昨日は終電新幹線前に帰って、最後のシャワーを浴びて、また少し片付けをして就寝。
今朝は予定通り起きたけど引越し屋が少し遅れるとのことでゆっくり支度。朝飯で最後のインスタントコーヒーを飲み干し、洗って荷物に入れて封をする。
着ていた寝巻きがわりのスウェットは車に乗せる洗濯物にまとめて入れて準備完了。
少し遅れて着いた引越しスタッフは今回も気持ち良く、そしてテキパキと手際良く作業を進めてあっという間に運び出しを終える。
3年前と同じ最後の光景。
あの時も、もう来ることはないと思ったが、こうして10ヶ月、再び俺のアジトとして楽しませてもらった空間。
2度あることは3度あるって言うじゃない、なんて複数の方から言われたが、また仕事でこの地に来ることはあっても、またまた出向は流石にないし、この部屋にまた住むことはあり得ないだろう(笑)
さらば…の想いを胸に部屋を後にする。
車を出発させて、会社へ。
その前に近所の床屋の親父さんに挨拶。
「またいらっしゃるのを待ってますよ〜!あ、シン仮面ライダー如何でした?」なんていつもの調子で😆両手でがっちり握手をして、会社へ。
会議でいない支店長を除き若い後輩たちに「最後に顔を見にきたぜ!」なんて照れ隠し&本心で挨拶。
次は新しい場所に移転予定だからこの事務所を見るのも最後かな。
「来週待ってます!」などと気の早いことを言う
いい奴らの笑顔に送られて辞す。
ほんと、ありがとうしか浮かばないや。
またいつか。多分そんなに遠い先でないことを期待しながら。
そう言えば今日は7日。ジャッキー・チェンの誕生日だからかみさんの誕生日だ!と思い出し、パン好きのかみさんが喜びそうな、郡山で評判のパンを一斤買いに。
ところが!路駐した車をさらに寄せようとしたらポールに車を擦ってしまったのよね〜😭
最後の最後にやらかしたけど、可愛い店員さんにお気をつけてと見送られて出発。
通り慣れた道を走ってインターへ向かう。
次に来る時は電車だろうからこの道を通るのは最後かな。
インター入り口を抜け、いつも行く県庁とは逆方向の東京方面へ。
かけ出したBiSHのCDからは「オーケストラ」が流れ出した。出来過ぎだ(笑)
またいつか。ひとまず、Bye-Bye しよう。
雨予報だったけど幸い降られることもなく、これまた3年前と同じく佐野インターでラーメンで昼食をとりながらこれを記している。
実は2年ぶりに受けた人間ドックの結果が史上最悪で😅、今後色々検査を受けねば…ではあるのだが、今日は、まあいい。美味いものを食うのだ(笑)
さて、引越し荷物には入れなかったCDを取っ替え引っ替えかけながらあと4時間、好きな音楽に包まれて気をつけて行くのである。

開けて3日月曜は休みをとっていたけど、朝から元の会社の朝礼ミーティングにzoomで参加。出戻り挨拶済ませてから、ゴミ袋や掃除用品など買い出しに出て、やっと本格始動。すぐに使わない本やDVDをゴソゴソ詰め出し出したのだった。また途中で本読み出したりしたけど(笑)。
後輩が何とまあ俺の写真でお面を作ってて、それをみんながつけて記念写真とか、もう、周囲の席も何が始まっているのだ?と訳がわからない状態(笑)。
明日は朝8時半には荷物出し。酔っ払って帰る今晩は計算できないから今日昼間が勝負なと思っていたけど、細々したもの以外は何とか荷造り完了と言うところでまあ、気兼ねなく飲んできます😆
長々書いてしまったけど、10ヶ月、短かったなあ。仕事は今ひとつ、家も色々あって楽しいばかりではなかったけど、良き仲間に恵まれて幸せでした。
というタイトルで2月に更新しようと思ったらもう3月も後半だ・・・(汗)
お久しぶりです。何とか生きているジャンゴです。
