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牛久城は龍ケ崎市と牛久市の境界付近、牛久沼と国道6号に挟まれた南北に長い丘の上にあった。今でも深い堀と高い土塁に仕切られた土木の跡が美しい。また城址から北にかなり離れたところに大手門の説明板が立っていて、往時は堀などをめぐらした総構が存在たとのこと。

戦国時代真っ只中の天文年間(1532〜1555年)に北の小田氏の一族岡見氏が築き、東の方にあった岡見城から移ってきた。北の佐竹氏と結んだ多賀谷氏の攻勢にあったことで後北条氏の傘下に入り、対佐竹氏の最前線を担うこととなった。

豊臣秀吉が小田原合戦で後北条氏を下したときに牛久城も落ち、後北条麾下にあって秀吉から赦された由良国繁が城主となった。江戸時代に入って元和九年(1623年)に廃城。のちに牛久の地に封ぜられた山口氏は牛久城には入らず北東の沼のほとりに牛久陣屋を建てた。

いまは大手門跡が市の史跡に指定されているが、遺構の残る主郭まわりは未指定。


この日は牛久の駅から歩いて東林寺城を訪問、引き返したその足で訪問した。

シロウト時代の6年前にいちど訪問していたが、さて今回は何が見えてくるか…


大手門跡から城中地区を往く


現在位置(Googleマップで)

国道6号の牛久土浦バイパスが途切れているICの傍らに、大手門の説明板が立っている。

牛久城大手門跡 案内板


いまは住宅地になっていて面影はまったく見えないが、ここに堀で仕切って土橋を渡し枡形虎口も備えた大手門があったようだ。

土木の跡が残っていたなら、さっき見てきた東林寺城の、御城の虎口みたいなやつかな…?

牛久城大手門跡へ続く住宅街の道


この北西側の住宅地裏に総構堀が今でも残っているが、下調べで見逃したので未訪問😅
追試ね…😮‍💨

少し進むと、得月院。

開基1594年、小田原合戦ののち入城した由良国繁の母妙印尼輝子が開いたとのこと。

得月院の山門と石柱


通りを挟んで反対側に駐車場があるが、ここは市営の観光駐車場で、城を訪れるときに利用出来る。

その裏手の少し低い所に、城中街道という道が通っていたので、入ってみる。

空堀のようなものかと思ったら、丘から降りて裾を通る道のようだ。

牛久城跡の竹林と小道


道はすぐに終わってしまい、ほかの場所に出ることはできない。

だが、道の西側は城の切岸のようだし、小さいが周りの斜面が鋭い谷戸のようなところへ降りていて、城っぽい面影が濃いぃ空間だった…

この奥の方で城中地区と中城の間に食い込む谷戸にぶつかり、そこには空堀状もあるらしい。ただ民家の庭に不法侵入になる可能性が大。この道の終点から奥へは入らない方が良い。


得月院の前まで戻って、さらに城内方向へ。

道の右側には愛宕神社の鳥居が⛩️

牛久城址入口の愛宕神社鳥居


現在位置(Googleマップで)

さらに先へ行って、城址看板のほうへゆく道を左に分けて下って行ったところに、小さな谷戸。

南の牛久沼の方から城の西側を通って入ってくるこの谷戸、幅30メートルぐらいあるようす。

牛久城跡、緑豊かな谷戸への道


大手門から城内側のこのあたりも上は曲輪だったのだろうが、けっこう起伏がある。

東側が尾根みたくなっているような感じだが、完全な住宅地でよく分からなかった…

道も谷戸の上でクネクネと曲がりながら、城址のほうへ向かっている。

このあと見た城址入口の説明板によると、この谷戸の上が城中町と中城の境になるようで、ここも狭く土橋のようになっていたようす。 


木戸口へ


 さて、城内の道に戻って、城址の入口たる木戸口に向かって、直線路を南下する。


現在位置(Googleマップで)

