先月末、子どもと自転車に乗ってべちゃくちゃしゃべっていたところ、

 

目の前の段差に気がつかずに突っ込み、すっころびました。

 

でもって、右肘頭骨折(みぎちゅうとうこっせつ)、となりましたえーん

 

 

 

▼右肘頭骨折のようす

 

 

 

んでもって、この割れたところをワイヤーでくっつけるために、

 

入院・手術となりました。

 

 

久しぶりの入院は、ゆっくり休めた気がする… 照れ

 

 

    チューリップ  

 

…冗談はともかく、

 

 

2週間塾を空けることとなったのは、大変ご迷惑をおかけしました。

 

こういうことは、もうないように、くれぐれも気をつけなくてはいけません…!!

 

 

 

幸い、すでに復帰しており、

 

右手も指先は以前と同じように動くので、

 

こうしで文字もカタカタ入力できますし、

 

仕事については問題なくできると思います。

 

強いて言えば仕事の準備が手間どってしまいますが、

 

それも授業が始まれば関係のないことです。

 

 

   チューリップ

 

しばらくはリハビリが続きますが、

 

仕事の方はばっちりできますので、

 

いくらでもこき使ってくださって結構です。

 

 

充実した春休みを送りましょう!!

 

 

 

 

【概評】

 

初めて解いた感想は、

 

 

 

 

 

 

 

正直このテストは嫌いですガーン

 

論理パズルというよりかはむしろ、神経衰弱みたいですね。

 

 

 

   チューリップ

 

 

語数が5000語を超えていそうなので、

 

テキパキと、サッサっと、解く必要があります。

 

問題文と、選択肢と、図表を、

 

パラパラと見ながら、ひたすら「処理」し続けるような感じです。

 

官僚でも養成するつもりでしょうかタコ

 

 

難しくはないのですが、速さで受験生をふるいにかけるイメージです。

 

 

 

   チューリップ

 

解いてみて、リーディングは特に問題なかったのですが、

 

リスニングは結構苦戦しました。

 

(問6Bが鬼畜だったガーン

 

 

毎日1000語くらいの英文に目を通し、

 

毎日15分くらいのリスニングを継続する、

 

そのあたり、ルティーン化して生活に組み込んでおかないと、

 

この難敵はクリアできない気がしました。

 

 

君たちの進路の上に、とんでもないのが立ちふさがりました。


 

 

必ず撃破できるぞ爆弾ドンッ

 

大変ですけど、がんばろーぅ!!

 

 

 

PS

 

受験生、しっかりリーディングで満点取って帰ってきました。

 

よしよし… 猫からだ猫あたま

 

 

よくよく考えると、

 

センターの時は地雷みたいな問題がいくつかあって、

 

満点を取るのがなかなか難しかったのですが、

 

初めての共通テストには地雷という地雷がなかったので、

 

満点を取る、という観点からすると、共通テストの方が楽、という見方もできたりして…。

 

 

受験生には元気をもらえましたビックリマーク

 

 

 

英語塾DJ 塾生・保護者様の皆様

 

新年あけましておめでとうございます

 

皇紀2681年(令和3年)

西暦2021年

 

 

▼大晦日23時30分ころの愛媛護国神社

 

 

例年と同じく、新年は護国神社から。

この静謐な空気の下、一年を始めました。

 

 

今年は、朝方の生活を維持し、

 

毎日1時間の読書、

毎日1時間の資格試験の勉強、

毎日最低200回の腕立て腹筋、

毎日最低3kmのジョギング、

 

を続けたいと思います。

 

昨年、すでに朝方の生活と腕立て・腹筋・ジョギングはそれなりにやれたので、

新しくやるのは実質、読書と勉強です。

 

やめる理由と誘惑は山ほどありますが、

なんとか継続していきたいと思っています。

 

塾生の成長に置いて行かれないように、

塾生にとって、魅力ある塾長でいられるように。

 

 

 

皆さんにとって、よい一年でありますように!