2月は仕事はたいして忙しくなかったものの
前半に久々大いに雪が積もった日がちょうどイベントで外出、
朝方荷物を積み込み出発する直前にすっころんで胸をしこたま打ってしまうトラブルが(苦笑)。
あまりに痛いのでさてはあばらをやっちまったか・・・
と翌週医者に行きレントゲンを撮ったら幸い骨折は無く一安心。
しかし「2,3週間痛むかも」の見立て通り2月の寒い時期は
くしゃみをしたり急に振り返っては「アタタタ」となる情けない日々を過ごしたのでした。
そういえば翌週の14日バレンタインデーは義理チョコさえもない胸の痛い一日だったなあ(笑)。
そのまた翌週に帰省した際に、娘とかみさんから「大変申し訳ございません」と謝られながら渡されたチョコ。
なんとまあ二人が別々に買ったという2つのチョコが中身も袋も全く一緒(笑)。
俺に渡そうと二人で取り出して唖然としたというが、俺はもう爆笑だったわ。
どこまでセンスというか俺の好みを推し量るベクトルが一緒なんだと大笑いしました(笑)。
その2週後はまた帰省して親父の百箇日の供養を無事済ませて一区切り。
1月だったかな・・・ひょいと「おい、悪かったな」と親父が帰ってくる夢を見て
嬉しさに半泣きしながら起きたことがあったが
もうだいぶ落ち着いたとはいえ、面白かった親父がいないという事実は寂しいものだなあと
改めてしみじみしたりしたが、その2月の終わりから3月の頭にかけてが地獄の始まりだったのだ(笑)
翌週の3月6日~8日の東京でのイベント立ち合い出張に前後して
最後くらい良い置き土産を置いていこうと
いろいろなところを回って情報を集め、3本ほどプレゼンにチャレンジするために準備していたのだが
後輩から「すみません、あと2本手伝ってください!」と受けたはいいけど
いざ公示されたら、その5本が物凄く集中してやがんの。
先日の14日は自分が人間ドックということもあり前日までに何とか仕上げて預けられたものの
22日に2本、24日に1本、そして明日27日に1本と、企画書提出が、まあ続く続く(苦笑)。
当然プランナーも手いっぱいで、22日提示のうちの1本は結局全部自分で書く羽目になり
その他の企画書のチェックや見積もり、提出書類も含めての準備で
19、20日は自宅で仕事、21日の祭日も出社、何とか22日に提出後は
間髪を入れず24日提出分の仕上げで23日は久々帰宅が午前2時を回ったりと
かつてのようなハードな日々であったのでした(苦笑)。
「ジャンゴさん、タフだなあ。顔色は悪いけど暇な時よりイキイキしてますよ」なんて言われたけど
そんなことあるもんか!ほんと先週は死ぬかと思ったわ(笑)。
そんなこんなでこの土日も明日提出分の仕上げで
未だ「シン仮面ライダー」を観に行けてないのであります。
と言うか、年末年始も含め今年に入ってからまだ映画館に行ってないのだなあ・・・。
ただ、こんな状況ではありますが金曜の夜だけは仕事を忘れて
朝方近くまでもうじき終わる「GAYAO!」の配信を見まくったりしてたんですがね(笑)。
「ジョン・ウィック パラベラム」やらもう何度も観てる「男たちの挽歌」「同 Ⅱ」、「アジョシ」
DVD持っているくせに「ジャンゴ 繋がれざる者」や「マグニフィセント・セブン」などの
漢気あふれる銃撃戦映画の外にも、懐かしい大映の「妖怪百物語」「妖怪大戦争」
「世界残酷物語」やマリオ・バーバの「白い肌に狂う鞭」に加え
「悪魔の植物人間」や「サスペリア・テルザ」「CAGE」などのホラーなど荒んだ心持ちにフィットする作品のほか、
ずっと観たかった「まぼろしの市街戦」や「さらば愛しきアウトロー」も観れて大満足なんだが