そして、正面が森になる広場から、森の中へ向かって入ってゆく道…

この森が、城の中心部になる。

牛久城 大手門跡の説明板と進む道


傍らには説明板が立っている。

この縄張図がとても役に立った✨

6年前に来たときから作り直されたようだ✨

牛久城跡の案内板と縄張図


木戸口の前まで進む。

車は入れないよう規制されているが、人は問題なく入れる🙌

木戸口へ向かう森への道


ここから振り返る中城。

広い平坦地で、曲輪というよりもはや町だったか、という感じ😮

牛久城址への道、周囲に家々が建つ風景


では、城の中心部へ💨

 

牛久城 その2に続く)

 

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(2025年10月7日 記)

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東林寺城は牛久沼の谷田川と稲荷川に挟まれた台地上に広大な曲輪を4面並べていた。今は南端の主郭がゴッソリ削り落とされたうえ、全体が畑や太陽光発電所になっている。しかし曲輪間の堀や土塁は今でもしっかり見ることができる。

牛久城にあり後北条氏についていた岡見氏が城主だったらしいとのことだが築城年代や詳しい歴史などは不明、戦国時代の永禄年間(1558〜1570年)には築かれていたらしく、下妻から進出して泊崎城を築いた多賀谷氏に対抗するために後北条氏が動員した「牛久番」の拠点として使われたとも言われる。その牛久番の中に上総坂田城の井田氏がおり、城の縄張りが坂田城と似ているとも。

 

ここは牛久城といっしょにシロウト時代の6年前ぐらい(調べたら2019年1月14日だった)に訪問した記憶があったが、遺構をロクに見つけることが出来ず敗退していた。この日はそのリベンジ気取りだった…😅


