蒲原鉄道2 (新潟県/加茂-五泉) 後編
いよいよここから先は「未踏の地」となります。ではご覧下さい。

前回 挫折した地点を通り過ぎました。雪解け水の影響か、
かなり下がぬかるんでいますが、なんとか進める状況です。

と、突然のことでした。「ズボッ!」と体が浮く感覚に襲われました。
水溜り・・・というより池ですよ、これは。靴に浸水は何とか回避しました。

こちらがトンネルまでの廃線跡なんですが、もう湿地帯です。更には
腐った枯葉が折り重なり、「どこが埋まるのか分からない」のです。

遠くにはトンネル入口が顔を覗かせています。あそこに見えるのに、先へ進む
ことができません。廃線跡脇も、竹薮で雪も降り積もり、道が悪く使えません。

結局ここを進むしか無いか、と策を練ります。今日は電車なので足元を汚したくなく

ひらめきました! コイツを使い足元を確認しながら進むことにしました。
実は何と、これが大活躍することになります。とりあえず希望が見えてきました。

そして所々に浮かぶ「枕木」を、浮島代わりに利用し進むことにします。
またこの距離感が絶妙で、ワザと置いたのか?って感じなんですよね。

何とかここまで前進して来ました。しかも僅か数十メートルを進むのに
要した時間は10分以上・・・ちなみに左の雪の部分は全て「ズボッ!」です。

遂にターゲットの目の前まで来ました。あともう少しです。

と、その前に振り返って撮影します。コレ、全て沼化していると思って
頂いて結構です。どの経路を辿って来たのか説明したいくらいです(笑)。

そして問題のトンネル内ですが、水没しているのは入口部分のみでした。
例によってまたもや絶妙な感覚で(笑)枕木が置かれています。

しかし何故「ここを行け」みたいな指図するような置き方なんでしょう。フフ、その

無事トラップエリアを通過、振り返ってみます。
これまでの経緯はとりあえず置いておいて・・・良い景色ですねぇ。

では先へ進みましょう。水没地帯は右側を残すのみでもう大丈夫です。
また短いトンネルで、反対側出口の明かりが漏れているのが分かります。

ほぼ中間部分に、このトンネル唯一の待避所がありました。
ただこの待避所って、奥行きがやたらと浅くありませんか?

トンネル内の枕木は埋まったままで、ただ単にレールを取り除いた
だけのような状態です。ただ並びが悪いので後から埋まった可能性も。

いよいよ出口(五泉方面)です。しかしご覧下さい、この状態。地面の状態は最悪、

以上で探索終了です。囲みは帰りまでお世話になった「第三の足」です(笑)。
冗談抜きであの「第三の足(棒)」があって本当に助かりました。
それでも僅か数百メートルの探索に一時間以上かかりました(汗)。
繰り返しになりますが、この時ほど長靴を恋しく思ったことはありませんでした。
(ちなみに「無傷だった」という訳でもなく、額や手のひらを負傷、
靴も派手に汚れてしまい、駅で洗ったりなど事後処理が大変でした。)
弥彦線 (新潟県/東三条-越後長沢)
【開業】1927年(昭和2年)7月31日 【廃止】1985年(昭和60年)4月1日
【魅力】数少ない遺構となっている弥彦線ですが、
メインは東三条駅前。弥彦線の路盤跡や駅を出た後のカーブなどか。
蒲原鉄道訪問の前にいかが? 【訪問日】09.07.25
●新潟県三条市へやって来ました。実はこの日の本来の目的は
「蒲原鉄道(次回掲載予定)」の探索が目的で、
簡単に言うなら「前哨戦」のつもりでの探索でした。
そもそものきっかけは、「蒲原鉄道」の予習を行っていた時に、
偶然この「東三条駅」近くの「妙なカーブ」を見つけたことからでした。
こんなこともあるのですね。ということで「蒲原鉄道」の前哨戦、
「弥彦線」の廃線区間の探索に行ってみましょう。

