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憧れの本城…


濃厚な竹ヤブに包まれた二ノ曲輪を通過し、何とか本城の下まで来た。

さて、登ってみるか。


ここも西の端まで行ってからが登りやすいだろう。

見たところ、隅が切り落とされたように二段になっている。

竹林の小道と落ち葉


下の段に登ったら、人の背丈ぐらいの段を登れば本城。

竹林と落ち葉に覆われた本城跡


本城は東西の幅が10メートルぐらいで、南北に長くなっている。

竹藪に覆われた山道


少し南へゆくとごく浅い堀のようなものが横断していて、向こう側が高くなっている。

竹林と遺構の残る山道


堀の向こう側が本城の中心にあたるところだろうが、この有様だった😂

竹林に覆われた城跡の風景


おそらく曲輪の端は段丘崖とか田切みたいな谷でスッパリなのだろうが、これでは先に進めないし、行けても遺構は何も見えないだろう…

 

というわけで、ここから脱出することにした。

本城の東隣には帯曲輪があり、ここへ搦手からの道が入ってきている。

しっかり整備された道だった😊

竹林の中の古道。落葉と倒木。


ここから本城の切岸も、なかなかハッキリ見える✨

竹林に覆われた古城跡の切岸


ここから城の南端まで入れるので、ちょっと行ってみる。

先端は広い曲輪になっていて、右側に本城の切岸がそびえ立っている。

不動山城の広大な平場と緑豊かな木々


で、東側の切岸ヤバっ😨

不動山城:本城の切岸と帯曲輪


利根川に面した西側もヤバっ🥶

山道の脇にある説明板


そして、南の突端から先も尾根続きではなさそうで、少し先でスッパリのようだ😨

不動山城の山頂付近の風景


ここだけで見たら、重火器の時代になっても戦えそうな感じがするけど、やっぱり丘続きが問題だったんだろうな…

こんな凶悪な切岸にガッチリ守られた本城、そして帯曲輪を南端から振り返る。

不動山城の二ノ曲輪と本城の間の森


整備された搦手道✨


さて、城はここまで。

撤収するか💨

 

なにしろ小学校前から入城して、かつては大手道だったようだが今はまず踏み込まないような二ノ曲輪―本城のルートで入ってきたものだから、搦手から整備された道沿いをまったく見ていなかった…

退城がてら、そのへんを見て回るか。

 

本城を過ぎて、北側の堀切あたりから北側、二ノ曲輪の東隣には三ノ曲輪がある。

左手奥に二ノ曲輪の切岸が見えていて、そこまでの間が道と同じ高さの広大な平場になっているが、ここか。

竹林の茂みと倒木


道の反対側は5メートルぐらい落ちて、その下に腰曲輪かな?

竹藪に覆われた不動山城跡


ここから出てゆく搦手道はしっかりしていて、斜面の片側を削り取ったような虎口の外に土橋で降りている。

竹林の中の古道


下から見ると、なかなかしっかり盛られた土橋✨

竹林の山道、落ち葉と木漏れ日


もう城の搦手につけられた入口が見えているが、もう少し下ると堀を渡る。

西の方で二ノ曲輪手前に横たわっていた大きな空堀のつづきだが、道は土橋状で渡っていたらしいがすっかり見えない…

堀の断面も、底が平坦で微かにそれと分かるぐらい…

竹林に倒れた竹が絡まる様子


少し入ってみると、数十メートルで竹ヤブの中の箱堀状は終わっていた…

竹林の奥に積まれた薪と落ち葉


ここからは、薬研堀の竪堀になって麓へ降りているようだ。

これもだいぶ浅い…

竹林に倒木が散乱する様子


さて、もう退城するぜっ🦟🦟💦

季節が季節なので、🦟が群がってくる💦

虫除けスプレーのおかげで食われないのだが、手許や耳元をブンブン飛び交っているので、ジャマったら無い💦

 

