今城は守谷市の町中から南に行ったところ、関東鉄道の南守谷駅から国道294号を挟んで反対側の段丘西端に広がっていた。
平将門が興世王のために築いたとされるが詳細不明らしい。
かつては400メートル以上内側まで広がっていたが、高度成長期の後に住宅開発に伴って調査したところでは、遺構は見つからなかったらしい。
週末が1日休みとなったので、つくばエクスプレスに乗ってぶらりと守谷城を目指し、その前に街の反対側に近いここを守谷駅から歩いて訪問した。
たどり着いた場所は、コンクリで低い法面を固められ、植栽されたサツキが花を咲かせる、いかにも住宅地の中の公園という場所だった。
住宅地の横を西の方に行くと、城内への入口があった。
公園の北東側に登る通路は、両側がコンクリで防護された細い道だった😮
南西の方に入ってゆく道は、片側が土塁らしい。
こちらへは後で行ってみるか。
まずは公園の北東側へ登ってみる。
狭いコンクリ通路を抜けると、いかにも都市公園という雰囲気の広場があった。
端に説明板があった。
ここに描かれている図を見ると、住宅地となった周辺に公園として残された今と様子が違いすぎて、現在地が明示されているのに遺構がどこにあるのかサッパリ見当が付かなかった😅
広場は野球の内野ぐらいの広さ、西に主郭のように見える盛り上がりがあるが、これも往時の姿がどこまで残っているか、見当がつかない…
説明板の図の中に、現在地(Cの北端)の北東辺に土塁が残っていたらしいが、もしかしたら広場の東側のこの部分が土塁なのか…?😮
さて、主郭のように見える盛り上がりは高低差が3メートルはありそうだが、防護されていない土の斜面はだいぶ大人しくなっているようす…
登り口はここではなく、少し戻ったところにコンクリの階段がある。
なんか前衛芸術みたいな…😅
登ってみると、そこは確かに城内最高点の曲輪の姿だった。
公園なので、低い柵はされているが、遊具などは置かれておらず🌿🌿もけっこう生えているので、山城の曲輪のような雰囲気がある。
東側の端には土塁が残っていた。
だいぶ凸凹にはなっているが、長さ30メートルぐらいある。
南側の斜面は、下半分が道路脇の法面で防護されているようだが、上の方は土の斜面のまま残っているらしい。
それなりに傾斜はあって、城の面影は残っているな…
次は南西の方へ💨
公園入口から南西に伸びる道は長さ100メートル足らずで、その南側は住宅地になっていた。
左側の主郭下の法面、右側の土塁とも直線的。
上に防災倉庫の並ぶ土塁に登ってみると、外側の斜面が相当に鋭い様子が見えた😮
下は田んぼみたいだし、けっこう雰囲気が違っているのにビックリ…
土塁に咲くブタナたち、どこでもけっこうな勢いですな…
さてラストは、城入口の前を通って西側の谷戸に降りられる階段があるので、降りて城の外周にあたる切岸を見てゆくか。
階段は起伏のある住宅地など何処にでもありそうなものだったが、何となく竪堀状通路を流用したようにも見える…?
谷戸はけっこう広く、丘の上の住宅街とは打って変わって農村の風景が広がっていた。
なんだか日本的な懐かしさを感じるような…
丘の裾を通る道の脇が城の切岸になるが、なかなか鋭いじゃん✨
この谷戸田を天然の堀にして、上にそそり立つ切岸でこちら側を守っていた城だった様子を妄想できるところ。
多くの部分が失われて公園になっている部分以外で城の面影を見られなくなったのは残念だが、丘の上が一面の住宅地に開発され尽くしたような中で、この部分だけでも残ったのは奇跡だろうし、残してくれた人々に感謝だろう✨
★今城(いまんじょう)
茨城県守谷市けやき台
近くに車を停める場所無し。守谷駅から徒歩20分、南守谷駅10分。
丘城
(2024年6月3日 記)