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この城は低山にありますが、南西の金毘羅社周辺が露岩のガケなので滑落注意です。登城道が無いのでルートファインディングの必要もあります。

小瀬戸城(こせどじょう)は飯能の町から入間川沿いに5kmほど遡ったところ、飯能第二小学校の裏山にある。北から張り出してきた尾根の末端にあって、見つかったのは最近とのこと。

歴史はよく分かっていないらしく、山麓に後北条氏家老松田康秀に仕えた岡部忠正の屋敷があったことなどから岡部氏の城と考えられている程度らしい。


入間川のより下流にある大河原城に登ったのち、川沿いの道をさらにテクテク歩いて訪問した。


かつては登道が複数あったが今は無し、とのことで下調べの情報にしたがって西の住宅地へ。

途中にある赤い屋根の神社から城に登る道は無さそうだった…

小さな祠と石段のある山道


住宅地の一番上まで来た。

道は曲がり角になっているが、ここから右前方の斜面に入ってゆく。

小瀬戸城への山道と緑豊かな斜面


不審者にならぬよう、躊躇なくサッと入山したいところ…

しかし、一見ヤバそうな🌿🌿

小瀬戸城の自然な斜面と植生


これは、コケ脅かし。

山中に入ると下草はそれほど多くない。

埼玉の山城、小瀬戸城の森


右手の植林地の奥には、城塁らしい土壁も見える。

かなり鋭いようだ😮

山林に倒木、新緑の木々


が、そちらまでの斜面は傾斜がキツそうだし、城の側面に登りつくだろう。

今回は城の北に刻まれているという堀切の方から入ってゆくことに決めていたこともあり、まっすぐ城の方へは向かわず、谷線をなぞるように登って行った。

少し登ると、谷が大きく広がって水の手のようにも見えるところに出る。


ここからなおも直進しようとすると、正面が高い急斜面になって行く手を阻まれる。

城はもう少し右手だが直下は取り付く島が無さそうなので、登れそうなところを探して城のすぐ北あたりを目指すのが良いだろう。

この時は、城の50メートルほど北の尾根上に出た。

ここは天端が丸く、加工などはされていないようだ。

森の木々ときれいな地面


しばらく進むと…


デッカイ堀切だなぁ🤯

小瀬戸城の堀切と土塁


この城はこの堀切一点豪華主義みたいな情報だったが、なるほど恥じない大きさ。

深さは4メートル、天端間の幅は7〜8メートルぐらいか。

底に降りると🌿🌿がやや多めだが、薬研のVはハッキリ見える✨

小瀬戸城の堀切と森


尾根が幅広なので、東西に長く伸びていて尾根側方の斜面に出ると終わっている。

これは東の方。

小瀬戸城の尾根、植林地と下草


堀底からは踏跡が直登しているが、急斜面で滑るので慎重に登る。

登った上は土塁のようだ。

小瀬戸城の土塁と堀切


土塁を越えると主郭。

割と下草が多く、広さがつかみにくい…

東と西の二段構造か?

小瀬戸城:森の中の道と緑の植生


北端の堀切に面した土塁。

ここは両側の比較的緩傾斜の斜面につながる堀切から侵入してくる寄手に対する防衛ラインか😨

小瀬戸城の土塁と雑木


ここの斜面は急傾斜といえばそうだが、ふつうの山ぐらいの感じ。

切岸加工をしっかり施したような感じではなかった…

西側

小瀬戸城への登り道、植生豊か


東側

小瀬戸城、堀切と土塁のある山城


主郭からは、南東と南西に尾根が派生している。

まずは南東側に入ってみるか。


尾根の付け根付近は灌木が多いが、少し降りるとすっきりとした植林地になる。

天端を削平などは…少しはされているか?