この堀を横切るあたりから城内へ登ってゆく搦手道が、またカッコイイ✨

竹林の奥に続く城跡の道


で、すぐ前に車道が見えている。

ここが搦手の入口。

城跡の竹林と草地の道


外から見ると、畑の脇を通って山の中に入ってゆくフツーの道の雰囲気…

竹林と丘陵地帯の道


だが、傍らに立つ城の標柱と説明板が、かつてここが兵たちの血と涙が刃にまみえた激戦地だったことを伝えんとしている。

不動山城跡 案内板


いやはや、昨日訪問した勝保沢城といいこの城といい、高さと鋭さのある尾根先端を占めただけでなく、大規模な土木工事を施して丘続きを切って防御力を高めた城が、この辺にまだ残っていたか😮

そして、豊臣秀吉の小田原合戦で城としての命脈を絶たれたのも一緒か…


厳つい城も、それだけでは命脈を守り得ないということか… 

 

★不動山城

群馬県渋川市赤城町宮田

小学校跡の隣あたりに車置けるか。ただし入る道が狭い。

丘城

 

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(2025年10月1日 記)

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不動山城は渋川市から少し北の子持あたりの利根川対岸、段丘の上にある。すぐ隣には2017年3月で閉校になった刀川小学校。城は空堀を挟んで南西の隣。

この地の有力者だった見立権太郎が築いた城らしいが、この一族に関する史料が少なく城についても不明な点が多いようす。一族の名をとって見立城とも呼ばれる。戦国時代には川向うの白井城の支城だったらしいとか。

天正八年(1580年)に西の真田氏の軍勢に攻め落とされたという。


昨日の雨は上がって暑い晴天になったが、どうにもヤル気の出ない週末、近くの古城をウロウロしたがすべて駐車場難で敗退💦気を取り直して訪問した。


小学校前から城塁が


現在位置(Googleマップで)

小学校の前から西へ回り込んでゆくと、もう向こう側に城塁らしいものが見えてくる🙌

説明板も見えるな。

不動山城の段丘と畑


道は、城塁の下に立つ説明板の前で終点になっている。

ここは南北に走る堀が城塁の下でクランクになっていたらしいところ。

不動山城の城塁と木々


北側、小学校との間には浅い堀のようなものが見える。

不動山城の空堀と段丘の様子

まずはこの堀を奥まで見に行ってみるか。

丘の北端までゆくと森の中に入り、この先は利根川に向かって落ちる斜面のようだ。

不動山城の段丘と植生


で、バッサリですぐに終わっているのかと思ったら、ちゃんと竪堀になって斜面を降りている。

しかも、断面デカい🤯

不動山城の竹ヤブと空堀


段丘崖ですぐに落ちているのかと思ったら、そうでもなく30メートルぐらい先までは傾斜は緩やか、その先がストンと落ちている。

この竪堀を、城外側から俯瞰してみる。

不動山城の雑木林の竪堀


寸詰まりですぐに終わっているように見えるが、f=24mmでコレなので、断面がそれだけ大きいのだ😮


つぎに堀の末端あたりまで行って、竪堀の終端と城内側の城塁を見上げてみる。

ここから下は利根川沿いまでこんな感じで落ちているようだ。

不動山城の森と城塁


さて、ここはこのぐらいにして、城内のほうへ。

説明板の前へ。

史跡指定は1979年とのことだが、この説明板は最近新しくされたようだ✨

不動山城跡の案内板と城郭図


背後の城塁も、以前は草ボーボーだったとのことだが、キレイに刈払いされている。

高さ4メートルぐらいの、立派な切岸✨

不動山城の段丘と説明板


そして、南の方へは堀の続きが直線的に伸びていた。さっきの竪堀の底が埋められたような断面をしている。

不動山城の空堀と土塁


この堀の南隣の空間も、説明板の縄張図によれば曲輪だったようだ。

見たところ東に向かって階段のような感じになっているように見える。

不動山城の土塁と木々


そして城内へは、この坂道を登ってゆくようだ。

縄張図には描かれていないところを見ると、後補か…

不動山城の段丘と草地


このあたり、以前は手のつけようのないほどの猛烈なヤブだったらしいが、地元の方々が手入れをして下さっているらしい。
説明板が立って手入れされている城は安心して見学できる。有難い🙇