リベンジ為せり❗️一の土塁✨


牛久沼を渡る三日月橋の上から、東辺の段丘崖が見えている。

あの上に城があり、中央には丘に食い込んでいる東林寺。

東林寺城の広大な田園風景と空


橋からまっすぐ進むと道は突き当たりになるが、城へはやや左から直進してゆく細い道に入り、丘を登ってゆく。

東林寺城への道と竹林


城は圃場整備事業によって南端が削られたとのことで、その削られたところからコンクリ道でまっすぐ登っている。

右側が、主郭の北東側に広がっていた曲輪のあったところで、正面奥が主郭だったらしい。

坂道に沿った白い手すりと草むら


このあたりから望む牛久沼。

いまは数百メートル先まで後退してしまったが、沼の近くは水面ギリギリのようで、往時は城のすぐそばにまで迫っていたようすが何となく窺える…ような気がした😅

牛久沼と田園風景、民家

道を登ると、城の標柱と説明板が立っている。

説明板古めかしい…

東林寺城址の標柱と説明板

右隣には『新地の台地 お散歩道』なる案内図も。

城内をくまなく探索できるかどうかは分からないけど、北の端になる三の土塁まで通り抜けられるようだ🙌

東林寺城案内図と土塁


新地の台地 お散歩マップ

で、この案内図の裏側に走っている土塁が『一の土塁』で、主郭の北東端のところが見えている✨

東林寺城の一の土塁と森


この土塁の向こう側にあった主郭は、ほぼ完全に削ぎ落とされていて、下への斜面とつながっていた…

しかし土塁は2メートルぐらいの高さがあり、すぐ先で西に折れている😮

東林寺城の土塁と木々


西に折れた先は、50メートルぐらいは続いているのが見えた✨

東林寺城の一の土塁


土塁沿いの道からも。

東林寺城一の土塁と森


シロウト時代に来たときにはヤブの中に土塁みたいなのがある、ぐらいしか分からなかったと思ったが、実はけっこうしっかり面影をとどめていた😊


二ノ土塁空堀コンボって…


道は城内に入ると直進し、民家の前で左前方へ。

通って良いのか心配になるようなところだが、庭の中へは入らず畑の方へ抜けているので、大丈夫らしい…

しばらく進むと『身上遺跡』なる標柱が立っているが、畑の向こうにヤブっぽい竹林がある場所で、どこが遺跡かは分からなかった。

東林寺城跡の案内標柱と土の道


やがて道が森に入ると、大きな土塁にぶつかって右に折れる😮

これが二の土塁か。

東林寺城の土塁と林道


高さ3メートルを超える、相当にゴツい土塁😮

東林寺城の森と土塁


道は土塁にぶつかって右に折れると、土橋のようなところを通り抜けて再び左へ。

なかなかの見どころ…

竹林と木々の中の小道


いや、その左側…

 

ヤバ級っ🤯

語彙力😅写真もよう分からん😂

東林寺城の空堀と土塁


デカい二の土塁の向こう側には、そんなのも比較にならんほどの巨大な空堀が抉れていて、左に折れていた。

二の土塁とコンボで御城の北端を守っていたようで、いまの道はその虎口だったようだ。

反対側はほとんど埋められて、痕跡程度になっていた😮

竹林の緑と枯葉


虎口の全景。

すごく整った、魅惑的な空間✨

東林寺城の森と竹林の小道


そして、向こう側の巨大空堀。

断面がデカすぎて、向こうまでの距離がそんなに無いような錯覚も…😮

森の中の木々、竹林、雑草


傍らに『二ノ郭空壕』という標柱がちゃんと立ってるではないか…😅

二ノ郭空壕の標柱と彼岸花


そして、今年はヒガンバナが少し遅いか…?

やっと満開ちょい過ぎぐらいか。

赤彼岸花と木々


二ノ郭は…😑三ノ土塁空堀コンボは…


この反対側に、東林寺と墓地がある。

このあたりは盛大に改変されていそう…

墓地と並ぶ石塔


そして、先には畑、そしてソーラーパネル…

東林寺城:畑とビニールハウスがある風景

こんな感じのところが、奥に見えてくる森のところまで続く…
東林寺城への細い未舗装路

この森の下が三の土塁だが、外から見たのでは分からんな…

目の前まで行くと、土塁のような盛り上がりは見える。

東林寺城の丘陵と草地


そして、道は土塁に沿って右に折れたのち、左に折れて土塁の切れ目に突っ込んでゆく。

土塁の奥では、また土橋状で渡ってゆくようだ。

東林寺城への山道と緑


で、この土橋とコンボになっている空堀が、また巨大😮

西側の道端に『三ノ郭空壕』という標柱が立っているが、その奥の堀は柵されていて中に入れない。

東林寺城の巨大な空堀と土塁


道の東側にも空堀は続いているが、樹木に覆われてるな…

東林寺城の巨大な空堀と土塁


こちら側には降りてゆく階段があったので、底へ降りてみた。

小田原の小峯御鐘ノ台大堀切もかくや、という巨大な薬研堀😮

東林寺城の巨大な空堀


なおこの堀には、このあたり(→Googleマップで表示)から堀に登れる階段道が付けられ、ここから城内に出入りする事もできる。

東林寺城の空堀と土塁


終端も土塁空堀コンボ


ここを抜けると小さな枡形状があるようだが、ヤブで良く分からなかった…

そして、その奥が曲輪らしい。

畑でもなくなった、何も使われていないらしい土と草、ところどころに盛り土のある空き地になっていた。

東林寺城の道と土塁


そして奥の森の中へ入ってゆく。

こんどはクランクにならず直線で突っ込んでゆく。

何もないかと思ったが、正面を横切る土塁があった😮

東林寺城の森と土塁


道はこの土塁を切って、北へ進んでいる。

土塁の外には、さっきまでよりはだいぶ小ぶりな空堀…

それでも幅7〜8メートルはある。

森の中の竹林と低木


その外、森を抜けるとまた平場のようだ。

東林寺城への山道と茶畑


ここから先に遺構は無いようで、いまの土塁空堀コンボが城の最北端らしい。

畑やソーラーパネルなどの中を通る道を進むと、やがて車道に出る。

車道はすぐ丘を降りていて、城の東側の斜面に沿って南下してゆく。

竹林のある擁壁と道


広い丘を長くて広い横堀で仕切り、端に主郭を置く構造はたしかに坂田城、そして守谷城とも共通点がある感じがした。

誰某の築城術なのか、このあたりの地形がそうさせたのか…?