東三条駅にやって来ました。ちなみにこの日は一つ隣の駅「北三条駅」
近くのホテルに宿泊し、すぐ隣のこの地までやって来ました。

ではまずは私がこの地を訪れるキッカケとなった画像を見てみましょう。
右側にカーブがあります。これを見て「もしや」と調べたらこの廃線跡でした。

ちょっと中を覗いてみました。恐らく空撮画像から推測するに、
弥彦線のものかは分かりませんが、この土台はホーム跡でしょう。

一番右のレールが位置的に弥彦線の廃線跡と繋がっているようです。
上記空撮にもあるように、この右側にターンテーブルもあったようです。

当初は気付かなかったのですが、帰り際に気が付きました。

「東三条駅」を出て、残っていた弥彦線のレールの延長線上へ来ました。
左側のマンションの建っている辺りも、以前は駅の敷地だったようです。

ちょっと覗いてみましょう。ありました、ありました。僅かながらの遺構が。
こんな僅かな遺構でも「推測」が「確証」に変わります。楽しい瞬間です。

では先へ進みましょう。このようにカーブしています。
最終的に、並行するJR信越本線から約 50度右へ折れます。

更に先へ進みます。ちなみに上を走るのは国道 289号線です。

引き続き、なだらかな右カーブが続きます。

しかしこの後はこのように長い直線が続きます。また、廃線跡が

ということで一気に先へ進み、五十嵐川という川まで来ました。
ちなみにご覧になっいてる橋、車の走っている橋が廃線跡です。

この橋の横に妙なものを発見しました。これはひょっとして・・・。
調べたら以前はここに道路用橋梁があり、これはその名残りでした。

では当時の様子を空撮で確認してみましょう。このような状況でした。
左の写真はその名残りを写したものですが、これ以上は発見出来ず。

そして橋を渡り築堤を下るとすぐに「大浦駅」がありました。
道路の右側、少々広くなっている辺りが駅跡だと思われます。

再び空撮画像で当時の様子を確認してみましょう。
単線一面のホームの様子が見て取れます。

終点、「越後長沢駅」跡へやって来ました。駅跡を示すものは
ありませんでしたが、しいて言うならばこの空き地がそうでしょうか。
ところで駅舎が確認出来ないのですが、どこなのでしょう?
以上「弥彦線」の廃線跡でした。ちなみに今頃ナンですが、
この「弥彦線」は現在でも活躍中(弥彦-東三条間)の路線です。
篠ノ井線旧線 (長野県/明科-西条) その1
【開業】1902年(明治35年)6月15日 【廃止】1988年(昭和63年)9月10日
【魅力】普通ならば歴史の波に埋もれ行く廃線跡ですがこの地は逆。
安曇野の絶景も利用し町興し。徐々に整備されつつある廃線跡に今後注目です。
【訪問日】09.09.11
●やって来たのは長野県安曇野市。JR篠ノ井線に新線が出来たために、
旧線となった路線があると聞いてやって来ました。
トンネルも5本あったということです。
また北アルプスを一望でき、ウォーキングコースとしても
整備中というこの廃線跡、楽しみ方も色々のようです。
そして思わぬ方とお会いしお土産話を、そして本当にお土産まで
頂くという嬉しい出来事もありました。ではご覧下さい。

JR「明科駅」へとやって来ました。ここから旧線跡を辿り「西条駅」を目指します。

とその前に、今回のルートを確認しておきましょう。
新線はトンネル 3本で結ばれておりますが、旧線は 5本ありました。

「明科駅」の北側へ来ました。もう見てお分かりですね。左が旧線跡で、
右が新線、新線は登りながら右に折れ、すぐにトンネルへ入ります。

ここは犀川の支流となる会田川。ちょうど中央辺りに橋が架かっていたと
思われますが、残念ながら面影はナシ。右手には新線のトンネルが。

川を越えて暫く進むと、再び廃線跡が復活。架線柱も現存してました。
画像では分かり辛いかも知れませんが、緩やかに高度を増しています。

こちらには「1984」の文字が。ただ、この 4年後には
新線が完成、僅か 4年で役目を終えることになります。

更に先へ進みます。トンネルがありました。ところが、フェンスがあり入れず。

こちらは「三五山(さごやま)トンネル」といいます。
距離は僅かに 100mほどです。入る隙がはありませんでした。

ということで金網越しに中を拝見。おや?壁が塗り直されていますね。
それにしても最近塗り直したような新しさです。まさか開通の予定でも?

