水根貨物線1 (東京都/奥多摩-水根) 前編
【開業】1952年(昭和27年)11月 【廃止(休止)】1957年(昭和32年)5月
【魅力】廃止から50年以上経った今でもほぼ現存。トンネルと橋梁の数が共に
23と見所が非常に多い。ただ経過年数からも分かるように危険な箇所も多い。
【訪問日】08.03.15
●今回のターゲットは奥多摩に存在する廃線跡です。
廃線になったのは1957年で、何と今から50年以上も前のことです。
しかしながらその「時間」を感じさせぬ内容でした。
その内容はこの後のお楽しみとして、とにかくこの「奥多摩」という場所は
予想以上に私をワクワクさせてくれる場所でした。
ここまで「人の手の加わっていない」場所というのも初めてで、
廃線跡探索の知識をここで随分と上げさせて頂いたと思います。
ということで今回は車で移動、奥多摩駅の近場へ車を止め、
下調べした「むかしみち」へ向かうところから始まります。

奥多摩駅周辺の多摩川です。しかし高いっ!左下に写る影は私の立つ

先ほどの場所から5分少々、「むかしみち」入り口までやって来ました。
調べによるとここから廃線跡へ行けるのだそうです。

結構な急坂です。この後もこのような坂が続き道は未舗装となります。
ちなみにこの「むかしみち」、全コース片道約10kmの道のりとなります。

と言っているうちに振り向くと・・・き、キマした♪ 素晴らしい景色に胸が高鳴ります。

レールまで残ってるじゃないですか。これが

今のトンネルへ入り中から撮影。うーん、良い景色です。
ちなみに先ほどから廃線廃線などと言っていますが・・・

実はここはまだ休止線扱いなんですよね。50年も経ってるのに、ですよ?
ま、「大人の事情」ってのがあるのでしょう。画像は同トンネルを抜けたところです。

トンネル出口に銘板発見。やっぱり昭和27年ですよ・・・綺麗に残ってるものです。

もう少し先へ(奥多摩側へ)進みました。が、これより先は所有地のようで

先ほどのトンネルを抜けて奥多摩湖方面へと向かいました。
すると小さな橋が。とは言っても下を見ると結構高いし、強度は?

強度は大丈夫そうだったので、渡りました。高所恐怖症克服です(笑)。
上記4分割は左上から右下の順です。最後は振り返って撮影。

時折雑草や小枝が行く手を遮りますが総じて順調に前進。
ただ、たまに見かける落石による「デカい石」を見かけると少々ビビります。

錆びたレールに導かれるように辿ります。画像のように反対側は

前編はここまでとなります。後編ではもう少し先まで進み、
ある場所で挫折、まだ行きたい場所もあったのでそこで引き返すことにしました。
そしてその「行きたい場所」とは? この私、ジツは○○フェチだったりもします(笑)。
水根貨物線1 (東京都/奥多摩-水根) 後編
そのうちにまだまだ"初心者"の私には【酷過ぎる】場所が突然訪れます。
ムリしても仕方ないし、他に行きたい場所もあったのでここで断念、

まず「続き」の前に奥多摩駅周辺の変化状況を。
少々見辛いのですが見たところは殆ど変わりないようです。

では続きです。前編から更にトンネルを3つばかり超えたでしょうか。
うち一つは長くまさに「漆黒の闇」状態、携帯の明かりで何とかクリア。汗

3km前後は歩いたでしょうか、あるトンネルを抜けたところです。
突然レールが途切れてしまいます。そして更に前方には・・・。

朽ち果てようとしている橋が、、、一応大丈夫そうでしたが、ムリしても

さぁ場面は急展開、瞬間移動します(笑)。「行きたい場所」とはダムでした。
実は私、半ダムフェチでもありまして・・・^^; 訪れたのは「小河内ダム」です。

なんかこういう景色も好きなんですよねー。心が洗われるというか。
この小河内ダムですが、「奥多摩湖」と言った方が分かり易いでしょうか。

この路線名、「水根貨物線」はこのダム建設による資材運搬のために
造られた路線だったのです。この運搬終了ということで、廃止となりました。

しかしダムは好きなものの、そのクセ高いところは大の苦手でして、、、^^;
これまでにも何回か言っていますが、根っからの高所恐怖症なんです(笑)。
と、遠くに旧水根駅へと続いていた最後のガーター橋が見えます。