★東林寺城

茨城県牛久市新地町

周辺に車を停める場所が無い。

丘城

 

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(2025年10月6日 記)

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山崎城は武蔵丘陵森林公園の南のほう、南入口から山田城の前を通って古鎌倉街道を北に進むとある。山田城とちがって案内などは全く無く事前情報が無ければ城と分からなそうな装い…

山田城以上に史料が無く、歴史などは分かっていないとのこと。


森林公園内の城を見て回ろうとやってきて、山田城をひとしきり見て歩いた後に、北東の方にある山崎城へ向かう。

山田城の東側から北上してゆく道は古鎌倉街道とのこと。

緑豊かな森の中の小道


古鎌倉街道は少し先で森の中に入ってゆくが、ここはトラバーで規制されていた。

これが、また横堀に見えてしようがなかった…😂

ここはまだ城外😅
規制された古鎌倉街道の入り口

あった城🙌


園路をしばらく進むと、右に寺沼や梅林への道が分かれているので、そちらへ。

古道、森、緑の風景


すぐに渡る、この小さな橋…

左を見ると、細いながら立派な空堀😮

空堀と土塁のある山崎城跡


そして、内側の土塁がそれ以上に立派なのだ🙌

山崎城の空堀と土塁


右側は、緑色の世界…

緑豊かな森の中、木々が生い茂る


この堀はさらに奥へと続いているようだが、あいにくアクセス路になりそうな古鎌倉街道が規制されているので、探索はムリそう…

さらに城内へと園路を進んでゆくが、郭内になる寺沼は周囲よりも低い谷のようなところにあって、先ほどの土塁空堀コンボはその周りの尾根線に張り巡らされているような縄張りになっている。

ここから寺沼まで、けっこう下る…

山崎城の空堀と土塁


寺沼は樹木に覆われて、水も濁っているようだ。

園路がダムのように谷をふさいでいるので、ため池なのかも…

寺沼と木々が生い茂る風景


外側にも公園の施設があるが、もとは谷戸に出るところの湿地だったか?

公園の緑と広場、遠景の森


ここが泥濘のひどい場所だったら、周りの丘に城塁を築けば中の谷戸を曲輪として利用できるかも…?

というわけで、山田城と隣同士ながら設計思想はだいぶ違うような感じがする…


北側の城塁へ


さて城の遺構はこのあたりには無く、北の丘に広がる花木園…梅林の奥にあるようなので、そちらへ登ってみるか。

 

現在位置(Googleマップで)

ここは傾斜が緩やかで、そのままでは城塁にはなりそうもない…

公園内の古道と樹木


ここから階段道を登ってゆくのだが、どうもこれが竪堀に見える…

木製階段と手すり


で、階段を登って右の森の脇までゆくと…

 

