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牧之原台地は台地と谷戸が織りなす複雑な地形があちこちに見られ、中世の城が多く残っている一帯。

その南の端にあたる御前崎市にも多くの城が眠っている。比木地区の南の方にある城ヶ峰にも城郭遺構が残っていて、城ヶ峰城と呼ばれる。

現地に案内などは全く無く、歴史もよく分かっていないようだが、西からの登り始めに複雑に折れ曲がる2本の堀切、主郭の東側にも大きな堀切を遺していて結構楽しめる。アプローチも南遠道路が出来て便利になった。


前日の郡上八幡から戻ってきたこの日、少し北の殿ノ山に登ってからアタックした。西側から入山すると主郭にある中電の超高圧送電線の鉄塔までの巡視路を辿れるが、この時はそれを知らず😅事前の予習どおりに麓の清印寺前からスタートした。


緑の中のアプローチ


現在位置(Googleマップで)

寺は瓦の屋根が崩れて無残な姿を晒しているので、見ないようにして脇の道へ…

🌿🌿がけっこう濃いぃ💦

緑豊かな森の中の道


クモの巣こそ多いが地面はハッキリ見える道を進んでゆくと、奥が階段状になった平場があった。

もう奥の方に稜線らしいところが見えるここには『きんばん屋敷』という地名が残っているとか。

竹林の小道と草地


階段状がなかなか印象的だが、地名もまた兵たちの詰所みたいな感じがして佳き。
この階段状が遺構なのかどうかは、見た目だけでは分からなかった。

ここからも道は続いて稜線を切通しで抜けているということだったが、見る限り道はここで終点。

ここは谷戸になっているが、城のある左の側壁はかなり急峻なので、階段状を奥まで行ってみることにした。

けっこうな🌿🌿の園を登ってゆくし、最初のうちは経路が目立たないしで、やや面倒…

それでも途中の風景に癒される😊

緑豊かな森の獣道


最初は目立たなかった経路は、登ってゆくうちに谷の左側にハッキリ抉られているのが見えるようになってくるが、倒竹が多くて歩きづらいったら💦

稜線が近づいてくると、ハッキリと掘割状になる。

だいぶ倒竹多くて分かりにくいけど💦

倒竹とシダ植物が生い茂る山道


そして稜線は切通し状で通り抜けてゆく。

元々堀切があってもおかしくなさそうな場所😮

城ヶ峰の堀切と倒木


尾根に登りつき主郭へ


ここからは、左の斜面を掻き登って稜線に出る。

最初の数歩がキツく、その上にも道のようなものは無い。

そして稜線に出ると、幅広のまま北に向かって登っていた。

城ヶ峰の谷戸と緑の茂み


そして、すぐ上に曲輪らしきが見えてくる。

踏跡は無いが、ごく細い竪堀のようなものが左へ回り込むように登っている😮

城ヶ峰城跡の堀切と森


登ってみると、上は削平されたか否か分からないような、丸っこい形をしている。

城ヶ峰の堀切と植林地


で、その北側の斜面がヤベー🥶

迂闊に寄って足を踏み外すと数十メートル下まで落ちるぞ…

城ヶ峰の険しい山道と木々


