昨日、東工大の今年の英語の問題を和訳した。

 

はっきりいって、地獄だった。くたくたになった。

 

そんな折、見たtwitterには…

 

 

 

 

わかる!

 

めちゃ共感できる、と思った。

 

というか、東工大の英語を私が踏み荒らした感でいっぱいだったため、

 

共感しただけだったりして…ガーン

 

 

   チューリップ

 

さて、最近思うのは、

 

意訳が英語を余計難しくしてるんじゃないか、ってこと。

 

 

私は、意訳というのは、

 

「日本人の、日本人による、日本人のための作業」とでも思っており、

 

それは、完全に日本人の都合でしかなく、

 

アメリカ人の脳内には全くない作業だから、

 

英文解釈とは切り離して考えている。

 

 

生徒にも、意訳よりも直訳を強く勧めている。

 

構造通り、直訳しろ、と。

 

 

たとえば、

 

Mind if I smoke? という例文や、

 

A whale is no more a fish than a horse. という例文は、

 

「タバコ吸ってもいいですか?」

 

「クジラは馬同様、魚ではない」

 

などと意訳すると、かえって混乱する気がしてならない。

 

むしろ、有害とさえ思えてしまう。

 

 

実際、

 

Mind if... ?

 
に、私は思いッきしYES と答えてしまったことがあったし。

 

 

   チューリップ

 

 

さて、翻訳は暴力である自覚が必要、とあった。

 

すごく納得できるし、その教えを忘れないようにしたい。

 

同時に、英語を教える者としては、

 

意訳もまた学習者にとっては暴力であるかもしれないと自覚しておきたいと思った。

 

 

もっとも、国立2次では必要なので、それは避けて通らないが、

 

はっきり言って、意訳が上手にできることは英語力ではない。

 

まず大切なのは、アメリカ人の脳とシンクロさせる英語脳を身につけることだと思う。

 

 

いかに速く、いかに正確に、相手のアイデアをキャッチするか。

 

それこそが英語力である。

 

 

それができてから、日本人の日本人による日本人のための作業をやればいいんじゃないかと思う。