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鳥坂城につづいて、田切のような車道を挟んで東隣の浅井城へ💨

こちらも歴史などは全く不明らしく、鳥坂城と一城別郭なのか等も分かっていないようす。


鳥坂城は土剥き出しの土壁に守られていたが、浅井城は緑のオブラートに包まれているか。

こんもり盛り上がった小山のような感じ。

浅井城:田園と住宅地の奥に緑の山々が広がる風景


じっさい、緑の中にひそんでいる斜面も鳥坂城ほど垂直ではないようす。

城への登り口は、西側を降りてゆく道沿いにある。

小さな墓地が二つあるので、上のほうの脇から上へ登ってゆく道がある。

見るからに城塁💓

緑に覆われた浅井城の土塁と石垣


上は畑のようにも見えるので、入るのも慎重になる。

一部以外は耕作されていない草地になっていた。

木の下に石龕が立っていた。

浅井城跡の石龕と緑の山並み


ここから西側を降りてゆく道を見おろしてみる。

鳥坂城の段丘崖には及ばないが、なかなかに鋭い切岸だったらしい✨

浅井城の緑に覆われた土塁と墓地


奥が一段高くなっていて、南へ伸びている。

浅井城の草地と土塁


そして、南の方森の中に入ってゆき、さらに一段高くなっているようだ😮

そして、登ってゆく道のようなものも見える。

浅井城の緑に覆われた土塁


入っていって右側を見下ろすと、大きな竪堀状が抉られていた。

すごい大きさの断面だが、すぐ手前側で終わってしまうし、車道との間は高い土塁状で仕切られていて城外からは見えない。

浅井城の竪堀状の抉れ


そして、登った先の小ピークは、広さがアパート一室ぐらいのささやかな曲輪だった😮

この狭さなのに南北2段に分かれているようで、城が廃れた後に祠とかが祀られていたような感じがする…
浅井城の緑に覆われた小山と木々

その南側は、また一段低くなっている😮

浅井城:草木に覆われた山城跡


そして、東側には野球の内野ぐらいの広さがある曲輪は広がり、向こう側がまた盛り上がっている。

浅井城 曲輪 広場 草木生い茂る


ここはもともと畑だったような感じだが、いまは🌿🌿が生えるだけ。

それでも私有地なことは間違いないだろう。

 

向こう側の曲輪には5メートルぐらい登るみたいで、さっきの小ピークより高くて、しかも広そう。

浅井城の城壁に生い茂る草木


だが、斜面は完全な🌿🌿で、しかも前日の雨で地面が湿っていた。

浅井城の城塁、緑に覆われた斜面


夏休みの山城攻めでこれでもかと言うぐらい出会ったマム君🐍の姿が、頭をよぎる…

ここは冬季以外は危険と判断し、ここで撤収した💨

まぁ主要な曲輪の片方を押さえたので、十分。


鳥坂城そしてこの城も、現役の畑だったり隣り合っていたりして、訪問するのは微妙なところ。

生活の場の中に溶け込むような城あるあるで、やたらと踏み込むのは避けたほうが良さそうだった…

 

★浅井城

長野県佐久市新子田

城や集落内には車を停める場所が無い。城内には畑や墓地が多く、入城注意。

丘城

 

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(2025年9月19日 記)

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新幹線が停まる佐久平駅のあたりから県道44号を南東の方へ進んで5kmほど、右側の段丘崖のへりに鳥坂城、浅井城という2つの城跡が並んでいる。さらに東に同じくらい入った山中には志賀城があり、その前を流れてきた志賀川に北から香坂川が流れ込むあたり。これらの右岸側の段丘崖はほとんど垂直の土壁のところが多く、城を建てるに好都合だったろう。

どちらも歴史などは全く不明、いまは畑などになっていて余所者が気軽に見学できるような場所ではなく、城の存在を示す標柱なども全く無かった。


佐久平まわりの登らない城ばかり回ったこの日、街なかの東のほうに二つ並んだ小さめの城があるのを地図上で見つけて、城たくさん見れてイイわとばかりに乗り込んだ次第…😅

◯✕ホイホイみたく言うんじゃない!😮‍💨


現在位置(Googleマップで)