で、さらにここから登ってゆく道が現れる…😮

ここも右側が高度感ハンパねぇけど🥶
緑の中の山道、落ち葉に覆われる

登った先は、削平されていないと思われる尾根だった。

主郭のある西側は太くて立派だが、曲輪のような感じではなく天端は丸い。

緑の森と落ち葉の道


反対側は城外へかなりの急傾斜で下っているようだが、少し先まで見た限りでは堀切などは無さそう。

緑の中の城ヶ峰の登山道


道は尾根線を横断してから左へ曲がって、主郭のある西へ向かう。

尾根線を横断するところが少し掘り下げられているようだけど、これは虎口か堀切なのか…?🤔

緑の茂る山道、落ち葉の積もる斜面


ここからは尾根線の北側を進んでゆく。


しばらく進むと、急に視界がひらける。

谷のようなところに沿って樹木が伐採されていて、下草が旺盛な生命力を見せている😂

緑の中の草木が生い茂る山道


よ〜く見るとかなりの深さがある谷のようになっていて、ここは主郭の東側を仕切る堀切のようだ。

断面はそうとうにデカいのだが、下草の生命力の前に埋め尽くされようとしていた。

南側へ落ちる竪堀なんぞは…

緑が生い茂る道


🌿の梢が薬研のVを描いている😂

けっきょく、城の東側はこれで区切っているようで、ここまで登ってきたところで見たのはせいぜい城道や物見台ぐらいか…?

主郭はこの堀切の西側、紅白のデッカイ送電鉄塔が立っているところ。

ヤブの中のかなり急な道を5メートルばかり登る。


立っているのは中電の500kV鉄塔。

鉄塔と草地の風景


となれば、コレは外せない😂

さすがに迫力レベチ✨

しかも珍しい3導体ソーデンセンだぞぉ✨

送電鉄塔の構造と空


西へ


ここから先には鉄塔巡視道が付けられているので、通らせて頂くことにした。

尾根は急に高度を下げ、細くなって森の中に入る。

城ヶ峰城跡への緑深いアプローチ


この中に堀切があったようだが、見逃し😂


主郭を振り返る。

城ヶ峰に立つ送電鉄塔と山道


鉄塔が主郭全体を占拠しているのではなく、切岸の上と下に基礎を設置して、またぐように建てられているのが見える。

鉄塔が無ければ急斜面の上に平場で、ちゃんと城している✨


さて、さらに西へ。

となりの小ピークまでの尾根が、大きな縦カーブを描いている😮

緑の中の城跡への山道


巡視道は小ピーク左へ避けているが、てっぺんを見に登ってみる。

城ヶ峰城跡への緑の登山道


が、そこは塚のように高くなっているだけで、平坦な場所はほとんど無かった…

城ヶ峰の山道、木の根と倒木


北側の森の中に、若干平坦な場所があるか。

六畳一間ぐらいの広さで、歩哨の居た物見台があったのかも…?

緑豊かな森の地面に落ち葉が積もる


まだ堡塁あんのかい‼️


これで城は終わりと思い、巡視道から退城しようと降りていった。

さっきの小ピークの南側、すごい急傾斜😨

城ヶ峰の山道と落ち葉


そして、すぐに前方で道が平坦な台状を右へ避けているところが見えてきた。

緑の中の道と茂み


コレ、堡塁か?