そして、曲輪へ登ってみる。

野球の内野ぐらいの広さがあって、やや南北に長く、南東に向かって若干傾いているようだ。

古城跡、草地と木々


東隣の曲輪との間の段がキレイ✨

不動山城の土塁と竹林


最初に見た、小学校との間の堀も見おろしてみる。

だいぶ埋まってはいるようだが、やっぱり断面はこのぐらいの大きさで、往時はこれがそのまま西へ落ちていた。

不動山城の切岸と南側の堀


小学校のほうを望む。

旧刀川小学校と不動山城址の間の空き地


説明板の縄張図によれば、この曲輪の下で堀は北と西に分岐して、北の方は小学校のほうへ大回りしていたらしい。

そのようすが、ほんのわずかに見えるか…


この様子を見たところでは、この堀は小学校に完全に崩されたようで、少し残念…


濃厚竹ヤブへ突入ッ💨


さて、城の中心たる本城は、ここからさらに南へ少し下った尾根続きにある。

のだが…


この視界のない竹ヤブはデジャヴが強すぎる…🥶

竹林の様子


ここは北端の曲輪と本城などのある中心部との間を南北に走る空堀なのだが、竹ヤブに視界をジャマされてはいるものの、相当にデカい。

そして、このぐらいなら地面は見えるので、突撃してみる💨

房総、小櫃の山本湯名城とか茂原の真名宿谷城とかに比べれば全然マシ✌️


斜面は傾斜がキツイが掴まる竹がふんだんにあったので、楽に堀底まで降りることができた。

が、南側はダメだこりゃ…😂

竹藪の中の不動山城跡


北側はすぐに段丘崖で、これで断面が見える…

竹林の空堀と城塁


f=24mmで、下側半分も入ってないわな🤯

小学校との間を走っていた堀よりもさらにデカいようだ。

そして本城側の切岸は、反対側より若干低いようで、だいたい5メートルぐらい。

不動山城の竹林と空堀


ちなみに、反対側は6〜7メートルといったところ。

もともとの地形が南に向かってズリ下がるような感じで、これが丘城の丘続きを切る堀だったか…?


さて、ここから先は慎重に本城方面に向かわねば…🤨

竹ヤブ内にはキノコも生えてたりする。これはツエタケの仲間か?

キノコが生える竹ヤブ


ここは堀の北端に出ると小さな尾根が降りてきているので、そこから登ると楽。

登ると、早速城塁らしいものが見える😮

竹林と地面の様子


この上は二ノ曲輪だそうで、西側の段丘崖沿いには帯曲輪もある。

竹林の空堀の様子


ここから、搦手からの道へ出るには、おそらく東に進んで三ノ曲輪の方に出れば良いのだろう。

が、本城へ行くならさらに南へ突進するのが良さそう…

で、西へ進んでゆくと、間もなく目の前を大きな空堀が横切っているのにぶつかった😮

これまた、濃密な竹ヤブで向こうが見えないほどだった…

竹藪に覆われた不動山城の空堀


ここは西の帯曲輪と底が直結しているので、ここから入ってみる。

倒木やら濃密な竹ヤブやらで何だかサッパリだが、底が平らで帯曲輪とも繋がっているところを見ると、ここが城内の主要な動線だった感じがする。

濃厚な竹林の空堀


倒木で根が起きて一部壊されたようだが、二ノ曲輪に登ってゆく虎口のようなところも此方側に繋がっている。

不動山城の竹林と土塁


さてと、本城は目の前に見えてるぜぃ🙌

登ってみるか💨 

 

赤城 不動山城 その2に続く)

 

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(2025年10月1日 記)

