でも行き来しているようです。小さな橋が架かっていますね。

当時のものかどうかはハッキリとしませんが、
その脇にある石積みは見事で綺麗ですね。

廃線跡は暫くこのような砂利道(バラストではない)が続き
「関越自動車道」の下を潜り抜けて行きます。

更に進みます。廃線跡らしい雰囲気が出てきました。
ただ、ここも時折自動車等の往来があるようです。

しかし一つの交差点を過ぎた辺りから様子が変わってきました。
相変わらずの砂利道ですが、幅が狭まり進み辛くなってきました。

草が刈られています。この辺りは田園地帯ということもあり
農道として使われているようです。その方が刈られたのでしょうか?

少々開けた場所に出てきました。実は次の駅、「高梨駅」跡と
間違えてしまいました。ちょっと造りが似てたんですよね。

この時は「ここだ」と信じて疑わず、色々と撮りまくちゃいました(笑)。
ちなみにこの場を出発する時に、場所が違うことに気付きました。

何時までもここに居ても仕方が無いので先へ進むことにします。
ただ先程から気になってたのですが、この先ちょっとヤバそうなんです。
いるようです。次駅「高梨駅」跡は、確認するとどうもこの先のようなんですが。
遠目に、かなり太い木が倒れているのが見えました。「これはムリかな?」と
思いましたね。まぁ、ダメなら引き返せばいいんですけどね。
次回はこの先、廃線跡の確認から始まります。ちなみに次回が最終回です。
魚沼線 (新潟県/来迎寺-西小千谷) 最終回
結論から言うと、自分で倒木をよけて無事通過をしました。ということで今回、

一応「無事通過」とは書きましたが、遠目に見えていた直径10cm程の
倒木や垂れ下がった枝等は自分でどかして先へ進みました。

この区間の廃線跡はご覧のように当時の様子を色濃く残すものでした。
ただこの区間、一日中殆ど人の立ち入ることの無いような場所でした。

そして湿った森林地帯のような場所を抜けます。するとこのような石垣が。
もしや?今度こそ間違いなく「高梨駅」跡のようです。良く残っていてくれました。

では先を急ぐことにします。今度は「高梨駅」から約2.5km離れた
「小粟田(こわだ)駅」跡へ移動します。実はもう到着しています(笑)。

このスペースが「小粟田駅」跡だったようです。そして・・・

このような記念碑も建てられていました。

ではどんどん先へ進みます。遂に終点「西小千谷」跡へ到着致します。
事前調査では駅跡は「整備され公園になった」との話でしたが。

どうやらここのようです。駅跡は「ぽっぽの里」として生まれ変わっていました。
入口の曲線は違うようですが、その先の歩道は路盤跡のようです。

中へ入ると、線路の登場・お出迎えとなります。ただ、当時の空撮と

では「西小千谷駅」を空撮で確認してみましょう。学校(小千谷西高)の
校庭右側に駅は存在しました。現在は整備され公園となりました。

更に奥へと進みます。見慣れた青背景に白文字の駅名標発見。

そして奥の方には、ホームがありました。ホームの表面は舗装

反対側から来迎寺方面を見てみます。
ホーム上には車輪や連結器が保存されていました。

同じくホーム上にはこのような魚沼線の歴史を記した掲示板も。
これによると、昭和29年以前は違う位置にあったと記載されています。
ということで、この件はもちろん予習済みでした。

空撮で確認してみます。戦後直後で古いということもあり、廃線跡の
殆どは失われているようですが、一箇所だけ怪しい場所を発見しました。
ちなみに「旧西小千谷駅」跡は変わってしまい発見出来ませんでした。
以上で「魚沼線」の廃線跡探索は終了となります。まず記念碑が建てられたり
また予想を遥かに上回る遺構の数々にも大満足の探索でした。