下に広がる志賀川・香坂川沿いからも、その威容を目にすることができる。

自然の段丘崖をそのまま(?)切岸に仕立てたのだから、最強な✨

断崖に囲まれた鳥坂城跡と田園風景


西側はもっとすごい😮

ホントに垂直な土壁が剥き出しになっている。

崖と黄色い田んぼ


直前に訪問した 今井城大井城といいこの城といい、このあたりの土は川の侵食を受けても容易に崩れず鋭いガケが残りやすいようで、その性質を余すことなく取り込んで効率よく守りを固めている感じだな…

 

城へ入るには、浅井城との間を通って南の田んぼの方へ降りてゆく道の途中から入るのがよい。

南東側から登ってくる事も出来るが、民家の庭先を通るような場所がある。

どちらにせよ、丘の上に出たら西へ西へと進んでゆく。

最後の民家の前で、舗装が終わって土の道に変わる。

鳥坂城跡への道と生垣


そのすぐ先、右側にいきなり横堀が現れる😮

鳥坂城跡の横堀と草地


入ってみると、台形を上下逆にしたような断面をしている。

だいぶ埋まったかな?

城跡の横堀と草地


じつは左側にも伸びていて、丘を横断し城の内外をしっかり切っているのだが、手前側に灌木が多くて奥の方が見えにくい…

畑と山並み、土塁跡の風景


かつては土橋とか虎口とかもあったのかも知れないけど、まったく分からなくなっている…

ともかくも、この日最初に訪問した今井城の堀と同じように、丘城の丘続きを仕切る堀として分かりやすいやつ✨

 

横堀を横断すれば城内に入る。

広大な曲輪が一つだけの、単純明快な城😂

草地と土の道、植え込み


中には畑が広がっているので道を外さないように歩いてゆくと、南西の隅のほうに出る。

このあたりの南側には土塁があったようにも見える…

鳥坂城跡の自然な切岸と雑木


で、その向こう側…

切岸の下が白く光ってる絵なんぞ、そう見られるもんじゃねぇわ🥶

断崖の上の木と田んぼ


残念ながら、西側の切岸に近寄れそうな場所は無かった。

冬季ならというところかも知れないが、基本的に郭内は畑なので、道以外のところには踏み込まないべきだろう。 


この日最初に訪問した今井城の主郭部分だけを取り出したような感じだったか…

 

この後は、隣の浅井城へ。

 

佐久 浅井城に続く)

 

★鳥坂城

長野県佐久市新子田

城や集落内には車を停める場所が無い。城内は畑なので道以外のところを荒らさないよう注意。

丘城

 

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(2025年9月19日 記)

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大井城は佐久市の中心地といえる岩村田地区の東のほう、湯川の右岸にできた段丘崖の上に築かれた城。黒岩城、王城、石並城という3つの曲輪が深い切通し状で仕切られている。一城別郭のような感じ。

周りがすっかり宅地化されて城内も公園や墓地になっているが、段丘崖はスッパリ切ったように垂直の土壁。民家に隣り合うように土壁などが見え隠れしている様子は、他ではなかなか見かけないだろう。

中世を通じてこの地に勢力のあった大井氏の宗家が居城としていた。建武二年(1335年)の中先代の乱では時の城主大井朝行が北朝方につき、南朝軍との戦いの末に城を落とされたこともあった。戦国時代に入ると佐久郡の伴野氏との戦いに敗れ、さらに文明十六年(1484年には村上政清の軍勢に城を落とされ一帯が灰燼に帰したという。その後は武田氏、徳川氏と変遷し、やがて廃城になったとのこと。

いまは黒岩城、王城が県指定史跡とのこと。


佐久から善光寺平方面を目指した遠征の2つ目も登らない城と思ってここにしたが、また駐車場探しで時間を食った😅


現在位置(Googleマップで)

佐久平や岩村田などから県道156号を湯川の方へ進んでゆくと、城域を突っ切って川の方へ降りてゆく。

その北側が、王城なる曲輪のあった王城公園。

法面はコンクリでガッツリ防護されている。


南側の黒岩城との間を通り抜ける県道。

往時から堀切のような感じで、県道を通すときに切り広げられたか?