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勝保沢城は渋川の町から利根川を挟んで対岸少し上流、赤城山の裾から利根川に向かって流れる小さな沢を見下ろすところにある。渋川市の赤城歴史資料館のすぐ隣、関越道赤城ICから南に2km弱のところ。

戦国時代末に斎藤加賀守安清の居城だったという。後北条氏について各地で戦い勇名をとどろかせたが、天正十八年(1590年)に後北条氏が豊臣秀吉に敗れると浪人となり、城地を寄進し別伝存策大和尚を招いて1622年に宗玄寺を開いたとのこと。ただし寺地の寄進は信濃の小笠原秀政という伝もあるとか。


この日は昼過ぎから雨模様で、せっかく上州までやって来たのにテンションダダ下がり、訪問しようと思っていたいくつかの城が駐車場難で訪問できず、最後にマップ上でようやくここを見つけて訪問したとかのグダグダっぷりだった😅

まさか、こんな凄い遺構が綺麗に手入れされているとは露ほども…💦


現在位置(Googleマップで)

歴史資料館の駐車場はかなり奥まったところまで入った先にあって、舗装されていない。

Googleマップでは道も繋がっていないように見えるが、『駐車場』という案内が立っていて助かるところ。

その看板の奥に、早くも城塁が見えている💓

勝保沢城駐車場案内

 

手前側は植え込みとかになっているので、奥まで東へ入ってゆく。

ここからは、城の東端あたりをかすめるようにして奥へ入ってゆく道が伸びている。脇には立派な空堀と土塁✨

勝保沢城の森、遺構と土塁

 

空堀の南側に沿うような道が左後方に分かれているので、そちらへ。

勝保沢城の土塁と空堀

 

空堀の幅は10メートル無いぐらいか。

底が平坦な箱堀みたいな断面をしている。

向こうに見える郭内側の切岸は、こちら側より少し高い。

勝保沢城の土塁と空堀

 

資料館の裏手まで回り込んだ堀は、そのまま北に向かって段丘崖を穿ちつつ落ちているようだ。

すぐ先に倒木があって、その向こう側は暗くて見えにくい…

すぐ向こうに遊歩道があったのだが、この時は気づかなかった。ついでに言うと外側の堀にも…😅

空堀と土塁のある勝保沢城跡

 

ここから眺める堀のカーブが、絶景✨

勝保沢城の空堀と土塁

 

堀を渡る土橋や虎口のようなものは見当たらないので、適当なところから堀へ降りて、切岸を登るしかないようだ。

これも高さ3メートル無いぐらいだが、なかなかの傾斜💦

勝保沢城の土塁と森

 

主郭は楕円形をしていて、テニスコートが2面ぐらい取れそうな広さ。

東のほうが少し盛り上がっているか。

勝保沢城跡の広場と木々

 

そして、北側の段丘崖に面した側にも空堀が横たわっているのだが、これがそうとうにデカい😮

勝保沢城の土塁と空堀

 

ここは資料館の裏手から遊歩道で行けるようなので、この後行ってみるか。

まずは主郭の反対側まで行ってみるか。 

 

主郭を東側の端まで行ってみたところ。

縁が土塁のように盛り上がっているようにも見えるが、ほんのわずか…

勝保沢城の土塁と木々

 

主郭まわりには他に何もないので、駐車場へ戻って資料館の裏手から遊歩道へ入ってみる。

堀に向かって、階段でダイレクトに降りてゆく道😮

勝保沢城の遺構、空堀と土塁

 

堀底に降りたすぐ先で、堀が左右に分岐していた😮

勝保沢城の空堀と土塁

 

左は、今度こそ段丘崖を降りる竪堀状になる。

ササで覆い尽くされてるな…

勝保沢城の空堀と土塁
 

右は、主郭の北辺に横たわるようになる。

主郭から見下ろしたときの印象より浅くて広い感じ。

勝保沢城の空堀と土塁

 

