B級パラダイス -2ページ目

B級パラダイス

健康優良不良中年が、映画、音楽、読書他好きなことを気まぐれに狭く深くいい加減に語り倒すブログであります。

さてさて近況最後は俺の検査結果のネタをば(笑)

実は2020年3月に人間ドッグを受けて以来、2年間健康診断をぶっちぎっていまして(笑)。
昨年、生命保険が満期を迎え継続するのに必要なところを、金額も下げたかったこともあり、健康診断書必要無しのネットの生命保険に切り替えてなんとかクリアしたりと、綱渡りだったのは事実。

元の会社からは健康診断未受診をとやかく言われなかったのでスルーしてしまったが、
昨年の2度目の出向先からはきちんと催促があり、会社に迷惑かけては申し訳ないと、今年こそは久々人間ドックを受診しようと考えていたのだ。ただ、仕事の忙しさと親父のこともあり、ついつい先延ばしにしてしまった為、予約がぎりぎりになってしまい、ようやく受診したのがこの3月。

本来年度内提出のその結果が届いたのが4月の引っ越し準備中。これが今まで見たこともないようなE判定他が目白押しでして…(汗)。

まあ以前からセーフゾーンながら高めだったコレストロールや中性脂肪、血糖値がそのラインナップだったのだが、気になったのはそれらに加えて今回は白血球の値も悪く、おまけにE判定ではないものの右目の視力低下も要検査となってしまっていたことだったのだ。

仕事でも不便を感じていたのがこの視力低下。元々の近眼に加え老眼も加わり、遠近両用の眼鏡をしてもう10年近く。しかし右目の視力低下がこのところ著しく、昨年だったか眼鏡のレンズを変え、限界まで上げてもらったのに右目はそれでもボケてる始末で。
PC仕事で画面が小さい時や校正チェックの時などは眼鏡をはずして裸眼で近づかないと見えず「PCとキスしているかと思った」と言われるくらいだったのだ。
特に右目は乱視も入っていて、もう右目をつぶって左目だけで見るのが癖になっているくらいで。
そこにきてのこの判定。これはいかんと4月にすぐに眼科に行って精密検査を受けた次第。
結果、視力低下はあるものの、初期の白内障を患っているという診断。秋まで様子を見てから手術を視野に…ということになってしまったのだ。
まあ水晶体を人工のものに変えるので、これで視力そのものも上げることができるらしいので、思い切って受けようと思っているのだが
麻酔をするとは言え、目を開けたままで眼球にメスが入るのを見ることになるのかと思うと、今からちょっと、いやかなりビビっているのであります(笑)

人間ドッグ結果を伝えた前の出向元からも「産業医が精密検査をと言っています」と出向が終わっても心配するメールが来ていた残りのものは
前回の記事の通り、御袋のかかりつけ医が専門医なので、御袋の診察ついでに俺も予約を取って行ってきたのど。

結果、親父が急性白血病で亡くなったこともあり、一番心配していた白血球の値は正常に戻っていて問題なしでほっとしたのだが…
血糖値は下がらず、見事に糖尿病の診断が下ってしまったのだ(涙)。

初期段階なのですぐにどうこうということもなく、今後悪い合併症にならないよう、コントロールするようにという指導を受けたくらいで、薬も出なかったのが救い。
食べるものも何を食べてはいけないという制限は特にないものの、その量とタイミングを気を付けること。間食をやめて、体を動かすなど適度な運動をしてと、まあ普通の方の生活にしていけば大丈夫ということで無理せず実践している状態。

でも、これまで病名らしい診断が下ったのは20年位前の「群発性頭痛」だけだった自分としては、まさかまさかの結果で、御袋の認知結果が悪くて、自分はセーフのつもりでいたのが逆となり、ちょっと落ち込んでしまったのである(苦笑)。

想えば出向の間にすっかり癖になってしまった「夕飯を食べた後に深夜につまみのスナック等を食べながら酒を飲む」というのが週に3,4日、暑いから、寒いからという理由をつけての飲酒のみなら、もうプラス1,2日という習慣に加え、ここ数年は運動らしい運動もしていなかったから、こうした悪い生活習慣が続いたのが最大の原因だろうなあ。
前回の出向から実家に戻った2年前も量こそ少し減ったとは言え習慣は変わらずだったし、この春までの10ヶ月では、止める人がいないこともあり、すっかり復活してのやり放題が続いていたわけなんで「なるべくしてなった」ということなんだけどね。

そんなこんなで、朝飯にしていたミニ菓子パンとアセロラやグレープフルーツのジュースをやめ、甘料のないコーヒーやトマトジュースに変えたり、昼飯を、ガッツリとんかつ!牛丼!などの大好きなメニューの外食を控えて、コンビニでサラダとおにぎりに春雨スープの組み合わせに変えたり、夕飯もご飯の量を少し減らし、まずはサラダをむしゃむしゃ食べてから…に変えるなどメニューと食べ方を見直し、当然お菓子類の間食、特に夜飯を食べた後の深夜の酒は控えての3週間。
よくしたもので段々胃袋も小さくなったのか、そんなに空腹感を覚えることもないのが助かっている。
幸い駅まで自転車通勤になったことに加え、階段を利用したり、買い物に行っても自分だけ歩いて帰ったり、久々の筋トレも復活させたりと体も意識的に動かしているのである。

買い物に行っても糖質、脂質の分量表示をつい見てしまうようになった俺を見て、かみさんも娘も「意識するのはいいけどそこまで気にしなくても大丈夫だから」と苦笑しながらも「糖質ゼロ」のお菓子などをわざわざ買ってきてくれたりと全面的に協力してくれているのもありがたいことで。

