守谷城は守谷市の町中から北東の方にあって、今は守谷城址公園として残っている。つくばエクスプレスと関東鉄道の守谷駅から1kmほど東の徒歩圏内。
築城は千葉常胤の弟相馬師常によると伝えられているが諸説あるようす。それでも相馬氏が代々この地を受け継いできた間に築かれた事は間違いなく、戦国時代には「相馬要害」と呼ばれたとか。のちに後北条氏の陣営に入り、小田原合戦で敗れて改易された。
のち徳川家康麾下の土岐定政が守谷藩を立てて拠点としたが元和三年(1617年)に移転し、廃城となった。
今の城址公園だけでも相当な広さだが、戦国時代には今の公園南入口より500メートル以上も西、守谷小学校のあるあたりに大手門があり、公園の北西の堀状の外側にも清光曲輪が広がっていたとのことで、守谷の町の東側一帯を占める大規模な城だったらしい。
今回は守谷駅から徒立ちで、最初に町の南の方にある今城を訪問してから守谷城に向かったので、最初に大手門のあった守谷小学校の前を通ることとなった。
→現在位置(Googleマップで)
守谷小学校の西側から近づいてゆくと、「茨城百景守谷城址」なる石碑が立っている。
横には説明板もある。ここは大手門があった場所とのこと。
で、その背後から北に伸びている盛土、天端がデコボコだけど、土塁だな😮
城よりぜんぜん手前で早速の遺構との出会いに小躍りしつつ、東へ。
「守谷市森林公園 600m」とある標識があるのでそれに従って左へ。
それなりに車通りのある道路を渡ると、脇にえらい複雑な道標が立っている…😂
行く手が森に変わってきて、いよいよ城址近し。
すぐに、トイレと駐車場があり、説明板が3つ立っている。
一番左の茶色いやつは最初何だか分からなかったが、よく見たら土塁や空堀の土を展示していた。
ガラスのカバーの中に収められてデコボコしているけど、写真ではなく実際の土か?

説明板を一通り見てから、城へと入ってゆく。
駐車場すぐ裏のこれは、守谷沼の方から入り込んでいた堀の跡らしい。
少し入ってゆくと、西側が湿地になっていた。
東へ通り抜ける木道が整備中、今年(2024年)10月供用開始予定とのこと。
この湿地も天然の堀として利用していたような立地だな。
少し進むと、いよいよ城址の入口。
空堀のトバ口らしいところに看板がたくさん立ち、歩道はロープで仕切られている。
御影石に「守谷城址公園」と彫り込まれた立派な銘板もある。
そして、奥に口を開けている空堀が🤯
ここから、めくるめく土木王国がいよいよ始まる…
(守谷城 本編その1に続く)
(2024年6月4日 記)