この2週連続の土日仕事&21日出勤で、すっかり予定が狂い
「GAYAO!」終了する31日まで、観るつもりだったものが消化しきれそうにないんだよな(笑)
そう、31日で終了なのだ。この10か月の出向も。
ただ明日の企画書提出後そのまま前に出した分のプレゼンがあり
明日提出分も29日にプレゼンなので、休みととれる余裕はなく合間に残務整理を済ませて
何とか31日に終わらせなければならないのだ(汗)。
そして4月になったら休みを取りながら引っ越し準備。
忙しい合間に何とか引っ越し業者も決まり7日にこちらを立つことになっているのだ。
皆忙しいのでオフィシャル送別会は今の事務所が4日、出向元が6日(荷物出し前日じゃん・・・)
聞きつけて31日の終了日、翌日1日の土曜にも個別の送別会も決まっていて
いやほんと、最後までバタバタしそうなカウントダウンなのである(笑)。
そんなこんなの近況報告、前回と違い、全然センチな気分にならないが
あと2週間足らずのこの気楽な一人暮らし、明日からたっぷり堪能してやるのである!
記録もなるべくつけていきまする~(笑)
昨年末にバタバタしながらこなしたイベント仕事を済ませて以降、継続している仕事も厄介なこともなく、何より今年度はあまり仕事を取れなかったこともあり、正直このところかなり余裕がある。
報道ステーションがまだ始まってなかったらホッとする…なんてのが普通だった帰宅時間も、ここ2週間は下手すれば19時台には飯も食い終えることもしばしばと、ある意味これが「普通の生活」ってな感じなんだろうが、どうも仕事の余裕に反比例して、気力がいまひとつ湧かないのだなあ(苦笑)。
仕事もそうだが土日の休みも暇なのに映画館に行こうという気力が湧かずで(寒いのもあるが)。最低限の買い物と家事以外は部屋に篭って配信やDVDで映画を観たり、前に紹介した「みんはや」なるクイズアプリで映画の問題をせっせと作っているような土日がもう2週続いているのだ😅。
これではダメだ!何かガツンと違うことをしなければ!…なんて想いにもならなかったが(笑)、調べ物がてら眺めていた、自分が一番好きな映画サイト、スティングレーのallcinemaのHPで「おお!これは!」というものを見つけてしまったのが2週間前。
金額の凄さにちょっと躊躇してものの、どうしても欲しいという気持ちはいささかも減退することなく、先週「えいや!」とポチッとしてしまったのだ。
本当は土曜には届くタイミングだったのが、クレジットカードの変更登録がうまくいってなくて注文確定ができず、何度か注文し直したらずれてしまい、トホホ。
漸く確定できて最寄りのコンビニに昨日届いていたのを確認できたものの、店頭引取りに必要なメールが届いてなくて昨夜は引き取れずで😭。
結局、今日Amazonのカスタマーサポートに問合わせをして必要な情報を得て、やっと準備完了。
今日も早めに帰宅して、すでに窓に雪がついて凍結し始めているのを溶かして車を出し、コンビニでやっと手にすることができたのがこれなのだ!
映画広告図案士 檜垣紀六 洋画デザインの軌跡: 題字・ポスター・チラシ・新聞広告 集成
デザインワークの説明から裏話の対談まで、とにかく資料集としても最高だ。
ああ、なんてマイナーな、でも大好きな映画たちなんだ!(笑)
西部劇からアクション、ホラー、ファミリー映画に文芸作まで、映画のジャンルというよりデザインコンセプトで並んでいるのも気持ちいい。
パピヨンのマックィーン、ランボーのスタローン、イーストウッドやバート・レイノルズ、ナイフや銃を用意して持っている手は檜垣氏自身。
無いものからイメージを生み出す裏話も満載なのだ!