空堀あったぁ🙌

堀切と土塁の風景


幅3メートルほどの細いやつとは言え、公園チックの脇にこんな立派な空堀が見られるとは思わなかった🙌

足元で北に折れて、S字を描きながら奥へ入っている。

道なき道 草木生い茂る


この北向きの堀から南へ延長すると先ほど登ってきた階段あたりに出るのだが、脇に見えた竪堀状とは軸が微妙にズレている?
ちゃんと見てなかった…😅

城の主郭はこの向こう側で、高さ2メートルばかりの切岸の上に広がっているようだ。

ただ、見ての通りの激ササヤブで、とても突っ込めなかった😂

山崎城の北側空堀と土塁


ある程度進むと、堀もササヤブの中に突っ込んでいた…

森の中の道と竹林


さっきの堀の角に戻って、こんどは北へ。

クネクネとS字カーブを描きながら進んでいる。

古鎌倉街道の森の中の道


そして北端までゆくと、より断面の大きな堀と丁字路になる。

底が一段低くなっていて、接続が立体的😮

山崎城の空堀と土塁


一見左に折れているようだが、実際には右の濃厚なヤブの中にも堀が続いているようだ。

どう頑張っても3メートル先も見通せないけど…😂

荒れた竹林と緑に覆われた自然の風景


主郭側は変わらぬ濃厚なササヤブだが、わずかに薄いところがあったので登ってみる。

縁が土塁で高くなっていて、郭内は1メートルばかり低いようだ。

もちろん、様子は窺えない…

木々が生い茂る緑豊かな森の風景


西側を守る土塁。

意外とハッキリ盛り上がっているのが見える✨

緑豊かな森と竹林の風景


さて、ここからは城の北辺を守る空堀に沿って進んでみるか。

そんなに大きな断面ではないが、薬研形のしっかり掘られたやつ✨

古鎌倉街道の森の中、空堀と土塁


堀底の色が、茶色から緑に変わる…

古鎌倉街道の土塁と空堀


山田城といいココといい、堀は遊歩道とまでいかないけど刈払いされて、園内から入る経路もあちこちに付けられているようだ✨

これなら中世の城を世に広める教科書にもなりそう✨

 

西の方へゆくと、南へカーブしている。

空堀と草地の道


この空堀には、南北両側から降りてくる道と十字路になっているところが2箇所ある。

その最初のところの北側は、異様にキレイに踏み固められた急坂になっていて、堀の側壁から少し掘り込まれた虎口のようにも見える。

古鎌倉街道の森の中の道


その上は、やや東に傾いた平坦地で、梅がここにも植えられている。

梅林のある草地、木々が点在


ここも丘の北側斜面に面した曲輪のようだが、端っこは自然のまんまのような丸い感じになっていた。

ヤブが濃いぃくて、向こう側の斜面が切岸加工されたかどうか等は分からなかった。

森の茂みと草に覆われた様子


さて、空堀へ戻ってもう少し西へ進むと、2つ目の十字路状にぶつかる。

城跡の空堀と土塁


ここの北側は左右二又に分かれていて、左は曲輪へ登っていき、右は横堀になって奥へ伸びている。

山崎城の空堀と土塁


左へ登ると、この曲輪も北へ傾いている。

もともと土木工事があまり施されていなかったか、それとも公園造成のときに改変されたか、どこまでが曲輪の範囲なのかも分かりにくかった。

公園内の広場と枯れ木


右側の横堀は、両側にカヤみたいなのの背が高くて本来よりずいぶん深い堀に見えるが、細いながらちゃんと薬研堀になっているようす。

なお、北の端のほうでは両側のカヤは刈り取られて、芝生で両側の曲輪とつながって往来できるようになっていた。

草むらの中に続く道


さて反対の南側にも、虎口のようなものが開口している。

山田城から山崎城へ、古鎌倉街道を歩く


この横の土塁が、なかなか立派✨

草地に覆われた土塁と茂み


これを見ると、やっぱりこの土塁空堀コンボの南側の谷戸が城内側で、主郭は尾根上の高所に作られた司令所みたいな場所、このへんの北側は外郭あるいは城外のような感じがする。


土塁の内側は梅林で、曲輪というには平坦地が狭く、谷戸に向かって傾いていた。

梅林の広がる公園の風景


谷戸の外側を囲むように城塁を築いているようす、しかもそれが主に堀なことは、同じ滑川町内にある三門館と相通じるものを感じた。

同じ森林公園内にあって古鎌倉街道を扼する山田城とは、まったく違う設計思想のように見えた。

ただのシロウトの妄想っす😅


★山崎城

埼玉県比企郡滑川町山田

森林公園の有料駐車場を利用。南側の城塁は規制されて探索不可。北側の主郭周辺はヤブが濃い。

平山城?

