トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引へ

 

坂田城はJR総武本線の西1km少々、栗山川沿いに広がる水田地帯の西側に北から伸びる舌状台地の南端にある。南北の差し渡しが500メートル超、東西も広いところで150メートルの規模があり千葉県内でも有数という。

室町時代中頃に千葉氏の一族三谷氏が築城した。戦国時代になると内紛に乗じて井田友胤が三谷氏を滅ぼして城を乗っ取り、子の井田胤徳が改修して南の正木氏の侵攻に備えた。天正十八年(1590年)の小田原合戦で開城、そのまま廃されたとのこと。

Wikipediaに記事あり(当該ページへ)


ワタシが今よりぜんぜんノーマルな城ファンだった4年ぐらい前に一度訪問しているが、多古町から始まった周辺の城訪問がこの近くまで及んできたので、いい機会と追試のつもりで訪問した。


城への訪問は、すぐ南西の『ふれあい坂田池公園』の駐車場利用が確実だろう。

城内まで車道は通じているが、幅が狭い上に終点まで行っても車を停める場所は草茫々…


車を停めてすぐにも出発っ❗といきたいところだが、せっかく超望遠レンズなんてオモチャ買ったもんで、上空を飛んでゆく🛫撮ってこっと😅

ちょうど、復活したてホヤホヤ、JALカーゴのボーイング767がA滑走路に向けてアプローチしていたので、1枚📸ゲットしてから出発💨


現在位置(Googleマップで)

城への登り口は何ヶ所かあるが、一番近いのは主郭の西側から切岸だったろう斜面を登ってゆく、この入口。


隣に説明板が立っている。

立派な縄張図も描かれていて、ここで予習も出来る😊


成田空港がらみの事業による助成で立てられたとのことで、上空を通る飛行機と無縁ではなかった😨


さて、道は斜面にぶつかると整備された階段に変わって、グイグイ登ってゆく。


途中、城の西側を守る急斜面が見える。

しっかり切岸加工されていたようで、今でもかなりの急傾斜。

このあたりにたくさん残る城郭のボスの片鱗が、さっそく見えている。


それほど長くない階段を登りきると、道が二手に分かれる。

左へ行くと登城(二郭)、右へは無城(主郭)や見台(馬出郭)だそう。


まずは登城の方へちょろっと行ってみるか…

この道を説明板の縄張図と照らし合わせてみると、西側斜面の縁を走る空堀だったところか??


少し進むと、空堀が斜面に飛び出しているらしいところに、曲輪へ登る階段が設えられているのが見えてくる。


その右側から、登城と無城の間を仕切る大きな空堀が始まっているのだが、ご覧の有り様…


ここを整備するには杉の大木とかもあって大変そうだが…

大きな空堀は城の醍醐味。


ここから西の斜面に降りてゆく竪堀のようなものもわずかに見えるが、ヤブの中…


上の曲輪は梅畑になっている。

梅の出荷用に植えられたもので、春には梅まつりも開かれる。


あとは、戻って無城のほうから見て回るか💨

分岐まで戻って、無城の方へ進む。


この経路はシロウト時代に訪問したときも通ったが、様子はその時と変わっていなかった。

歩道の両側は壮絶なササや雑木のヤブで、土木の跡が全く見えない😮


そして、歩道の脇にこの説明板が立っているのも、以前と同じ。


主郭の南側中央部には、搦手口らしき開口部があるというのだが…

何しろ、そこへの行く手がコレ…🥶

上空をひっきりなしに飛んでゆくヒコーキに薙ぎ払ってもらいたい気分…


しかし、先週末に近くの大堀城や小田部城のドヤブを突破したばかりのワタシにとって、ここで怯むワケには行かない🥶

ここで引き下がってはシロウト時代からの進歩はないのだ🥶🥶


…なんて思っているうちに、気づいたらヤブの薄そうな経路を探していた😅

もう引き下がるなんて選択肢は、失われていた…


というワケで、突入〜っ😭💨

結局躊躇したの一瞬だけだったという…😂


ところどころに野バラなどのトゲのある雑木があるので、ムリに突っ込むと生傷人間になる。

視界が3メートルもないぐらいだが地面は見えるし、草木のトゲの有無とかも分かるので、真南を目指しつつ少しでも薄そうな、トゲのあるやつの無さそうなところをかき分けながら進むと、上手く行く。