すぐ手前では、左側から竪堀のようなものが落ちて、尾根が窄まってるし…

緑豊かな山道の谷戸と木々


そう思って、台状の先端の方まで行ってみる。

削平がちゃんとされてなかったか、上は丸くなっている。

城ヶ峰の山頂付近の遺構


しかし、突端からは尾根の先の方まで見渡せ、高低差も3メートルぐらいはあった😮

城ヶ峰城郭遺構の尾根と植生


この写真だけでは微妙だが、下から見上げるとどうだ?😅

城ヶ峰城跡、草木に覆われた遺構


いまは巡視道が南の側方から登ってきているが、尾根は正面方向へかなりの傾斜で下っている。

往時の城道がどちらだったとしても、ここは刀剣や長槍装備の歩兵相手ならキルゾーンとして機能するだろう😨


さて、下山の続きっ‼️


巡視道の階段を下りても尾根をそのまま下っても、先で合流する。

そのあたりは堀切なども無く、東西に細長い平坦な場所になっている。

城ヶ峰城跡の森と切り株


ここからどう下っているのかと思ったら、こんどは左に寄せられて、竪堀のように細くなっている😨

城ヶ峰の掘割と緑の風景


ここも堡塁か😮

何じゃこりゃ🤯トバ口に二重の堀切


尾根の左に寄った道をさらに下ってゆくと、竪堀状のまま突き当たりになる。

まさかの、堀の交差点…😮

城ヶ峰の急峻な斜面と植生


突き当たりを右に進むのが巡視路のルートだが、深さは人の背丈ぐらいながら、まるで峡谷のような鋭さ🤯

城ヶ峰の堀切、緑と枯葉のコントラスト


ここから見返すと、突き当たりの向こうは尾根南側の斜面まで峡谷状で貫いていた。

これ、尾根を貫く堀切の中に動線が降りてきていたか😮

城ヶ峰の堀切と緑


さて、この堀は突き当たりから少し先で右へ折れて、そのまま北側の斜面に出ていた😮

ここまでくると尾根は相当低くなり、麓はすぐ下、尾根上には墓なども立っている。


道はというと、折れのところで堀の側壁を登って直進してゆく。

そしてすぐに下り、右手に堀切😮

城ヶ峰の掘割と田園風景


そしてコイツは少しだけ道と重なったあと、左手下に向かって切れ込んでいた😮

城ヶ峰の堀切と登山道


そして、先の方で尾根南側の斜面に出ていた。

俯瞰すると、細いながら見事なやつ✨

城ヶ峰の堀切と竹林


ここは全体で2本の堀切が尾根を横断し、その中を道が通り抜けている作りになっている。

道の他に墓なども立っているようで改変は入っているだろうが、城の西の守りの最前線だったようだ。東側は主郭隣の堀切、あとは険しい地形に守りを任せたような感じだった。


ここから道なりに降りて行けば、入山した谷戸から少し西で北の方へ抜ける切通しの中に出る。場所はここ(→Googleマップで)

こちら側から登れば、みごとな堀切群や堡塁などを眺めながら主郭でゴールとなるだろう。

 

★城ヶ峰

静岡県御前崎市比木

車道終点の清印寺前に1台分のスペース有。転回不可なので往復どちらかは鬼バック。

山城

 

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(2025年10月21日 記)

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牧之原台地は台地と谷戸が織りなす複雑な地形があちこちに見られ、中世の城が多く残っている一帯。

その南の端にあたる御前崎市にも多くの城が眠っている。この殿ノ山(とんのやま)もその一つで、このあたりの有力領主比木氏の城の一つと考えられている。ただ麓の『おかた屋敷』の発掘調査で13世紀後半の焼物が出土したものの、詳しい歴史は不明なようす。


前日に参加した郡上八幡へのツアーから、いつものテイストに戻して一発目の登城😅


城の南側を通る県道239号から北を見ると、ボコッと盛り上がった城山が見えてくる。

そんなに高くはないが、全体が丸っこく麓の平地から盛り上がっていて、そういう目で見れば古城っぽい雰囲気がプンプン✨

どういう目だ…💦

殿ノ山城跡、鬱蒼とした緑の山と黄色い野花


この盛り上がりの東側に谷戸が入り込んでいるが、そちら側からは登れないので1本西の道路を入ってゆく。

200メートルほど進むと、向こう向きに『←殿ノ山』とある道標が立っている。ただ県道から入ると裏向きの道標…

殿ノ山への道標と茶畑、風車


道標の指し示す道は民家の真ん前を柵など無しで通り抜けてゆくので、入って良いのか心配になる…


現在位置(Googleマップで)