 

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(2025年10月3日 記)

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北東に手の込んだ虎口が…


城の東側に到達すると、北の隅はすぐ近く。

ここのつくりが変わっていて、堀は正面の土橋状に突っ込んで終わり、かわりに外から並行するように新たな空堀が入ってくる。

一時的に二重堀っぽくなっている😮

城跡の土橋と雑草に覆われた空堀

 

そして、奥の方で堀を渡ってきた道が左へグイと曲がって、虎口から城内へ入っている。

虎口付近の土塁と空堀

 

動線は虎口の前で少し広くなっていて、馬出のようになっている。

外との出入口側に回って振り返ると、ここから奥で右へカーブして虎口へ入ってゆくようすが一望😊

城跡の道、枯葉と木々

 

外側を走る堀。

虎口の少し先で外側の土塁が低くなって消える。

堀と土塁のある森の風景

 

このあたりを東側を通る園路から見ると、城塁が三段に重なったようなすごい姿に見える😮

これは帰りに通りかかって気付いた😅

林の中の土塁と草木

 

この堀の北側はヤブの中に突っ込んでいて、ようすは分からない…

竹林と倒木、森の小道

 

曲輪を囲む堀は、馬出状の端っこから直線的に伸びている。

またまた、キレイな薬研のV✨

森の中の空堀と土塁

 

外周の堀はここから西の端まで行って南に下り、最初の階段道に戻るようだ。


土塁と堀がめぐる郭内


ここは、この虎口から中に入ってみるか。

堀と土塁の道、緑の森

 

外側の二重堀っぽい様子は、このあたりから眺めるのがカッコイイみたい✨

城跡の林道と土塁

 

そして、郭内へ。

平坦かと思ったら、中央あたりが少し高くなっているようだ。

山林に続く小道と草地

 

虎口の両側から、低い土塁が縁を守っている。

土塁と草が生い茂る城跡の様子

 

奥のほうを見ると、まるで長城線の縮小コピーみたいだ…

森の中の土塁と空堀

 

そんな緑に覆われた郭内を歩いて中央近くまで行くと、説明板の背後から土塁が北に向かって伸びているのが見える。

森の中の小道と土塁

 

北の方なんか、高さ2メートルぐらいで15メートルぐらいで続いている😮

土塁と空堀に囲まれた城跡の風景

 

道の反対側にも小さなやつが…

ベンチと森、土塁の景色

 

説明板。

マンガチックな縄張図と、簡素な説明。

人の訪れが多い城なので、これだけでなく程近い杉山城みたいにどういう戦い方を想定した城なのか、あるいは遺構なのか、とかいう説明があるとシロウトにも分かりやすいんだろうなぁ…

山田城跡の縄張図と説明

 

この土塁、郭内にボコッと盛り上がっているだけなのかと思ったら、説明板には空堀が並行しているように描かれている。

見に行ってみたら、ホントだ…🤯

林の中の土塁と堀跡

 

幅10メートルぐらい、底が二段になった空堀が土塁の向こうに横たわっていた。

しかも、端のほうで土橋が渡っている😮

堀と土塁に囲まれた森の小道

 

ここから眺める空堀の断面。広い🙌

堀と土塁が巡る城跡の緑地

 

土橋の反対側にも堀がつづき、隣で左に折れさらに奥で右に折れて終わっているようだ。

土塁と空堀のある城跡

 

空堀のすぐ外は、もう曲輪の端っこだった。

外周の空堀に向かって階段道が降りている。

空堀は外側がヤブになっているようだ。

虎口へ続く空堀と土塁

 

これで大体のところは見て回れたかな…

ということで、北東の虎口から出て山崎城に向かった。


それにしても、多勢で鉄砲もたくさん持っているだろう豊臣秀吉勢が今にも攻めてきそうという時に、成田勢はこの城で戦おうとしたのか…?