 

 

以下、ウィキペディアからの引用です。

 

 


1850年初夏、ギリシャ・アテネ在住の英国(ジブラルタル)籍のムーア人系ユダヤ人商人ドン・パシフィコは、その前年に反ユダヤ主義者に邸宅を焼かれて財産を奪われた件で巨額の賠償金をギリシャ政府に要求したが、ギリシャ政府はこれを拒否した。パシフィコはイギリス外務省に助けを求めた。
 
ちょうどこの頃イギリスとギリシャはイオニア諸島の領有問題で争っていたため、パーマストン卿はこの事件をギリシャ恫喝の絶好のチャンスと見た。英国艦隊をピレウス港に派遣し、パシフィコの要求に応じるようギリシャ政府を恫喝した。ギリシャ政府はこの恫喝に屈服し、パシフィコに賠償金を支払い、またイオニア諸島のイギリス領有を認める羽目となった。
 
このパーマストン卿のやり方をフランスやロシアが批判し、国内でもヴィクトリア女王や野党が批判した。女王は「一個人の利益のために国家全体を危険に晒してはならない」と訓戒した。貴族院はパーマストン卿不信任案を決議した。庶民院でもピール派のウィリアム・グラッドストン、保守党のベンジャミン・ディズレーリ、急進派のリチャード・コブデンら野党議員が鋭く批判した。
 
これに対してパーマストン卿は6月25日に答弁に立ち、次のような歴史に残る演説で反論した。
 
As the Roman, in days of old, held himself free from indignity, when he could say, Civis Romanus sum, so also a British subject, in whatever land he may be, shall feel confident that the watchful eye and the strong arm of England will protect him from injustice and wrong.
 
和訳:古のローマ市民が『私はローマ市民である』と言えば侮辱を受けずにすんだように、イギリス臣民も、彼がたとえどの地にいようとも、イギリスの全世界を見渡す目と強い腕によって不正と災厄から護られていると確信できるべきである。

 
この英国民の自尊心をくすぐる演説は圧倒的な世論の支持を受け、たちまちのうちにパーマストン卿は国民的英雄となった。この演説には野党議員さえもが感動し、グラッドストンは「並はずれた名演説」と評し、ロバート・ピールは「我々の誰もが彼を誇りに思わずにはいられなかった」と評した。
 
情勢は逆転し、庶民院は46票差でパーマストン卿不信任案を否決した。

 

 

 

以上。引用終わり。

 

 

 

日曜日に知り合いから教えていただいたエピソードです。

 

さて、拉致問題は、横田滋さんが亡くなられ一時報道されましたが、いままでと同様、これからもまた忘れ去られてしまうことでしょう。

 

それこそ、芸能人のどうでもよい醜聞よりも、よほど報道してほしいのですが。

 

 

こういう発言をする政治家と、

 

それを支える国家意思と軍事力、

 

戦前の日本人にはあったと思うのですが、残念でなりません。

 

横田さんには、申し訳ないとしか思えない。

 

 

 

例えば、拉致被害者10名救出するために、自衛隊隊員が1000名死亡する可能性があるとする。

 

政治家はどう判断すべきだろうか。

 

政治家はいつでも人の命を天秤にかける判断を迫られるが、

 

私は、人の命よりも大切な国家意思というものがあると思う。

 

 

 

仮にそれが嫌だと思うのなら、

 

それこそ北の要人をさらってきて、交換交渉という手段だってとれるだろう。

 

それくらいの心がまえがある国家なら、キム正男をみすみす解放なんか絶対にしなかったんだろうが。

 

 

 

PS

 

めぐみさんの弟さんの発言をメディアは総じて無視していましたが、

 

メディアに対するもともとない信頼は、今回で完全になくなりました。

 

テレビはもうスポーツと天気とアニメくらいで、もう用はないかな…

 

 

 

 

福島県鯖江市の中学での指導みたいですが、

 

さすがにこれは…

 

 

 

 

うーん、

 

うちの塾が否定されたガーン

 

 

 

以下のサイトからの引用です。

 

アルファベットブロック体書き方指導の現状

https://ameblo.jp/hitomi-nakahashi/entry-12376123961.html

 

 

 

   チューリップ

 

松山市でも結構すごい答案を見ることがありますが、

 

そんな時は電話でもしてみて、冷静にお話しを伺ったりしますが爆  笑

 

こんなもん見た日には、それこそ棒持って(以下略)

 

 

時々いるんですよ、wを4画で書く子が。

 

どこで習ったのか!