そんな甲斐もあり、3週間で体重は2kg落ちて、「あれ?ちょっとすっきりした?」といわれるくらい、メタボ判定目前だった腹も少しだけ引っ込んできているのである。

劇的な変化にはなっていないと思うけど、果たして今月の通院検査でどこまで数値が下がっているやら。
まあ、今後はもう少し歩く量や筋トレも増加させていく予定だが、こんな「最悪の結果」も、生活を見直しダイエットに踏み切るきっかけになったのだ、と良い方に捉え、一番恐れている「強制禁煙勧告」にならないことを祈りながら日々過ごしている状況なのであります(笑)。

とまあ「最悪の結果」などとさんざん煽ってご心配をかけてしまいましたが、ネタ的に1本かけるので温存してしまったことをお詫び申し上げます(笑)。
ジャンゴ、ピンピンしていますのでご安心を。
皆さんも若いからと無理せず、「悪さできるのも健康であるからこそ」を肝に銘じて(いや・・・(笑))生活してくださいね~。

先日の雨は酷かったですね。皆さん、大丈夫でしたか?

2日金曜は電車が止まるのでは?と判断して自主的に「もう帰るぜ!」と16時には会社を出て、既に遅れが出ていた電車に乗ったものの、
最寄り駅の手前で電車がストップ。降りる最寄り駅のさらに西のあたりでの雨が酷く(どうやら停電もあった模様)赤信号で出発できず、結局30分ほど止まって、ようやく動き出したものの、浜松行きだったのが私の最寄り駅止まりに変更に。これだけでもラッキーなのだが、その後の電車はなんと運休になり、まさにギリギリでありました。
我ながら悪運が強いものよなあと思った次第(笑)

悪運と言えば御袋がそんな感じで(笑)。
前の記事の通りどうにも「年齢による物忘れ」の域を越えてまして(苦笑)。鍋に火をつけたまま焦がすことももう数回。冷蔵庫もチェックせず同じものを買ったり、「私はしっかりやっている」と自負する仏壇周りのことも、お供えしてある果物等がいつまでも置いてあるので腐ったりと、まあ、笑い話で済むようなこともあまりに重なり悩ましいのなんの。

「忘れるんだったらメモしろよ」とメモ帳買ってきても書かないし、何より物忘れ以上に、未だに何かというと仏壇の前で涙ぐむのがたまらず、親父のことを想うのはもちろん否定しないが、いまだにそこから一歩も出ずに新しいことをしない(気力がわかない)のが、認知もさることながら鬱も発症しているのではと気が気じゃなくて

物忘れの開き直りにこちらもつい言葉を荒げてしまったりが4月に戻って以来何度もあったのですが、GWは「もうお父さんのとこに行きたい」などと口走ったので、こちらもカッとなってしまい、せっかく帰省した下の娘の前で御袋の胸倉を掴むなどの愚挙に出てしまって・・・。
泣きながら俺を止める娘に、かみさんや上の娘も駆けつけてと、自己嫌悪で夜眠れなくなったりと色々ありまして。
どうしたら良いのか、思いあぐねて地域の包括ケアセンターに電話で相談したところ、やはり一度きちんと医者に診せることをお勧めします・・・とのアドバイスを受けた次第。

しかしこれがまた母親がガンとして受け付けず、またひとバトル(苦笑)。どうも受診=施設に行かされると思い込んでいるようで。
認知症には怒ってはダメという知識も得たので、ぐっとこらえながら説得&お願い・・・というのが続いて、かみさんや娘たちから「おとーさんのストレスの方が心配」とまで言われたりして(苦笑)。

結局、脳外科ではないものの母親のかかりつけ医に相談して、診察をしていただける返事をもらい、自分の健康診断の結果が最悪だったこともあり(そちらは専門なので)「俺が精密検査をするから一緒に行こう」と誘って、ようやく連れて行けたのが5月の2週目の終わり。

しかし、あれだけバトルした「病院受診」が、かかりつけ医となったことで安心したのか、認知度のテストが30点満点中27点と予想外の高得点。このままでは介護認定は通りそうもないという、いいような悪いような結果となったのでした(苦笑)。

その予想外の結果を踏まえて、また包括ケアセンターに相談し、相談員が点数に現れない普段の状況も察してくれて、自宅に直接訪問してくれたのが3週目。自分も在宅勤務にして立ち会ったけど、多少のつじつまが合わない説明や時系列の混乱はあったものの、丁寧でしっかりした受け答えに終始し、身体的な衰えもなく、日常的なことできているということもあり、まずは様子見と、「予防のため」のリクレーション参加などのデイサービス利用を勧められるという、一番良い形でもあり、ある意味相談前と全く進展しないままの結果に落ち着いたのでした(苦笑)。

とにかく日がな一日ぼーっとしていた母親ですが、ここ数週間のこの動きと、俺の説得に「人と会って話す=刺激を受けること」の重要性に多少なりとも意識が向いたようで。もっとも、まだアクションは起こしてないけど(苦笑)。

まあ一進一退はあるだろうけど、今の生活をキープできること、その時間が長く続くことを目標に、俺の気持ちがささくれないよう、怒らず焦らず、のんびりサポートしていこうと思うのであります。(先日もまた同じものを買ってきたけどねえ・・・)

そんなこんなで昨日4日、俺もまた一つ年を重ね、そういう道に俺もまた着々と進んでいるんだろうなあ・・・とか考えながら、最悪だった検査結果を踏まえ、運まかせにはせず、ケーキも食べず、このところは健康的な食生活を送っているのでありました(笑)。