遊歩道は、空堀の外側を仕切る土塁上を進んでゆく。

景観としては手すりがジャマだが、立派な土塁空堀コンボが100メートルぐらい続いている。

土塁と空堀のある勝保沢城跡の遊歩道

 

堀を見おろしてみる。

駐車場側より堀が低いところを通っているようで、向こう側の主郭切岸が高い😮

勝保沢城の土塁と空堀

 

ここしばらくヤブの多い城ばかり見てきた身には、こういうカチッとした土の城の造形を見るのが久しぶりな感じで、妙に新鮮だった😅

 

東の端までゆくと、堀は伸びやかなカーブを描いて南に向かっていた✨

勝保沢城の空堀と土塁

 

もう少しで車を置いた駐車場まで戻る、というところまで来ると、外側にも堀が走っていて、寄ってきているのが見えてきた。

最初はこの堀に全く気づいてなかった😅

勝保沢城の空堀と土塁

 

道を挟んで両側に堀…

二重堀みたいな感じで並んでいる😮広角レンズの威力❗️

勝保沢城の空堀と土塁

 

ちなみに、駐車場と反対側に伸びていった堀は、ヤブの中でどうなってるのか分からなくなっていた…

勝保沢城の空堀と土塁

 

そして、この外側の堀は駐車場の端をクネクネしながら南下しているようだった。

いかにも駐車場を守るかのように…

写真は北向きに振り返っている

勝保沢城の空堀と土塁

 

これはひょっとして…

と思って南の端から向こうの方を見てみると、駐車場の端からかなり遠くに堀の続きのような凹が続いているのが見える😮

勝保沢城の空堀と土塁
 

この右側は低くなっていて、その中に保育園の建物がある。

しかし、保育園を建てるときに掘り下げられたもので往時は堀の脇から平坦地がつながっていたように見えてくる…

そう思って、駐車場の南の縁を見てみると…

ここも、建物の脇がガツッと掘り下げられたような感じだな…

勝保沢城跡:歴史資料館横の遺構

 

さっき遠くに見えた堀のような凹に近づいてみると…

やっぱり、堀だよなぁ…🤔

勝保沢城の空堀と土塁

 

この時は知らなかったが、後で調べたらこの堀の向こう側も城域で、そちら側に城主だった斎藤安清が城地を寄進したという宗玄寺があるのだとか。

となると、往時のこの城はここまで見てきた範囲を大きく超える、周囲数百メートルにもなる大きな城だったことになる。

後北条氏に仕えて真田氏などと渡りあったという斎藤家の力のほどを窺えそうだった。

また追試ネタ作った…😅

 

★勝保沢城

群馬県渋川市赤城町勝保沢

赤城歴史資料館の駐車場が利用可。ここも曲輪跡。

丘城

 

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(2025年9月30日 記)

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八崎城は渋川の町から利根川対岸のわずかな平地に築かれていた。いまは関越道がすぐ南を通り抜け、南端の御城以外のところは宅地化され、遺構はほぼしているらしい。

川向うの白井城の支城の中でも規模は最大だったとか。築城時期は不明だが白井城にいた長尾氏が戦国時代を通じて在城したとのこと。


下調べでは残った御城しか情報を仕入れられなかったのでそこへ突っ込んだのだが、降りつ降らずみの空模様だったのが探索を始めた途端に本降り、傘を持たずにスタートしてずぶ濡れ😅カメラを気にしながらの探索になった…

正月にカメラ壊れたし…


現在位置(Googleマップで)

県道からすぐで小さな川を渡る。

この川は東沢といい、主郭たる御城の東側を守る堀のようになっている。この場所はわずかに城外か。

八崎城の東沢、堀跡と緑

 

橋のすぐ奥に、八崎の地名に関する説明板が立っていた。

城のあった江戸時代より前のことにはあまり触れられていないようだけど、もともとは「発崎」という名前だったらしい。

八崎城 由来説明板

 

ここから、城の面影がまったく見えない住宅地の中へ入ってゆく。

途中で堀のあったところを渡ってゆくようだが、いまはコンクリート…

八崎城跡への道、水路と住宅地

 