そんなわけで、数分かけて20メートルばかりを進むと、無城南端の土塁らしい盛り上がりにぶつかった。

全く見えないので写真は無しっ😵‍💫


土塁の天端を少しだけ西に進むと…


あった〜っ🙌

写真じゃまったく分からんな…😅


南に向かって下がっているラッパのような凹みが見えてきた。

これが搦手口に違いない。


南は急斜面で下に落ちていて、竪堀とかが繋がっていた様子はない。

土塁の外側に帯曲輪のようなものが走っていてそこに接続しているらしいが、何しろ🌿🌿で足元がどうなっているか見えない…

それでも、深さ3メートルぐらいあるらしい様子は、見て取れた。


さて、こんなところに長居してたらマダニの餌食になっちまう🥶

さっさと戻るぞっ💨

また同じようなヤブの中を進んで、説明板の脇に戻った。


そして東の虎口へ。

ここは緑が美しい。


そして、外には土橋がつづく。

周りがヤブで土橋らしい雰囲気はだいぶ削がれているけど…


それにしても、両側に伸びる折れを伴った空堀、そうとうにデカいんだが、ヤブは以前よりも酷くなってるような…


土橋を渡って振り返ると、教科書に出てきそうな空堀と虎口、何とか見える✨

遺構は、ちゃんと残ってはいる。


その外に広がる見台は馬出のような曲輪とのことだが、無城よりもさらに濃いぃヤブに覆われていた。

こんなん中へ突っ込むのはヤダ―ッ😭

無城とちがって外縁に土塁があるだけらしいし😅


見台からは道が北に曲がり、同じような虎口と土橋を通って退出する。


土橋の両側には空堀が伸びている。

東の方は、奥で右へカーブしている。


左の方は、見台と無城の間の空堀と合流して、北に続いている。

いちおう見えるけど…


外に広がる登城は、現役の畑だった。


多古の並木城の主郭がこんな感じの畑だったが、あまり他所の者を入れたくない、というのが本当のところなのだろう…

北の大手口の方へ向かう道端にも、入口と同じように説明板が立っている。

その背後あたりの空堀が、無城まわりではいちばん雰囲気残ってるかも…


この登城の北端には、外の外城へ抜ける虎口がある。

いまは通り抜けているのがコンクリ舗装の車道だが、しっかり土塁を切り込んでいて、雰囲気は残っている。


その外へ伸びる土橋の両側には、折れを伴う空堀が伸びていると説明板にはある。

シロウト時代にはよく見ていなかったところだが、改めて覗き込んでみると…


まず、西側。

たしかに、クランク状に折れ曲がっている😮

が、雑木のヤブが濃くて、よく分からない…💦


東側は、西側と違って下草が薄めで地面が見えるので、降りてみた…

少し進むと、同じようにクランクしている様子が見えてくる。

が、何しろボコボコ生える杉の木と灌木で、見栄えがそうとうに悪い…💦


最初のクランクの奥が、堀の断面をいちばんよく見渡せるかも知れない。


天端間の幅は10メートルをゆうに超え、深さも5メートルぐらいある。

このあたりに多い小さな城に比べて、土木工事の規模は明らかに大きい。


さらに進んで奥のクランクまで行くが、なかなか見渡せないなぁ…🥺


少し登って振り返ったりして良いアングルを探してみるが、こんなもんか…


そして、東の末端が目の前…


でけー竪堀になって降りてる〜🤯


幅10メートル超えのまま底が深く掘り下げられて、最後は東の麓に向かってそのまま降りている。

写真映りは例によって悪いが、これには心底ビックリした。

こんなデカい土木工事をしてたのか😮


下草というか雑木だけでも取っ払えば、素晴らしい戦国の遺産が目の当たりに出来るだろう。


さて、外に出て外城っと💨

 

横芝 坂田城 その2に続く)

 

トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引へ


(2024年4月24日 記)