 

で、うちの塾では訂正して、1画にしようね、と言うのですが…

 

 

   チューリップ

 

さて、いろいろな論点で問題点を語れますが、1点だけ。

 

 

現場の教師の仕事は、学力を上げることだと自覚していますが、

 

その際、私としては子どもの学習方法に対して、

 

どこまで子どもの個性を殺していいのか、と考えます。

 

 

というのも、普遍的に正しい唯一の学習方法はないわけで、

 

子どもの意欲があれば、それはかなりの程度尊重すべきだと思っているからです。

 

 

つまり、

 

書いて覚えたいのなら、書くのがいいし、

 

読んで覚えたいのなら、読んで覚えるのがいいし、

 

聞いて覚えたいのなら、その子にとってはそれが正解だろう。

 

できるかぎり、子どもの意欲・個性は尊重すべしと思っています。

 

 

そして、子どもにとって改善になるとこちらが信じるところは、改善に努め指導します。

 

 

   チューリップ

 

上記、アルファベットの指導はトンチンカンでとんでもないのですが、

 

自分としては、これを強要するのが、何よりよくないと感じます。

 

漢字であれなんであれ、書き順なんかまったくどうでもいいですし、個人の勝手です。

 

 

うちの塾は、効率が悪いから、アルファベットの書き方は極力画数を減らすように言いますが、

 

百万が一、それが絶対に嫌だという子がいたら、それはもうその子の自由だと思います。

 

その子の個性を殺してはいけないと思います。

 

 

上記は極端な例かもしれませんが、

 

学年が上がるについれ、微妙なところは結構あって、

 

どこで個性を殺し、どこは触れないでおくか、そんな判断を常にしている気がします。

 

その際、自分の考えよりも、生徒の意欲を優先させています。

 

強要と放任、その両極端が指導者としてはマズイ気がしています。

 

 

 

   チューリップ

 

最後、感想。

 

でも、これ自分が生徒だったら、

 

英語なんかみじんも頭に入ってこないんだろうな。

 

記述試験なんかやっていたら、

 

こんなもの、どこに地雷があるか気を付けて散歩するみたいなものだろう。

 

 

 

まるで、北朝鮮みたいな教育法じゃないか?

 

ピョンヤンは死ぬほどきれいな街で、しかも、みんな同じような服装、同じような髪形だと聞く。

 

で自由がない。誰も笑っていない。

 

この人から英語学んだら、

 

みんなの答案が死ぬほどきれいで、みんな同じ文字。

 

で、自由がなくて、先生からミスを指摘されることにおびえて学ぶ英語。

 

面白くない。

 

 

英語の勉強なんて本当は、ボカボカ間違いを繰り返していいはずなのに。

 

 

この杓子定規な教師は、朝鮮労働党にでも入れば、

 

きわめて有能な官吏になると思った。

 

 

 

 

本日はことばの日、らしいです。

 

調べてみたら、令和元年に認められたとか。

 

 

   チューリップ

 

 

英語塾とは言いますが、

 

学問の基礎は何よりも国語であると考えております爆  笑

 

 

そこで、たまには国語・日本語の素晴らしさでも書いてみようかなと思います。

 

 

 

1.オノマトペがめちゃくちゃたくさんある。

 

 

英語は、オノマトペ、乏しいですね。

 

中国語も、日本語ほどはないと思う。

 

これって、やはり歴史的なものかもしれないし、

 

漫画の貢献度が大きい気もするけど、

 

やはり、英語とは比べ物にならない日本語の歴史の長さかな。

 

オノマトペは世界に広げたい、って思う。

 

日本語オノマトペ普及委員会作りたいくらい爆  笑

 

 

 

