トップページ 都道府県別索引へ 群馬県の索引へ


峯山城は上信越道吉井ICの北東1km強、北に向かって突き出した台地先端にあった。南の方に入野中学校があって畑の広がる台地だが、遺構らしいものはほとんど残っていない。地形で城の残り香を偲べるぐらいのところ。

文明七年(1475年)に山内上杉氏家臣の富田吉次により築かれたとか。詳しいことは不明、調査なども行われていないとのこと。


神流川沿いの真下城を首尾よく収めたが、雨が降ってきたので他の山城は諦めて吉井のほうにやって来て、このあたりの城を回ることにした。最初にここと矢田陣屋を見に行こうと思って矢田公園の駐車場に入ったが、疲れが来て夕方近くまで眠ってから出発…😅


入野中学校の横を通って、畑や太陽光発電所などの中を北上してゆく。

峯山城への道:畑と雑草、電柱


やがて道が終点になったあたりが、Googleマップで城とされているところ。

この左側の奥が城となっているが、このあたりは周りから一段下がった堀のようなところ。

峯山城跡の入口、広場と茂る木々


この右側は一段高くなっていて、堀のようなものが出てきている感じ。

しかし、カナムグラとかのヤブが猛烈で、とても足を踏み入れる気になれない…

峯山城址:茂みと緑の台地


左側がマップで城のピンが打たれている方だが、緑の帯の右側がコンクリの小屋みたいなやつ…

峯山城跡:緑の畑と建物


しかし、その奥の広がっている主郭らしい手前で細くなっているのが、如何にも虎口のように見えるところ。

峯山城跡、広大な緑地と竹林


南側から迫り出してきた段。

峯山城跡の緑豊かな台地


その奥の、だだっ広い緑の平原が主郭らしい。

丘の西側を占める、ちゃんとした曲輪のようだ。

峯山城跡の広大な草地と竹林


その西の縁は段丘崖のようだが、猛烈なヤブで見ることはムリそう…

けっきょく最後に下から突っ込んだんだが…😅

 

これ以上探索しても何も見つけられなそうな感じなので、主郭周りはここまでにして東から登ってくるという大手のほうへ行ってみる。

道はコンクリ舗装されているが、周りは完全な畑。城はどこ行った?のような雰囲気…

畑とネギ畑の間を行く道


やがて畑を抜けると左カーブしつつ下り始める。

ヤブでトンネルのようになっている🥶

ヤブを慎重に覗き込んでみると、この道は周りより少しだけ掘り下げられているようで、大手道の面影がわずかながら残っているのか…?

ヤブに覆われた峯山城の小道


道は小さな墓地の横を通って、あとは直線的に麓まで下っていた。

ここは両側のヤブも同じくらいの高さに広がっていて、掘り下げられているわけではないらしい…

竹林と草に覆われた道


けっきょく城らしいものはあまり見ることができなかった。

悔しいので、矢田公園の駐車場に戻るまでの道の脇に続く段丘崖に、何か残っていないか探ってみた。

途中にソーラーパネルのあるあたり…

太陽光パネルと竹林のある道


少し上の斜面は、ふつうの土のやつ…

峯山城跡、自然が残る斜面


このあたりから、ヤブに突っ込んで段丘崖のようすを見てみる。

思ったより道から離れていて、45°弱の斜面になっている。城塁の雰囲気あるなぁ😮

竹林の薄暗い山道


道のすぐ脇あたりに広がる平坦地…

帯曲輪に見えてしまう💦

竹林の地面と竹の幹


主郭の南端あたりの下を中心に数十メートル探索したが、竪堀とか竪土塁とかの遺構らしい痕跡は全く無かった…

上の方の斜面が、やけに緩やか…🤔

竹林の風景


というような感じで、部分的に城かと思わせるものも見えたが、全貌が掴めたような気にはなれなかった。

こういう城は縄張図と比較しながら見て回るのが面白いので、手に入れたら採点してみるか…😂


★峯山城

群馬県高崎市吉井町石神

西の谷戸の矢田公園に駐車場があるが、城までは入野中学校の方から回り込みになり遠い。

丘城?