それでも道を外さずに進むと、左側の小山の麓に説明板が見えて来る。

殿ノ山案内板と城への道


この民家のあるところが『うえ屋敷』、反対側が『おかた屋敷』とそれぞれ呼ばれるところで、その名も立地もいかにも居館らしいところ。

説明板には縄張図にけっこう丁寧な説明が示されているが、さてどれだけの人が読むのか心配になってくる…

殿ノ山城跡の案内板と縄張図


ここから登る道は無いとのことなので、左側の斜面の登りやすいところを探して登ってゆくしかないのだが、これが急傾斜に猛烈なヤブで、なかなかスキが無い…💦

急斜面でも掴まる灌木はソコソコあるので、ヤブの少なそうなところから入ってゆくしかない。

静岡県御前崎市 殿ノ山城への道


見つけたところは先人の踏跡があったので、有難くトレースさせて頂く。

それでも手を使わなければ登れないような急斜面を5メートルも登ると、かなり幅広な帯曲輪状の平場に登りつく。

だいぶ🌿🌿、しかも少し外傾している。

殿ノ山城址の鬱蒼とした森


奥には、上の曲輪の切岸らしいものが見えている✨

城に辿り着いたぞ〜🙌
殿ノ山城址の森

帯曲輪はヤブも倒木もあって長居する気になれないので、さっさと上へ💨

しかしここも、高さ3〜4メートルとは言え、けっこうな急斜面💦

殿ノ山城跡の急斜面とヤブ


掴まる立木はあるので、それを頼りに登る。

そして登りついた曲輪は、削平はしっかりしているがヤブっぽさは相変わらず…

殿ノ山城跡の藪林


すぐ奥に主郭部の切岸が見えているのだが、写真ではサッパリ…😂

主郭部の盛り上がりが尾根の東側に寄っていて、この曲輪は主郭部西側の裾へ伸びている。

ただ、一層濃厚なヤブ…💦

殿ノ山城跡の緑豊かな森


上の曲輪からへの登り。

思ったより傾斜がない。

殿ノ山城跡の森の斜面


今いる曲輪を通り越して、下の帯曲輪まで続いているらしい竪堀状が見える。

動線だとしたら、めちゃくちゃスパルタ😨

しかし帰りに降りてみたら意外と行けた。

このあたりの土は関東ロームなどと違って滑りにくいようだ。

殿ノ山城跡の低木と雑草が生い茂る斜面


では、城塁を登って主郭部へ💦

傾斜がわりと緩やかで、さっきまでより登るのは容易。


そして、登りついた曲輪は南北にかなり細長い。

削平はしっかりしているが、相変わらずのヤブ…

森の木々


いま登ってきた、東側の斜面を見下ろしてみる。

殿ノ山城跡の急斜面とヤブ


傾斜は下の方より緩いくらいだが、こちら側は帯曲輪などは見えず、麓まで一直線に落ちてゆくようす。

反対側には、さっきまで居た曲輪が入ってきて、帯曲輪みたくなっている。

しかし、🌿🌿で様子が分からんな…😂

殿ノ山城跡の森と谷戸の風景


さて、主郭の城塁もすぐ前に見えている。

今いる曲輪からは、人の背丈ぐらいの高低差がある。

殿ノ山城跡の曲輪とヤブ


これを登れば主郭。

バドミントンコートぐらいのコンパクトな曲輪。下の方の曲輪より狭い。

殿ノ山城址の森、自然豊かな山林


周囲の切岸加工は相変わらず有るんだか無いんだかだが、下まで落ちている様子が見えて、さすがに高度感がある…😨

殿ノ山城跡の山林と斜面


で、曲輪の北端は城の北端でもあるのだが…


横堀走ッテル‼️🤯

殿ノ山城跡のヤブと土塁


さほど大きくはないが、尾根を横断する立派な堀切✨

尾根の幅があるので、横堀みたいな見た目をしている😮

そして、その東側で曲輪が小さく抉られ、その先に堀を渡る土橋が繋がっている。

殿ノ山城跡の森、ヤブと急斜面


堀底から20センチぐらいしか盛り上がっていないが、上から見てもちゃんと土橋なことは分かる✨

殿ノ山城跡の植生と木々


土橋に入るところの掘り込み。

土橋から続いて郭内に登りながら入ってきているところを見ると、城の北側に開口する虎口だろう😮
殿ノ山城跡の林道と植生

虎口から土橋に出て、堀底を眺める。
深さは3メートル無いぐらいで意外と浅く、底がわりと平坦な感じ。
殿ノ山城の横堀と土橋

東の方は折れもあり、端の方は立派な薬研の断面で斜面を降りていた✨
殿ノ山城の堀切と土橋

ふと足元の土橋に目線を落とすと…

石積み土橋かぇ⁉️🤯
石積みの土橋と虎口

天端も側面も、拳より少し大きいぐらいの石で固められていた。
そして、堀の主郭側の壁が反対側より急傾斜なので覗き込んでみたら、ここにも石積🤯