小瀬戸城の山道と木々


3〜40メートルほどで突端になった。

削平は…されているような、いないような…

小瀬戸城、露岩のガケに注意


しかし、突端の少し下に帯曲輪があった😮

尾根線を横断するような感じ。

自然の尾根そのまんまかと思ってたけど、これで一気に城のパーツに見えてきたどぅ✨

小瀬戸城、山中の植林地と土壁


この尾根はここまでなので、引き返して南西の尾根へ。

なんと、主郭の南斜面をトラバースして南西の尾根まで行ける道が付けられていた😮

小瀬戸城への森の道


ここを西へ進むと、小さな祠が立っていた。

金毘羅社なのだそうだ。

小瀬戸城:金毘羅社と祠


そして、この周囲がこれまでとは全く変わって、スッパリにちかい土壁になっていた😨

小瀬戸城の露岩のガケと木々


この土壁に守られたような、尾根の突端

六畳一間ぐらいの曲輪になっていた。

小瀬戸城の尾根先端の曲輪


この北側の斜面も凄い🥶

最初に北側への谷を登っていた時に見えたのは、この土壁だったか…

小瀬戸城の土塁と森


というわけで、城はこれぐらいだろう。

帰還は、最初に見えた城塁のありさまを確かめるため、少々急傾斜だがこの尾根から谷へ直降りしてみることにした。

気をつけないと、こんな露岩のガケも紛れ込んでいるので、くれぐれも安全第一⚠

岩壁と雑木林の風景


この急斜面に守られた、尾根先端の城だったか。

背後を大きな堀切でしっかり断って、末端側を利用したシンプルな山城という印象だった。堀切が大きいところを見ると戦国時代まで使われていたか…?

岡部忠正が仕えていた松田氏の居城たる南足柄の苅野丸山城もそれほど大きくないが、よりコンパクトな中に山城のエッセンスを凝縮したような感じに見えた。


さて、締めはコイツで…

トゲのあるキノコとシダ


ソレかい…😑

 

★小瀬戸城(こせどじょう)

埼玉県飯能市小瀬戸

近くに車を停める場所は無し。バスは飯能駅から30分〜1時間に1本程度。登城道が無いので注意。

山城

 

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(2025年10月14日 記)

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さて、ここからは城の主郭方面に向けて急登だそうだ。

慌てずにゆっくり登るか。

殿屋敷の南へ登ってきた沢が向きを変えて、山頂めがけて登っている😮


自然がつくった曲線美✨
杉林とシダ植物に囲まれた山道

伸びやかな右カーブを描きながら、槍衾のような杉林の中を急角度で登ってゆく。

45°ちかい斜度を、階段があるとは言えでほぼ直登してゆくので、なかなかキツイ💦

山道、急斜面、緑豊かな森


高低差は50メートルほどなので焦らず登ってゆくと、幅5メートルほどの尾根に出る。

山道に立つ案内板と木々


ここは主郭から東に落ちてきた尾根で、道は尾根を右に折れて、なおも階段道で急登…
ほそいながら副郭でも作れそうな幅があるが、道より下側はヤブに倒木…

自然の森、倒木と木々


道は少しの間だけ平坦だが、すぐに階段の急登に変わる💦

森の中の急な山道


少し上で金蔵寺方面の道が左に分かれてゆく。

主郭は直進の登りだが、南側の見晴台方面に出られそうなので、そちらへ入ってみる。

城の直下の急斜面をトラバースしてゆく様子は、なかなかの絶景✨

急な山道と木々、落ち葉


少しずつ下っているようで心配になってくるが、間もなく『中段』なる尾根上に出て、ここから再び山頂に向けて登るようになる。

道は右側から来て、鋭角に曲がって左の方へはいってゆく。

自然豊かな山道の急な階段


しばらく登ってゆくと、右が山頂、直進は見晴台という分岐に出る。

右の山頂方面は主郭下の堀切に出るか?未確認😅

龍崖山山頂への道標と登山道


ここは見晴台へ行ってみると、六畳一間の物見台っぽい尾根先端に出る。

たしかに見晴らしは良いが、足元は工業団地になっていた😂

見晴台のベンチと木々


それでも広い範囲を監視できそうなところで、往時は物見台になっていそうな場所だった。

ここから主郭への尾根も、丸くて幅広になっている。

自然豊かな山道の風景


尾根を主郭に向かってゆくと、しばらくして一段高くなり、そこにも小さな平場。

ここには『富士山見晴台』とあった。

富士山見晴台からの景色


ここから道は樹林に入り、間もなく森の向こうに龍崖山の山頂が見えてくる。

裾が抉れているような…?