 

トップページ 都道府県別索引へ 群馬県の索引へ

 

(2025年10月28日 記)

トップページ 都道府県別索引へ 埼玉県の索引へ

 

埼玉県の中央部、東松山市から小川町にかけての丘陵地帯にはたくさんの城跡が眠っていて、密集地帯になっている。

このうち松山城(東松山市)、菅谷館、小倉城、杉山城(嵐山町)が『比企城郭跡群』として国の史跡になっている。この4城は別格なのかもしれないが、遺構が今も残っている城だけで見ても4つどころではない。遺構が失われたものまで数えると70ほどにもなるらしいが、パッと思いつくだけでもこれだけある。


・松山城 東松山市 ※国史跡

・青鳥城 東松山市

羽尾城 滑川町

谷城 滑川町

山田城 滑川町 ※武蔵丘陵森林公園内

山崎城 滑川町 ※武蔵丘陵森林公園内

大蔵館 嵐山町

・菅谷館 嵐山町 ※国史跡

・小倉城 嵐山町 ※国史跡

・杉山城 嵐山町 ※国史跡 ※続日本100名城

三門館 嵐山町

・泉福寺砦 嵐山町

青山城 小川町

中城 小川町

・腰越城 小川町

高谷砦 小川町

・高見城 小川町

太字はヤブや危険箇所などが少なく、遺構が立派なオススメ城。どれも記事ねぇのか❗️というツッコミは却下😎


城のアイコン色

・橙色 国指定史跡、続日本100名城(杉山城)

・赤色 国指定史跡

・紫色 経路が整備され遺構も見やすい

・青色 経路はあるが整備はラフ。不法侵入注意も

・緑色 未整備でヤブが濃い等、初心者には厳しい


国の史跡になっている4城や森林公園内の2城、さらには腰越城は遊歩道や案内などが各所に整備され、中世山城のありようを余すことなく見せてくれている。いっぽうで国道254号バイパス沿いの高谷砦などは雑木林や竹ヤブの中に忘れられたようになっているし、遺構はくっきり残っていても杉山城や山田城などのように謎を残す城もある。

長らく後北条氏の典型的な城と見なされてきた杉山城が、発掘調査ではより前の時代の物しか出て来なかったことで山内上杉氏時代の城と考えざるを得なくなり、主に縄張り研究の点でこれまでの描像が大きく揺らいだ『杉山城問題』が最たるものか。

杉山城、馬出郭と堀

午後の杉山城、馬出郭と堀  2019年1月20日撮影


埼玉県の城跡、腰越城の横堀
山田城、北の虎口脇には二重堀  2025年9月23日撮影

埼玉県の城跡、林の中の堀

小川町の高谷砦、中央部の堀を渡る土橋
2022年12月24日撮影


個性ある城たち


『比企城郭跡群』というから下総・上総境目の城たちのように特定の時代とか氏族の城がかたまっているのかと思ったら、けっこう城ごとに特徴の違いがあるようで、いろいろな来歴を持つ城がこの地域に集中したような感じに見える。

国史跡になっているうちの杉山城、小倉城、松山城、指定から漏れたうちでは青山城、腰越城などは複数の曲輪を持つ本格的な山城で、堀切や横堀などを縦横に廻らしているほか小倉城には石積もある。

いっぽうで、森林公園の東隣に構える谷城は尾根の末端にあってさほど大きくない2本の堀で区画しているだけで切岸加工も甘い感じ。このような素朴な城さらには未完成と思われるものもある。

年代についてはよく分からないところも多いが、源平合戦ごろの御家人の館と伝わる三門館から戦国時代末期に築かれるも未完成だったといわれる山田城まで、中世の広い年代に及んでいるらしい。ただ遺構を見る限りでは伝説が残るよりも後に改修されたものもありそうな感じがする。