2.表意文字と表音文字のコンビネーション

 

日本語:去年私は東京で1年過ごしました。

中国語:去年我在東京過了一年。

ひらがな:きょねんわたしはとうきょうで1ねんすごしました。

 

 

表意文字である漢字と、表音文字であるひらがなの融合は、

 

めちゃくちゃ読みやすいと思います。

 

ときどき英語が読みにくいのは、漢字がないから、って思ってしまいます。

 

 

 

3.専門用語のわかりやすさ

 

pithecanthropus  :猿人

 

pithecanthropus という単語をしっているアメリカ人はそうそういないみたいです。

 

しかし、猿人なら、一般的な日本人でも、なんとなくそのニュアンスが分かってしまいます。

 

表意文字ならではのメリットだと思います。

 

学問を志すうえで、このメリットは計り知れない気がします。

 

 

 

4.数字が数えやすい

 

10  じゅう      

11  じゅういち

12  じゅうに

13  じゅうさん

157 ひゃくごじゅうしち

 

10 ten

11 eleven

12 twelve

13 thirteen

157 one hundred fifty seven

 

英語は不規則なうえ、長いので、

 

これって算数・数学で不利みたいです。

 

ちなみに、中国語は数字を扱ううえでは、非常に便利みたいです。

 

 

 

5.日本人のこころを作る!

 

 

上記の中でいちばん大切じゃないかと思いますが、

 

日本語があってこそ、日本人の精神ができており、

 

社会、文化、共同体意識、そういったものができていると思います。

 

 

日本語は、たんなるツールではなくて、

 

私たちのアイデンティティそのものなのです。

 

そして、そのアイデンティティを後世に残す責務があると感じます。

 

 

 

   チューリップ

 

英語の勉強も大切ですが、

 

忘れてはならないのは、日本語の方がずっとずっと大切です。

 

 

英語塾DJは、子どもたちに英語ばかりガリガリやらせるようなことはしません。

 

むしろ、英語学習には一定の歯止めをかけ、

 

受験で最大の効果を出せる英語教育を考えています。

 

 

大切なのは、なによりも国語力、

 

そして数学の論理を問う力、だと思います。

 

あと、英語に関しては、技術以上に、コミュ力かな?

 

へたっぴでもいいから、相手に興味を持って話す気持ちが大切です。

 

 

   チューリップ

 

英語ができて褒められるのは、日本国内だけ。

 

国境を越えた瞬間、英語で何ができるのか、

 

そこだけしか、みんな興味を持ってくれませんから、

 

わすれないでね。

 

 

 

 

 

違憲じゃないと思われ…

 

 

「ゲーム条例は憲法違反で人権侵害」高校生と母親が香川県を提訴へ

 

4月、全国で初めて施行された香川県のネット・ゲーム依存症対策条例をめぐり新たな動きです。高松市の高校生と母親が「条例は憲法違反であり、基本的人権を侵害された」として県を相手取って国家賠償請求訴訟を起こす準備をしていることが分かりました。 

 

 

 

 

以上。引用終わり。 

http://www.ksb.co.jp/newsweb/index/17324

 

 

 

たしかに、余計なお世話という感じがする条例だが、

 

憲法違反にはあたらないんじゃないかと、そんな気がする。

 

 

憲法94条との兼ね合いは、問題ないと思う。

 

国が同様の法制定を今後行う予定がないというのが、94条違反となるのだろうか?

 

国が別主旨の法制定を行うと言っているのなら、94条に抵触する気がするが。

 

 

条例には罰則規定があるものでもないし。

 

「我が家では1日中ゲームします」、という家庭があっても、条例上とくに問題はない。

 

努力目標を達成できないことなんて、普通にあるわけだし。

 

努力できなかったんだから、仕方ないでしょ、不問ですよそんなもん。

 

 

 

これをもって人権が侵害されたと騒ぐのはどうかなぁ、と。

 

特に、13条、14条を根拠にするのは、無理筋じゃないかと。

 

 

 

あと、1日2時間を超えてゲームをすると学力に影響あるって、

 

『学力の経済学』という本には書いてあった。

 

1時間なら、ほとんど問題ないとも。

 

これって、科学的根拠あるんじゃないかなぁ。

 

司法は科学的根拠というのは、どの程度重く見るのかな?

