福島県鯖江市の中学での指導みたいですが、

 

さすがにこれは…

 

 

 

 

うーん、

 

うちの塾が否定されたガーン

 

 

 

以下のサイトからの引用です。

 

アルファベットブロック体書き方指導の現状

https://ameblo.jp/hitomi-nakahashi/entry-12376123961.html

 

 

 

   チューリップ

 

松山市でも結構すごい答案を見ることがありますが、

 

そんな時は電話でもしてみて、冷静にお話しを伺ったりしますが爆  笑

 

こんなもん見た日には、それこそ棒持って(以下略)

 

 

時々いるんですよ、wを4画で書く子が。

 

どこで習ったのか!

 

で、うちの塾では訂正して、1画にしようね、と言うのですが…

 

 

   チューリップ

 

さて、いろいろな論点で問題点を語れますが、1点だけ。

 

 

現場の教師の仕事は、学力を上げることだと自覚していますが、

 

その際、私としては子どもの学習方法に対して、

 

どこまで子どもの個性を殺していいのか、と考えます。

 

 

というのも、普遍的に正しい唯一の学習方法はないわけで、

 

子どもの意欲があれば、それはかなりの程度尊重すべきだと思っているからです。

 

 

つまり、

 

書いて覚えたいのなら、書くのがいいし、

 

読んで覚えたいのなら、読んで覚えるのがいいし、

 

聞いて覚えたいのなら、その子にとってはそれが正解だろう。

 

できるかぎり、子どもの意欲・個性は尊重すべしと思っています。

 

 

そして、子どもにとって改善になるとこちらが信じるところは、改善に努め指導します。

 

 

   チューリップ

 

上記、アルファベットの指導はトンチンカンでとんでもないのですが、

 

自分としては、これを強要するのが、何よりよくないと感じます。

 

漢字であれなんであれ、書き順なんかまったくどうでもいいですし、個人の勝手です。

 

 

うちの塾は、効率が悪いから、アルファベットの書き方は極力画数を減らすように言いますが、

 

百万が一、それが絶対に嫌だという子がいたら、それはもうその子の自由だと思います。

 

その子の個性を殺してはいけないと思います。

 

 

上記は極端な例かもしれませんが、

 

学年が上がるについれ、微妙なところは結構あって、

 

どこで個性を殺し、どこは触れないでおくか、そんな判断を常にしている気がします。

 

その際、自分の考えよりも、生徒の意欲を優先させています。

 

強要と放任、その両極端が指導者としてはマズイ気がしています。

 

 

 

   チューリップ

 

最後、感想。

 

でも、これ自分が生徒だったら、

 

英語なんかみじんも頭に入ってこないんだろうな。

 

記述試験なんかやっていたら、

 

こんなもの、どこに地雷があるか気を付けて散歩するみたいなものだろう。

 

 

 

まるで、北朝鮮みたいな教育法じゃないか?

 

ピョンヤンは死ぬほどきれいな街で、しかも、みんな同じような服装、同じような髪形だと聞く。

 

で自由がない。誰も笑っていない。

 

この人から英語学んだら、

 

みんなの答案が死ぬほどきれいで、みんな同じ文字。

 

で、自由がなくて、先生からミスを指摘されることにおびえて学ぶ英語。

 

面白くない。

 

 

英語の勉強なんて本当は、ボカボカ間違いを繰り返していいはずなのに。

 

 

この杓子定規な教師は、朝鮮労働党にでも入れば、

 

きわめて有能な官吏になると思った。