映画としては文句ないが、『ランボー』のポスターの割り増し感は今見ても笑える!悪名高い『メガフォース』と並んで東宝東和のバッタもんポスターも彼の仕業だったのか!😆という発見も。
金曜日の夕刊によく並んでたこの手の広告、中学生の時に切り抜いて保存してたよなあ。
今のMacのデザインではすっかりお目にかかることもなくなった手書きのロゴタイプ。
版下時代の素晴らしい仕事も一覧できるのだ!
A 4サイズの大型本でハードカバー、383ページだから、今までのように「本を隠すには本棚に」が通用しないぶ厚いボリューム。
映画に目覚めた頃の俺の熱い想いを呼び覚ましてくれるには十分な内容。
あの頃の仕事の凄さをパラパラめくるだけで堪能させてもらえる一冊だ。
俺の見間違いでなければ明日の郡山は、最低気温マイナス9℃、最高気温マイナス4℃となっているのだが😭(皆さんもどうか気をつけて)、風雪が酷かったらテレワークにしようとPCや仕事資料も持ち帰ったが、こんなのが目の前にあったら絶対仕事しそうにないな(笑)
まあ、明日のことはまた考えるとして、この本を肴に、また安ウイスキーでも煽りながら過ごすとするかなあ(笑)。
穏やかな三連休だったのに今日は雪が降る寒さ!
昨年で仕事がひと段落して、報告書作業が3本重なっているものの、このところ帰宅して飯を食べてもまだ21時前、なんていう早い帰宅が続いていて、こんなのに慣れちゃうとまた忙しくなった時、心身共についていかなくなるかも?とビビっていたりするジャンゴです(笑)
この休みは、昨年末に前の会社を退職した下の娘が友達と行くはずだった温泉旅行に、その友人がコロナになってしまい、キャンセルも惜しいからとかみさんに急にオファー、かみさん喜んで誘いに乗って、土日は娘と2人、有馬温泉&近隣観光と相成り、仕事で行けなかった上の娘と共にその様子をLINEで報告を受けておりました(笑)。
その下の娘が今日は引っ越し。下の娘は2020年春に自分が出向から戻って「ジャンゴ一家勢揃いだね!」なんて喜んでいたのに、4ヶ月後の9月には、自宅から通えた同じ街の職場から浜松へ異動、まだ近くだからと思っていたのに、その10ヶ月後にはなんと愛知へ。そして一年たたずに同じ愛知ながら別の店舗へまた異動、加えて引っ越しは伴わないけど今年はまた別の店舗にと、どこに行ってもうまくやっていける彼女のコミュニケーション能力の高さが重宝されたのかまあ、動く動く。
もっとも2年半で職場が4回、引っ越しが3回という異動のあまりの多さと、週休2日とは言え土日はどちらかしか休めないシフト勤務、加えて年末年始を2年連続1人で過ごすことに本人はすっかり嫌になり、ついに退職、土日休みの普通の会社に勤めることになっての4回目の引っ越しとなったわけなのだ。
まあ、せっかく3年ぶりに実家で過ごせた年末年始に祖父である俺の親父が欠けるとは思わなかったが(苦笑)。
実は退職&転職については、夏頃から相談の電話があったりしたのだ。
26歳になっても俺に父親としての意見以上に「会社社会に長年いる先輩」としての意見を求めてくれたのは嬉しい限りだったな。
まあ、下の娘は隠し事ができない性格なんで、よくよく聞いたら彼氏ができたとのことで、なるほど、それが土日休みにしたい最大の理由か!と合点はいったのだった。
おまけにその彼氏、娘に「これ最高だから!」とクローネンバーグの『ザ・フライ』を一緒に観ようと誘ってきたと言う男だそうで、俺には反対する理由が全く見当たらないのであった(笑)。
もっともこの「彼氏情報」は、かみさんと姉の上の娘はとっくに知っていたというのは言うまでもないのであったが…(笑)。