ここを突き当たりまで進むと、『八崎城』という道標みたいなのが掛かっているところに出る。

ところが、下に示されていたらしい矢印が消えていて、どちらが城なのか分からない💦

八崎城跡への道標と赤ポスト

 

ここは事前の下調べにしたがって、右側から直進方向へ下ってゆく土の道に入る。

周囲はコンクリから土や緑に変わってくるが、城という雰囲気はまだまだ…

八崎城跡:竹林に囲まれた草地

 

しかし、この道の下りきったところが、主郭たる御城の北側を仕切る堀だった😮

ここは、西側はハッキリ残っているが東側は住宅の基礎に埋められていた…

八崎城跡の竹林と斜面

 

一見しただけでは堀と分かりにくいここだが、雨が降り始めたこのときは底がたちまち泥濘んで来て、堀の面目躍如な有り様だった😂

ということは足元ズブ濡れかい😁といったツッコミは却下します😎

 

そして、堀の中を少し歩くと右に少しだけ登る道があり、その上が御城だった。

竹ヤブの中に廃屋とか立っていて、陰惨な雰囲気…😮

八崎城跡の竹林と説明板

 

そして、立っている説明板が竹に絡まれてる…💦

何とも勿体無い有様…

八崎城説明板と縄張図

 
縄張図をよく見ると、いまは住宅地などになった北の方まで広く城域になっていて、白井城最大の支城の面目躍如というところ。
「追手」とある前の堀が、いま県道34号が通っているあたりか…🧐
西の輪とかの堀も、道がなぞっているらしい。
八崎城縄張図
(現地説明板より)

そして、わずかに残されたという御城だが、東西に意外と広く、中はほぼ全域が竹ヤブ。

竹林の風景

 

利根川と東沢の合流点に突き出た段丘崖上にあるこの城だが、内部が廃屋の庭の雰囲気生々しく、雨も降ってきてズブ濡れにもなり、アチコチ見て回るのは怖いところ。

堀がわりになっていたという東沢沿いがわりと近かったので、寄ってみたら…

 

断崖じゃんか🥶

足元崩れそうで怖えわ…💦

八崎城跡の竹林と落ち葉

 

これだけ確かめて、早々に退散💨


こんなところにも宅地化の波は押し寄せるもんか😮というところだが、広大な城域の中で御城だけでも何とか遺って本当に良かった😊 

 

★八崎城

群馬県渋川市北橘町

集落内にも近くにも車を停める場所は無い。

平城

 

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(2025年9月29日 記)

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さて狐落城を収めたあとは、さらに先の三水城へ。

スタートの尾根は水平に伸びているが、どこまでが狐落城の範囲かよく分からない。

尾根が登り始めるように見えるところに、ごく小さな堀切らしいやつが…

尾根の小ピークと堀切跡


そして、登り始めたと思ったらすぐに小ピークになり、その向こう側にもう一つ。

狐落城から三水城への尾根道


ここまでの堀切たちは、狐落城の守りとして掘られた…?

森の中の堀切と土塁


ここから三水城までは、比高ほぼ100メートル💦

またまた単調な登りになるが、狐落城までよりは緩やかな登り。

山歩きを普段からしていれば、なかなかに楽しめるコースだろう。

堀切と岩壁のある山道


土橋のような細くて傾斜の緩い尾根の向こうで、大きな斜面が立ち上がり…

残念ながらこれは自然地形😜

三水城の尾根、堀切らしき地形


こんな感じに遺構のない森の中の尾根をしばらく登ると、正面に高さ2メートルばかりの土の段が現れる。
その裾が、どうも小さな堀切だったようだ。
森林の中の堀切跡がある尾根道

これが三水城の最初の遺構🙌
というところだが、底は埋まり外側の土塁は崩れて大人しくなったようで、堀切のようには見えなくなっている…
尾根線上を土橋で渡すタイプだったようす
三水城の堀切と尾根

