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大井城は佐久市の中心地といえる岩村田地区の東のほう、湯川の右岸にできた段丘崖の上に築かれた城。黒岩城、王城、石並城という3つの曲輪が深い切通し状で仕切られている。一城別郭のような感じ。
周りがすっかり宅地化されて城内も公園や墓地になっているが、段丘崖はスッパリ切ったように垂直の土壁。民家に隣り合うように土壁などが見え隠れしている様子は、他ではなかなか見かけないだろう。
中世を通じてこの地に勢力のあった大井氏の宗家が居城としていた。建武二年(1335年)の中先代の乱では時の城主大井朝行が北朝方につき、南朝軍との戦いの末に城を落とされたこともあった。戦国時代に入ると佐久郡の伴野氏との戦いに敗れ、さらに文明十六年(1484年には村上政清の軍勢に城を落とされ一帯が灰燼に帰したという。その後は武田氏、徳川氏と変遷し、やがて廃城になったとのこと。
いまは黒岩城、王城が県指定史跡とのこと。
佐久から善光寺平方面を目指した遠征の2つ目も登らない城と思ってここにしたが、また駐車場探しで時間を食った😅
→現在位置(Googleマップで)
佐久平や岩村田などから県道156号を湯川の方へ進んでゆくと、城域を突っ切って川の方へ降りてゆく。
その北側が、王城なる曲輪のあった王城公園。
法面はコンクリでガッツリ防護されている。

南側の黒岩城との間を通り抜ける県道。
往時から堀切のような感じで、県道を通すときに切り広げられたか?

ただ、これを見たら各曲輪の周囲に残っている段丘崖のようすなど想像もできないだろう…
まずは湯川沿いの平地に出て、南側の黒岩城の切岸が見えるところを探してみる…
城の面影が見えないか、住宅の間に目をやったりしてみるが、ビッシリ張り付いていてスキがなかなか無い💦
その端っこの方でわずかにガケが見えるところがあったが、完全な垂壁だった😨

これを見た時には、まさかこれがデフォだなんて思いもしなかったさ…
黒岩城は民家の庭に囲まれたようなところにあって、軒先を掠めて行かなければ入れないようすだったので、入らず。
諦めて王城公園へ。
完全な公園じゃんか王城😮
登道は、完全にコンクリで固められている。
けっこうな急坂だが、往時の登城道をもとにしたか?

登った上の曲輪には遊具が置かれて、マレットゴルフ場もつくられている。
完全に公園の装い😂

しかし、入口脇に立派な説明板が立っている😮

県史跡は南のほうの黒岩城、王城だけで石並城は除外か…
郭内は園路が敷かれたり自由広場みたいなのがあったり、入母屋破風の あずまやが建てられたりして、やっぱり公園の装い。

奥の方に、県の天然記念物という『王城のケヤキ』が😮
柵されて入れないが数人で抱えるような大木で、周りにたくさんの祠などが立てられて大切に守られているようだ✨

切岸も柵されて入れず、樹林に囲まれて展望も無し…
カメラを突き出して切岸をなんとか撮るが、もとが段丘崖だけにそうとうな急傾斜のようす😨

これでも立派に城の守りになりそうだが、こんな普通の山に毛の生えたような斜面からは、下の様子は想像もできなかった…😨
何だこの土壁は🤯石並城との堀切
さて、次は北側を占める石並城💨
ここへは王城から一回出なければ行けない。
先ほどの急坂の登り口の北隣には石段の登り口もあって、ここには鳥居が立っていた。
さっきのケヤキがご神体なのだろう⛩️

細い道へ降りて北へ向かう。
道はだんだん田切のように切れ込んでいき、北の方に見えてきた石並城らしい土壁との間に大きな堀切状になってくる😮

王城も石並城も、スッパリ切ったような垂直の土壁になっている。
石並城側

そして、道は堀切のように穿たれた切通しを通り抜けているが、その右側に大きなU字型を描いているのが、本来の田切だったのだろうか。
城を築いたときに加工はされたかも知れないけど、堀切として一から掘削したものにしては大きすぎるだろう…

そして、王城側の土壁もスゴイのだ😮
これは登れん😨

こういうのを見ていると、城の防御の基本は切岸で、出入口になる虎口はガッチリ作らないとそこが弱点になる、というのが実感できるような気がする。
徒立ちとか騎兵とかの時代なら、かな…?😅
石並城の堀サン、どこ〜?🥺
さて、ここからは石並の西側に沿って横堀が伸びているようなのだが、ちょっと🌿🌿で入り込んでゆくのはムリそうだった。
仕方なく、西の方の円満寺の前を通って北側へ回り込んでみる。
円満寺の門

ここから、城の北側を通り抜ける切通しに出る。

この切通し、中に入ると両側が土壁のスゴイ有様になる🤯
後世に掘り下げられたりしたんだろうけど…
これ見てたら、房総土気城のクラン坂を思い出した…
あれと同じように空堀を兼ねてたのかな…?


ここを抜けた先の南側には、城の東側を構成する段丘崖が続いているが、森が深いうえに土壁というほどではないものの急傾斜で、写真をまともに撮れるところまで踏み込めなかった😅
仕方なく、上の曲輪へ。
石並城の上はほぼ全体が墓地になっていて、かなりの広さがある。
もともと段丘崖だっただけあって、湯川に面した東側の切岸も鋭い✨

南の方へ入ってゆくと、広い平坦地があった。
ただ、ここは畑になっていて、トラロープで規制されている…

墓地の中を通ってきた道も、畑の中へ入ってゆくだけだった。
けっきょく、石並城の西側、丘続きを切っていた横堀に出会うことは出来なかった😢
が、ひょっとして道端のこのササヤブ(Googleマップで表示)がそうなのか?🤔

これ、住宅地から堀の脇まで入って行ける道がないから、ムリだわな😂
遺構はそこそこ残っていそうだが、曲輪はガッツリ公園などにされ、周りは市街化の波を受けアプローチを塞がれているような状態だった。
戦国時代の前まで大井氏が足跡を刻んだ場所だし、城が味わってきた緊張感がひしひしという場所だけに、今残っている遺構だけでも何とか後世に、と切に思った。
★大井城
長野県佐久市岩村田
王城公園には駐車場が無いので近くの駐車場などを探して徒歩。
丘城
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(2025年9月18日 記)