そんな母娘の旅の知らせを横目に見ながら、土曜の俺はというと、先週作っていた煮物のようなものにモツと牛スジ、ニンジンを投入して煮込みにメタモルフォーゼさせつつ、ついでに翌日に「1日経ったカレー」を食うべく、2種の料理をわっせわっせと調理していたのであった。
土曜はまだ豆腐の残りも散見するモツ&牛すじ煮込みを。
日曜は予定通り「1日経った野菜ゴロゴロカレー」を。
ゆで卵も含めこれをレオパレスの電熱コンロ2つを駆使しながら、エアコンやストーブを切るなどブレーカーが上がるのを注意しながら1時間で仕上げる俺って、もしかして凄い?(笑)
そんなこんなで昨日は月曜は2日目のカレー(余って凍らせておいたパスタソースの余りも投入してほのかにトマト風味にした)、今日は最後の煮込みと4日間とも同じメニューながら、食い終わる頃にはうっすら汗をかく温まるメニューをキープできているのは心強かったりするが、まだ煮込みもカレーも少しづつ残っているんだよねえ(笑)
ついでに紹介すると調理の間かけていたのが昨年親父の亡くなる1週間前にヤフオクで落札、手に入れたまま聴いてなかったこれ。
以前静岡の図書館で見つけてPCに取り込み、お気に入りマイコンピレーションの材料にしていたが、やはり円盤で所有したくなっていたのだなあ(笑)
『続荒野の用心棒』の主題歌が英語バージョンとイタリア語バージョンと2種収録してあるだけでも最高な1枚なのだ。
以上、まだ映画館に行く気が起きず、くだらない映画をGYAOで観たりもしたが、レビューはも少し気持ちが高まってからということで、とりとめない平和な3連休の記録でありました。
また放置ですみません。
11月25日、父が急逝。
長男の務めとして施主として11月30日の通夜と翌日の葬儀を取り仕切ってきました。
今月5日より仕事復帰し、10日本番のシンポジウムイベントをなんとか乗り切り、先週も後輩のイベントにフォローで入りながらも準備した、
四十九日の法要を昨日無事終えて、本日また郡山に戻った次第。
思えばこの2度目の出向単身赴任に向かう直前に
急性白血病の診断が下り、89歳になる年齢も考え、「穏やかな治療」をしていくという方針の中、
赴任直後の6月と9月の2回の入院治療も、抗がん剤治療をして順調に数値も下がると退院を繰り返す、いたって元気なままの親父でした。
やることがないので、御袋に「あれを持って来い、これはいらん」と相変わらずの我儘三昧(笑)、看護師をからかうわ、実習でついた看護学生が可愛い女の子だったのでご機嫌で、お袋がやきもち焼くわと(笑)、全然病人らしくない入院生活だったので、この11月の入院も熱が下がらないという状態ではあったものの、周りも、おそらく本人もまた平気な顔で退院するものと思っていただけに、覚悟ができていないところの急逝でした。
苦しむこともなく、おそらく抗がん剤治療も、治すというより数値を抑えるような治療だったためか、髪の毛も抜けることなく、今にも起きてきそうな顔で、親父らしく自分勝手に逝っちまいました。
ちょうど休日出勤の振替休日で帰省する予定だった25日は、前日ちょっと調子が悪いようだと連絡があったので見舞いに行くかと思いながらの新幹線で受けた「迎えに行けないから直接病棟に来て」というかみさんからのLINE。
焦る気持ちのまま向かった病院。
病室に入った時には「心電図がとれません」の表示のアラート音。
耳元で「おい、親父!帰ってきたぞ!」と呼びかけた、その一瞬だけ、心電図がピンと反応したのが最後でした。