 
ただ、これを見たら各曲輪の周囲に残っている段丘崖のようすなど想像もできないだろう…

まずは湯川沿いの平地に出て、南側の黒岩城の切岸が見えるところを探してみる…

城の面影が見えないか、住宅の間に目をやったりしてみるが、ビッシリ張り付いていてスキがなかなか無い💦

その端っこの方でわずかにガケが見えるところがあったが、完全な垂壁だった😨

 
これを見た時には、まさかこれがデフォだなんて思いもしなかったさ…

黒岩城は民家の庭に囲まれたようなところにあって、軒先を掠めて行かなければ入れないようすだったので、入らず。

諦めて王城公園へ。


完全な公園じゃんか王城😮


登道は、完全にコンクリで固められている。

けっこうな急坂だが、往時の登城道をもとにしたか?


登った上の曲輪には遊具が置かれて、マレットゴルフ場もつくられている。

完全に公園の装い😂


しかし、入口脇に立派な説明板が立っている😮

 
県史跡は南のほうの黒岩城、王城だけで石並城は除外か…

郭内は園路が敷かれたり自由広場みたいなのがあったり、入母屋破風の あずまやが建てられたりして、やっぱり公園の装い。


奥の方に、県の天然記念物という『王城のケヤキ』が😮

柵されて入れないが数人で抱えるような大木で、周りにたくさんの祠などが立てられて大切に守られているようだ✨


切岸も柵されて入れず、樹林に囲まれて展望も無し…

カメラを突き出して切岸をなんとか撮るが、もとが段丘崖だけにそうとうな急傾斜のようす😨


これでも立派に城の守りになりそうだが、こんな普通の山に毛の生えたような斜面からは、下の様子は想像もできなかった…😨


何だこの土壁は🤯石並城との堀切


さて、次は北側を占める石並城💨

ここへは王城から一回出なければ行けない。

先ほどの急坂の登り口の北隣には石段の登り口もあって、ここには鳥居が立っていた。

さっきのケヤキがご神体なのだろう⛩️


細い道へ降りて北へ向かう。

道はだんだん田切のように切れ込んでいき、北の方に見えてきた石並城らしい土壁との間に大きな堀切状になってくる😮


王城も石並城も、スッパリ切ったような垂直の土壁になっている。

石並城側


そして、道は堀切のように穿たれた切通しを通り抜けているが、その右側に大きなU字型を描いているのが、本来の田切だったのだろうか。

城を築いたときに加工はされたかも知れないけど、堀切として一から掘削したものにしては大きすぎるだろう…


そして、王城側の土壁もスゴイのだ😮

これは登れん😨


こういうのを見ていると、城の防御の基本は切岸で、出入口になる虎口はガッチリ作らないとそこが弱点になる、というのが実感できるような気がする。

徒立ちとか騎兵とかの時代なら、かな…?😅


石並城の堀サン、どこ〜?🥺


さて、ここからは石並の西側に沿って横堀が伸びているようなのだが、ちょっと🌿🌿で入り込んでゆくのはムリそうだった。

仕方なく、西の方の円満寺の前を通って北側へ回り込んでみる。

円満寺の門


ここから、城の北側を通り抜ける切通しに出る。


この切通し、中に入ると両側が土壁のスゴイ有様になる🤯

後世に掘り下げられたりしたんだろうけど…

これ見てたら、房総土気城のクラン坂を思い出した…

あれと同じように空堀を兼ねてたのかな…?