堀の幅とか、どう見ても対歩兵戦、せいぜい弓矢での戦いぐらいしか想定していないようで、シロウト目にも太刀打ち出来ないような感じがした。


いや…

弓矢や鉄砲を集中配置出来れば、死角のない丘の頂上という地の利を活かして戦える…?🤔

所詮シロウトの空想でぇす😅

 

★山田城

埼玉県比企郡滑川町山田

森林公園の有料駐車場を利用。城内まで園路が通じて安心して見学できる。

平城

 

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(2025年10月2日 記)

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 山田城は武蔵丘陵森林公園の園地内にある城として知られる。公園南口から徒歩3分ばかりの丘の上に城塁を遺している。歴史に関しては史料なく不明、発掘調査なども未実施という。立地などから忍城の成田氏が被官の小高大和守らに守らせていた城と考えられているらしい。


森林公園内にあるもう一つの山崎城とともに、電車でやってきて訪問した。


森の中に現れる城塁


現在位置(Googleマップで)

公園南口から入ると、すぐ右手に自転車進入禁止の園路が出ている。

山田城跡まで3分の案内もあるので、こちらへ。

山田城跡への道案内標識と緑の森


100メートルも進めば、山田城跡の道標と左の森に入ってゆく小径が分かれる。

森の中の道標と緑豊かな山道


道標の下には、手作り感あふれる説明板が…😮

山田城跡への道標と説明板


この小径へ入ってゆく。

すぐの分岐を右に入ると、城のあるなだらかな丘に登り始める。

森林公園の遊歩道


少し登っていけば、もう上の方に見えてくる城塁…

森の中に扁平なキノコの傘状が、ボコッ😮

森の中に現れる山田城の土塁


道は城の前まで来て、そのまま城塁を階段で登ってゆく。

森の中の城跡への木製階段


ここから左右に堀が伸びて、城塁を囲んでいるらしい。

左側へは直線的に

森の中の小道と木々


右側は、折れが入っている。

森の中の小道と城塁


折れ、廻る堀


まずは、この折れの入っている右の堀へ。

S字カーブを描いてカッコイイ✨

森の道、山田城址の土塁と空堀


内側の切岸は、高さ3メートルばかり。

土の安息角ギリギリぐらいの鋭い土木の跡✨

山田城跡の緩やかな丘と木々


城の南辺に出ると、ほとんど直線になる。

V字の断面もクッキリ見えているが、堀の外側に土塁はほとんど盛られていないようす。

森の中の城跡、堀と土塁


東側の端近くまで行くと、高度を下げながら左カーブ。

山田城跡への森の中の小径

隅っこは、急に左に折れて北へ

山田城跡、森の中の城塁


向こう側はS字カーブ😮

山田城跡、森の中の曲がりくねる堀


ここは振り返ると、郭内から南東へ降りてきた尾根を回り込んでいた。

いまは尾根は平滑に降りてきているが、往時は堡塁みたいなのがあって両側の堀に睨みをきかせてた?

森の中の山田城跡の城塁


S字カーブのところから北へ進むと、城の東側を直線的に守っている。

断面もキレイな薬研✨

山田城跡への小径と森


真ん中らへんが土で塞がっている。

土橋が架かっているようだ。

森の中の山田城跡、急な城塁と堀


堀から出て、土橋の前へ。

堀を渡る土橋の向こうに土塁の切れ目が構える、教科書のような城の虎口✨

森の中の城塁への小径


土橋の向こうは、ふたたび直線的に北へ。

山田城跡への小径、木漏れ日と落ち葉


そして、東の角で左に折れ曲がる。

山田城跡への道 森の中の小径


城の東側にたどり着いた、この先の角もふつうに折れ曲がるのかと思ったら、そうではなかった…

 

比企 山田城 その2に続く)

 

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(2025年10月2日 記)