小河内ダムの案内板です。現在地はご覧の通り。で、ここにある

さぁ帰路です。写真は上記写真と同じ橋です。
今回は時間の都合で探索出来ず。再訪決定ですね。
編集後記。この時はまだ知らなかったのですが、この奥多摩という場所は
ところで予期はしていたのですが、帰宅後ですが大変なことになっていましました。
季節は春先ということでスギ花粉の飛散真っ只中。「花粉症」とはガキの頃からの
ぐしゅ~ならまだいいです。「多少は通っている」という感じでしょうから。今回は
水根貨物線2 (東京都/奥多摩-水根)
【開業】1952年(昭和27年)11月 【廃止(休止)】1957年(昭和32年)5月
【魅力】廃止から50年以上経った今でもほぼ現存。トンネルと橋梁の数が共に
23と見所が非常に多い。ただ経過年数からも分かるように危険な箇所も多い。
【訪問日】08.04.12
●時間の都合で全ての予定を回れなかった 前回 から約 1ヶ月、再びこの地を訪れました。
ここで本編の前にちょっとおトクな情報を。関東では毎年3月下旬~4月初めにかけて
平野部では終わってしまった桜もここでは「見ごろ」になるのです。で、今回の訪問は
関東圏の方で、もし「見逃してしまった!」や

今回も車で移動、同じ近場へ車を止めて徒歩で探索開始。
前回は立ち寄らなかった「奥多摩駅(旧 氷川駅)」を通過します。

今回の訪問は前回行けなかった「水根貨物線」のメインとも言える
「日原橋梁」へ訪れるために来たと言っても過言ではありません。

見えてきました。ここへ来たならやはりコレを見なければ、ね。
巨大なコンクリートアーチ橋です。奥に見えるのが「日原橋梁」です。

と、その前に。キョロキョロしていたらトンネル発見。

モノは見えてきたものの、どうやって近寄ったら良いのか。詮索中。
そして行ける場所を見つけたものの、ある民家を通らないと行けません。
で、強行突破したら「おじいちゃん」に見つかっちゃいました、、、汗
どうやらこういうことにはもう慣れっこのようです。ヨカッタヨカッタ。^^;

反対側を振り返れば先ほど写したトンネルもそこに。
先へ進みたかったなぁ。しかしタマらない景色でしたわ。

ここは前回工場があって先へ進めなかった場所です。
会社らしき場所を暫く進むと、廃線跡上に小屋らしきものが。
更に足場も弱そうなところも時折あって下も丸見え、ちょっとヤバいです。
そんな場所をクリアするとようやくその場所へと辿り着くことが出来ます。
それにしてもせっかく写真撮ったのに。どうして残って無いんだろ(泣)。

場所は変わり、小河内ダム(奥多摩湖)近くにあった旧水根駅周辺です。
ここが終点となった訳ですが、もう駅跡という感じは全くありませんでした。

コレですもん。砂利がうず高く積まれていて、駅跡とはとても思えません。
周りは草ボーボーですし道らしい道も無く、草を掻き分け先へ進みました。

すると・・・突然目の前に廃レールが姿を現しました。
コレですよ、コレ。ようやくソレらしい跡を見つけることが出来ました。

さぁ、辿り着きました。こちらは前回時間の都合で近づくこと無く遠くからしか
見ることの出来なかった( 画像 )「水根側最後の橋」です。

「わ、渡りたいなぁ。でも、人目もあるし木も腐ってるみたいだし」と諦めました。
ということで今回の「奥多摩探索・第一弾」はここで終了です。
しかし文中での書いたように、まだやることが残っています。
この奥多摩は調べてみれば私の好きな「廃なモノ」が数多く存在する
水根貨物線3 (東京都/奥多摩-水根)
【廃止(休止)】1957年(昭和32年)5月 【魅力】廃止から50年以上経った今でもほぼ現存。
トンネルと橋梁の数が共に23と見所が非常に多い。ただ経過年数からも分かるように
危険な箇所も多い。 【訪問日】08.11.24
今回は水根側の未踏部分への探索を行いました。
ちなみにこの「水根貨物線」は今回で一区切りし、探索を終了したいと思います。

近くの「水と緑のふれあい館」へ車を停め、例によってここの「カツカレー」を

少々先のこの場所からアプローチすることにします。
すると偶然にも旧青梅街道を辿る道、「むかし道」とぶつかりました。

脇道を登り、高度を上げたところで一枚。どうやら廃線跡は相当に荒れていそうです。

廃線跡到達です。かなり荒れてますねぇ。しかも両サイドには

季節はもうすぐ冬を迎えようとしているため、落ち葉が凄いです。
その落ち葉の中から僅かに顔を出すレールも絵になりますね。

最初のガーター橋のすぐ先にあったトンネルへ到着しました。
トンネルを抜ければすぐに目的地のガーター橋です。

中はご覧の通り。資材がゴロゴロしています。当時のものでしょうか?