 

 
ここを抜けた先の南側には、城の東側を構成する段丘崖が続いているが、森が深いうえに土壁というほどではないものの急傾斜で、写真をまともに撮れるところまで踏み込めなかった😅
仕方なく、上の曲輪へ。

石並城の上はほぼ全体が墓地になっていて、かなりの広さがある。

もともと段丘崖だっただけあって、湯川に面した東側の切岸も鋭い✨


南の方へ入ってゆくと、広い平坦地があった。

ただ、ここは畑になっていて、トラロープで規制されている…


墓地の中を通ってきた道も、畑の中へ入ってゆくだけだった。


けっきょく、石並城の西側、丘続きを切っていた横堀に出会うことは出来なかった😢

が、ひょっとして道端のこのササヤブ(Googleマップで表示)がそうなのか?🤔


これ、住宅地から堀の脇まで入って行ける道がないから、ムリだわな😂


遺構はそこそこ残っていそうだが、曲輪はガッツリ公園などにされ、周りは市街化の波を受けアプローチを塞がれているような状態だった。

戦国時代の前まで大井氏が足跡を刻んだ場所だし、城が味わってきた緊張感がひしひしという場所だけに、今残っている遺構だけでも何とか後世に、と切に思った。

 

★大井城

長野県佐久市岩村田

王城公園には駐車場が無いので近くの駐車場などを探して徒歩。

丘城

 

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(2025年9月18日 記)

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今井城は北陸新幹線の通る佐久平駅あたりから南に4kmほど、中部横断道が千曲川を渡る北岸の東隣にある。今井の集落が北に隣り合っていて、千曲川と北東方向から流れ込む小さな谷沿いに出来た段丘崖の突端を占めている。

木曽義仲の家臣今井四郎兼平の居城という見方があるが、もっと後世のものとの考え方もあるとのこと。けっきょく歴史はよく分かっていないらしい。


この日は三連休の初日だが秋雨前線が降りてきて降りつ降らずみ、前線の影響が少なそうな場所を見極めて佐久〜長野方面に行くことにしたが、結局ほとんど意味はなかった😅

この遠征の初っ端に訪問。


千曲川沿いの東電の調整池を西の方までゆくと、南側の切岸を下から眺めることができる。

もっとも、切岸そのものは深い森の中に隠されて見えないが…💦


城に入るには、調整池の裏側から丘へ登り、すぐの道を左へ入って集落の中へ進む。

このあたりに車を停める場所はないので、調整池脇の公園駐車場などに置いて歩いてゆくのが良い。


現在位置(Googleマップで)

集落の中、城の方に入ってゆくところに、なんと入口の道標が🤯

ここから、左へと入ってゆく。


住宅地の中を縫うように進む道を城の方へ向かうと、民家の前で舗装道が終わってしまい、角を右へ回り込んでゆく。

塀や柵が無くて、しかも先は田んぼに突っ込んでゆくように見えるので、入って良いのかと考えてしまう…

民家の前を通り過ぎると、畑の中のちゃんとした道。


ここは、すでに城内。

丘の西の突端を占める主郭の東隣の曲輪。

ちなみに、民家の前あたりに東側の曲輪の東端を仕切る空堀が南北に走っていたということだが、見る限り跡形もない😮

この辺のどっかに…


そして、北側にはこの曲輪の北辺で城の内外を仕切っていた空堀が、辛うじて痕跡を残している。

正面奥の森の手前、ウネが視線方向に刻まれた帯状の畑…


なんか伊勢原の岡崎城に、こんな感じで残っている堀跡があったっけ…

 