腰越城の横堀と土橋

小川町、腰越城の横堀  2019年4月7日撮影

杉山城の馬出郭と堀

嵐山町の三門館、西の尾根上の横堀
2022年11月27日撮影


竹林と枯葉が広がる山道

滑川町の谷城、尾根続きを断ち切る堀 
2025年10月5日撮影


見学・探索について


十分に首都圏、電車でも気軽に訪問できる地域にあって、いくつかの城は駅からの徒歩圏内にもある。しかし杉山城をはじめ多くの城は駅から徒歩ではかなり強行軍になるので、車での訪問が必須になるだろう。

国指定史跡や武蔵丘陵森林公園内の2城などは見学用の遊歩道などが整備されている。ただし小川町の腰越城などは西端の土取りされたらしいところが絶壁になって滑落の危険があり、そうでなくてもルートを外れればリスクが生じるのは登山と同じ。

小規模な城では、高谷砦や谷城のように登城経路がよく分からないところや、羽尾城や三門館などのように民家の庭や畑などと隣り合わせで踏み込みようによってはトラブルに発展しかねないところもある。

人の生活の近くにある城が多いので、騒いだり荒らしたりしないなどの注意は他の地域以上に必要だろう。

 

トップページ 都道府県別索引へ 埼玉県の索引へ

 

(2025年10月23日 記)

トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引へ


道場台城は成田市の南西の方、いまは干拓されて水田地帯になった印旛沼に面した丘の上にある。沼と反対側の谷戸を挟んで鷺山城(公津城)があって、位置的に支城らしいと思われるとか。

歴史はまったく分かっていないとのこと。


京成線宗吾参道駅チカの岩橋城(下岩橋城)に登ってから宗吾霊堂の前を通って鷺山城に行くつもりだったが、ここは民家の庭の中を通り抜けて行かなければならず、無人だったうえに奥の方に重機も見えたので取りやめた。代わりに登れそうな城がないか探してみたら谷戸の反対側にこの城があったので行ってみた、という次第😅


現在位置(Googleマップで)

鷺山城の前を通る道から望む、城のあるい丘。

こんもり盛り上がって、いかにも城がありそうな雰囲気…

道場台城:緑の田んぼと森に囲まれた丘


ここから、まずは山の中にある西光寺を目指す。

コンクリ舗装された狭い車道が登っている。

道場台城への竹林道、落ち葉多し


途中、左カーブを描くところの正面から、堀のようなものが入り込んでいるところがあった。

道場台城の堀跡のような地形


何しろ縄張図が無いので、このときは城の遺構なのか違うのか分からなかった…

この堀状はすぐ先で急斜面に塞がれて終わっていたが、その上には西光寺への道が通っており、これを通すときに埋められたのかも…


さて、この堀状の北側には、斜面の途中に段が見える。

そこへも登って見てきたが、ごく小さな曲輪に見えなくもない、という微妙な感じのやつだった…

土管が突き出てる…

道場台城の遺構、土管と竹林


が、背後の急斜面はそそり立つような威圧感がある。

城塁にふさわしいやつ✨

道場台城の山林(堀状の遺構)


