埼玉県の中央部、東松山市から小川町にかけての丘陵地帯にはたくさんの城跡が眠っていて、密集地帯になっている。
このうち松山城(東松山市)、菅谷館、小倉城、杉山城(嵐山町)が『比企城郭跡群』として国の史跡になっている。この4城は別格なのかもしれないが、遺構が今も残っている城だけで見ても4つどころではない。遺構が失われたものまで数えると70ほどにもなるらしいが、パッと思いつくだけでもこれだけある。
・松山城 東松山市 ※国史跡
・青鳥城 東松山市
・羽尾城 滑川町
・谷城 滑川町
・山田城 滑川町 ※武蔵丘陵森林公園内
・山崎城 滑川町 ※武蔵丘陵森林公園内
・大蔵館 嵐山町
・菅谷館 嵐山町 ※国史跡
・小倉城 嵐山町 ※国史跡
・杉山城 嵐山町 ※国史跡 ※続日本100名城
・三門館 嵐山町
・泉福寺砦 嵐山町
・青山城 小川町
・中城 小川町
・腰越城 小川町
・高谷砦 小川町
・高見城 小川町
太字はヤブや危険箇所などが少なく、遺構が立派なオススメ城。どれも記事ねぇのか❗️というツッコミは却下😎
城のアイコン色
・橙色 国指定史跡、続日本100名城(杉山城)
・赤色 国指定史跡
・紫色 経路が整備され遺構も見やすい
・青色 経路はあるが整備はラフ。不法侵入注意も
・緑色 未整備でヤブが濃い等、初心者には厳しい
国の史跡になっている4城や森林公園内の2城、さらには腰越城は遊歩道や案内などが各所に整備され、中世山城のありようを余すことなく見せてくれている。いっぽうで国道254号バイパス沿いの高谷砦などは雑木林や竹ヤブの中に忘れられたようになっているし、遺構はくっきり残っていても杉山城や山田城などのように謎を残す城もある。
長らく後北条氏の典型的な城と見なされてきた杉山城が、発掘調査ではより前の時代の物しか出て来なかったことで山内上杉氏時代の城と考えざるを得なくなり、主に縄張り研究の点でこれまでの描像が大きく揺らいだ『杉山城問題』が最たるものか。
個性ある城たち
『比企城郭跡群』というから下総・上総境目の城たちのように特定の時代とか氏族の城がかたまっているのかと思ったら、けっこう城ごとに特徴の違いがあるようで、いろいろな来歴を持つ城がこの地域に集中したような感じに見える。
国史跡になっているうちの杉山城、小倉城、松山城、指定から漏れたうちでは青山城、腰越城などは複数の曲輪を持つ本格的な山城で、堀切や横堀などを縦横に廻らしているほか小倉城には石積もある。
いっぽうで、森林公園の東隣に構える谷城は尾根の末端にあってさほど大きくない2本の堀で区画しているだけで切岸加工も甘い感じ。このような素朴な城さらには未完成と思われるものもある。
年代についてはよく分からないところも多いが、源平合戦ごろの御家人の館と伝わる三門館から戦国時代末期に築かれるも未完成だったといわれる山田城まで、中世の広い年代に及んでいるらしい。ただ遺構を見る限りでは伝説が残るよりも後に改修されたものもありそうな感じがする。
見学・探索について
十分に首都圏、電車でも気軽に訪問できる地域にあって、いくつかの城は駅からの徒歩圏内にもある。しかし杉山城をはじめ多くの城は駅から徒歩ではかなり強行軍になるので、車での訪問が必須になるだろう。
国指定史跡や武蔵丘陵森林公園内の2城などは見学用の遊歩道などが整備されている。ただし小川町の腰越城などは西端の土取りされたらしいところが絶壁になって滑落の危険があり、そうでなくてもルートを外れればリスクが生じるのは登山と同じ。
小規模な城では、高谷砦や谷城のように登城経路がよく分からないところや、羽尾城や三門館などのように民家の庭や畑などと隣り合わせで踏み込みようによってはトラブルに発展しかねないところもある。
人の生活の近くにある城が多いので、騒いだり荒らしたりしないなどの注意は他の地域以上に必要だろう。
(2025年10月23日 記)