仕方が無いので、今来た道を戻ることにします。
残念ですが廃線跡丸出しのこの道、気分は悪くありません。
ここで一度車へ戻り、一気にワープすることにします。
ワープ先は某工業所を目印とした廃線跡へと通じる入口です。
後々この判断が「美味しいお話」を聞けるきっかけとなるのですが・・・
ともかくワープ先へと急ぎましょう。ワープを終えた私は、先ほどの
すると後方で軽トラが。「車オッケーだったのか。まぁいいや。歩こっと」。

枕木の残る小さな橋が。そしてこの先では画像は割愛しますが、
緑のネットを張った養蜂場が。知らずに近寄っちゃいました(汗)。

随所に残る鉄道施設群です。遺構の宝庫ですね。

「三五山トンネル」東側へ到着。ご覧のようこちら側にもフェンスが。

するとこのような案内板が。なるほど、ここがスタート地点のようです。
逆に「旧白坂トンネル」入口までは整備されているということですか。
それにしても、こちら側も壁が塗り直されていますね。やはり新しいようです。
その1は以上です。次回は偶然お会いした「ある方」のご紹介と、
「旧第二白坂トンネル」入口までを辿ります。
篠ノ井線旧線 (長野県/明科-西条) その2
「旧白坂第二トンネル」西口までを一気ご紹介します。

「三五山(さごやま)トンネル」の東口も確認したことだし、
約 1km先の車を停めた地点まで戻ることにします。

行きでは鉄道施設の標識をご紹介しましたが、
帰りでは架線柱をご紹介。右側は垂れ下がっています。
ようやく車を停めた場所まで戻って来ました。すると・・・
行きでも見かけた軽トラが戻って来たようで、今度は近くで停まりました。
「ん?なんだろう? 特に悪いこともしてないし、
車は問題無いところに停めたし・・・」と思ってると、中からおじさんが。
そして私と目が合うと第一声、「どうでしたか?」と来ました。
内心、マズいことはしてないとは思っていてもやはり焦るもので、
この安心感もあったのでしょう、「いやぁ、結構(距離が)ありましたね~」と
自然に言葉を返すことが出来ました(笑)。
して来てくれたのです。また、やたらとその話が詳しいので聞きながら
「この人は何者なんだ?」と思うようになりました。
そして話が進むうちに・・・「ちょっと休んで行きますか?」となりました。
「え?でも・・・」 「いや、すぐソコですから」
「じゃ、少しだけ甘えさせて・・・」と寄らせて頂くことに。
廃線跡を上から見下ろす場所にありました。
そしてここでようやく相手の方が何者なのかを知ることに・・・
家の中で名刺を頂きました。「○ ○○」さんという方でした。
「アレ???」・・・と、心当たりがあった私は尋ねました。
「○さんですか。そういえば(ここへ)来る時に『○板金』さんを
目印にして来たのですが、何かご関係がおありなんですか?」と尋ねると・・・
やはりここの社長さんでした。
それにしても客室のようなところへ通されたのですが、
この部屋が凄いんです。「篠ノ井線」の写真や記事ばかりなんです。
当然話はこの部分へ及び、そうこうしているうちにこの方の更なる
正体を知ることになります。この廃線跡の管理者でした。
あの軽トラで恐らく廃線跡の見回りに出ていたのでしょう。
そして道中にある案内板等も管理されているのでしょう。
どうりで全てにおいて詳しい筈です。この部屋にある写真や資料は
○さんが撮ったり集めたりしたものだそうです。
ちなみにこれからご紹介する画像等は、もちろん全て掲載承認済みです。
○さん、本当にご協力有難うございました。そして貴重な情報も頂きました。
またその1でご紹介した封鎖されている「三五山(さごやま)トンネル」ですが、
現在、(安曇野)市やJRと協議中で近々開通の見通しだというのです。
なるほど、どおりで修復した壁が新しかった訳です。
誰がどうみても、あそこの封鎖は「廃線敷きウォーキング」活性化に
とっては大きな壁ですからね。開通の日が楽しみですね。

ではごく一部ではありますが、ご提供頂いた画像を
ご紹介致します。こちらは篠ノ井線の年表です。

こちらは篠ノ井線旧線が現役時代だった頃に走っていたSL。
白銀の中、白い煙をもうもうと吐きながら力強く進んでいます。

こちらもSL写真なんですが、こちらは貨車を牽引しているようですね。

○さん宅の庭から撮影。このように廃線跡を見下ろています。
ということでこの後は、近くに立派な隧道(排水用)があるというので
一緒に同行して頂き、確認に行きました。この時の画像は掲載スペースの
関係上、ブログ版・「蔵出し画像」にてご紹介したいと思います。
そしてこの帰り際、顔を出したばかりのタケノコをその場で取って
お土産としてたくさん頂きました。ちなみに頂いたタケノコは、しっかり