大河原城の尾根道と森


道は左に曲がって急に下るが、その前に正面の高まりから裾を見下ろしてみると…


けっこう立派な堀切じゃんか🙌

大河原城の尾根道と説明板


主郭の南側に刻まれているこの堀切は、主郭側からの深さが4メートルぐらいか。露岩もあって底は薬研の、相当に鋭いやつだった。

向こう側から山道が登ってきて、堀切の中を通り抜けて今歩いてきた道で突き当たっている。

森の急な登り道と落ち葉

傍らに説明板が立っている。

この城に残る遺構では数少ないとのこと…

堀切・空堀・堅堀の説明板


見ると、道を挟んだ西側にもちゃんと竪堀になって落ちていっている…

ここに限っては、しっかり造り込んだんだな😮

山道の急な斜面と落ち葉


ここから、道は階段になって登ってゆく。

急登なだけでなく、堀切の側壁すぐ脇というヤバいところを通る💦

急な山道の木製階段と木の根


山頂には南側から入ってゆく。

自然地形らしい丸い頂が残っている。

自然な山道と木々が生い茂る景色


そして主郭。

南側以外はしっかり削平されて、城の曲輪だったことを物語っているか。

ただ、今は木のベンチだらけ…

大河原城山頂の展望台とベンチ


富士山浅間神社を祀った祠とか石碑とか、いろいろなものが立っている。

しかし、しっかり城の面影を残すのは、周囲の切岸。これがなかなか鋭い✨

龍崖山城山頂への急斜面


ここには城に関する説明はないのかと思ったら、北端に小さな縄張図があった。

今見てきた南側の堀切の他に、北にもう一つ堀切、そして北から入ってくる道の周囲に竪堀群が描かれている…

大河原城跡の縄張図


さて、退城しながら北の堀切とか竪堀群とかを探してみるか…

主郭のきたのほうに切れ込んでいる堀切1は、近くを通る山道からそのあたりを見たところでは壮絶なヤブのようで、突入するのは止めたほうが良いだろう。

なおも道を下っていって、コースに道に木を並べた桟道みたいなのが架かるところ…
自然に囲まれた整備された登山道

この左側に、小さな竪堀が並走していた😮
下から見ると、ちゃんとV字崩れの断面が見える✨
荒れた獣道、倒木と枯葉の積もる斜面

ここからは殿屋敷を経由して下山。


遺構は少ないが、南北に長い尾根の稜線付近をうまく使った城、という印象だった。

それにコースが整備されていて、半日ハイクと麓の入間川沿いでのレジャーと組み合わせるのも楽しいだろう。

 

★大河原城

埼玉県飯能市大河原

八耳堂の登り口前に1日¥300の駐車場あり。城のある龍崖山や周辺の各コースは整備が行き届いている。

山城

 

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(2025年10月10日 記)

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大河原城は飯能の町から西の方に少し、入間川右岸の尾根上、龍崖山の山中に築かれていた。中腹の殿屋敷なる平場が居館、山頂に詰城だったようすで、いまはハイキングコースで周遊できるようになっている。

鎌倉時代にこの地にいた大河原氏が築いたらしいが詳しいことは分かっていないらしい。麓の軍太利神社は建仁二年(1202年)に大河原四郎が勧請したと言われている。


この日も西武線でで飯能駅までやってきて、トボトボ歩いて訪問した。


登り口に大河原氏ゆかり


現在位置(Googleマップで)

登り口は複数あるが、中腹の殿屋敷を通るためには北側の八耳堂や軍太利神社から登る。

大河原城 登り口 案内板


入ってすぐに大きなコース図。

飯能の町チカ丘陵地帯にも多くのハイキングコースが整備されていて、歴史を堪能できるところも多いらしい✨

飯能市ハイキングコース案内図


ここは城への登り口なだけでなく城主大河原氏にゆかりのある寺社などが祀られ、文化財指定されているものもある。

まずは、八耳堂。

傍らに立つ宝篋印塔が飯能市の有形文化財だそうだ。

宝篋印塔と軍太利神社本殿


道なりに進むと、軍太利神社の鳥居が立っている。

この神社は大河原氏が勧請したとのこと。

飯能・軍太利神社への鳥居


そして、本殿。

綺麗に手入れされている✨

軍太利神社と宝篋印塔


城のある龍崖山への道は、境内の左側。

上にもう一つの祠があって、摩利支天様が祀られている。

龍崖山 軍太利神社 鳥居と祠


摩利支天様の祠も綺麗✨

建てられたばかりのようだ。

大河原氏ゆかりの軍太利神社と灯籠


殿屋敷…三四郎平へ


摩利支天様を通り過ぎると、いよいよ登り。

案内があり、杖までも準備されている😊

飯能 大河原城 龍崖山 登山道


しばらくは緩やかな登り。

ヘアピンカーブで折り返すと急登になるが、ロープが張られている。

階段も設えられているので、一歩々々登ってゆく。

龍崖山への急な登山道と木々


ここを登り切ると、かなり広い平場に出る。

ここが殿屋敷。大河原氏の居館とされる場所で、山の北側中腹に張り付くような平場だが、全体はソフトボールが出来そうな広さがある。

森の中のハイキングコース


左手に、わずかに盛り上がった塚みたいなのもある。

土塁か?