ご無沙汰しております。
単身赴任を終了し 4月頭に静岡の実家に戻ってから見事に更新しておりませんでした(汗)。

久々の家族との同居は、郡山での一人暮らしのような「好き勝手し放題の自分だけの時間」の減少は覚悟していた通り。
ただ仕事が営業アシスト=若手育成に完全スライドしたため、3月までのようなヒリヒリするような仕事獲得の勝負=深夜までの勤務は今のところ皆無となり、かなり楽になっているのは事実。

郡山時代に相棒だった貸与されていた営業車も返却となり、2014年以来の電車通勤に戻っていることもあり、給与も減り、ボーナスもない延長契約の勤務なので、もう完全に割り切ってほぼ19時前には会社を出る毎日です。それでも通勤時間は片道1時間に戻ってしまいましたが(笑)。

デスクワークで資料を作ったり見積作成の手伝いをする中、若手社員の新規訪問に同行要請が入ると首都圏や仙台にも出張同行、という感じ。これも毎週ではないけど2週に1回、いやもう少し多いかな・・・というペースで、連日になる場合は泊りも含めて出張し、それなりに動き回る日々が続いております。

そんなこんなで仕事は順調なれど、悩ましいのは母親のことで、その前から兆候はあったものの、父親が亡くなってから、物忘れ、気力の低下が著しく、色々調べてやはり初期の認知症ではないかと。(これが出向延長を断った唯一にして最大の理由)。
ここ数週間色々あったことはまた記しますが、医者や包括ケアにも相談し、まずは様子見ながら・・・ということでようやく少し落ち着き一安心。

加えて自分も最悪だった健康診断の結果を踏まえていくつか精密検査を受けたりと(これもまた別に記します(苦笑))この1か月半、仕事は余裕ながら濃密な日々を過ごしております。

とまあそんな具合で、TVモニターの主導権もないためなかなか映画三昧とはいかない毎日(笑)。
それでも大好きな『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーVOLUME3』は劇場に駆け付けたし、郡山から微増で持ち帰ったDVDから『クロニクル』を見たりとそれなりに楽しんだり、BS東急松竹で必殺シリーズの第一弾である『必殺仕掛人』が始まったのに気づいて狂喜乱舞、始まっていたのを知らずに見逃していた数話分が悔しくて、ヤフオクでDVD-BOXが手ごろな値段だったのを見つけて即ポチしたりと、それなりに相変わらずのマニアックな趣味も健在ですのでご安心を(笑)。
(これらのレビューもいずれ・・・と自分に宿題を与えたりして・・・(笑))

とまあ、色々あってのこの1か月半のアウトラインを記録がてら、生存報告を兼ねてしたためておきます(笑)。

昨日は終電新幹線前に帰って、最後のシャワーを浴びて、また少し片付けをして就寝。

今朝は予定通り起きたけど引越し屋が少し遅れるとのことでゆっくり支度。朝飯で最後のインスタントコーヒーを飲み干し、洗って荷物に入れて封をする。

着ていた寝巻きがわりのスウェットは車に乗せる洗濯物にまとめて入れて準備完了。

少し遅れて着いた引越しスタッフは今回も気持ち良く、そしてテキパキと手際良く作業を進めてあっという間に運び出しを終える。


3年前と同じ最後の光景。

あの時も、もう来ることはないと思ったが、こうして10ヶ月、再び俺のアジトとして楽しませてもらった空間。


2度あることは3度あるって言うじゃない、なんて複数の方から言われたが、また仕事でこの地に来ることはあっても、またまた出向は流石にないし、この部屋にまた住むことはあり得ないだろう(笑)

さらば…の想いを胸に部屋を後にする。


車を出発させて、会社へ。

その前に近所の床屋の親父さんに挨拶。

「またいらっしゃるのを待ってますよ〜!あ、シン仮面ライダー如何でした?」なんていつもの調子で😆両手でがっちり握手をして、会社へ。


会議でいない支店長を除き若い後輩たちに「最後に顔を見にきたぜ!」なんて照れ隠し&本心で挨拶。


次は新しい場所に移転予定だからこの事務所を見るのも最後かな。

「来週待ってます!」などと気の早いことを言う

いい奴らの笑顔に送られて辞す。

ほんと、ありがとうしか浮かばないや。

またいつか。多分そんなに遠い先でないことを期待しながら。


そう言えば今日は7日。ジャッキー・チェンの誕生日だからかみさんの誕生日だ!と思い出し、パン好きのかみさんが喜びそうな、郡山で評判のパンを一斤買いに。

ところが!路駐した車をさらに寄せようとしたらポールに車を擦ってしまったのよね〜😭

最後の最後にやらかしたけど、可愛い店員さんにお気をつけてと見送られて出発。


通り慣れた道を走ってインターへ向かう。

次に来る時は電車だろうからこの道を通るのは最後かな。

インター入り口を抜け、いつも行く県庁とは逆方向の東京方面へ。

かけ出したBiSHのCDからは「オーケストラ」が流れ出した。出来過ぎだ(笑)


またいつか。ひとまず、Bye-Bye しよう。


雨予報だったけど幸い降られることもなく、これまた3年前と同じく佐野インターでラーメンで昼食をとりながらこれを記している。


実は2年ぶりに受けた人間ドックの結果が史上最悪で😅、今後色々検査を受けねば…ではあるのだが、今日は、まあいい。美味いものを食うのだ(笑)


さて、引越し荷物には入れなかったCDを取っ替え引っ替えかけながらあと4時間、好きな音楽に包まれて気をつけて行くのである。



毎日カウントダウン記録しようと思ったのにラスト1日となってしまった(笑)
 