石積みの土橋と堀切

これらの虎口、土橋そして石積が城の遺構なのか後補なのかは見た目だけでは分からず、ネット上で探した限りでは情報も少なかった。

城のものだったら二度ビックリだろうけど…


説明板の図た見る限り北側に加工の跡は無さそうだったので、この先には踏み込まなかった。


★殿ノ山(とんのやま)

静岡県御前崎市比木

近くに車を停める場所が無く、駐車禁止や無余地などに注意しつつ路駐するしかない。

平山城

 

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(2025年10月20日 記)

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高取城は越生の町のすぐ西にそびえる高取山の山頂一帯にある。麓には越生神社があるが、高取山に居館を置いた越生氏が文治年間(1185〜1190年)に鎮守として創建したとのこと。

江戸時代の文献『新編武蔵風土記稿』には南北朝時代に南朝方の北畠顕家を討ち取った越生四郎左衛門の屋敷とあって、越生氏の城らしいとされてはいるが詳しい歴史はよく分かっていないらしい。


森林公園チカの羽尾城谷城を見て回ったのち、東上線→越生線と乗り継いで訪問した。この日のラスト。


城への登り口は北東の麓の越生神社の裏にある。

駅前の通りから山の方へ入ってゆく広い道の突き当たりの正法禅寺入口を入ってゆく。


高取城への登り口、正法禅寺入口

すぐに左前方に越生神社の鳥居が見えてくるが、ここは鳥居をくぐっても直進しても、どちらからも行ける。

高取城への道、鳥居と石碑


境内は道のすぐ左側。

荘厳な雰囲気⛩️

越生神社と石段


城への登り口へは、境内には入らず道をそのまま進む。

すると社殿横を通り過ぎてすぐに、左へ山道が登っている。

ここへ入ってゆく。

高取城への分岐路と道標


まずは高取山頂へ


山道に入るとすぐに二又になっているが、右の階段道を行くと山頂に直接登れるので、そちらへ行ってみる。

土がツルツルで滑る💦

高取城への山道と石段


なお、ここを左へ進むと、城の東側直下を通って南側へ回り込むことができる。この経路は下山時に利用した。

このあたりには大高取山への道やエスケープに利用できそうな麓からの道があちこちに拓かれているので、地形図などを見ながら目的に合わせてコースを選択すると良いだろう。


分岐から登ってゆくと、階段はすぐに終わって踏み固められた山道になる。

土むき出しで滑るが、登りは緩やか。

高取城への山道


堀底のように凹んでハッとしそうだが、城のものではなさそう…


しばらく緩やかに尾根を登って、150メートルの等高線を越えるあたりから正面が急斜面になってくる。

高取城への山道と木々


道はここから、つづら折れになりながら登ってゆく。

直登しようとすると相当キツそうな傾斜で、城が近いことを教えてくれる。

森の斜面、落ち葉と木々


山頂が近づいても、つづら折れは続く。

ラストのひと登りは石段。

高取城への石段と山道


石段の傍らに、城の標柱が立っている。

下の方にQRコードが貼られていたが、飛び先のページは無かった…💦

高取城跡の石柱と石段


石段を登ると、テニスコートぐらいの広さの主郭。

神社が立っていて、境内になっている。

越生町 高取城 鎮守の祠


ここからは越生町の中心地が一望できる。

登山口からの比高は80メートルばかりだが、この眺望が城の役割を教えてくれそう。

高取城跡から見下ろす越生町の町並み


真ん中の木に、『高取山』という山標が立てかけられている。

標高170メートルという低山だが、周りの急斜面は「ナメるな❗️」と言わんばかりだった…

高取山 170m 越生町観光協会


奥の方には、大木の生えている塚があった。

石龕や石塔などに見守られているのはスタジイの木で、越生町の景観樹木だそうだ。

高取山頂の塚と石灯籠


下の曲輪へ


この塚の向こう側から、下の曲輪へ降りる道があった。

山道の分岐、高取城への道


下の曲輪も、しっかり削平されているようだ。

高取城跡の山道と木々


さっそく曲輪へ降りてみる。

テニスコートの左右を少し狭くしたぐらいの広さ。

これだけを見れば、数百人で守る城かな…?