トンネルを抜け、目的地に到着です。こちらが 反対側 からの風景です。
この橋、渡りたくても恐くて人目もあって渡れなかったんですよねぇ。

あの橋を渡ってしまうとスタート地点となってしまうので、今度は逆へ進みます。

どこまで行けるか分かりませんが、早速トンネル出現です。

中はご覧の通り。恐らく落ち葉さえ無ければ現役当時
そのままなのかも知れません。しかしどこからか水の音が・・・

ここでした。写真では分かりませんが、結構漏っていました。
下もビショ濡れなのが分かると思います。結構濡れましたね。

さぁトンネルを抜けました・・・が。何かイヤな感じですね。ジャングルだし。
進もうと思えば進めましたけど、実は左は民家。また良く見えるんですわ。

残念ですが帰ることにします。再び「雨漏りトンネル」を戻ることに。
以上で「水根貨物線」は終了、一区切りとします。
この水根貨物線は合計 3回訪問しましたが総距離 6.7km中、
探索出来たのは約半分くらいでしょうか。やはり危険な場所が多く
またいつか機会があれば「朝から晩まで」歩いて踏破したいですね。
信越本線1 (群馬県/横川-軽井沢)
●データ 【所在地】群馬県安中市~長野県軽井沢市 【運営キロ】11.2Km
【開業】1893年(明治26年)4月1日 【廃止】1963年(昭和38年)9月30日(旧線)
【魅力】廃線跡の登竜門的存在。「新線」は新幹線開業により
1997年10月1日に廃止と比較的新しい。廃線巡りは新線は立入禁止なので旧線が中心に。
【訪問日】07.05.04
●初の本格的な廃線跡訪問です。この地を選んだ理由は、
有名な場所でもあり以前から行ってみたいと思っていたからです。
【開業】1893年(明治26年)4月1日 【廃止】1963年(昭和38年)9月30日(旧線)
【魅力】廃線跡の登竜門的存在。「新線」は新幹線開業により
1997年10月1日に廃止と比較的新しい。廃線巡りは新線は立入禁止なので旧線が中心に。
【訪問日】07.05.04
●初の本格的な廃線跡訪問です。この地を選んだ理由は、
有名な場所でもあり以前から行ってみたいと思っていたからです。
ただ、「初めて」ということもあり、ロクにプランを立てずに行ったら・・・
時間や体力的な配分を考えなくてはダメなんですね。
途中でクタビれるわ、日も暮れてくるわで失敗しちゃいました。
まぁ最初だから仕方ないけど、プランはしっかり立てるべきでした。
遂に横川駅へ到着です。でも実はコレ、帰りの写真なんです。ついコーフンし
撮り忘れてしまったのでした(汗)。写真はレールエンドを示す車止めです。
振り返って撮影します。路面に残る「レール跡」に惹かれますが、
元からあったものなのでしょうか?廃マニアは コレが重要なんです(笑)。
元からあったものなのでしょうか?廃マニアは コレが重要なんです(笑)。
1975年の横川駅空撮です。横川駅より左側に「鉄道文化むら」が
建設されました。上記写真は中央部より左を向いて撮影。
とりあえず横川駅に隣接する「鉄道文化むら」へ入場。
入り口では「プチめがね橋」がお出迎えをしてくれます。
入り口では「プチめがね橋」がお出迎えをしてくれます。
奥へ行けばこのような車両が数多く展示されています。
正直、私は余り興味が無いのですが・・・汗 すると場外に驚きの光景が。
正直、私は余り興味が無いのですが・・・汗 すると場外に驚きの光景が。
知ってますよ、コレ・・・廃線前に活躍していた「あさま」です。
一応勉強してきましたから。。。しかしこれはちょっと無残ですよねぇ。
一応勉強してきましたから。。。しかしこれはちょっと無残ですよねぇ。
そして「文化むら」をあとにして今度は歩いて廃線跡を辿ります。すると
前方から「ロクサン(EF63だから)」の登場です。これも一応勉強しました。
暫く進むとまた前から何かがやってきます。またロクサンか?
しかし意外にもすれ違うまで結構時間が掛かるんですよねぇ。
しかし意外にもすれ違うまで結構時間が掛かるんですよねぇ。
旧 「丸山変電所跡」です。国の指定重要文化財に指定されています。
申し遅れましたが廃線跡はこのように舗装化・整備されています。
申し遅れましたが廃線跡はこのように舗装化・整備されています。
完成はナント1911年(明治44年)!列車が急勾配を制するために
ここから電力を供給しました。ところで、おサルさんが出るのですね。
ここから電力を供給しました。ところで、おサルさんが出るのですね。
再び1975年の空撮映像で、旧 丸山変電所上空です。
画像のように二棟並んでいます。左を流れる川は霧積(きりづみ)川です。
画像のように二棟並んでいます。左を流れる川は霧積(きりづみ)川です。
レンガの橋台があり、これは旧橋梁跡です。私は気付きませんでした(汗)。
こちらは同場所の空撮です。上が軽井沢方面、下が横川方面です。
写真は横川側から軽井沢方面へ向けて撮りました。
写真は横川側から軽井沢方面へ向けて撮りました。
そしてこの後ですが、この先どこまで続いているのか分からず(予習不足にも程が
ありますね・・・苦笑)、日も暮れてきてしまったので、今回はここで終了としました。
後日に、ちゃんと【予習】をしてから再訪することを誓って横川を後にしました。
後日に、ちゃんと【予習】をしてから再訪することを誓って横川を後にしました。
「新人」だから仕方ないですよね。甘いかな?やっぱり甘いよね(笑)。