それからは、親父に頼り切っていた故、何もできない母に代わり、親戚への連絡、葬儀会社との打ち合わせ手配、弔問に訪れる皆さんへの対応、加えて銀行やら何やらの手続きの段取り、加えて前述のイベント準備と抱えていたプレゼン対応を代わってやってもらう仕事の連絡と、正に悲しむ暇もない毎日で、あっという間の通夜と葬儀を済ませた1週間でした。
かみさんや娘たち、そして弟にも手伝ってもらいながら、何とかこなしたけど、仕事でイベントをいくつもこなしていたのでまだ「慣れ」はあったとは言え、仕事のイベントは前から実施日が決まって準備していくのに、葬儀会場やお坊さんの都合で決まった目の前の期日までにこんなにやることあるのかーい!という判断しなければならない数々に加え、また郡山に戻るリミット前に済ませたい手続きもあり、予想以上の大変さでした。
親戚はもちろん、若い頃のソフトボールや歳を取ってからの詩吟などの趣味の付き合いから、老人会やグランドゴルフの仲間など、同年代のお年寄りの弔問に加えて、実家の裏に20年くらい前に次々と建てられた家のお子さんが小さい頃、学校帰りの彼らを、親が帰ってくるまで一緒に遊んでいたりしていたらしく、今は社会人や大学生、高校生になった彼らまで弔問に来てくれたり、どこかで見た顔だと思ったら、ヤクルトのおねーさんが旦那さんときてくれたりと、年代層の幅もめちゃくちゃ広い交友範囲、荒っぽい口調にも関わらず、表も裏も無い親父の性格がこんなに慕われていたのかと、息子としては誇らしい気持ちでした。
コロナもあり葬儀こそ親戚に留めたけど、そんなこともあり通夜はオープンにしたら、前述の皆様に加え自分の友人たちもどこで聞きつけたか来てくれたり、当然連絡をした会社関係も、静岡支店時代の人に加えて、出向の一社員にも関わらず今の職場の出向先の支社長まで仙台から来てくれたり(しかも時間が合わないので自宅に!)のおまけ付きで、何とまあ200名近い方が来て下さった計算で、その対応も大変だったけどほんと頭が下がる想いでした。
憔悴しているのは理解できるものの、何も判断ができない御袋につい言葉を荒げてしまった俺をなだめ、御袋にも優しくフォローしてくれた、かみさんや娘たちの存在のありがたさ。
葬儀が終わった後、「お父さん、ほんとがんばったね、凄いね」と労ってくれた皆の優しさ。
この家族で良かったよ、ほんと。
だから、葬儀を終えて一人郡山に戻った時の喪失感はちょっと言葉にできないくらいで。
仕事復帰していてもやはり元気がなく映ったようで、同僚たちにも気を使わせて申し訳なかったな。
こちらで仕事をしながらのさまざまな手続きや、喪中ハガキの手配と投函、四十九日の準備連絡、まだいらっしゃる弔問の方への対応など、家族と連絡を取り合いながら、漸く終えた昨日。
少しは元気になった御袋に、俺が再度の出向単身赴任に親父は反対していなかったか聞いたところ
「あの歳で声がかかるのは凄いことだ。お前は寂しいかもしれんが、前回行けなかったが、今度は福島に俺らが行けばいいだ」と言っていたと聞けたのも救い。
還暦迎えた息子を、物陰に隠れて「ワっ!」と脅かすなんていう小学生のようなこともやるお茶目なクソ親父だったが、本当に最高なクソ親父だったな。
思えば前月の10月に帰省した時に話したのが最後で、亡くなる前にまだ反応する親父に会えていなかったのは俺だけなのが、未だに凄く心残りなのは確かだし、
もう最後は止めることをしなかったタバコを外で一緒に吸うことももう無いけど、
「親父、ちゃんとやっただろ?」と胸張って言えるだけのことはしたかな…
なんて思いながら、1日遅れのこいつを掲げさせていただきます。
長文すみません。
皆様の今宵が、残り少ない今年が穏やかでありますよう。