26日からラストまでは怒涛で27日にプレゼン2本に企画書提出、29日に最後のプレゼンを済ませて、報告書の追加資料を作成して何とか間に合わせ、引き継ぎ資料を作成しながら、紙資料の処分と残すデータの整理であっという間の最終日。結局5本チャレンジしたプレゼンは1勝4敗と最後までカッコよく終わることができずながら、皆に感謝されつつ無事10ヶ月の再出向を終えることができたのでした。
 
1日土曜はゆっくり寝坊して、しばし休みを満喫。夕方からわざわざ仙台から元同僚たちが来てくれての送別会。無茶苦茶楽しい時間を過ごして三次会まで。いつどこで飲んでも良き仲間との酒は楽しいのですなあ。
 
2日の日曜日はクリーニング出しとタイヤ交換の段取りつけて、あとは段ボールが届いたので片付けを開始というゆったりペースで準備開始。でも片付ける前に『ワールドエンズ/酔っ払いは世界を救う』なんて買い置いたDVDを観たり、最後の注文!と密かにポチっとしたBiSHのライブDVDも届いたのでそれを観たりとまあ進まない(笑)
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開けて3日月曜は休みをとっていたけど、朝から元の会社の朝礼ミーティングにzoomで参加。出戻り挨拶済ませてから、ゴミ袋や掃除用品など買い出しに出て、やっと本格始動。すぐに使わない本やDVDをゴソゴソ詰め出し出したのだった。また途中で本読み出したりしたけど(笑)。
夕刻には予約したタイヤ交換に行ったら夏タイヤが既に溝がなくなっていたので処分、乗って帰る車両は前と違って通勤車に使えなくなり、電車通勤になるがこのまま冬タイヤで乗って帰ることにしたのだった。
 
4日火曜も休みをとっていたが、元の会社のチームミーティングに参加。今後のミッションで後輩の営業フォローを依頼され、来週は月曜は静岡、火曜は東京と予定が埋まり出したのだった。あとは溜まっていた元の会社の3月分の週報書いてと何だかデスクワーク三昧のまま、夕方からはお世話になった出向先での送別会。
後輩が何とまあ俺の写真でお面を作ってて、それをみんながつけて記念写真とか、もう、周囲の席も何が始まっているのだ?と訳がわからない状態(笑)。
 
二次会は何年ぶりかにカラオケに行き、最後にイエモンとRCサクセション熱唱(笑)、ラストは美味い白河ラーメンで締めと気がつけば6時間近い時間が経っていた。
前回の出向ほどではないけど涙目の後輩たちに「寂しいです〜」と言われながら抱きつかれて、ちょっとウルウルしながらの帰宅でした。やっぱりほんとに周囲の人に恵まれて幸せ者だな、俺😊
 
でも床で一眠りしたら3時頃目覚めて今度は眠れなくなって洗濯始めたりして(笑)の翌日5日は一休みで完全オフ。床屋に行って親父さんに「また来てね」とか言われながらおしゃべりも楽しみ、今年初めての映画館で『シン仮面ライダー』観てきて哀しみに彩られた物語を堪能と良い気分で帰宅。
夕方からは風呂掃除したり、最後になる冷蔵庫の中のものを食べて調味料と今日明日の朝食べるもの以外はほぼ空にしたりと計算通りに片付けが進んで満足満足😆

 

 

そして今日6日は朝からワッセワッセと荷物を詰め込み何とか目処がついたところ。で、なんで引越し前日なんだよ!と文句いいながら仙台に到着。最後の送別会に向かうところです。

明日は朝8時半には荷物出し。酔っ払って帰る今晩は計算できないから今日昼間が勝負なと思っていたけど、細々したもの以外は何とか荷造り完了と言うところでまあ、気兼ねなく飲んできます😆

長々書いてしまったけど、10ヶ月、短かったなあ。仕事は今ひとつ、家も色々あって楽しいばかりではなかったけど、良き仲間に恵まれて幸せでした。
この大好きな一人暮らし空間とも実質今晩帰ってから朝まで。車で帰るので徹夜して1人の時間の最後の堪能もできないけど、荷物出しの後の掃除もあらかた済ませたので余裕を持って後にしたいと思うのであります(笑)

というタイトルで2月に更新しようと思ったらもう3月も後半だ・・・(汗)

お久しぶりです。何とか生きているジャンゴです。

 

2月は仕事はたいして忙しくなかったものの

前半に久々大いに雪が積もった日がちょうどイベントで外出、

朝方荷物を積み込み出発する直前にすっころんで胸をしこたま打ってしまうトラブルが(苦笑)。

 

あまりに痛いのでさてはあばらをやっちまったか・・・

と翌週医者に行きレントゲンを撮ったら幸い骨折は無く一安心。

しかし「2,3週間痛むかも」の見立て通り2月の寒い時期は

くしゃみをしたり急に振り返っては「アタタタ」となる情けない日々を過ごしたのでした。

そういえば翌週の14日バレンタインデーは義理チョコさえもない胸の痛い一日だったなあ(笑)。


そのまた翌週に帰省した際に、娘とかみさんから「大変申し訳ございません」と謝られながら渡されたチョコ。

なんとまあ二人が別々に買ったという2つのチョコが中身も袋も全く一緒(笑)。

俺に渡そうと二人で取り出して唖然としたというが、俺はもう爆笑だったわ。

どこまでセンスというか俺の好みを推し量るベクトルが一緒なんだと大笑いしました(笑)。

 