 

 

 

 

ともあれ、

 

近くにいる大人が止めてあげればいいのに、って思った。

 

もっとも、子どもが裁判やるのを止めないくらいだから、

 

ゲームなんか絶対に止めないんじゃないかね。

 

だとしたら人権侵害されたのか、本当に?

 

 

 

 

もしこれ県が負けたら、

 

地域の実情にあった条例制定って、すごくやりにくくなるんじゃないかね?

 

なんにせよ、裁判所がどういう判断をするのか楽しみです。

 

 

 

 

ことしのGWは、どこへも行かなかった。

 

塾に引きこもっていた。

 

塾で仕事をしたり…

 

アニメ見たり、マンガ見たり、映画見たり、ゲームしたり…

 

そんなことだけだった。

 

でも、そんな「そんなことだけ」でも、ありがたいと思った。

 

 

  

   チューリップ

 

 

毎日、天気が良くって、

 

お日さまがやさしく照っていて、

 

自転車で塾に来るのが、さわやかですごく気持ち良かった。

 

こんなにも晴れていて気持ち良いのに自粛とか、それが皮肉だった。

 

stay home とか言うのなら、雨降りの毎日の方がよほど良かった。

 

 

   チューリップ

 

生まれてから50年弱。

 

生まれて初めてのことがいろいろとあるなぁ、と思った。

 

9年前は震災。そして、今年は疫病の流行。

 

毎日塾に来るときに、生きていることがただただありがたいと思い、

 

そのことに感謝した。

 

生きているということ、それだけで特権だと思った。

 

 

   チューリップ

 

去年は大阪や横浜や東京に行ったが、

 

人込みは当たり前だった。

 

今は、その人込みがあり得ないものに感じられる。

 

まるで、違う世界線に飛び込んでしまったかのようだ。

 

毎日のあたりまえは、こんなにも簡単に壊れてしまうものかと、改めて思う。

 

昨年の人込みが今年あたりまえでなくなったように、

 

今の過ごし方もいつかあたりまえでなくなってしまう時が、けっこう簡単に来てしまうかもしれない。

 

今を一生けん命に生きたい、それだけが正しいと思う。

 

 

   チューリップ

 

GWの内容

 

見たアニメ

  : steins gate  魔法少女まどか☆マギカ  未来少年コナン 

読んだマンガ

  : キングダム1巻から54巻

見た映画

  :  pacific 

遊んだゲーム

  : gravity daze, 悪魔上ドラキュラ月下の夜想曲,  英語物語

 

 

仕事、あまりはかどらなかったなぁ…

 

ぐたぐたとだらしない日々になったしまったかもしれないが、

 

まぁ、今年はそれでよしとする!

 

 

 

昨日、東工大の今年の英語の問題を和訳した。

 

はっきりいって、地獄だった。くたくたになった。

 

そんな折、見たtwitterには…

 

 

 

 

わかる!

 

めちゃ共感できる、と思った。

 

というか、東工大の英語を私が踏み荒らした感でいっぱいだったため、

 

共感しただけだったりして…ガーン

 

 

   チューリップ

 

さて、最近思うのは、

 

意訳が英語を余計難しくしてるんじゃないか、ってこと。

 

 

私は、意訳というのは、

 

「日本人の、日本人による、日本人のための作業」とでも思っており、

 

それは、完全に日本人の都合でしかなく、

 

アメリカ人の脳内には全くない作業だから、

 

英文解釈とは切り離して考えている。

 

 

生徒にも、意訳よりも直訳を強く勧めている。

 

構造通り、直訳しろ、と。

 

 

たとえば、

 

Mind if I smoke? という例文や、

 

A whale is no more a fish than a horse. という例文は、

 

「タバコ吸ってもいいですか?」

 

「クジラは馬同様、魚ではない」

 

などと意訳すると、かえって混乱する気がしてならない。

 

むしろ、有害とさえ思えてしまう。

 

 

実際、

 

Mind if... ?