ともかくも、城内に到達✌️

ここを越えて少し登ると、正面に立派な石の壁が現れる😮✨

三水城の遺構、岩壁と堀切


この裾も堀切のように少し抉れている。

石積みの城壁と森


そして、壁の向こう側が深さ3メートルぐらいの鋭い堀切になっている😮

これは立派✨

森の中の石や枯れ木、草


ここから東へ落ちる竪堀の荒れっぷりが、ハンパない💦

倒木にヤブ、ガラガラと散乱する岩に小石…

石積と堀切のある山道


そして、張られたトラロープを頼らないと登れないような急斜面の道を登ると、主郭🙌

標高789メートル、バドミントンコートぐらいの狭い曲輪。

三水城の案内標識と自然景観


坂城町方面や、善光寺平のほうへ向かって流れてゆく千曲川沿いも見渡せる。

長野の山々、町並み、青空


で、周りの斜面ヤバっ😨

森の中の尾根と草地


この主郭からは東西に尾根が伸びていて、それぞれに堀切が刻まれているという。

まずは東尾根から見に行ったんだが、ここは5メートルぐらい下までが立木に掴まりながらでないと降りられないような急斜面💦

こんなとこにも、石積を嵌め込んでいたらしいな😮

三水城の石積と堀切


石積みの跡がある堀切

ここを通過すると傾斜が緩くなるので、まずは落ち着いて尾根を俯瞰。

南北に覆われているので写真ではあまり伝わってこないが、幅が狭くなって両側が相変わらず高度感たっぷりなので、怖ぇったら…🥶

三水城の遺構、堀切と土塁


そして、傾斜が緩くなったところで早くも1条目の堀切。
狐落城と三水城の間の堀切

さらに、すぐに2条目。

どちらも、幅3〜4メートルばかりの小さなやつで、二重堀切と言えるように平行に並んでいた。

三水城の堀切、石積みの土塁


ここはこれだけらしいので、次は西尾根へ。

ここは室賀峠方面への山道が通っているというので、少しはマシか…


って思ってたら…


何じゃありゃ?🤯

三水城の堀切、石積みの遺構


尾根上真っ正面に、早速二条の堀切✨
真ん中の土塁には石積あったか?
三水城の遺構、石積の残る堀切

真ん中の土塁の上から。
左の城内側が高く、右は低くなっていて落差がある。
土塁上には露岩だか石積だかが散らばっている…
三水城の遺構、露岩と石積みの土塁

二条めの堀切
ごく小さな断面だが、ちゃんと薬研堀してるわ😮
狐落城から三水城への山道

ここからは、さらに奥に堀切が並んでいるのが見える。

森の尾根に現れた小さな堀切


小さな3条目の向こうに少しデカそうな4条目が続く。

そして奥の高い土塁の向こうにもう1条、つごう五重になっているようす。

山道と斜面の土塁


この4条目と5条目は、なかなか大きい。

4条目

堀切と木々が生い茂る山道


5条目

山道の堀切と土塁


いや、奥にもう1条見えてきた…

つごう六重堀切か😮

三水城の堀切と土塁


ラストまで、キレイな薬研堀の断面✨

三水城の堀切と土橋


城外側の壁に露岩が出ている…

石積のある堀切跡


これで城域は終わり。
ここからの尾根は高度を上げていて、六重堀切は鞍部にビッシリ刻まれた畝のような感じか。

多重堀切というと房総峰上城の七重岩盤堀切が知られるが、ここにも尾根続きに六重もの堀切を並べている。

千曲川沿いだけでなく、室賀峠側からの侵入にも備えなければならなかった、この城が置かれた緊張感がひしひしと伝わってくる…😨


★三水城(さみずじょう)

長野県埴科郡坂城町網掛

狐落城コース登り口付近に駐車場あり。麓からの比高が400メートル近く急坂の連続で体力を要す。

山城

 

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(2025年9月26日 記)