その2週後はまた帰省して親父の百箇日の供養を無事済ませて一区切り。

1月だったかな・・・ひょいと「おい、悪かったな」と親父が帰ってくる夢を見て

嬉しさに半泣きしながら起きたことがあったが

もうだいぶ落ち着いたとはいえ、面白かった親父がいないという事実は寂しいものだなあと

改めてしみじみしたりしたが、その2月の終わりから3月の頭にかけてが地獄の始まりだったのだ(笑)

 

翌週の3月6日~8日の東京でのイベント立ち合い出張に前後して

最後くらい良い置き土産を置いていこうと

いろいろなところを回って情報を集め、3本ほどプレゼンにチャレンジするために準備していたのだが

後輩から「すみません、あと2本手伝ってください!」と受けたはいいけど

いざ公示されたら、その5本が物凄く集中してやがんの。

 

先日の14日は自分が人間ドックということもあり前日までに何とか仕上げて預けられたものの

22日に2本、24日に1本、そして明日27日に1本と、企画書提出が、まあ続く続く(苦笑)。

当然プランナーも手いっぱいで、22日提示のうちの1本は結局全部自分で書く羽目になり

その他の企画書のチェックや見積もり、提出書類も含めての準備で

19、20日は自宅で仕事、21日の祭日も出社、何とか22日に提出後は

間髪を入れず24日提出分の仕上げで23日は久々帰宅が午前2時を回ったりと

かつてのようなハードな日々であったのでした(苦笑)。

「ジャンゴさん、タフだなあ。顔色は悪いけど暇な時よりイキイキしてますよ」なんて言われたけど

そんなことあるもんか!ほんと先週は死ぬかと思ったわ(笑)。

 

そんなこんなでこの土日も明日提出分の仕上げで

未だ「シン仮面ライダー」を観に行けてないのであります。

と言うか、年末年始も含め今年に入ってからまだ映画館に行ってないのだなあ・・・。

 

ただ、こんな状況ではありますが金曜の夜だけは仕事を忘れて

朝方近くまでもうじき終わる「GAYAO!」の配信を見まくったりしてたんですがね(笑)。

「ジョン・ウィック パラベラム」やらもう何度も観てる「男たちの挽歌」「同  Ⅱ」、「アジョシ」

DVD持っているくせに「ジャンゴ 繋がれざる者」や「マグニフィセント・セブン」などの

漢気あふれる銃撃戦映画の外にも、懐かしい大映の「妖怪百物語」「妖怪大戦争」

「世界残酷物語」やマリオ・バーバの「白い肌に狂う鞭」に加え

「悪魔の植物人間」や「サスペリア・テルザ」「CAGE」などのホラーなど荒んだ心持ちにフィットする作品のほか、

ずっと観たかった「まぼろしの市街戦」や「さらば愛しきアウトロー」も観れて大満足なんだが

この2週連続の土日仕事&21日出勤で、すっかり予定が狂い

「GAYAO!」終了する31日まで、観るつもりだったものが消化しきれそうにないんだよな(笑)

 

そう、31日で終了なのだ。この10か月の出向も。

ただ明日の企画書提出後そのまま前に出した分のプレゼンがあり

明日提出分も29日にプレゼンなので、休みととれる余裕はなく合間に残務整理を済ませて

何とか31日に終わらせなければならないのだ(汗)。

 

そして4月になったら休みを取りながら引っ越し準備。

忙しい合間に何とか引っ越し業者も決まり7日にこちらを立つことになっているのだ。

 

皆忙しいのでオフィシャル送別会は今の事務所が4日、出向元が6日(荷物出し前日じゃん・・・)

聞きつけて31日の終了日、翌日1日の土曜にも個別の送別会も決まっていて

いやほんと、最後までバタバタしそうなカウントダウンなのである(笑)。

 

そんなこんなの近況報告、前回と違い、全然センチな気分にならないが

あと2週間足らずのこの気楽な一人暮らし、明日からたっぷり堪能してやるのである!

記録もなるべくつけていきまする~(笑)

 

 

 

 

 

 

 

昨年末にバタバタしながらこなしたイベント仕事を済ませて以降、継続している仕事も厄介なこともなく、何より今年度はあまり仕事を取れなかったこともあり、正直このところかなり余裕がある。

報道ステーションがまだ始まってなかったらホッとする…なんてのが普通だった帰宅時間も、ここ2週間は下手すれば19時台には飯も食い終えることもしばしばと、ある意味これが「普通の生活」ってな感じなんだろうが、どうも仕事の余裕に反比例して、気力がいまひとつ湧かないのだなあ(苦笑)。


仕事もそうだが土日の休みも暇なのに映画館に行こうという気力が湧かずで(寒いのもあるが)。最低限の買い物と家事以外は部屋に篭って配信やDVDで映画を観たり、前に紹介した「みんはや」なるクイズアプリで映画の問題をせっせと作っているような土日がもう2週続いているのだ😅。


これではダメだ!何かガツンと違うことをしなければ!…なんて想いにもならなかったが(笑)、調べ物がてら眺めていた、自分が一番好きな映画サイト、スティングレーのallcinemaのHPで「おお!これは!」というものを見つけてしまったのが2週間前。

金額の凄さにちょっと躊躇してものの、どうしても欲しいという気持ちはいささかも減退することなく、先週「えいや!」とポチッとしてしまったのだ。


本当は土曜には届くタイミングだったのが、クレジットカードの変更登録がうまくいってなくて注文確定ができず、何度か注文し直したらずれてしまい、トホホ。

漸く確定できて最寄りのコンビニに昨日届いていたのを確認できたものの、店頭引取りに必要なメールが届いてなくて昨夜は引き取れずで😭。

結局、今日Amazonのカスタマーサポートに問合わせをして必要な情報を得て、やっと準備完了。

今日も早めに帰宅して、すでに窓に雪がついて凍結し始めているのを溶かして車を出し、コンビニでやっと手にすることができたのがこれなのだ!


