苅野丸山城は足柄峠に登る県道78号から狩川を南に渡った尾根の末端にある。
後北条氏の重臣松田氏の居城であったが、そう思えないほど規模が小さいとの見解がネット上では多く見られた。
実際はどんなもんか、と思って探索開始💨
車でも入れるが、入ってしまうと停める場所がない…
杉の落ち葉が積もる細い林道を進み、左へのT字路を過ぎて少しの下り坂で、左上に登って森へ入ってゆく小径が現れる。
案内などは全く無いが、ここへ入ってゆく。
最初は細いが、すぐに平らな尾根に出る。
ここから振り返ると、登ってきた道の左手に見えていた高台が、侵入者を迎え撃つ出曲輪のようにも見える…
ここから、もう城域だったのか…?😨
主郭は、平らな斜面の上の方に見えてくる廃屋の上になる。
踏跡は微かだが、まっすぐに登っていけば良いので迷うことはない。
あまり喜び過ぎて、登りきる直前にある井戸に落ちないように⚠
てっぺんには、何もない植林の削平地があった。これが主郭らしい。
広さは野球の内野ぐらいか。
周囲には土塁も何もない…
さて、この城の最大の見どころは、この何もないピークから南に落ちる2本の竪堀だという…
さっそく、南の方に行ってみると…
たしかに…🤯
2本あるうちの西側のやつは、最上部がT字型になっていて、その真ん中から落ちている。
このT字、枡形虎口に見えなくもない…?😮
下から見ると、正面に壁が立ちふさがっているかのよう…
角度を変えて…
東側のやつは、まっすぐ突き上げて来ている。
曲輪に直接突き上げているのではなく、間に段郭にも見える空間を挟んでいる。
だいぶ大人しくなって、削平されているかどうかも怪しい見た目だけど…
両方とも、巾7〜8メートル、今の深さが3メートルぐらいで、かなりしっかり掘られている。
2本の間には土塁。
ただ掘っただけではなく、特に西側の外側にはちゃんと土塁が盛られていて、少なくとも人工的な土木遺構であることを教えてくれる。
西側の竪堀を降りてゆくと、50メートルほどのところで木が倒れ込んできている。
このあたりから2本とも細くなり中央の土塁も消えるが、竪堀自体はまだ下に降りているようだ。
灌木がパラパラと生える斜面だが西側の条に沿ってゆくようにすると降りやすい。
さらに進むと、下の方に明るい削平地が見えてくる。
曲輪のようだな…
このあたりから降りてきた竪堀を見ると…
なんか、ウネウネっぽく見えない?🥰
下まで降りると、そこは東西がやや長い曲輪だった。
ただ、だいぶ外傾している…
下に、もう一段くっついている。
曲輪の西の端は狭くなりつつ、少し高くなっている。
軽空母のジャンプ台のような感じ…😮
その先端を回り込むように、巾1メートルもないような細い空堀状が😮
下から見上げる。
ワタシには下から登ってきて、回り込んで曲輪に入ってゆく虎口のように見えたんだが…
どうかな…?🙄
隣には電気柵もあるし、入れるのはこのぐらいまでかなぁ…
山上の広い曲輪と麓の居館っぽい曲輪群、それらを結ぶ2本の竪堀がこの城の全てで、たしかに後北条氏の重臣の城にしては規模が小さいように思えた。
足柄城や山中城など重要拠点になる城は重厚堅固に築いていたが、家臣たちの居城とか家屋敷とかは質素だった、ということなのかな…?🤔
★苅野丸山城
神奈川県南足柄市苅野
車を停めるスペースが無い。
山城
(2024年3月1日 記)