さて最後の民家の前から少し進むと、すぐに堀らしいものが見えてくる😮

道は斜めに横切りながら側壁を容赦なく崩してるな…


この向こうが主郭で、道沿いは一部崩れているようだが、それ以外のところは割としっかり残っていた✨

北のほう


南の方に入り込んでゆくと、千曲川の段丘崖を穿つ立派な竪堀になって下っているのが見える😮


城内に向かって登っているところ。

ちゃんと箱堀みたく凹んでいる。この向こう側数十メートルのところで道が横切っている。


では、道へ戻って主郭へ入ってゆくか。

まだまだ暑いが、標高のあるこのあたりの風は心地よい😊

風に揺られるコスモスが土の城の堀を彩る✨


そして、主郭。

いまは畑になっていて、石龕だの墓だのがあちこちに…

それでも広い削平地。


西の端が丘の突端、丘城なら中枢になるところだろうが、いまは墓地。


しかし、城の面影はその周囲にしっかり残っていた。

数十メートル下までほぼ真っ逆さま、北側の崖🥶


ちかくの岩尾城も、奥の曲輪に入ると川に面した側がこんなんだっけ…

南側の千曲川に面した方も同じような感じだが、こちらは樹林とヤブに覆われてサッパリ見えない、のが却って怖い…

端っこを踏み抜いてドサーッとか🥶


向こうの方に、甲斐国方面に向かう中部横断道が千曲川を渡っているのが見えるけど、樹間越し…


まぁ小さな崖端城で人の生活の影響も強く受けているのだけど、入ってはいけない場所ではなさそうで、中世の息吹をお手軽に感じられる場所として佳き城だった😊

こんなちっこい城の探索に小一時間もかかるのか?🙄というツッコミは却下します😎

 

★今井城

長野県佐久市今井城

集落内に道標一つだけあるが城内に案内は一切無し。車も停められないので調整池脇の公園から徒歩。

丘城

 

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(2025年9月17日 記)

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手賀城は手賀沼の東の方、干拓でひらかれた広大な水田地帯を南から見下ろす丘の端にあった。いまの手賀沼は柏市と我孫子市の間に東西6kmばかりだが、中世ごろには霞ヶ浦のほうから続く香取海の入江「手下浦」の一部だったとのこと。

戦国時代の永正年間ころに千葉一族の原氏が築いて居城にしたらしい。千葉一族を傘下に置いた後北条氏もろとも豊臣秀吉に敗れた天正十八年(1590年)、この城も攻め落とされ、そのまま廃されたとか。

いまは住宅地になっていて、見られる遺構はごくわずか。


バリバリ猛暑日の中、北総線小室駅から複数の城に寄り道しながら6時間ぐらいかけてようやく、手賀沼の干拓地を見下ろすここまでやってきた🥵


現在位置(Googleマップで)

まず目立つのは、城域にあったらしい興福院。

平安時代の大同年間開山というから、城よりずっと先輩。城主原胤親が帰依したが小田原合戦で戦火に巻き込まれ、焼失したとか。

山門が西を向いている。


脇には、標柱。

城についても簡単な説明がある。


この興福院周りは民家の庭で、遺構の探索はできない。

手を合わせてゆくだけになるか…


この丘の上はすっかり宅地化されて、城の面影はほとんど残っていない。

かつての曲輪の面影を留めようかという土の削平面も、興福院の裏手の道端ぐらいにしか残っていなかった…

向こう側は城の防御を担っていた段丘崖だろうが、竹ヤブが濃厚すぎ…💦


ここはそれほど見るところはなさそうなので、北側の段丘崖が見えそうなところから退散する💨

下っている途中、左側に曲輪のあとか?


そして、住宅の裏手だろうが、ごくわずかに段丘崖らしいところが見えた🙌

春先のタケノコの季節にまじまじと覗き込んでると不審者に見られそう…💦


けっきょく、城の存在を語るものを見つけられたのか、見つけられなかったのか…

戦国時代まで使われた丘城だったとなると、丘続き南側を仕切る堀があっても良さそうで、実際断片が残っているそうだが、見た感じ全て民家の敷地内らしく、目にすることは出来なかった。

まぁ城のパーツになりそうな段丘崖の片鱗が見られただけでも、満足っす😊

 

★手賀城

千葉県柏市手賀

周辺に車を停める場所なくバスは手賀川の向こう側まで。JR成田線湖北駅から徒歩約45分。

丘城

 

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(2025年9月17日 記)