小瀬戸城(こせどじょう)は飯能の町から入間川沿いに5kmほど遡ったところ、飯能第二小学校の裏山にある。北から張り出してきた尾根の末端にあって、見つかったのは最近とのこと。
歴史はよく分かっていないらしく、山麓に後北条氏家老松田康秀に仕えた岡部忠正の屋敷があったことなどから岡部氏の城と考えられている程度らしい。
入間川のより下流にある大河原城に登ったのち、川沿いの道をさらにテクテク歩いて訪問した。
かつては登道が複数あったが今は無し、とのことで下調べの情報にしたがって西の住宅地へ。
途中にある赤い屋根の神社から城に登る道は無さそうだった…
住宅地の一番上まで来た。
道は曲がり角になっているが、ここから右前方の斜面に入ってゆく。
しかし、一見ヤバそうな🌿🌿
これは、コケ脅かし。
山中に入ると下草はそれほど多くない。
右手の植林地の奥には、城塁らしい土壁も見える。
かなり鋭いようだ😮
今回は城の北に刻まれているという堀切の方から入ってゆくことに決めていたこともあり、まっすぐ城の方へは向かわず、谷線をなぞるように登って行った。
少し登ると、谷が大きく広がって水の手のようにも見えるところに出る。
ここからなおも直進しようとすると、正面が高い急斜面になって行く手を阻まれる。
城はもう少し右手だが直下は取り付く島が無さそうなので、登れそうなところを探して城のすぐ北あたりを目指すのが良いだろう。
この時は、城の50メートルほど北の尾根上に出た。
ここは天端が丸く、加工などはされていないようだ。
しばらく進むと…
デッカイ堀切だなぁ🤯
この城はこの堀切一点豪華主義みたいな情報だったが、なるほど恥じない大きさ。
深さは4メートル、天端間の幅は7〜8メートルぐらいか。
底に降りると🌿🌿がやや多めだが、薬研のVはハッキリ見える✨
尾根が幅広なので、東西に長く伸びていて尾根側方の斜面に出ると終わっている。
これは東の方。
堀底からは踏跡が直登しているが、急斜面で滑るので慎重に登る。
登った上は土塁のようだ。
土塁を越えると主郭。
割と下草が多く、広さがつかみにくい…
東と西の二段構造か?
北端の堀切に面した土塁。
ここは両側の比較的緩傾斜の斜面につながる堀切から侵入してくる寄手に対する防衛ラインか😨
ここの斜面は急傾斜といえばそうだが、ふつうの山ぐらいの感じ。
切岸加工をしっかり施したような感じではなかった…
西側
東側
主郭からは、南東と南西に尾根が派生している。
まずは南東側に入ってみるか。
尾根の付け根付近は灌木が多いが、少し降りるとすっきりとした植林地になる。
天端を削平などは…少しはされているか?
3〜40メートルほどで突端になった。
削平は…されているような、いないような…
しかし、突端の少し下に帯曲輪があった😮
尾根線を横断するような感じ。
自然の尾根そのまんまかと思ってたけど、これで一気に城のパーツに見えてきたどぅ✨
この尾根はここまでなので、引き返して南西の尾根へ。
なんと、主郭の南斜面をトラバースして南西の尾根まで行ける道が付けられていた😮
ここを西へ進むと、小さな祠が立っていた。
金毘羅社なのだそうだ。
そして、この周囲がこれまでとは全く変わって、スッパリにちかい土壁になっていた😨
この土壁に守られたような、尾根の突端
六畳一間ぐらいの曲輪になっていた。
この北側の斜面も凄い🥶
最初に北側への谷を登っていた時に見えたのは、この土壁だったか…
というわけで、城はこれぐらいだろう。
帰還は、最初に見えた城塁のありさまを確かめるため、少々急傾斜だがこの尾根から谷へ直降りしてみることにした。
気をつけないと、こんな露岩のガケも紛れ込んでいるので、くれぐれも安全第一⚠
この急斜面に守られた、尾根先端の城だったか。
背後を大きな堀切でしっかり断って、末端側を利用したシンプルな山城という印象だった。堀切が大きいところを見ると戦国時代まで使われていたか…?
岡部忠正が仕えていた松田氏の居城たる南足柄の苅野丸山城もそれほど大きくないが、よりコンパクトな中に山城のエッセンスを凝縮したような感じに見えた。
さて、締めはコイツで…
★小瀬戸城(こせどじょう)
埼玉県飯能市小瀬戸
近くに車を停める場所は無し。バスは飯能駅から30分〜1時間に1本程度。登城道が無いので注意。
山城
(2025年10月14日 記)
























































































