高取城跡の森、落ち葉と緑のコントラスト


ここから、さらに奥の一段下に緑で覆われた曲輪が広がっていた。

高取城跡の山林を歩く道


さっきまでの二つの曲輪より若干広いようだで、奥まで行ってみたら南北の二段構造になっていた。
末端は、人の背丈ぐらいの段で終わっていた。
高取山への山道と緑豊かな森

降りてから振り返ったところ。
高取城への山道

ここから下山できるが、ラストにて。
植林地の下草が灌木のヤブになっていて周囲が見えないほどなので、一旦主郭側の端まで戻った。

曲輪の付け根は、東に向かって竪堀のようなものが降りているか?

高取城跡の山道と雑木


そちらへ行く前に、西側の切岸を確認してみる。

急といえば急だが、ふつうの山でもあるぐらいの傾斜だった。

森の中の山道


こちら側も、曲輪の付け根から竪堀が落ちているか…?

よ〜〜く見ないと分からんぐらい、薄っすい💦
山道の落ち葉と低木

東側に横堀が…


さて、曲輪の裾から東に向かって降りている竪堀のようなところを降りて行ってみると…

かなり立派な横堀に突き当たった😮

高取城跡、雑木林に覆われた山道


これは、なかなかのやつ✨

南に向かって右カーブを描きながら伸びている。

高取城跡の山道と木々


カーブの先では、底が上がって空堀状は終わっていた。

その先は帯曲輪らしい。

高取城跡への山道と木々


うん…

ちょっと荒れていて、分からんな…

埼玉の高取山、雑木林の道


しかし、ここから振り返る横堀は、たしかにカーブしていて立派✨

高取山城跡の森と土塁


東側の裾を通って下山


さて、退城は南の曲輪の先から東側を通る道へ降りていった。

城のあるあたりはそれほど険しくないように思えたが、少し下の方へ行くとけっこうな傾斜があるようだ。

城内へ入ってゆく踏跡があるな…

たぶん横堀の南端に出るのだろう…

高取城への山道と緑豊かな森


さらに降りてゆくと、主郭からは下の方にかなり離れたところを通るが、土壁らしいものも見えるな…😨

高取城跡の鬱蒼とした山道


ここから先は植林地の中の小径で、やがて最初の分岐に戻れる。

登りに利用しても、急坂が少なく登りやすいかも。


全体的に越生の街を見下ろす手ごろなピークに少しだけ土木工事を施した、素朴な城という印象だった。 

南の尾根続きに堀切などが無いのは、信州などとの城のつくり方の違いなのか…? 

もしかして堀切見逃し!?

 

★高取城

埼玉県入間郡越生町越生

コース入口前の道を終点まで行ったところの無名戦士の墓駐車場利用可。

山城

 

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(2025年10月17日 記)

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谷城は武蔵丘陵森林公園のすぐ東側、県道250号の向こう側にある。森林公園内にある山崎城から直線距離で400メートルほど。

