冬空見上げて | B級パラダイス

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健康優良不良中年が、映画、音楽、読書他好きなことを気まぐれに狭く深くいい加減に語り倒すブログであります。

また放置ですみません。


11月25日、父が急逝。

長男の務めとして施主として11月30日の通夜と翌日の葬儀を取り仕切ってきました。 


今月5日より仕事復帰し、10日本番のシンポジウムイベントをなんとか乗り切り、先週も後輩のイベントにフォローで入りながらも準備した、

四十九日の法要を昨日無事終えて、本日また郡山に戻った次第。


思えばこの2度目の出向単身赴任に向かう直前に

急性白血病の診断が下り、89歳になる年齢も考え、「穏やかな治療」をしていくという方針の中、

赴任直後の6月と9月の2回の入院治療も、抗がん剤治療をして順調に数値も下がると退院を繰り返す、いたって元気なままの親父でした。


やることがないので、御袋に「あれを持って来い、これはいらん」と相変わらずの我儘三昧(笑)、看護師をからかうわ、実習でついた看護学生が可愛い女の子だったのでご機嫌で、お袋がやきもち焼くわと(笑)、全然病人らしくない入院生活だったので、この11月の入院も熱が下がらないという状態ではあったものの、周りも、おそらく本人もまた平気な顔で退院するものと思っていただけに、覚悟ができていないところの急逝でした。


苦しむこともなく、おそらく抗がん剤治療も、治すというより数値を抑えるような治療だったためか、髪の毛も抜けることなく、今にも起きてきそうな顔で、親父らしく自分勝手に逝っちまいました。


ちょうど休日出勤の振替休日で帰省する予定だった25日は、前日ちょっと調子が悪いようだと連絡があったので見舞いに行くかと思いながらの新幹線で受けた「迎えに行けないから直接病棟に来て」というかみさんからのLINE。


焦る気持ちのまま向かった病院。

病室に入った時には「心電図がとれません」の表示のアラート音。

耳元で「おい、親父!帰ってきたぞ!」と呼びかけた、その一瞬だけ、心電図がピンと反応したのが最後でした。


それからは、親父に頼り切っていた故、何もできない母に代わり、親戚への連絡、葬儀会社との打ち合わせ手配、弔問に訪れる皆さんへの対応、加えて銀行やら何やらの手続きの段取り、加えて前述のイベント準備と抱えていたプレゼン対応を代わってやってもらう仕事の連絡と、正に悲しむ暇もない毎日で、あっという間の通夜と葬儀を済ませた1週間でした。


かみさんや娘たち、そして弟にも手伝ってもらいながら、何とかこなしたけど、仕事でイベントをいくつもこなしていたのでまだ「慣れ」はあったとは言え、仕事のイベントは前から実施日が決まって準備していくのに、葬儀会場やお坊さんの都合で決まった目の前の期日までにこんなにやることあるのかーい!という判断しなければならない数々に加え、また郡山に戻るリミット前に済ませたい手続きもあり、予想以上の大変さでした。


親戚はもちろん、若い頃のソフトボールや歳を取ってからの詩吟などの趣味の付き合いから、老人会やグランドゴルフの仲間など、同年代のお年寄りの弔問に加えて、実家の裏に20年くらい前に次々と建てられた家のお子さんが小さい頃、学校帰りの彼らを、親が帰ってくるまで一緒に遊んでいたりしていたらしく、今は社会人や大学生、高校生になった彼らまで弔問に来てくれたり、どこかで見た顔だと思ったら、ヤクルトのおねーさんが旦那さんときてくれたりと、年代層の幅もめちゃくちゃ広い交友範囲、荒っぽい口調にも関わらず、表も裏も無い親父の性格がこんなに慕われていたのかと、息子としては誇らしい気持ちでした。


コロナもあり葬儀こそ親戚に留めたけど、そんなこともあり通夜はオープンにしたら、前述の皆様に加え自分の友人たちもどこで聞きつけたか来てくれたり、当然連絡をした会社関係も、静岡支店時代の人に加えて、出向の一社員にも関わらず今の職場の出向先の支社長まで仙台から来てくれたり(しかも時間が合わないので自宅に!)のおまけ付きで、何とまあ200名近い方が来て下さった計算で、その対応も大変だったけどほんと頭が下がる想いでした。


憔悴しているのは理解できるものの、何も判断ができない御袋につい言葉を荒げてしまった俺をなだめ、御袋にも優しくフォローしてくれた、かみさんや娘たちの存在のありがたさ。


葬儀が終わった後、「お父さん、ほんとがんばったね、凄いね」と労ってくれた皆の優しさ。

この家族で良かったよ、ほんと。


だから、葬儀を終えて一人郡山に戻った時の喪失感はちょっと言葉にできないくらいで。

仕事復帰していてもやはり元気がなく映ったようで、同僚たちにも気を使わせて申し訳なかったな。


こちらで仕事をしながらのさまざまな手続きや、喪中ハガキの手配と投函、四十九日の準備連絡、まだいらっしゃる弔問の方への対応など、家族と連絡を取り合いながら、漸く終えた昨日。


少しは元気になった御袋に、俺が再度の出向単身赴任に親父は反対していなかったか聞いたところ

「あの歳で声がかかるのは凄いことだ。お前は寂しいかもしれんが、前回行けなかったが、今度は福島に俺らが行けばいいだ」と言っていたと聞けたのも救い。


還暦迎えた息子を、物陰に隠れて「ワっ!」と脅かすなんていう小学生のようなこともやるお茶目なクソ親父だったが、本当に最高なクソ親父だったな。


思えば前月の10月に帰省した時に話したのが最後で、亡くなる前にまだ反応する親父に会えていなかったのは俺だけなのが、未だに凄く心残りなのは確かだし、

もう最後は止めることをしなかったタバコを外で一緒に吸うことももう無いけど、


「親父、ちゃんとやっただろ?」と胸張って言えるだけのことはしたかな…

なんて思いながら、1日遅れのこいつを掲げさせていただきます。


長文すみません。

皆様の今宵が、残り少ない今年が穏やかでありますよう。