飯能 大河原城 殿屋敷への道


全体は二段構造で、東側が一段低くなっている。

大河原城跡の緑豊かな山林


自然地形のダランとしたやつでなく、ちゃんと高さ2メートルばかりの段で仕切っているので、人工的に普請されたのだろう。

龍崖山の大河原城跡の森


ここは『三四郎平』と呼ぶそうだ。

「殿屋敷」という名は江戸時代の書物『新編武蔵風土記稿』に現れるとか。

三四郎平の案内板と登山道


この南側には緩い傾斜の沢が突き上げてきているが、こちら側の縁もそこそこ傾斜を盛っているようす。

飯能の大河原城への山道


登ってくる沢は、竪堀にしてはデカすぎる…

これは自然地形。

大河原城への登り口、森の風景


沢の中腹には龍崖山頂へ向かうもう一つの道が通っている。

その上は半島状に尾根が突き出ている。

大河原城址の森、飯能の自然


さて、ここで道は二手に分かれるようで…

左は一旦下って緩やかに登ってゆく道、右は急登で一気に登ってゆく道だそうだ。

城を攻める気分を味わいたいので、もちろん右の急登コースへ進むんだが…

大河原城への山道と杉林


飯能 大河原城 山頂まわりに続く)

 

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(2025年10月9日 記)

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説明板でⅡとある曲輪は、広いだけでなく外に対する守りの仕掛けを隅の方にたくさん仕掛けた、城の戦闘力の要みたいな感じの曲輪だった。


主郭まわりの堀


さて、次はいよいよ主郭へ。

説明板でⅠとなっている、丘の最奥を占めている。

西の帯曲輪状へ出て、さらに奥へと進む。

先ほど入った曲輪Ⅱの切岸は、帯曲輪から直接立ち上がっている。

竹林と遊歩道、山道の風景


しばらく行くと東から大きな空堀が入ってきて、この曲輪の東縁あたりで南に折れてゆく。

竹林に囲まれた空堀と土塁


そして、断面そのままに東側の曲輪との間に横たわるようになる。

この堀の向こうが、主郭になる。

こちら側の曲輪Ⅲはと言えば、このあたりから急速に窄まって歩廊のようになる…

城跡の小道と竹林


こちらの曲輪も、西の方から土塁が寄ってくる。

外は段丘崖だが、こちらも土塁に守られてたのね😮

土塁と竹林のある城跡の斜面


まずは、堀の中へ入ってみる。

堀へは踏跡が降りていて、多くの先人が堀の中へ踏み込んだようだ。

シロウト時代のワタシもその一人なことはナイショ🤫


東西に走る主郭北辺は、倒竹などで少し荒れ気味…

竹林の空堀と土塁


帯曲輪に沿って走る東辺は、緑色が濃いぃな😂

竹林の空堀と曲輪


ここは主郭北辺の堀を東まで行ってみるか。

数本の倒竹をくぐって進んでゆくと、堀底はキレイになった。

中央あたりで底が高くなっているようだが、ウネと言うには太いし、この1本しかない…

竹林と倒木、落ち葉の道


東の方まで行くと、南へ直角に折れ曲がっていた。

竹林の堀、防御の要


その先が、土塁のように高くなっている😮

ちょうど、先ほどcの堡塁から見下ろしたあたり。

竹林に囲まれた空堀と土塁


上から見ると、こんな感じ。

竹林と枯葉の斜面


そして、外は段丘崖の下の平地に出られるようになっているらしい。

牛久城の北辺の堀


外はちょうど根古屋という地名のあるあたりで、ここから城の内外を往来できるようにしていたか。

そして、寄手が根古屋あたりから城内に突入してくるのを食い止めるために、堡塁cを設けて横矢をかけた上で射撃できるようにしていたか😨

ここの外側は帰りに見に行った。

 