映画広告図案士 檜垣紀六 洋画デザインの軌跡: 題字・ポスター・チラシ・新聞広告 集成

スティングレーらしい丁寧な、そしてマニアックな最高な仕事集。70年台を中心に、俺が映画に目覚め、映画館に通いだした頃に集めたチラシや眺めたポスターなどがこれでもかと収録されているのだ。

デザインワークの説明から裏話の対談まで、とにかく資料集としても最高だ。

ああ、なんてマイナーな、でも大好きな映画たちなんだ!(笑)

西部劇からアクション、ホラー、ファミリー映画に文芸作まで、映画のジャンルというよりデザインコンセプトで並んでいるのも気持ちいい。

パピヨンのマックィーン、ランボーのスタローン、イーストウッドやバート・レイノルズ、ナイフや銃を用意して持っている手は檜垣氏自身。

無いものからイメージを生み出す裏話も満載なのだ!


映画としては文句ないが、『ランボー』のポスターの割り増し感は今見ても笑える!悪名高い『メガフォース』と並んで東宝東和のバッタもんポスターも彼の仕業だったのか!😆という発見も。

金曜日の夕刊によく並んでたこの手の広告、中学生の時に切り抜いて保存してたよなあ。

今のMacのデザインではすっかりお目にかかることもなくなった手書きのロゴタイプ。

版下時代の素晴らしい仕事も一覧できるのだ!


A 4サイズの大型本でハードカバー、383ページだから、今までのように「本を隠すには本棚に」が通用しないぶ厚いボリューム。

映画に目覚めた頃の俺の熱い想いを呼び覚ましてくれるには十分な内容。

あの頃の仕事の凄さをパラパラめくるだけで堪能させてもらえる一冊だ。


俺の見間違いでなければ明日の郡山は、最低気温マイナス9℃、最高気温マイナス4℃となっているのだが😭(皆さんもどうか気をつけて)、風雪が酷かったらテレワークにしようとPCや仕事資料も持ち帰ったが、こんなのが目の前にあったら絶対仕事しそうにないな(笑)


まあ、明日のことはまた考えるとして、この本を肴に、また安ウイスキーでも煽りながら過ごすとするかなあ(笑)。







穏やかな三連休だったのに今日は雪が降る寒さ!

昨年で仕事がひと段落して、報告書作業が3本重なっているものの、このところ帰宅して飯を食べてもまだ21時前、なんていう早い帰宅が続いていて、こんなのに慣れちゃうとまた忙しくなった時、心身共についていかなくなるかも?とビビっていたりするジャンゴです(笑)


この休みは、昨年末に前の会社を退職した下の娘が友達と行くはずだった温泉旅行に、その友人がコロナになってしまい、キャンセルも惜しいからとかみさんに急にオファー、かみさん喜んで誘いに乗って、土日は娘と2人、有馬温泉&近隣観光と相成り、仕事で行けなかった上の娘と共にその様子をLINEで報告を受けておりました(笑)。


その下の娘が今日は引っ越し。下の娘は2020年春に自分が出向から戻って「ジャンゴ一家勢揃いだね!」なんて喜んでいたのに、4ヶ月後の9月には、自宅から通えた同じ街の職場から浜松へ異動、まだ近くだからと思っていたのに、その10ヶ月後にはなんと愛知へ。そして一年たたずに同じ愛知ながら別の店舗へまた異動、加えて引っ越しは伴わないけど今年はまた別の店舗にと、どこに行ってもうまくやっていける彼女のコミュニケーション能力の高さが重宝されたのかまあ、動く動く。

もっとも2年半で職場が4回、引っ越しが3回という異動のあまりの多さと、週休2日とは言え土日はどちらかしか休めないシフト勤務、加えて年末年始を2年連続1人で過ごすことに本人はすっかり嫌になり、ついに退職、土日休みの普通の会社に勤めることになっての4回目の引っ越しとなったわけなのだ。

まあ、せっかく3年ぶりに実家で過ごせた年末年始に祖父である俺の親父が欠けるとは思わなかったが(苦笑)。


実は退職&転職については、夏頃から相談の電話があったりしたのだ。

26歳になっても俺に父親としての意見以上に「会社社会に長年いる先輩」としての意見を求めてくれたのは嬉しい限りだったな。

まあ、下の娘は隠し事ができない性格なんで、よくよく聞いたら彼氏ができたとのことで、なるほど、それが土日休みにしたい最大の理由か!と合点はいったのだった。

おまけにその彼氏、娘に「これ最高だから!」とクローネンバーグの『ザ・フライ』を一緒に観ようと誘ってきたと言う男だそうで、俺には反対する理由が全く見当たらないのであった(笑)。

もっともこの「彼氏情報」は、かみさんと姉の上の娘はとっくに知っていたというのは言うまでもないのであったが…(笑)。


そんな母娘の旅の知らせを横目に見ながら、土曜の俺はというと、先週作っていた煮物のようなものにモツと牛スジ、ニンジンを投入して煮込みにメタモルフォーゼさせつつ、ついでに翌日に「1日経ったカレー」を食うべく、2種の料理をわっせわっせと調理していたのであった。

土曜はまだ豆腐の残りも散見するモツ&牛すじ煮込みを。

日曜は予定通り「1日経った野菜ゴロゴロカレー」を。


ゆで卵も含めこれをレオパレスの電熱コンロ2つを駆使しながら、エアコンやストーブを切るなどブレーカーが上がるのを注意しながら1時間で仕上げる俺って、もしかして凄い?(笑)