丘の上全体が城だとすれば、これは東側を守る立派な切岸で、堀は往時の登城道の一部だったということになるのだろうが…

何しろシロウトなもんで…😅


さて、コンクリ道へ戻ってさらに登っていき、右に急カーブを描くと間もなく丘の上に出る。

いかにも虎口のようなところ…

道場台城の堀状の跡


さっきの堀状は、この虎口みたいなところのすぐ手前に登ってきていたようだが、埋められたようだった…


登ったところは、寺の駐車場のようだった。

境内は北の方に続いていて、丘の上はかなり広い平坦地のようだ😮

道場台城墓地入口の石柱


向こう側からも、竪堀のような道が登ってきている。

道場台城の谷戸の堀跡


この道は下の方で民家の庭などに出そうな雰囲気で、ここから退城することは出来なそう。

で、その左右が土塁のように膨らんでいる😮

墓石のある緑豊かな斜面


右側の膨らみはすぐに墓地になって終わるが、その向こうに大きな塚が盛り上がっているのが見える😮

道場台城:石塔と草に覆われた丘


これらが一続きの土塁だったとしたら、そうとうにデカかったことになるが、これを見ただけでは分からんな…🤔


さて、登ってきた道は丘の上の北の方にも伸びていたので入ってみたが、すぐに終わって🌿🌿な平坦地になる。

西光寺のほうから、土塁や空堀などの区画するものが何も無く、平坦な曲輪が続いているようだ。

道場台城の雑木林と竹林


ついには、竹ヤブに…

竹林の茂る道場台城跡


東側の端へ寄ってみると、縁は小さな土塁のような凸で守られているようだ。

内側には浅い空堀状が沿っている…

竹林の風景


外の斜面は、それなりの傾斜だが麓までまっすぐ落ちているようだ。

道場台城の竹林


城と関係がありそうに見えたのはこれだけで、ホントにだだっ広い平坦地だった。

急斜面に囲まれた守りやすい丘だったが、全体を一つの曲輪にした城だったのか、どこかの時点で開発などにより土木の跡が崩されたのか、よく分からなかった…

 

★道場台城

千葉県成田市下方

西光寺の駐車場に停めておけるがアプローチ道が狭くて急坂。

山城

 

トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引へ

 

(2025年10月24日 記)

トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引へ


京成線宗吾参道駅から西の程近いところにある岩橋城は、谷戸が入り組んで細い稜線になった丘の上を占めている。宗吾霊堂からも徒歩圏内だが周辺は鄙びた集落。

このあたりは千葉一族の当主だった千葉輔胤の所領があったところで、この城もかれが築いたと考えられるが歴史は不明、というところらしい。


京成本線に乗ってこのあたりの城を徒歩で回ったこの日、大佐倉駅チカの花輪台城に続いて2つ目だった。小雨降る中の京成酒々井―宗吾参道と二駅分の徒歩が何気に長い…🥵


現在位置(Googleマップで)

城への登り口は、北側にある。

民家の隣から舗装された細い道が、城に向かって入っている。ここを進む。


この道は麓の墓地へ行くための道で、墓地まで着くと終わってしまう。

ここは左前方に踏跡らしいものが登っているので、そちらへ。


この踏跡も城から東南東に降りてくる尾根に出ると消えてしまうので、あとは右に折れて高いほう高いほうへと登ってゆく。


登り始めるとすぐ、堡塁のようにも見える六畳一間ぐらいの平場が現れる。

遺構なのかどうなのか、めちゃくちゃ微妙…

もう上の方にピークらしいところが見えている。

そこまで登ってゆくと、明らかに上が平坦になった急斜面が目の前に立ちはだかる。


右側を見ると、ごく細い竪堀のようなものが登ってきている。


それに、よ〜く見ると土塁の下がやや平坦っぽくなっている。

虎口前の馬出的な空間だったのだろうか…?


この斜面はどこでも登れそうだが、踏跡らしいものがあるので辿ってゆくと、土塁の一部を切り取ったようなところを越えるようになっている。

ここは虎口か?