さて、主郭へ行く前に曲輪Ⅲとの間に入った空堀も見てゆくか。

こちらは、上げ底や横矢がかり等は全く無く、直線的に南へ進み、南端の主郭虎口に渡る土橋で終わっている。

竹林の空堀と土塁


主郭手前に船溜まり?への道

※この道から城外へは出られない

さて曲輪Ⅲに戻って、主郭へと向かう。

しかし、すぐに南西に下ってゆく道が出ている😮

竹林と草地の道、遠くに水辺


このあたりの堀端に、ヒガンバナ咲いてた😮
ヒガンバナと森の風景

残念ながらこの道は先の方で規制されていて、城外へ出ることはできない。

しかし、分岐のすぐ隣に曲輪みたいな平場。

緑豊かな森の地面には落ち葉と木漏れ日


道はちゃんと曲輪より一段低く、虎口のような体裁を整えて作られてるな…

森の中の小道と広場


さらに西側の下に、けっこうな広さの曲輪らしいのが広がる😮

山城の麓にあれば「居館か?」と思ってしまいそうなやつ…

牛久城主郭の広場と土塁


この下に何があるかは確かめられなかったが、もしかして船溜まりとか…


ようやっと主郭へ…


さて、もう陽射しが斜めになってきてる…

こんなんじゃいつまで経っても主郭に入れんぞっ💨

分岐から少しで、帯曲輪の南端。

竹林の中に続く古道


主郭へは、左が伸びるキレイな土橋を登ってゆく✨

竹林の古道、進む石垣と土塁


ここまで並走してきた空堀を見下ろす。

曲輪間にまでこんなデカい空堀を入れるとは、ここまで攻め込まれることを想定して、主郭のツバで時間稼ぎをしなければならないほどの切迫した情勢だったのだろう…😨

竹林に囲まれた空堀


ちなみに、土橋の反対側は視界の厳しい竹衾💦

冷静に見回してみると、空堀はすぐに終わって帯曲輪状になるようだ。

竹林の道


土橋を登ってゆくと、土塁の隅っこが切られた虎口に入ってゆく。

しかも、ちゃんと曲輪から掘り込まれて低くなっている。

竹林の中の古道、牛久城跡


ここからさらに左に折れ、1段登るとようやく主郭に入れる。

最終防衛ラインはデッカイ枡形とかではなく、シンプルに狭く低くしているのだな…

竹林の小道と落ち葉


郭内から振り返ると、その様子がよく分かるだろう。

竹林と草地の境目


主郭は北の曲輪Ⅱの南北方向が半分になったぐらいの広さ。

周囲の土塁は空堀沿いの西、北、東の一部にあるが、南側には無いようだ。

広場と木々、日差し


奥の方に石龕が…

牛久城石龕と説明板


さて、城内はこのぐらいか。

あとは根古屋地区を通りつつ軽く見てゆくか。

 

根古屋地区は城の南東の麓一帯で、民家が立ち並んいる。

城沿いには空き地もあって、主郭の北側から降りてきた空堀が出てくるあたりも見えている。

城内からは麓と繋がっているように見えたが、けっこう上だった。

牛久城の曲輪と森


城のある段丘崖が、道からスッと立ち上がっているあたり。

道から外側がヤブになっているが、実際には国道6号やJR常磐線の線路あたりまで田んぼなどの低地が続いている。

牛久城への道と建物


往時にここまで沼が入ってきていれば、水運を扼する好立地だったろう。


ともかくも広大、そしてデカい遺構だった。

対佐竹氏の最前線を担う後北条の基地ともなると、やっぱり中世山城とは土木工事の規模がレベチだった。

戦国大名同士の戦いがどんなものだったか、垣間見えるような…


【完】 

 

★牛久城

茨城県牛久市城中町

得月院の前の駐車場(→Googleマップで)が観光用で登城時も利用可。木戸口まで徒歩5分ほど。

丘城

 

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(2025年10月8日 記)

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いよいよ、土木天国たる主郭部への入口たる木戸口までやって来た。