滑川村(1984年に町制施行して滑川町)の村史編纂の過程で見つかったとのことで、史料が無く歴史などは不明とのこと。


羽尾城とともに東武東上線森林公園駅から徒歩で続けて訪問した。


森林公園南口の前から、県道250号を北東へ進む。

1kmほど進むと右手に城のある丘が見えてくるが、とくべつ目立っているわけでもない。

田園風景と緑豊かな丘陵


道が城の正面に入っている。

大して高い丘でもないのだが、道沿いは高さのあるコンクリブロックの法面、さらに上は猛烈なヤブで内部が見えなそう…

埼玉の谷城、コンクリート擁壁とヤブ


この丘の北側へ回り込むと、コンクリ壁は無くなって、ヤブも薄くなって入れそうな感じ…

ここから城内に入る。

入口はあえて明示しない。現地を見て進入ルートを見つけられなければ入らないべき。

谷城への小道と植生


内部はかなり荒れた竹ヤブだが、地面が見えないほどではない。

高いほう高いほうを目指して登ってゆくと、上の方に段のようなものが見えてくる。

谷城跡、竹藪と枯葉の積もる丘


登ってみると、段の上が帯曲輪のようになっていた。

右前方に堀が分岐しているようなところで、城の北端付近のようだ。

谷城:荒れた竹藪の丘


非常に不明瞭…

この城に残る遺構はだいたいこんな感じ。

右手に分かれて城内へ入ってゆく堀は、V字がハッキリ見えはするが、浅い…

谷城、竹林、廃墟


ここは帯曲輪を進んでみたが、だいぶ大人しくなっている。

長年の風霜というだけでなく、もともと傾斜の緩い山だったのもあるか…?

麓が急傾斜で登るほど緩くなる、半球みたいな山の上の方を利用した城らしい。

埼玉県比企郡谷城跡の竹藪と遺構


この帯曲輪、南へ進むと堀に変わる。

やっぱり浅いが、ちゃんとV字の断面を見せていた✨

谷城跡の竹林と枯葉に覆われた地面


この空堀は城の南側を仕切っていて、丘を横断し西の斜面まで続いている。

郭内に登って俯瞰してみたところ。

埼玉の山城、谷城の竹林


内側の土塁も、そんなに立派ではないがちゃんと見えている✨

堀底からは人の背丈より少し低いぐらいの高さ。

埼玉の森、谷城跡の遺構


この土塁の内側が曲輪のようだが、ヤブで視界が利かないだけでなく、凸凹で削平が中途半端なようだ…

谷城跡の竹藪と枯葉


ここを帯曲輪のほうへ少し戻ると、堀が始まる少し北で郭内に向かって堀が分岐する。

向こう側で最初に見た分岐と繋がって、小さな島のようになっている。

竹林の丘陵地、谷城跡の遺構


この奥から、城内を横断する堀が伸びていた。

これが南北の曲輪の境界になっているらしい。

谷城跡の竹林と堀


この向こう側が、北側の曲輪になるのだろう。

南側よりは広く、削平された空間が広がっているようだが、周辺は丸い丘のままのようだ…

竹林に囲まれた城跡の丘


堀との間には、微かに土塁が見える。

埼玉の荒れた森、倒木と竹林


城の東側斜面は切岸加工を入れたような跡が全く見えなかったので、西側はどうかと曲輪の中を進んでみたが、奥へ行くほどヤブの濃さが増して、先が見通せなくなってくる…

それでも差し渡しがそんなに無い城なので、さほど苦労はせずに西側へ。

こちらも切岸加工は施されておらず、ほとんど自然のままのようだ…

埼玉の竹林と城跡


見た限り、てっぺんの削平は甘く切岸加工もされていない様子、尾根続きを切る堀も小さくて、古い時代の素朴な城のような感じがした。

あるいは、何らかの目的をもって一時的に築かれた城とか… 

谷戸を挟んで西側には山崎城山田城と並んでいるが、もしや…?