 
に、私は思いッきしYES と答えてしまったことがあったし。

 

 

   チューリップ

 

 

さて、翻訳は暴力である自覚が必要、とあった。

 

すごく納得できるし、その教えを忘れないようにしたい。

 

同時に、英語を教える者としては、

 

意訳もまた学習者にとっては暴力であるかもしれないと自覚しておきたいと思った。

 

 

もっとも、国立2次では必要なので、それは避けて通らないが、

 

はっきり言って、意訳が上手にできることは英語力ではない。

 

まず大切なのは、アメリカ人の脳とシンクロさせる英語脳を身につけることだと思う。

 

 

いかに速く、いかに正確に、相手のアイデアをキャッチするか。

 

それこそが英語力である。

 

 

それができてから、日本人の日本人による日本人のための作業をやればいいんじゃないかと思う。

 

 

 

 

某学校の中学生と、学校の英語の宿題について話をした。

 

 

「なんでここ、答え合わせ終わってないの?」

「先生がまだ解答を配ってくれないのです。」

 

 

なぜこういう課題の出し方をするのか、不思議で仕方ない…

 

 

   チューリップ

 

 

とうのも、うちの塾は「復習こそ受験勉強」、と言い聞かせているし、復習できない物・するつもりのない物は、最初から手を出すなと言っている。

 

問題が終わったばかりの一番頭がホットな状態のときに復習できないとか、およそ勉強したことのある人なら賛同してもらえそうなのだが、かなり意味がない。 

 

 

「答なんか、最初から全員に配布しておけばいいのにね。」

「そうすると、答えを写す人がいるからダメなんです。」 

 

 

どうやら、毎回毎回課題を提出した人にだけ その都度、答えを配布するシステムになっているみたい。

 

でも、私だったら、答えを写して宿題を終える生徒がいるとしたら、どうぞ写してください、と言うだろう。

 

私なら、課題を出す側としての意図を伝える。それでも言うこと聞かないのなら、それはもう教師が土足で踏み込む問題ではないと考える。 

 

課題の分離、である。

 

そして課題テストは、問題に揺さぶりをかけて、実力をつけている学生が解ける問題を作るだろうから、宿題をやったかどうかという形式的なことは私なら全く意に介さない。っていうか、社会に出たら基本的にそういう仕組みじゃないか? 

 

 

なにより問題なのは、マジメに頑張っている奴が割を食うことだ。 

 

キリスト教的友愛とか、世界的教養人の育成を言うわりには、その教育哲学の根底が「不信」から始まっている感が否めない。

 

 

   チューリップ

 

で、学年通信にはこうあった。

 

塾や家庭教師に頼らず、学校で教員に質問し解決する。

学校を最大限利用し、自分自身で解決する経験を積みましょう。授業後にできるだけ早く不明点を質問し、その都度解決していくことが、学習への主体的な取り組みにつながります。 

 

 

私も塾に頼るような弱い学生がいたら困るから、そこは時間をかけて教育していく。 そして、学習への主体的な取り組みはものすごく大事だと思うので、上記記述には共感する。

 

が、書いていることとやっていることが違うだろ、違うだろー!?

 

 

   チューリップ

 

高校生の課題も3月の段階で全部目を通したが、端的に消化不良になりそうな気がした。 

 

突然学校が休講になったわけが、宿題の出し方が私には異様に見えた。

 

 

先生たちは、他教科の先生が何を課題として出したか、理解しているだろうか?

 

トータルで何時間かかると思っているのだろうか?

 

文系の化学基礎の子にやらせる課題量は、受験から逆算したのだろうか?

 

 

生徒には、ある程度の課題は必要だ。

 

しかし、ある程度は自主的に学習する余地を与えないと。

 

 

どうせ子どもたちは勉強しないからという「不信」に基づいてどさどさ出すというのは、出された方にしてみればたまったものではないし、それではマジメにやろうとしている子たちがやはり割を食うこととなる。