土木遺構、城跡への入口、土橋と空堀


ここ、ただ道が城内に入っているだけのように見えるが、じつは両側が空堀、それを渡る土橋になっている。

この堀が、森の中に埋もれているが、また立派✨

左側

森の中の空堀と土橋


右側は、見える限りヤブ…

竹藪に覆われた空堀


もちろんこんな堀、縄張図の概念も理解してなかったシロウト時代に、気づくはずも無い😅

で、城内へ入ってゆくと、道は左側から入ってきた空堀に沿って右へカーブしてゆく。

森の中の城跡への道と空堀


この堀が…


暴力的な巨大断面っ🤯

竹林に覆われた城跡の斜面


ふだん中世山城ばかり見慣れていると、こんな幅20メートルちかくあるような空堀が人工的に掘られたものに見えなくなってくる…😅

もう中世も終わり、近世に片足を踏み入れていることを告げるかのような、段チの巨大空堀…


そして、この巨大空堀の西側終端あたりで、このカーブする土橋でもって渡ってゆく😮

森の中の土橋と空堀


左側の空堀。

少し窄まっているようだが、それでも向こう側まで10メートルは下らないだろう。

堀のある森の城跡


土橋もキレイ✨

森の中の木漏れ日と城跡の空堀


城内へ入る前に、空堀の外側の土塁上に道があって西へ行けるようなので、そちらへ入ってみる。

土塁の城外側は15メートルぐらい落ち込んでいて、往時は牛久沼がここまで入ってきてたか、という感じ。

土塁は左にカーブしつつ、急激に高度を下げている。

森の中の城跡、空堀と土橋


そして、空堀は少し先で西側に出て終わっているようだ。

ただ、🌿🌿濃厚で踏み込みづらい…

森の中の城跡への土橋と空堀


このあたりから見返す、堀の向こう側。

こちらの土塁が下がっているので、城塁がよけいに高く見える😮

それにしても濃いぃ緑色…

緑豊かな森の中に広がる空堀と土橋


では、土橋を渡って城内へ。

ここも高い土塁をザックリ切った虎口。

森の中の空堀と土橋


虎口を通り抜けると、少し下がって帯曲輪状に通される。

森の中の小道と木々


説明板ではⅢとある曲輪で、木戸口と城内の二つの大きな曲輪を繋いでいるような感じ。

左側が道になっているが、右側の草地へ大きく広がっていて、幅はかなり広い😮

森の中の小道と木々


入ってすぐ左側に、曲輪Ⅱへの虎口が開いている😮

説明板ではbとなっていた。

土橋と空堀が続く城跡の道


少し曲輪の奥へ入って、虎口周辺を振り返る。

いま入ってきた木戸口からの道から右へ分かれて曲輪Ⅱへの虎口。

森の中の道と空堀


最初に、虎口bから曲輪Ⅱへ入ってみる。

曲輪はサッカー場より少し狭いかというぐらいの広さがある。

竹林に囲まれた広々とした芝生広場


木戸口を向いた北側と、帯曲輪に面した西側を土塁で厳重に守っている😨

竹林に覆われた土塁と空堀


そして、段丘崖に面した東側にも、低い土塁がある😮

土塁と竹林、自然な風景


その外側の段丘崖も、傾斜はそれほどでもないが高さがヤバ💦

竹林と倒木、森の斜面


そして、この曲輪の北東端から大きな竪堀が落ちているのが見えた。

まさかコレ、東側の城外とを結ぶ通路とか言わんだろうな…😨

最初は木戸口の空堀が落ちているのと間違えた😅

森の中の竹林と空堀


ちなみにこの竪堀の始まりは、曲輪の北東から伸びて木戸口内側の空堀の城内側を仕切る土塁の南側。

この土塁上はこんな感じで、左側が木戸口内側の空堀、右がいまの竪堀のてっぺん。

竹林の中の自然な城跡の土塁


ここから、木戸口内側の空堀は北へクランクしてから、二重竪堀のように東へ落ちている。

広角レンズのワイド端でも、ぜんぜん収まらん二本の竪堀…💦

竹林の空堀と土塁


これらの堀や土塁は城外へ降りてゆくだけなので、ここまでにして曲輪に戻った。


曲輪の東縁には一部だけ土塁の無いところがあるが、そこに何があるかは竹ヤブが濃密で分からなかった…

そして、曲輪の南側も土塁に守られている😮

竹林の竹材と地面


この曲輪の南東からは、細く張り出す堡塁のようなものが伸びている。説明板の縄張図ではc。

これが、房総を彷彿とさせる濃密な竹ヤブの中なんだが、何とか入っていける💦

竹林と倒木、城跡の雰囲気


少し進むと竹が疎らになってきて、いい具合に地面と周囲が見えるようになってくる🙌
竹林の中の石垣と土塁

この尾根は10メートルちょっとで終端になる。

数人が立てる程度だが、平場がある。

竹林に覆われた古城の堡塁


そして、南の主郭との間に横たわる空堀が、この堡塁によって南に曲げられ、横矢がかりのようになっている😨

竹林の中に広がる空堀


これはきっと櫓台みたいな感じの、守るに欠かせない施設だったのだろう。

広大な城内ではまったく地味な存在、普通の人はまず見に行かないようなところに、こんなものが埋もれていたとは…


さて、次はいよいよ主郭へ💨

 

牛久城 終章に続く)

 

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(2025年10月7日 記)