そんなこんなで昨日は月曜は2日目のカレー(余って凍らせておいたパスタソースの余りも投入してほのかにトマト風味にした)、今日は最後の煮込みと4日間とも同じメニューながら、食い終わる頃にはうっすら汗をかく温まるメニューをキープできているのは心強かったりするが、まだ煮込みもカレーも少しづつ残っているんだよねえ(笑)


ついでに紹介すると調理の間かけていたのが昨年親父の亡くなる1週間前にヤフオクで落札、手に入れたまま聴いてなかったこれ。

以前静岡の図書館で見つけてPCに取り込み、お気に入りマイコンピレーションの材料にしていたが、やはり円盤で所有したくなっていたのだなあ(笑)

『続荒野の用心棒』の主題歌が英語バージョンとイタリア語バージョンと2種収録してあるだけでも最高な1枚なのだ。


以上、まだ映画館に行く気が起きず、くだらない映画をGYAOで観たりもしたが、レビューはも少し気持ちが高まってからということで、とりとめない平和な3連休の記録でありました。





遅くなりましたが本年もよろしくお願いします。
今日から仕事始めで、昨日の夕方には郡山のアジトに戻りました。

喪中ということで年賀状書きも年始回りも無い、静かな年末年始、良い天気にも恵まれ、暖かく過ごしてきました。

名古屋の流通系で働いていた次女が、仕事でここ2年は年末年始に一緒に過ごすことがなかったのですが、3年間で4回の異動に嫌気がさし、土日に休めるところに転職を決め(あと、彼氏もできた模様 笑)、昨年12月で退職したので、この年末年始は久々一家勢揃いのはずだったのですが、一人欠けることになるのは予想外だったものの、それでも穏やかな正月を迎えたのでした。

年末は弟が親父の若い頃の写真を探すべく、自身のアルバムを持参、ついでに我が家の屋根裏部屋に置きっぱなしだった、若い頃買ったレコードを探したいと言ってきて2人でゴソゴソ(笑)。

見つけ出したブルース・リー映画のサントラや、前にもブログで書いたサントラではない、なんちゃらオーケストラ演奏の西部劇&マカロニウエスタンの映画音楽40曲集などの映画関係のアルバムの数々、
俺が中学から買い集めたQueenの初期のアルバム(Live Killersはカラーレコードだ!)や、弟がジャケ買いして大失敗していた(笑)B級メタルのアルバムの数々や柳ジョージのアルバムを懐かしみ、
幼少の頃のウルトラマンやマジンガーZ、キカイダー、変身忍者嵐なとどのアニメ・特撮のEP盤(R.I.P.水木一郎アニキ)も見つけ、
更に俺が中学生の時に親父に買いに行かされ、死ぬほど恥ずかしかったフランク永井のシングルや(笑)、日曜朝によく大音量でかかっていた「マンボNo.5」など親父の愛聴していたシングルレコードなども見つけて懐かしがりながらも思い出話に大笑いしていたのでした。

弟の持参したアルバムに刺激を受けたのか、娘たちが自分達が小さかった頃の写真を見たいと言い出し、久々に眺めてみたり、
自分が帰る前日には、少し気持ちも復活した御袋も交え、昔遊んだ百人一首の坊主めくりやカルタ、トランプなど懐かしい遊びもして過ごしたのでした。

そんな暖かな静岡を後にした3日は夕方にはアジトに戻ったけど、まあ寒いこと😆

今日、何とか起きて出勤した初日は試運転、午前中に支店員皆んなで近所の神社に初詣(自分は3年ぶり)、そのまま向かった昼飯では、支店長自らハイボールも注文で大笑い。さすがにそのまま飲み会にはならなかったものの、午後は年末やり残した仕事の仕上げだけして19時前には早々会社を出ました。
しかし静岡の気候に慣れていた身には辛い、寒い帰り道でしたな。

震えながら帰宅して、昨夜はスパゲティにしたのだが、同時に仕込んでおいた大根や蒟蒻、椎茸などを煮込んだ物を温めて食べようかと思ったら、また炊飯器のスイッチ入れ忘れていて呆然(笑)。

高速炊飯しながら、煮物を温めながらついでにお湯を沸かそうとしたら、エアコン&ストーブもつけていたのでブレーカー上がるし(笑)。

それならばとエアコンもストーブも消して、2つの電熱ヒーターの前に陣取り、茹で卵を作って煮物に入れ、えいやと豆腐や豚肉もぶっ込み、もはや煮物なのかおでんなのか何だかわからなくなった煮込みを(笑)、静岡おでん風味噌だれまで作って、はふはふ食べたのでした(笑)。


お茶を飲んで、外で震えながら一服し、映画の調べ物をしたり、家族LINEや親父の葬儀で久々集まった従兄弟のLINEをチェックしたり、みんはやクイズをしたりと一人の時間をゆるりと過ごしている次第。

外は風が強まりますます寒さが増してますが、なんでこんな寒いところに1人でいるのか、ふと思ったりしながらも(笑)、残り3ヶ月、しっかりと過ごしながら、今年こそはこんな風にちょいちょいっとブログ更新しようと思うのでありました(笑)。