では先へ進むことにします。こちらは踏切跡ですね。
依然として架線柱の残ったままの廃線跡が続いています。

いかにも鉄道跡らしい緩やかなカーブに惚れ惚れします(笑)。
そしてこの先にはトンネルがあるということでしたが・・・。

こちらですね。「漆久保(うるしくぼ)トンネル」と言います。
実はこのトンネルも塞がれていたそうですが、最近開通したそうです。

脇にはこのような看板が。これも○さんが作られたのでしょうか?
ちなみこの場所へも行きましたが、これはブログ版「蔵出し」にてご紹介します。

「漆久保トンネル」内です。ところどころ手直しした場所がありましたが、
その1の「三五山(さごやま)トンネル」ほど痛んではいないようでした。

反対側です。ポータル左側に「2」と書かれていますが、
「明科駅側から 2番目のトンネル」という解釈で良いのでしょうか。

暫く距離が開いて「旧第二白坂トンネル」の入口までやって来ました。
ちなみにここが「廃線敷きウォーキング」の終点(orスタート)となります。

こちらが「旧第二白坂トンネル」の南側となります。
全長は 2km以上あり、「ちょっと長い・・・よな」と断念しました。^^;

でも少し中を覗いて見ました。以前はシメジの栽培を
「○確認・退避側・退○所・?0mおき」は確認出来ますが・・・。
その2は個人的には非常に中身の濃い区間でした。
とにかく〇さんにはお世話になりました。その3では「西条駅」手前まで、
新線と旧線との合流地点付近の探索を行います。
篠ノ井線旧線 (長野県/明科-西条) その3
新線・旧線の分岐点の探索を行います。更に

「西条駅」の手前までやって来ました。奥に見えるのは現行線、
「第三白坂トンネル(4.3km)」です。右側には旧線の架線柱が見えます。

こちらが新線と旧線の分岐点となります。
旧線側はここから築堤となり、徐々に高度を増して行きました。

ではこの付近の状況を空撮で確認してみましょう。黄色が旧線跡です。
雪に覆われた地面に出来た影が、築堤であるということを表しています。

当然築堤となれば登りたくなるのが心情、しかし下から見ても雑草が
上の写真には新線も写っています。位置関係が確認出来ると思います。

とても築堤上を歩けるような状況では無かったので、
仕方なく下から撮影。でもなかなかの風景に大満足です。

見て下さいよ、この写真。コレを見ている限りは架線柱、そして架線まで
張ってあるので、とても廃線跡には見えません。驚きの一枚です。

こちらは築堤が終わり、間もなくトンネルへ入ろうかというところです。
ご覧下さい、この凄まじい状況。これでは進める筈がありません。

そして「小仁熊(おにくま)トンネル」の前までやって来ました。
やはりネット上で見た通り、塞がれていました。ということで・・・。
「押してダメなら引いてみな」の要領で反対側(南側)へ移動することにします。
国道と長野自動車道を跨(また)げば、ちょちょいと反対側へ行ける筈です。

看板を見つけました。「旧線?おぉ、廃線跡はこの付近ですか」

すると案内板のウラにはこのような場所が。それにしても、こんな所に

しかし、ふと右側を見るとこのような場所が。「ひょっとしたらこの先に?」と
直感。こ、これを行けってかぁ? (((;゜Д ゜)))カ゛クフ゛ルカ゛クフ゛ル

もちろん慎重に足場を確認しながら進みます。意外と頑丈でしたが、

そしてようやく「恐怖ゾーン」がエンド、そしていざ横を見ると・・・
「小仁熊トンネル」南側へ出ました。しかも開いてますよ。来て良かったぁ♪

と、トンネル探索の前に、周囲の状況がこんな感じなので、先ほどから
気になって仕方がありません。先にこちらをチェックします。
例によって深い雑草が生い茂っていますが、何とか歩けそうです。

架線はありませんが、明科側のアッサリとした架線柱とは違い、
こちら側の架線柱にはまだ碍子などの色々なものが付いています。

小さな橋梁跡がありました。ではそろそろトンネル探索へと参りましょうか。
と、今回はここまでです。次回はいよいよ最終回、このトンネルの探索と
この先(明科方面)の廃線跡や「旧第一白坂トンネル」の探索を行います。