両側の土塁は、高さ1メートル弱ある。

左右とも大きな木が生えているが、なかなか立派な土塁のようだ✨


そして、郭内はこんなん😂

地面は見えるが、けっこうな🌿🌿


しかし、虎口周辺以外も土塁で守っているようだ😮

これは虎口から西へ続く土塁で、高さは1メートルあるか無いか。


🌿🌿かき分けつつ反対側までゆくと、その高さは人の背丈ほどもあった😮


天端も幅2メートルぐらいある。

右側が郭内。明らかに虎口まわりより立派。

そして、外側へ落ちる斜面が素晴らしい✨

切岸加工されてはいるのだろうが、周りが急でピークが平坦な、いい地山を選んだというところか…


ここから見下ろす主郭。

これが結構広く、ソフトボールが出来るか出来ないか、というぐらいある。

全体は南北に細長い楕円のような形らしい。


さて、城の北端へ行くと、端のほうに土塁空堀コンボで仕切られた空間があった。

空堀、土塁の順で並んでいて、この空間の方を守っているような感じ。めっちゃ分からん😂


空堀は用水路ぐらいの微かなやつ…

空間はバドミントンコートより狭い矩形。


そして、外側の土塁が一段と高くなっている😮

見るからに重要な場所の雰囲気。


これで城は終わりと思ったが、ふと土塁の外を見やると…


堀切あんのかい‼️🤯


しかも、これまで見てきたような土塁とかの比ではないぐらいデカい。

底は5メートルぐらい下だろう。


西の方は側壁がえらい急傾斜で降りられそうにないが、東の方はわりと緩め。ここから底に降りてみる。

🌿🌿が多くて見づらいが、東側。


真ん中あたりに倒木が横たわっていて、西側はいっそう見通しづらい💦

それでも急傾斜で下っているようすは見える。道などが通り抜けていたのではなさそう。


この堀切から外は、いまは車道の堀割で分断されているが往時は宗吾霊堂方面から尾根続きだったようだ。

この尾根伝いからの侵入を警戒していたのか?

 

大きな曲輪が一つだけのような城だったが、しっかりとした土塁に尾根バッサリの堀切と、攻めてくる外敵から守るものはハッキリ見えていた。

ここも戦乱の緊張感に晒されてようだった…

 

★岩橋城(下岩橋城)

千葉県印旛郡酒々井町下岩橋

周囲に車を停める場所が無い。京成線宗吾参道駅から徒歩10分。車利用時は駅前のコイパー利用。

山城

 

トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引へ

 

(2025年10月23日 記)

トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引へ

 

花輪台城は京成線大佐倉駅のすぐ近く、北東400メートルほどの丘の北端にある。

歴史などは不明なようだが、東側の麓に千葉勝胤が享禄五年(1532年)に開基した勝胤寺があること、千葉一族の本拠地だった大佐倉城から北に続く丘の末端にあることなどから、本佐倉城の支城らしいとされているとか。この丘の南西側には複数の古墳を含む大佐倉花輪台遺跡がある。


朝から降りつ降らずみの空模様、だいぶ気温は下がってきたが蒸し暑さの残っていたこの日、大佐倉駅から歩いて訪問した。


大佐倉駅はわりと鄙びたところで、成田寄りの出口から西、そして北へと進む。

現地に案内などは全く無く、通り沿いに民家が並んでいて城の方への道が細いので、入口がじつに分かりにくい。

この小さな辻(→Googleマップで表示)から東に入って、まずは住善寺の前まで行く。


住善寺の先で車道は終点、突き当たりになっていて正面は草原になる。

左は民家の庭に入ってゆくので、ここは右の🌿🌿の道へ。

花輪台城への道、黄色い花咲く緑地


ここから、クズとセイタカアワダチソウに覆い尽くされたようなヤブの中を通る道になり、左へ右へと折れながら進んでゆく。

千葉県の花輪台城への小道


途中、道の左側が一段下がっているのが見える。

この北側が浪人屋敷とのこと。

ここは堀だったか?

竹林と草で覆われた花輪台城跡の風景


倒竹の園😂主郭部


やがて道は、右側の森に覆われ丘のようなところの西側の裾に沿うように降りてゆく。

この丘が主郭部のようだ。

花輪台城への入口、草木が生い茂る小道


主郭部の南〜東の裾には立派な空堀が這っているとのことだったが、道からは全く見えなかった…

そこで、この城塁を登ってみることにした。


そうとうに濃いぃヤブだが、入れそうなところを探して凸入💨

中は濃密な竹ヤブで、すぐに高さ3メートルばかりの切岸になっている😮

竹林に覆われた古城跡の遺構


ここを登っていったら、土塁の上のようなところに出た。

主郭南側を守っている土塁のようだが、大きな木にゴチャゴチャ生えた竹で、もう何が何だか…💦

竹林と倒木に覆われた城跡


しかし、外側に目をやると…


深っ‼️🤯

竹林に覆われた城跡の入口


差し渡し10メートルぐらい、深さ5メートルぐらいはありそうな巨大な空堀が、土塁の裾を張っていた。

惜しいことに、濃密な竹ヤブに覆われて断面がよく見えないし、斜面が鋭角で堀底に降りるのもムリぽ…


今登ってきたところは、主郭南側の土塁が西の端で一段高くなった櫓台みたいな場所のようだ。

城内最高所でもあり、役目は天守台🏯…?