今年も皆様の一年が良き一年でありますよう!引き続きよろしくお願いします〜。

また放置ですみません。


11月25日、父が急逝。

長男の務めとして施主として11月30日の通夜と翌日の葬儀を取り仕切ってきました。 


今月5日より仕事復帰し、10日本番のシンポジウムイベントをなんとか乗り切り、先週も後輩のイベントにフォローで入りながらも準備した、

四十九日の法要を昨日無事終えて、本日また郡山に戻った次第。


思えばこの2度目の出向単身赴任に向かう直前に

急性白血病の診断が下り、89歳になる年齢も考え、「穏やかな治療」をしていくという方針の中、

赴任直後の6月と9月の2回の入院治療も、抗がん剤治療をして順調に数値も下がると退院を繰り返す、いたって元気なままの親父でした。


やることがないので、御袋に「あれを持って来い、これはいらん」と相変わらずの我儘三昧(笑)、看護師をからかうわ、実習でついた看護学生が可愛い女の子だったのでご機嫌で、お袋がやきもち焼くわと(笑)、全然病人らしくない入院生活だったので、この11月の入院も熱が下がらないという状態ではあったものの、周りも、おそらく本人もまた平気な顔で退院するものと思っていただけに、覚悟ができていないところの急逝でした。


苦しむこともなく、おそらく抗がん剤治療も、治すというより数値を抑えるような治療だったためか、髪の毛も抜けることなく、今にも起きてきそうな顔で、親父らしく自分勝手に逝っちまいました。


ちょうど休日出勤の振替休日で帰省する予定だった25日は、前日ちょっと調子が悪いようだと連絡があったので見舞いに行くかと思いながらの新幹線で受けた「迎えに行けないから直接病棟に来て」というかみさんからのLINE。


焦る気持ちのまま向かった病院。

病室に入った時には「心電図がとれません」の表示のアラート音。

耳元で「おい、親父!帰ってきたぞ!」と呼びかけた、その一瞬だけ、心電図がピンと反応したのが最後でした。


それからは、親父に頼り切っていた故、何もできない母に代わり、親戚への連絡、葬儀会社との打ち合わせ手配、弔問に訪れる皆さんへの対応、加えて銀行やら何やらの手続きの段取り、加えて前述のイベント準備と抱えていたプレゼン対応を代わってやってもらう仕事の連絡と、正に悲しむ暇もない毎日で、あっという間の通夜と葬儀を済ませた1週間でした。


かみさんや娘たち、そして弟にも手伝ってもらいながら、何とかこなしたけど、仕事でイベントをいくつもこなしていたのでまだ「慣れ」はあったとは言え、仕事のイベントは前から実施日が決まって準備していくのに、葬儀会場やお坊さんの都合で決まった目の前の期日までにこんなにやることあるのかーい!という判断しなければならない数々に加え、また郡山に戻るリミット前に済ませたい手続きもあり、予想以上の大変さでした。


親戚はもちろん、若い頃のソフトボールや歳を取ってからの詩吟などの趣味の付き合いから、老人会やグランドゴルフの仲間など、同年代のお年寄りの弔問に加えて、実家の裏に20年くらい前に次々と建てられた家のお子さんが小さい頃、学校帰りの彼らを、親が帰ってくるまで一緒に遊んでいたりしていたらしく、今は社会人や大学生、高校生になった彼らまで弔問に来てくれたり、どこかで見た顔だと思ったら、ヤクルトのおねーさんが旦那さんときてくれたりと、年代層の幅もめちゃくちゃ広い交友範囲、荒っぽい口調にも関わらず、表も裏も無い親父の性格がこんなに慕われていたのかと、息子としては誇らしい気持ちでした。


コロナもあり葬儀こそ親戚に留めたけど、そんなこともあり通夜はオープンにしたら、前述の皆様に加え自分の友人たちもどこで聞きつけたか来てくれたり、当然連絡をした会社関係も、静岡支店時代の人に加えて、出向の一社員にも関わらず今の職場の出向先の支社長まで仙台から来てくれたり(しかも時間が合わないので自宅に!)のおまけ付きで、何とまあ200名近い方が来て下さった計算で、その対応も大変だったけどほんと頭が下がる想いでした。


憔悴しているのは理解できるものの、何も判断ができない御袋につい言葉を荒げてしまった俺をなだめ、御袋にも優しくフォローしてくれた、かみさんや娘たちの存在のありがたさ。


葬儀が終わった後、「お父さん、ほんとがんばったね、凄いね」と労ってくれた皆の優しさ。

この家族で良かったよ、ほんと。


だから、葬儀を終えて一人郡山に戻った時の喪失感はちょっと言葉にできないくらいで。

仕事復帰していてもやはり元気がなく映ったようで、同僚たちにも気を使わせて申し訳なかったな。


こちらで仕事をしながらのさまざまな手続きや、喪中ハガキの手配と投函、四十九日の準備連絡、まだいらっしゃる弔問の方への対応など、家族と連絡を取り合いながら、漸く終えた昨日。


少しは元気になった御袋に、俺が再度の出向単身赴任に親父は反対していなかったか聞いたところ

「あの歳で声がかかるのは凄いことだ。お前は寂しいかもしれんが、前回行けなかったが、今度は福島に俺らが行けばいいだ」と言っていたと聞けたのも救い。


還暦迎えた息子を、物陰に隠れて「ワっ!」と脅かすなんていう小学生のようなこともやるお茶目なクソ親父だったが、本当に最高なクソ親父だったな。


思えば前月の10月に帰省した時に話したのが最後で、亡くなる前にまだ反応する親父に会えていなかったのは俺だけなのが、未だに凄く心残りなのは確かだし、

もう最後は止めることをしなかったタバコを外で一緒に吸うことももう無いけど、


「親父、ちゃんとやっただろ?」と胸張って言えるだけのことはしたかな…

なんて思いながら、1日遅れのこいつを掲げさせていただきます。


長文すみません。

皆様の今宵が、残り少ない今年が穏やかでありますよう。