 

★谷城

埼玉県比企郡滑川町山田

付近に車を停める場所は無い。

山城

 

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(2025年10月16日 記)

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羽尾城は東武東上線森林公園駅と国営武蔵丘陵森林公園とのちょうど中間ぐらい、

江戸時代に著された『新編武蔵風土記稿』では松山城主上田氏に仕えた山崎若狭守の城とある。詳しい歴史は不明らしいが元亀三年(1572年)に築かれたとのこと。

山崎若狭守は羽尾七騎と呼ばれる、この地を開拓した地侍集団の筆頭格だったという。

城は埼玉県選定の重要遺跡。


10月というのに梅雨の晴れ間のような暑さがつづいたこの日、森林公園駅まで電車でやってきてテクテク歩いて訪問した。


森林公園の西側へ向かう県道沿いから東に入ってしばらく進むと、低い丘を下りたところの右側に土手。

これが城塁らしい。

埼玉の羽尾城への道、丘陵地帯


道端に、小さな説明板も立っていた。

羽尾城跡の縄張りと土塁


この少し手前からも入れそうだったが、道がいちど民家の庭に入っていそうだったので、ここから入るのは止めておいた。


登り口の位置(Googleマップで)

真冬とかならこの城塁をガサガサ登ってゆくのも良いかもしれないが、いまは🦟とかが最盛期の10月初旬。

少し東の方へ歩いてゆくと、道とまではいかないが丘の上に登れそうなところがあるので、そちらから登ることにした。

登った上は墓地やソーラーパネルが並ぶところ。

西の方へ進むと、左手後方からやってくる道にぶつかる。

羽尾城跡、土塁と空堀の風景


この道に出て少し西へ進むと、またまた左後方から道が登ってくる。

幅3メートルほどながら深く掘り込まれていて、右カーブを描いている。これが堀の跡らしい。

羽尾城跡の空堀と土塁


いまは麓から畑への道になっているらしく、底にわずかにコンクリ舗装が覗いている…

埼玉県 羽尾城跡への山道


堀の内側は完全な畑。

それだけでなく、南に傾いているようだ…

羽尾城跡の土手と畑


左側の森と畑の間を堀が走っている。

ここから西へ進むと、雑木と竹の混じる森の中。

道はやや凹みつつ左に緩いカーブを描いているが、これは堀ではないようだ。

埼玉県 羽尾城跡の竹林と土塁


すぐ左側に、立派な堀が連なっているのが見えている😮

幅4〜5メートルあって、向こう側が立派な土塁になっているのが見える。

羽尾城跡の土塁と林


この空堀の北側に道が隣り合い、さらに幅数十メートルの平坦な空間があって道路脇の斜面、という配置になっている。

道路脇の斜面すぐ上を城でなく一定の空間を取ったのは、どういう意図なのだろうか…🤔

この空間も曲輪にしていた…?


さて、慌てて堀の中に踏み込まなくても、すぐ先に空堀、土塁を一気にぶち抜いて曲輪に入れる切れ目がある。

羽尾城跡の堀と土塁


堀の断面は、ここからキレイに見える✨

羽尾城跡の空堀と土塁


シロオニタケがデッカイ傘を広げてやがる…

シロオニタケと森の小道


奥の土塁も、今は高さ1メートルほどが残るばかりだが、立派なもの✨

羽尾城跡の空堀と土塁


中の曲輪は、この土塁空堀コンボにしっかり守られているようだった。

しかし、少し先から特濃のササヤブ…

これは、突っ込んでもしょうがない…💦

竹林と枯葉の地面


道を戻って、ソーラーパネルの前から場外へ出た。

城は南側に30メートルばかりの幅を持っていたとのことだが、そちら側へ入る術は無い。

丘はもっと南まで続いているようなので、そちらに城塁の跡みたいなのが見えるか入ってみたが、緩やかに立ち上がる斜面が見えただけだった…

堀のようなものが出てきているように見えた場所もあったが…

羽尾城跡、土手と植生


けっきょく、いま我々が見ることができる遺構は、北側の土塁空堀コンボだけのようだった。

これが丘の端でなく少し間隔を空けて走っているところとか、南側の様子がまったく分からないとか、この土塁空堀コンボだけで城の全貌を掴むのは流石に高難度すぎるな…💦


こんな城で戦国時代を戦っていたのか…😨


★羽尾城

埼玉県比企郡滑川町

付近に車を停める場所は無い。周囲が畑や民家の庭に接しているので不法侵入にならぬよう要注意。

平山城?

 

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(2025年10月15日 記)