竹林の中の城跡


このあたりから、土塁内側の主郭を見下ろしてみる。

濃いぃ竹ヤブに倒竹が折り重なって、これぞボーソーの雰囲気…😂
倒竹と笹の茂る城跡の竹林

さて、土塁は主郭の南側を東へと伸びているので、もう少し先まで入ってみる。

天端が丸くなっているが結構広く、主郭から3メートルぐらい立ち上がっているところを見ると、往時はかなりの威容を誇っていたか✨

竹林の倒竹と落葉


このあたりで、外側の堀へ降りてみた。

城内側は3メートルぐらい立ち上がっているが、外側は人の背丈ぐらいしかない。

竹林の様子


東の方ではぐんと広がって、丘の端まで続いているようだ。

倒竹と竹林の風景


堀が丘の東へ降りてゆくあたりで土塁も高度を下げてゆき、ついには終わってしまった。

東の外側は、一段下に曲輪があるようだ。

竹林の倒木と竹の道


さて、壮絶なまでの倒竹に覆われて、降りる気が失せるような主郭…

腐った倒竹が折り重なって空中を渡っているのを踏み抜いたりすると危ないので、慎重に避けながら主郭へ。

広さはよく分からないが、テニスコートを細くしたぐらいか?

削平はそれなりにキチンとしているようだ。

倒竹と竹林の景色


北側の奥に見える高まりとの間に、堀のように凹んだ空間が広がる。

ここも主郭と同じぐらいはある。

竹林に倒木が散乱している様子


間はしっかりと切岸加工されたらしい段で、3メートルぐらいの高さ。

倒竹に覆われた竹林の風景


ここから北側の高まりへ登ってゆくのだが…

高さはそんなにないが、この通りの倒竹の折り重なりよう…💦

倒竹の竹林と枯れ木


西の端が緩やかに下ってくる尾根のようになっていたので、そこから登った。

一段登った途中に帯曲輪があるか?

倒竹と竹林のある風景


上の曲輪は、主郭とちがって凸凹があるようだ…

倒竹と竹林の景観


曲輪をくまなく見て回ろうとすればもう少し奥があるのだが、🦟が盛んに飛び回っている、こんな濃いぃ竹ヤブは流石にもうウンザリ…

虫除けスプレー忘れて🦟に食われ放題だったこの日…😂


というわけで、退城することにした。


壮麗なる竪堀状通路


出たところの裾にはアプローチのときに通ってきた道の続きが通っていた。

実際には手前で二又になっていて、もう片方は浪人屋敷の中心部の方へ向かっているようだった。
竹林の獣道と草地

宗吾霊堂のほうにある岩橋城に向かおうと思って、来た方とは逆の北へ向かって進んでいったが、少し先でヤブが濃さを増してきた💦

何とか進んでゆくと、道が次第に竪堀状になって下ってゆく…😮

花輪台城の竹林の小道


さらに進むと完全な堀底道に変わり、左へカクンと折れ…😮

倒竹と竹林に覆われた竪堀状通路


その先は、一直線の竪堀状になって下っていた。

ビックリするぐらい立派✨

竹林に覆われた深堀


往々にしてこういう道は民家の庭に出てしまって入退城には利用できないことも多いのだが、この堀底道からはちゃんと退城出来た🙌

千葉の花輪台城への道


入る際はここ(→Googleマップで)から枝道に入り、民家の庭に入ってゆく直前で左側に薬研の断面が見えてくるので、そちらへ入って行けば良い。


けっきょく見ることができたのは主郭の周りだけで、西に広がる浪人屋敷も東側の麓にある勝胤寺も見ることが出来なかった。

それでも主郭部と南側を守る堀、そして壮麗な竪堀状通路などから往時の姿を妄想することは出来た。堀から北側の丘全体を占めるかなり広い城だったか…? 

 

★花輪台城

千葉県佐倉市大佐倉

大佐倉駅前も含めて周囲に車を停める場所無い。大佐倉駅から徒歩が無難。

平山城

 

トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引へ

 

(2025年10月22日 記)